作品タイトル不明
夜の訪問者
私も戸惑ったが、兄さまはもっと戸惑っていた。もっとも外側からは感情の揺れは感じられないだろう。さすがお父様の子どもである。
私が戸惑うのは、エレナからハンナを奪ってしまったという負い目があるからだ。そうではないとどんなに自分に言い聞かせても、罪の意識は消え去りはしない。そして兄さまが戸惑うのは、私を屋敷から連れ出したハンナとその身内を憎む気持ちがどうしても消えず、そんな自分が嫌だからではないのかなと思う。
「セバス、そろそろリアの寝る時間だが。そちらは何の用だろうか」
兄さまはエレナの名前を呼びたくないのか、そんな言い方をした。
「エレナが、どうしても礼を言いたいと申しますので」
何の礼だろうと私は疑問に思った。ハンナのネックレスは一年半前に返したし、そのことももう済んだことだ。そんな私と兄さまの前にエレナはひざまずき、まるで祈るかのように両手を組み合わせた。
「レミントン夫妻が、罪を認め幽閉されたと聞きました」
私は、幽閉される前、四侯の血筋の者に会いたいと言ったあの時のアンジェを思い出した。謝るためでもなく、自分の子どもに会うためでもなく、ただ、自分がなせなかったことの原因を見たかったためだけだった。
「つみは、みとめなかった。ただ、すきかってに、いきてきたひと。それだけ」
私は、自分の膝に目を落とした。
「そのせいで、くるしんだひとがいたのに」
「リーリア様……」
エレナは両手をいっそう強く握り合わせた。その姿は、まるでその手を私に伸ばさないように抑えているかのようだった。心配して慰める権利などないのだというように。
隣で兄さまがふうっとため息をついた。
「四侯はそれぞれ独立しているとはいえ、キングダムの安全を背負う同士であり、お互いに尊重し合っている。その同士の娘を、辺境にさらわせたうえ、何度も執拗に命を狙う女、それがレミントンの当主だった」
何一つ言質はとらせなかったけれど、アンジェは確かにそう匂わせていた。
「ましてそのために使った人など道具にすぎず、塵にも等しいものだっただろう。罪だとすら思っていなかったに違いない」
悲しいことだけれど、道具とは人のこと、ハンナのことである。
「それでも! かの方はもう二度と表舞台には戻ってこられません。そのたくらみが成功しなかったのは、すべてリーリア様と、ニコラス殿下、そしてレミントンを除いた四侯の方々のおかげと聞きました」
ジュードか誰かが教えたのだろうかとぼんやり思い、そうだ、ここはアリスターの家なのだと思い出す。王都でギルから聞かされたのだろう。
「これでもう二度と、誰も害することができない、それだけで私はもう……」
うつむいているエレナはこみ上げる何かを一生懸命に呑み込んでいた。
「ルーク様、リーリア様に心からの感謝を捧げます」
ようやくそれだけ言うと、頭を下げて静かに部屋から出て行った。隣の兄さまの緊張が緩んだのがわかる。私もほんの少しほっとした。
「セバス。私はまだまだ修行が足りませんね。どうしてもあの者を疎む気持ちが抑えきれないのです」
苦しそうではあったが、兄さまの口調が元に戻っていて私はほっとした。
「ルーク様、誰も許せとは申しておりませんよ。自然な気持ちのままでいいのです。あいかわらずご自分にはお厳しい」
セバスが兄様を優しい瞳で見ている。
「あの日、キングダムの結界が途切れたことは、辺境の誰も気がつかなかったことでしょう。ですが四侯の皆様の張った結界は、ここシーベルまで届きました。その時はいったい何ごとかと思いましたが。もしかしたら、あの日は、辺境のどこにも虚族が出ない、初めての夜だったかもしれませんね」
私は思わず大きく目を見開いた。私たちの張った結界が、なるべく遠くまで届きますようにと願ったが、それがキングダムの結界を越えて遠くまで広がったとは思いもしなかったからだ。国境の側の人がまったく被害に遭わなかったのだと聞いて、私はほっとした。
「それはハンターにとっては散々な夜だったことでしょうね」
「まことに。あの時、バートたちは一晩中帰ってきませんでした。虚族を探して歩きまわり、結局一体も見つけられなかったと聞きましたが。もっとも、虚族を狩るためというよりは、異変の最終確認ですね」
兄さまは知っていたのかもしれないが、私は済んだことは気にしない主義なので、そんなことになっていたとは知らなかった。セバスはバートたちの近況もさりげなく教えてくれた。
「アリスター様をはじめ、バートたちももう、ハンターで生計を立てなくても十分暮らしていけるようになりましたから」
キングダムまでやってくるくらいだし、ヒューのお手伝いをして報酬を得ているのかもしれない。私は立ったまま話しているセバスが気になり、手を引いて椅子に座らせた。ついでに膝によじ登る。
「リア様、だいぶ大きくなりました」
セバスは私の重さに満足そうだ。
「リア、おおきくなった。よめのもらいてもある」
こないだ兄さまの学院に行った結果を端的に報告したら、セバスの膝が驚きに揺れた。
「まさか、どちらの家の方です?」
「セバス、落ち着いて」
兄さまがくすくすと声を出して笑った。
「よほどの家格の方でないと、リア様をお渡しするわけにはまいりませんよ。その家はリア様を守れるだけの力がありますか」
セバスの剣幕に私も驚いた。だが、そもそも私を守る力がある家など四侯以外にない気もするから、いずれはそんなに力のない家に嫁ぐことになるのだと思うが。
「確かにいくつも話が来ましたが、すべてお断りしていますよ。そもそもはリアが学院に来たことがきっかけなんです」
兄さまはやっぱりクスクス笑いながら、セバスに学院襲撃事件を話し始めた。私は大きなあくびをすると、兄さまの話とセバスが楽しく話を聞いている気配を感じながら、いつのまにか寝てしまったらしい。