作品タイトル不明
26.ルーチェは麗し王子の隣
何故か私に王妃教育が施されていた。
6年間全く気付かなかった事実を知りポカンと口を開けていると、セシル様は新しいフォークを差し出してくれた。
「……黙っていた僕がこう言うのはなんですが、違和感は感じなかったのですか?」
「…いえ、我が家では教えられない一般教養とはそういうものなのかと…。ただ王后様が授業の時だけ人が変わった様にとても恐……厳しくて…。………王妃教育だったからなのですね」
マナーに始まり政治、経済、あらゆるジャンルを詰め込んだ、とても厳格な勉強がまさか王妃教育だったなんて。令嬢ならば誰もが学ぶ道だと信じて、時に泣きながら、時に怒りながら、そして父に八つ当たりをしながら耐え忍んだあれが。
「しかし本人に黙って進めた事に関しては納得出来ません。私は王妃教育を受ける立場ではありませんでしたし、そもそも王妃教育は免除の約束では?」
そう詰め寄るとセシル様は「返す言葉もありません」としょんぼりと肩を落とした。久々にウルウル王子の出番か。
…そんな捨てられた子犬の様な顔をされると強く言えないのだが。行先を失った怒りが徐々に冷めていく。
「貴女を王子妃に据えようという母上の企みに乗ってしまった僕のせいです。本当にすみませんでした」
申し訳なさそうに伏せられた長い睫毛。情けない表情も似合ってしまう綺麗な造形に、苛立ちが引いていくのを感じながら、暫し沈黙を貫いた後小さく溜息を吐いた。
「……一国の王子が簡単に謝らないでください。…もう良いです。済んだ事ですし、一般人には少々過剰ですが、貴重な知識を授けて頂いたことには感謝しています」
「ルーチェ…。許して頂いてありがとうございます。
……まだ2割残っているそうですが」
「その情報は聞きたくなかったです…」
その2割をこれから受けねばならないかと思うと頭痛がする。…いや、王子妃にならなければ受けなくても良いのか。その考えが顔に出ていたのかセシル様が話を進めた。
「そうでしたね、残りの2割を受けて頂くために話をしていたのでした。
……前述のとおり、ルーチェが優秀ではないというのは誤解です。むしろ貴女は聡い方です。それは学園の成績や魔具開発に貢献した事からも分かりますが…、疑われるのでしたら学園の教師や、王宮魔導士たち、それから両陛下の評価を聞いてきましょうか」
「そんな恐れ多い事は結構です!ありがとうございます!もう分かりましたので!!」
言うが早いか立ち上がり室内へ向かおうとするセシル様の服を掴んでソファーへ連れ戻す。大人しく座り直した彼は少し瞠目したあと、ふわりと甘い顔で笑った。
何だ、その笑顔…と考えてすぐに自身の体勢に気づく。
焦ったあまり行儀悪くソファーの上に膝立ちしていた私の体は、彼ととても近い。慌てて退こうとすると、その前に腕を引かれ彼の上に被さる様にして抱きしめられた。反対側の彼の肩口に顔が触れると、爽やかな香りに包まれる。
「はっ!離してください…!!」
「それから…なんでしたか?あぁ、貴女の見目の話でしたね」
「そ、そうです。話なら離れて…きゃあッ!?」
何とか離れようともがいていると軽く抱き上げられ、彼と向かい合ったまま膝の上におろされてしまった。
「なっ!?なんでこんな体勢に…ッ」
「ふふ、これで顔がしっかり見えますね」
「そういう問題ではありませんっ!」
「少しくらい良いじゃないですか」
腰がしっかり固定されて抜け出せない。いくら文句を言っても離してくれそうになかった。
セシル様の足に跨ったまま、愛しそうに頬を撫でられ、頭が沸騰しそうだ。未婚の令嬢が婚約者でもない男性とこんな格好をしているなんて、社会的に消えてしまうのではなかろうか。
少し離れて控える使用人達の生暖かい視線がツライ。
「それにしても、ルーチェの愛らしさは何度も伝えてきたつもりですが、なかなか響きませんね」
