作品タイトル不明
長い旅(3)(サーシャ視点)
受付にいたのは、商業ギルドの女性だった。
「えーと・・。男性がこれをお持ちになるのは珍しいですね。」
と、木板と僕の顔を交互に見ながら女性は言った。なので、僕は料理人ギルドの身分証を見せた。
「なるほど。専門職の方だったのですね。でしたら安心してご紹介できます。先方とすぐに連絡をとってみますので数日お待ちください。」
と言った後女性は
「依頼人は貴族です。お会いになられる前は、入浴を済ませ最低限身だしなみを整えてください。よろしくお願いします。」
と言った。
難民収容施設には、ボランティアで理容師や美容師も来てくれる。僕はボランティアに頼んで伸びてしまっていた髪を切ってもらった。切ってくれたのは若い女の子で、ユーバシャール孤児院という孤児院で育ったのだそうだ。
二日後、連絡が来た。
「明日の午後三時。東岸第二地区にある『プラムパイハイム』という食堂に行ってください。そこで面会なさるそうです。二時半に、プラムパイハイムから迎えの方がいらっしゃいます。」
と受付をしていた女性に言われた。
その段階で家族に依頼の件を伝えた。
「少しでも高く売れると良いわね。」
ナキアは少し寂しそうな顔をしてそう言った。
翌日はとても良い天気だった。
プラムパイハイムには家族全員で行く事にした。妻と子供達を置いて行く事が不安だったからだ。
実は、ハーゼンクレファー領にいた頃、少し目を離した間に娘達が拐かされそうになった事があったのである。難民収容施設という所にはいろんな人達がいる。その人達全てが善人ではないのだ。
迎えに来てくれたのは、上の娘と同じ年の少年だった。プラムパイハイムで皿洗いの仕事をしているのだそうだ。
プラムパイハイムは貴族との面談に選ばれるくらいだから高級レストランかと思っていたが、労働者御用達の下町の食堂であるらしい。
「女将さんは、元貴族なんだ。だけど、いろいろあって食堂の女将さんになったんだよ。おじさんに依頼したのは女将さんの娘さんなんだ。」
と迎えに来てくれた少年が言った。
「そうなんだ。どういう方なのかな?」
「女将さんによく似た美人だけど食い意地がはってるんだ。」
そういう事を聞いたわけではないのだが・・・。
「年齢はどれくらいなのかな?結婚しておられるのかい?」
「結婚はしてないよ。まだ10代だもの。お金持ちの貴族のお嬢様の侍女をしているんだよ。父親がろくでなしだったらしくってさ。それで、早くから働きに出てたみたい。」
何だか訳ありの母娘のようだ。しかし、貴族家の問題に首を突っ込むべきではないだろう。特に外国の貴族の問題には。
プラムパイハイムまではかなりの距離があったので、辻馬車に乗って行った。
馬車の窓から見るヒンガリーラントの王都は、ブラウンツヴァイクラントの王都とは別世界だった。良い意味で普通の、活気のある大都会だ。伝染病の影響などまるで感じなかった。隣同士の国なのに、こんなにも違っているなんて。と悲しさや理不尽さが胸に渦巻いた。プラムパイハイムも、その周囲の店も人で賑わっている。
プラムパイハイムの女将さんという人は、確かに『元貴族』と言われても納得の上品な美人だった。庶民的な服を着ていても優美さが態度や姿勢に出ている。
そして、娘さんという人も、既に店に来ていた。こちらはどう見ても貴族にしか見えない清楚で上品な美少女だった。
この品格で侍女をしているというなら、仕えているお嬢様という方はものすごく身分の高い人だろう。と思う。
実際娘さんは、侍女やら護衛やらを何人も引き連れていたのだ。
「ハーディングさんですね。お会いできて嬉しいです。リーシア・フォン・ファーレンライトと申します。ところでハーディングさんは、どんな珍しいお菓子のレシピをご存知なのですか?」
目をキラキラとさせてリーシア様は聞いて来た。ほんわかとした雰囲気の優しそうなお嬢様だ。高飛車で怒らせたら厄介そうなタイプの貴族ではなかった事にほっとした。
「どのような素材で、というようなご指定はあるでしょうか?」
と僕は質問してみた。
「レモンを使ったお菓子のレシピを教えてください。」
と、僕より少し年上そうな侍女が言った。レモンは、果物の中では割とよく使う菓子だ。僕はその中からレモンメレンゲパイを選んで伝えた。
彼女達が知らない菓子だったらしい。顔を見合わせてお互いに「知っていますか?」と言い合っていた。
