軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

長い旅(2)(サーシャ視点)

僕達家族がまず向かったのは、王都だった。

ブラウンツヴァイクラントには『夏の王都』と『冬の王都』がある。季節が冬の終わりだった事もあり、僕達は冬の王都に向かった。

王都への旅は寒さが最大の敵だった。乗り合い馬車は人でぎゅうぎゅう詰めだったけれど、それでも寒かった。宿が見つからず野宿をしなくてはならない時は、焚き火の側で一晩中起きていた。眠り込んだら凍死してしまいそうだった。

寒さは本当に辛く『寒い』というだけで、惨めで悲しかった。それでも途中の街々にはもっと苦しい思いをしている人達がたくさんいた。伝染病が流行した街は殊の外悲惨だった。僕達は幾つもの街や村を超えて王都にたどり着いた。

王都に行けば、 何某(なにがし) かの仕事がある。生活していける。と思っていた。だけど、その考えは幻想だった。

王都は荒れ果てていた。そこかしこにホームレスがあふれ、仕事も無く食べる物も無かった。道端に行き倒れている人がたくさんいて、既に絶命している人もたくさんいるのだ。墓場に埋葬するのも間に合わない状況なのだという。治安も衛生状態も悪く人心は荒れ果てていた。

ここで生活する事は不可能だと一日でわかった。動ける人々は皆外国に逃げているという。特にブラウンツヴァイクラントの西にあるヒンガリーラントに亡命している人が多いらしい。伝染病の影響をあまり受けなかったヒンガリーラントには、仕事や食べ物が豊かにある。という噂だった。頼る人もいない王都にいても餓死するだけである。僕達もヒンガリーラントへ向かう事にした。

季節は春になろうとしていた。だけど心の中はまだ寒風が吹き荒れる暗い冬のままだった。

ヒンガリーラントまでの旅も大変だった。

故郷から持参していた食料もとっくに尽き、立ち寄った村々で食料を売ってもらうのだが、ろくな食べ物は無かった。萎びた野菜や、何の肉かわからない肉ばかりだ。それらを手に入れる為、服や持ち物を次々に売った。ようやく国境にたどり着いた時は、身一つとも言える状態だった。

国境の壁の向こうは、ハーゼンクレファーという領主が治める土地だった。国境を通る事はできたが、そこで難民達は二種類に選別された。ハーゼンクレファー家の役に立つ者と立たない者だ。

医者や工学者などの知識人や職人、芸術家、それに若い娘だけが領都に入る事ができて、それ以外の者はブラウンツヴァイクラントに戻るかヒンガリーラントの王都へ向かうか選べという事だった。

『菓子職人』という職業では領都には入れなかった。料理は人の口に入る物なので、何より信用が重視される。そして素性の知れぬ難民の身で信用などあるわけがなかった。

それでも国境だけは越えられたのは、ヒンガリーラントの王様が「難民達を受け入れ寛容に振る舞うように」という命令を下したかららしい。「だったら、王都でどうにかしてくれ!」という事で、ハーゼンクレファー領から王都行きの無料の乗り合い馬車が出ていたのである。

僕達はその馬車に乗り込んだ。王都に行けば優しい王様が何とかしてくれるかもしれない。それだけが希望だった。

もう、今着ている服以外の持ち物は何も無い。屋根の無いぼろぼろの乗り合い馬車に乗って僕達家族はたくさんの難民達と王都を目指した。

途中、ヒルデブラント領という領地を通過した。

「お優しいと評判の、若君様が生きていてくださったらどうにかしてくださったかもしれないのに。」

と誰かが言っていた。

ヒルデブラント家の跡取りは、伝染病が流行していた頃流行していた街に行き、熱心に医療活動に携わるほど優しい方だったらしい。だけど、その優しい若君様はついこの前ひどい事件に巻き込まれ死んでしまったそうだ。

故郷を出たのは間違いだっただろうか?と僕は自問自答した。僕一人が革命軍に投降し、家族をトラオームシュルフトに残した方が家族の為には良かったのだろうか?墨を流したように暗い空を眺めながら僕は考えた。

その時、空を流れ星が流れるのを見た。

「流れ星だね。」

と妻が言った。

「家族みんなが一緒にいられるだけで私は嬉しいわ。」

妻がぽつんとそう言った。僕は妻の肩を抱いた。頬に涙が伝うのを止められなかった。

そして僕達は、ヒンガリーラントの王都にたどり着いた。

僕達は、城壁の近くにある難民収容施設に収容された。

着くとすぐに、毛布一枚とパンを一つ手渡された。

「大変な苦労をなさったのでしょう。」

と優しい言葉をかけられ胸が熱くなった。久しぶりに食べるパンは柔らかくて甘かった。パンをこんなにおいしいと感じた事は今までに無かった。

同じ難民収容施設でも、ハーゼンクレファー領の施設と王都の施設は全然違った。衛生的で、公衆浴場まであった。ボランティアの医者や看護師が体調の悪い人を無償で見てくれた。 機(はた) 織りや縫い物などの仕事をしている女性達がたくさんいる。入り口の側の掲示板には、仕事の募集の情報が木板に書かれて掲げられていた。

だが、仕事の九割が船からの荷物の上げ下ろしなどの肉体労働だった。残りの一割は時計の修理や金属加工などの専門職である。

料理関係の仕事は無い。仕事を選んでいる場合ではないとわかってはいるが、今まで他の仕事をした事がなかったので不安があった。

もたもたしている間に、どんどんと木板が取り外されて受付に持って行かれている。僕も木板を取ろうと思った時、一枚の木板が目に入った。そこには

『私の知らないお菓子のレシピを買い取ります。』

と書いてあった。

誰からの依頼かとか、いくらで買い取る、という事は書いていない。

僕はその木板を手に取り、じっと眺めた。

僕が知っているお菓子のレシピは全て、岳父である師匠から教わったものだ。僕にとってはかけがえのない財産だ。でも岳父からもらったものであるからこそ、妻や娘達の為にその知識を売る事を師匠は許してくれるのではないだろうか?

もしかしたら廉価で買い叩かれるかもしれない。

だが、お菓子はレシピがわかったらおいしく作れるというものではない。言葉にできない、実践の積み重ねによって理解する事のできるコツというものがあるのだ。

だから、レシピを売ったからといって、僕やその菓子の価値が落ちるわけではない。

背に腹はかえられない状況なのだ。僕は木板を受付に持って行った。