作品タイトル不明
全部、全部
「リア、いいですよ」
掛け声は私に任された。ということは次がニコの番だ。
「はーい! では、しゅっぱーつ!」
「キーエ!」
「キーエ!」
私の合図にラグ竜が楽しそうに走り出す。
「ふんふんふーん」
「キーエ!」
「リア、はなうたはやめておけ」
ニコに注意されて私ははっと気がついた。私はかごに乗っているから大丈夫だが、私の歌につられて皆駆け足になってしまっているではないか。
「あらー」
たくさんの竜と走るのは久しぶりだから、その感覚を忘れてしまっていた。
「ミニー、ゆっくりね」
「キーエ」
仕方ないわね、と足を緩めてくれたミニーである。
「いいこ」
「キーエ」
あなたのほうが小さいのよとふんと鼻息を吐く。
「ああ、かぜがきもちいい」
「さむいのに、なぜかこころがうきたつな」
「うん」
予定通りの日程で進んでいたはずだが、町に着くころには既に夕暮れの気配がしていた。
「大丈夫とわかっていても、この時間帯に外にいると虚族の恐怖で背筋が寒くなりますね」
リコシュが竜からひらりと降りて空を見上げた。
私もつられて空を見上げた。
キングダムの結界の恩恵を受けていたはずのトレントフォースでさえ、この時間帯は皆家に急いでいた。キングダムの結界には多少の揺らぎがあって、まれにだが町が結界から外れることがあるのだそうだ。
「このじかん、みんないえにいそいでた。そしていえでたのしくすごして、つぎのひは、はやおきする」
「リア、あなたはそういえば、ウェスターにいたことがあるんですね。しかしそんな幼い頃のことを覚えているものでしょうか……」
最後は独り言のようなリコシェの言葉に、私は答えるともなく答えた。
「おぼえてる」
ひとつひとつをありありと覚えている。
「よるはかぞくがはんたーだったから、いっしょにかりにでたの」
「ま、まさかですよね?」
リコシェの戸惑った声が聞こえるが、まさかでもなんでもない、日常だ。
「けっかいばこをもって、みんなをまつ。みんなはけっかいをせなかに、きょぞくをきって、あぶなくなったらけっかいにはいる」
懐かしいウェスターでの日々だ。
「そしたらおうちにかえって、つぎのひはひるのおしごと」
思い出してふと口元に笑みを浮かべると、兄さまが私を持ち上げて、離すまいとするようにギュッと抱きしめた。
「リアのうちはキングダムのオールバンスのお屋敷で、家族は私とお父様です。トレントフォースではありませんよ」
「はい、にいさま。いまはそう」
今はそうだけれど、確かにあの時はハンターの皆が家族で、帰る家はトレントフォースにあったのだ。
「ウェスターでアリスターやバート、それに元のうちの者に会ったら、帰るところは王都です」
「うん。だいじょうぶよ。ちゃんとかえる」
もう私をさらう人はいないし、私だって別にウェスターにいたいわけではないのだから。
「リア、その、あなたは虚族をみたことがあるのですか」
私が返事をする前に、兄さまがまだ何か聞きたそうなリコシェを制した。
「ここにいる私たちは皆、一度は虚族を見たことがあります。それほど珍しいことではないでしょう、特にファーランドの方たちにとっては」
「そうでもありませんよ」
リコシェは苦笑した。
「安全ではない夜に、わざわざ結界箱を使ってまで虚族を見せる理由がありません。多くの者は身近な人が虚族に襲われて死んだ、その事実をもって虚族の存在を信じているだけです。そして悲しいことにその事実はありふれている」
そういえばトレントフォースでさえ、虚族を見せてちゃんとした教育をしていたのは町長の子どもくらいだった。
「領地を預かる私たちは、街道を整備し、人の行き来の安全の保証をします。当然、夜になっても困らないよう、一定距離を置いてローダライトを使った虚族の入れない避難所を作るのも私たちの仕事です」