「どんな味なのか確認してみたいです。今ここで作って頂く事は可能ですか?」
とリーシア様が言った。
「勿論です。」
「材料はこちらに用意しています。」
リーシア様がそう言うと、若い侍女がカゴを差し出して来た。カゴの中にはたくさんのレモン。それに卵とバター、蜂蜜に砂糖そして小麦粉が入っていた。
「承知しました。」
緊張したが、それと同時にとても嬉しかった。お菓子作りは単なる生活費を稼ぐ為の仕事ではない。僕はお菓子を作るのが本当に好きだったのだ。
僕は厨房に案内された。プラムパイハイムは今日は定休日なのだという。
僕が作る様子をその場にいた全員が厨房に来てじっと見ている。僕はナキアに手伝いを頼んだ。
「奥様も、お菓子作り上手なんですね。」
ナキアが卵を割る様子を見てリーシア様が感心して言った。
「父が料理人でしたので、私も少し教わりました。夫にはとても及びませんが、パンケーキやライスプティングくらいでしたら私も作れます。」
ナキアが少し照れたように言った。
ナキアが粉をふるってくれている間に、僕はレモンカードを作った。僕が作る様子を娘達も興味深そうに見ている。娘達が僕の仕事場に来る事はなかったので、娘達が僕の仕事を見る機会は今までになかったのだ。そんな娘達に女将さんが優しく声をかけてくれた。
「杏仁入りの牛乳カンがあるのだけど食べる?」
・・・。
聞いた事の無い食べ物だ。
娘達が困惑した表情で僕とナキアの方に視線を移す。
「ご厚意なのだから頂いたら良いわ。」
とナキアが言った。
『杏仁入りの牛乳カン』というのは、真っ白いカスタードプティングみたいな食べ物だった。磁器の容器に入り上にはアプリコットの実が飾られている。スプーンを使って食べるようだが、一口食べて娘達の顔が輝いた。
「お父様とお母様もどうぞ。リーシアとエイラも食べる?」
「食べる!」
さっきまでのおっとりとした、少し緩慢な様子と打って変わってリーシア様がハキハキと言った。女将さんは、その場にいた全員分の牛乳カンを店の氷冷庫から取り出した。
僕はお菓子作りの手を止めて牛乳カンを受け取った。ひんやりとした磁器の感触が心地良い。一口食べてみた牛乳カンはプティングとはまるで違う食感だった。今までにこんな食感のものを食べた事がなかった。冷たい喉越しと蜂蜜の優しい甘みが絶妙で、牛乳の味の奥に花のようなハーブのような不思議な香りがある。
雷に打たれたような衝撃を受けた。
ものすごくおいしい!
ヒンガリーラントにはこんなお菓子があるのか⁉︎
そう思い、ヒンガリーラントのお菓子文化の高さに震えた。自分の作る程度の菓子がヒンガリーラント人に受け入れてもらえるだろうか⁉︎急にひどく不安になった。
だけど、今はただ自分を信じて作り続けるしかない。
娘達も久しぶりに食べる甘味に夢中になって食べていた。
「すごく不思議な味がする。とてもおいしいです。」
とルキアが言った。
「『アンニン』って何ですか?」
「『杏仁』はね、アプリコットの種の中身なのよ。」
とリーシア様がルキアに答えて言った。初めて聞く食材だった。
リーシア様は子供好きな性格らしい。
「何の果物が一番好き?」
とか
「ブラウンツヴァイクラントにはどういう郷土料理があるの?」
と娘達に質問している。レキアもルキアも最初はすごく緊張していたが段々と打ち解けていろいろ楽しそうに話すようになってきた。
しかし、さっきから食べ物の話ばかりだな・・。
そして、パイは完成した。
「こちらでございます。」
と言って、僕はパイを差し出した。
「良い香り。それに初めて見る見た目だわ。とてもおいしそう。」
うっとりとした表情でリーシア様が言った。
女将さんが包丁を持って来て、パイを半分に切った。そのうちの半分を4分の1の大きさにカットした。そしてリーシア様と二人の侍女、そして護衛の方に皿にのせて渡した。もう半分は6分の1にカットして、自分と皿洗いの少年。そして僕達家族の前に置いた。
「おいしい!」
目を輝かせてリーシア様がそう言ってくださり僕はほっとした。僕も目の前のパイを食べてみた。うん、久しぶりに作ったがちゃんとおいしくできた。
他の人達からも歓声があがったのを見て、僕は胸をなで下ろした。
皆の反応は上々だ。このレシピを幾らで買い取ってもらえるだろう?そう思って、胸がドキドキした。
だが、言われたのは意外な言葉だった。
僕より年長の侍女殿が前に進み出てきて言ったのだ。
「当家で働いてみる意思はございますか?」