「…そ、それは社交辞令ではないですか」
「いいえ、全て本心です。どうしてそんなに自信がないのか分かりませんが……」
そう言って私の耳に唇を寄せる。
「…貴女はとても素敵ですよ」
「ひ…」
耳元で囁かれた甘い声に思わず上擦った声が出る。咄嗟に離れようと胸を押すがビクともせず、逆に抱きしめられてしまった。なおも耳元での囁きは続く。
「――艶やかな黒髪も、優しい色の瞳も、真珠の様な肌も、誘惑してくる甘い唇も、誰よりも魅力的です。許しをもらえるなら、全てにキスをしてしまいたい」
こちらを魅了するかの様な深い声に、ゾクリと背中が震えてしまった。間近でそれを受け入れる耳がとても熱い。頭の奥が痺れ思考回路が壊されているかの様だった。
「…それに、ますます綺麗になってしまったので、貴女を見つめる目が増えてしまってとても心配ですね」
「ま、ま…待ってくださ…、ちょっと離れてから……」
「他の男に奪われる前に僕のものになってくれたら良いのですが…」
「も、もう分かりましたので、もう…やめ…」
「…ふふ、そんな表情も他の男には見せてはいけませんよ」
そう言って耳に触れた柔らかな感触。それに続いてピリッとした僅かな痛みが耳たぶに伝わり…
「ッ!?」
甘噛みされたのだと気づいた時には、私の体は解放されていた。急いで膝から降り、ソファーの端に逃げ込む。
「ルーチェが納得してくれたようで良かったです」
熱くなった耳を押さえながらセシル様を睨みつけるが、彼は気にした様子もなく飄々とした態度で紅茶を飲んだ。
「か、過度な触れ合いはお控えください!!」
「うーん、それは聞けませんね。なにしろ初恋を拗らせて、8年間ずっと我慢していましたから」
「はち…8年間も!?」
「ええ、8歳の頃からずっとルーチェの事が好きでした」
そう照れた様に笑うセシル様。全く気付かなかった自分の鈍さに呆れながらも、真っすぐな言葉に胸が温かくなるのを感じた。
いや、流されてはいけない。首を振って冷静さを取り戻す。
「……セシル様のお気持ちはとても嬉しいのですが、それは恋情ではなく、兄弟愛のようなものではないでしょうか?」
「姉妹にこの様な 欲(・) は抱きませんよ。疑われるのでしたら、今晩、僕の部屋に泊まっていきますか?」
「だっ、断固拒否します…!」
長年傍にいたからこそ、彼の情はすり込みの様なものなのではないのかと不安があったが、にこやかに否定された。泊まったら何が証明されるやら…、いや、未知の領域なので考えるのはよそう。
「…他に貴女の懸念はありませんか?全てを消しましょう」
…消されるのは不安か逃げ道か。
セシル様が私の前に膝を付く。宝石の様に輝いて、それでいて全てを受け入れる様な深い光を湛えた瞳が、私を捉えた。
――諦めなくていいのだろうか。
期待に心がざわつく。何となく逃げられない運命を感じながらも、最後の悪あがきが口から零れた。
「…セシル様には高貴で美しく素敵な女性が相応しいと思います」
「ルーチェ以外は考えられません」
「…私が貴方の隣にいれば、似合わないと後ろ指さされるでしょう」
「全てからルーチェを守ってみせます」
「………魔術の研究も続けたいです」
「僕も協力します。研究で目を輝かせる貴女も好きですから」
温かな手が頬に触れ優しく撫でる。愛しさが溢れるそれに、目を瞑り頬を摺り寄せた。
「…………私なんかで、良いのですか?」
「ルーチェが良いんです」
少しも迷いのない返事。
…あぁ、降参だ。こんな真っすぐな想いに当てられては、私もこの恋心を諦めきれそうにもない。
「…貴女を愛しています」
何度目かの愛の言葉を受け取り、淡く笑みを浮かべる。
両手で頬が包み込まれる。顔のすぐ近くで、蒼玉の瞳が愛し気に細められ告げられた。
「……僕と、結婚してください」
「…はい―――――」
……小さく返した言葉は、最初の2文字以外は全て彼の唇に塞がれてしまったのだった。