作品タイトル不明
淡紫のお姫様
次の日はいよいよウェスターに入ることになる。旅の間ずっと面倒だった王子様はウェスター一行に任せることができたので、兄さまや私、それにギルはとても気楽に竜車に乗っていた。本当は王子様だからニコも向こうに行くべきなのかもしれないが、しょせんは子ども。慣れた私たちと一緒にウェスター入りすることになった。
「今日はいよいよキングダムの結界を抜けることになりますね。ニコ殿下、少しその、なんというか空気が変わりますので、気持ちをしっかりと持ってくださいね」
兄さまがニコの心配をしている。
「うむ。しんぱいはいらぬ。けっかいの出はいりはすでにやったことがあるではないか」
兄さまはちょっと目を見開いて、ああと言う顔をした。
「煉獄島。そうでした」
「リアもだけど、ニコ殿下も四歳とは思えない経験をしてるよな」
「さかなのきょぞくがいるとは、思いもしなかった。よいけいけんであった」
あの時は命の危険もあったのに、印象に残ったのはそこなんだと思う私である。
「ということは、初めてなのは……」
兄さまの疑問にナタリーがそうっと片手を上げた。あの時ナタリーはお留守番だったのだ。
「ルーク様、大丈夫でございます。結界から出たことはありませんが、キングダムの、少なくとも王都の者は皆、結界がなくなった瞬間も、再び発動した瞬間も体で覚えていますから」
「そうですか。あの時、皆はそのように感じていたのですね」
結界を張る当事者である私たちとは違う感覚なのだろう。だが、そう言われてみると、確かにキングダムの民はたいていの者が魔力持ちであり、魔力もちであるということは、結界を体で感じることができるということだからだ。
「それでは心配する必要はありませんでしたね」
さすが兄さま、思いやりの塊である。
「ほら、もうすぐそこだぞ」
窓の外を眺めていたギルが、片手を上げて合図してくれた。同時に、竜車がゆっくりと止まった。
「どうやら、ここからゆっくりと進んでくれるようだぞ。さ、動き出した」
先導する竜車に従って、竜車が動き出す。結界を抜けるその瞬間を見逃さないように緊張していると、ふわっと体の中を何かが通り抜ける感じがした。
「慣れねえな」
御者席についているハンスの言葉が小さく流れてくる。結界を作りなれた私たちには、その感覚はむしろ新鮮に聞こえた。
「ここから先が、結界のない世界です」
静かな兄さまの言葉が、何かの宣言のように聞こえて思わず気持ちが改まる。経験があるとはいえ、本来出てはならない辺境の地へと、自主的に足を進めたのだ。それは緊張もする。
「わくわくするな。はじめてのばしょだ」
ニコが嬉しそうに窓の外を眺めている。
「わくわく、する?」
そうだ、私はまだ三歳なのだ。面倒なこともしがらみも全部気にせず、楽しく遊ぶのがお仕事ではないか。
「うん、わくわくする!」
「そうだろう?」
兄さまに危ないですよと言われながら、ニコと並んで竜車の窓から外を眺めた。
「リア、シーベルでは、やたいがたくさんでるとおもう」
「やたいか! おうとでいっしょに行ったな」
夜の王都に出て、二人で屋台の食べ物と飲み物を買って食べたのを思い出す。私はともかく、ニコはあちこちの儀礼にそれなりに参加しなくてはならないだろう。だが、そうでない時間もたくさんあるはずだ。
そうして領都シーベルまでは、ニコとおしゃべりしながら窓の外を眺めて過ごしたのだった。
今日、キングダムから王子と四侯の子どもたちがやってくること、それにファーランドの王子も視察に来ることはシーベルの民には事前に知らされている。だから、北からやってきた私たちは、大回りしてシーベルの南側から町に入り、民に顔を見せながらゆっくりと城に向かうことになっている。
この時ばかりは、ジャコモの服を着ることを私は許可した。
「リーリア様、ありがとうございます!」
感激するジャコモだが、ナタリーは相手がウェスターの伯爵家と知っても一歩も引かなかった。
「当然、このような時にリーリア様をかわいらしく見せる服もオールバンスの衣装部は取り揃えております。しかし」
ナタリーはぐいっと顎を上げた。
「リーリア様がおっしゃるのです。自分はいつもオールバンスの衣装部の皆に、とても着心地のいい服を作ってもらっているから、少しくらい他の人の服を着てもかまわないと。ジャコモのデザイナーとしての名声に少しでもつながることが、ウェスターの役に立つならと」
正直に言って、そこまで言ったつもりはない。オールバンスの皆は、私がかわいければそれで満足であって、他者に評価されたくて服を作っているわけではない。だが、服を商売にしている者にとっては、人に見せるということが大事なのではないかと遠回しに幼児らしく話しただけだ。
そういうわけで、いつもより若干レースやフリルの多い服を身に着け、覆いのない竜車に乗って列の先頭でシーベルの民ににこやかに手を振っている。
鷹揚に頷いてみせているニコの隣で。
本当なら兄さまと並んでオールバンスここにありと示すはずだったのだが、ニコが心細そうなのと、幼児二人のほうが見栄えがいいということで、こうなってしまった。
目立つのは好きではないのだが。
だが、落ち着いて時々手を上げる金の髪金の瞳のキングダムの王子を見て一瞬息を飲む民も、隣の私を見て安心したように笑み崩れ、大きく手を振るから、私がニコの隣にいてよかったのかもしれない。
「見てごらん。金の王子様の隣にいるのが、淡紫の小さなお姫様、リーリア様だよ。シーベルのことを忘れず、また来てくださったんだねえ」
竜がゆっくりと進んでいるので、道沿いに集まった民の言葉も時々聞こえてくるのだ。なかなか好感度が高いようでひと安心である。
それにしても、前回来た時よりもずいぶん人が多い。ヒューによると領都で週末、夜の間だけ結界を張るということで、ウェスターのあちこちから人が集まってきているのだという。
街を大回りした時も、真新しい小屋がいくつも建てられていた。宿におさまりきれないほど人が集まることを考えて、避難所のようなところを用意したのだそうだ。
それ以外にも、集まった人々に足りるよう食材や様々なものをあちこちから買い付けたりと、やるべきことは多岐に渡り、結界箱さえ動かせばいい、そのための魔力持ちさえいればいいと思っていた当時の自分を反省しているとも言っていた。ヒュー、偉い。
そんなことを思い返していると、私たちが通り過ぎた後ろのほうから、きゃーっという悲鳴のような歓声やどよめきが上がっている。
「まず、にいさまとギルでいっかい、きゃーってなる」
「そしてそのあと、カルロスどのでもう一回だな」
にこやかな私たちがこんな会話をしているとは気づくまい。
「みためは、かっこいいから」
「なかみはそうでもないがな」
意外とニコも辛辣である。
こうして私たちは、招待されたものとして一番大切な民への顔見せを早々に行い、ひとまずの義務を果たすことができた。