そう説明するリコシェに、いつの間にかすぐ近くに来ていたカルロス王子が加わった。
「だから、こんなふうに」
すぐそこに見える小さな町のほうに視線をむけた。
「ローダライトをまったく使っていない建物しかない町があることに驚く」
「それで王都の建物も気にしていたのですか」
「それもある。もちろん、美しさも堪能したよ」
バートのように、そこが気になったとはっきり言ってくれればわかりやすかったのにと思ったのは私だけではないのは、兄さまの顔を見ればわかった。
「我が国からキングダムに入り、そこから王都までずっと、避難所となる場所がないのは私も気になっていました。やむを得ず野宿になった時、キングダムの中だというのに結界箱の結界の中に身を寄せ合って過ごしたものです。見張りの者に、朝になって一体も虚族など出なかったと言われ、思わず笑い出しそうになりましたよ」
そもそもハンターで夜活動するのに慣れているバートたちと、虚族は恐ろしいという知識だけがあっても普段は普通に暮らしている貴族とでは、これだけ感覚が違うのだなと思う。そして、私たちが重視しなければならないのは、おそらくこのファーランドの人たちの意見なのだろう。
そしてウェスターのヒュー殿下は、活動的でハンター寄りの考え方だったなと思う。
「今日は領主館に泊まりますし、基本的に途中は宿か領主館ですが、日程と人数の関係でどうしても野営しなければならない日もあります。大丈夫でしょうか」
兄さまが心配そうに尋ねた。
「大丈夫だ。むしろそのような夜を、もう少し体験してみたいと思っていた」
カルロス殿下のその言葉を冗談で紛らわすようにリコシェが笑った。
「まあ、ここらあたりは辺境から離れた内陸部です。たとえ結界が消えたとしても、虚族が辺境からここまで来るのには時間がかかるでしょうし」
だがキングダムの者にとっては、それは笑えない冗談であった。
「ああ、ファーランドの皆さんはそのような認識でしたか」
兄さまが小さい声でつぶやいた。同じように私も少し驚いていた。
あの時、私たちは、結界がなければキングダムのあらゆるところから虚族が湧きだすと認識し、それゆえ危機感を共有できたのだ。
虚族が出現するミルス湖は、キングダム国内にあるのに結界の影響が届きにくいところだった。逆にウェスターの山から遠い草原部では、あまり虚族は出なかった。
「ウェスターでは、そうげんにはきょぞく、ほとんどでなかった。やまにはでた。ファーランドはちがう?」
私は気になって聞いてみた。
「リア、それは……」
リコシェが言葉を詰まらせた。そのことに気が付いていなかったのか、答えたくなかったのか。だが、答えないなら、もう一人に聞いてみよう。
「ジャスパー。リアはね、ウェスターのうみのそばでも、きょぞくをみたよ。ジャスパーのところは?」
ジャスパーは言葉を詰まらせずにきちんと答えてくれた。
「海の側と言っても、すぐ近くに山もあるし、普通に虚族は出たよ。だけど、ファーランドの中でも海を見たことのある者なんてほとんどいないんだ。リア、君はウェスターでいったいどれだけの経験をしてきたの?」
ウェスターの西の果てトレントフォースから、東の果て領都シーベルまで、ウェスターの端から端までぐるっと旅をしたのだ。
「王都ガーデスターからウェスターのトレントフォースに。そしてトレントフォースから領都シーベルへ、そしてシーベルからガーデスターに。そしてガーデスターから北の領地へ。さらに今、ガーデスターからまたシーベルへ」
兄さまがそう数え上げて肩をすくめた。
「商人もあちこち動くと思いますが、リアほど移動している人はそうはいないかもしれませんね。そしてリアは」
兄さまは私を抱きしめたままなぜだか悲しそうにつぶやいた。
「それをすべて覚えているようです。すべて」
さらわれて苦しかったことも、アリスターたちと過ごして楽しかったことも、全部、全部。