作品タイトル不明
林檎の間(2)(ミュリエラ視点)
今日、いえ昨日は事件が起きてから五日目になります。
最初の三日間は、風邪による高熱と体中の至る所にできたすり傷の痛みでうなっていました。それでも診察してくださるお医者様や看護婦さんがみんな親切で、私は平和に穏やかに過ごしていました。
本当は事件の影響で、いろいろ大変な事があったようですが、私は新聞を見せてもらえず、誰にも事件や事件が及ぼした影響の情報を教えてもらえず、ずっと林檎の間にこもっていました。
唯一あった騒ぎと言えば、私が向かいの『桜桃の間』にお見舞いに来た貴族の方にヒルデブラント小侯爵様の情報を聞いて過呼吸を起こしてしまい、その貴族の令嬢がすごい勢いで御母上に連れて行かれてしまった事でしょうか。
御母上に御令嬢がものすごく怒られたのではないだろうかと、申し訳なくてたまらない気持ちになりました。
その貴族の御令嬢にもしもまたお会いする事ができたなら、心からお礼とお詫びの言葉を伝えたいと思っていました。
思っていたのですが。
再会はびっくりするようなものになりました。
始まりは突然のお父様とお父様の奥様の登場でした。
正直びっくりしました。それと同時に少しだけ優しい言葉を期待してしまいました。
今までずっとお父様は私に無関心だったし、奥様には嫌われて意地悪ばかり言われていましたけれど、この数日優しい人達にしか会わず、とても甘やかされていたので、お父様にも優しい言葉をかけてもらえるのでは。と思ってしまったのです。
だけどお父様にはいつものように怒鳴りつけられてしまいました。
ショックでした。でも、これが本来の世間一般の正しい反応なのだとも思いました。
私はもう傷物で、そしてそうなったのは全て私の自己責任なのです。私がしっかりしていなかったからいけなかったのです。そして、優しい言葉をかけてくれる人達も本当は心の中では、父と同じように思っているのだと思いました。
私は震えながら謝りました。
私が殴られるのは自分のせいです。でも、何とかお父様の怒りを少しでも解いて、お母様やお兄様が殴られないようにしないとと思いました。
そう思っていたら、突然部屋のドアが開いて金色の髪をした大きな瞳の美しい貴族令嬢が入って来ました。
そして、すかさず手に持っていた扇をお父様の頭に投げつけたのです。ものすごく大きな音が病室内に響き渡りました。
令嬢は手を口元に当てて「おーっほほほ!」と高笑いをしました。そして、さっきお父様が言われた言葉をお父様自身に繰り返していました。当然お父様は怒髪天です。顔を真っ赤にして女性に殴りかかり、私は恐怖で身をすくませてしまいました。
そこに颯爽と現れたのが、先日お会いした御令嬢です。令嬢は、一瞬でお父様を押さえつけてしまいました。あまりの事に私は幻でも見ているのではと思いました。
金髪の令嬢は黒髪の令嬢に、お父様を殺すよう命令しました。令嬢方の後方には、明らかに女性騎士とわかる方々がいて剣を抜いて構えています。
お兄様の発言で、金髪の令嬢が国王陛下の姪であるエリザベート様である事がわかりました。
エリザベート様は五日前のあの日、ずっと私に寄り添い優しく励ましてくださった御方です。
でも、私は薬の影響のせいでエリザベート様のお顔をよく覚えていませんでした。こんなにも美しく可憐でありながらも堂々とした方だったのだとびっくりしました。
エリザベート様達の後ろからシュテルンベルク伯爵が入って来られ、令嬢方に敬意を捧げるのと同時にお父様を殺す、と宣言なさいました。
その時私は気がついたのです。
私はお父様を世界で一番強く恐ろしい存在なのだと思っていました。ヴァールブルクの街では誰もお父様には逆らえず、アルト同盟の組合長や訪れる貴族の方達でさえ、お父様には敬意を払っていました。
でもお父様は世界で一番な存在ではないのです。
ヴァールブルクを離れアズールブラウラントを離れたら、お父様などただの非力な老人であり、権力も腕力も無いちっぽけな存在なのです。他の街には他の街のルールがあり、法があり、お父様より遥かに敬われ褒め称えられるべき方がおり、それらの方々を前にしたらお父様など、港に打ち捨てられた魚のように価値がないのです。
黒髪の御令嬢がお父様を殺さない、と決定されたのでお父様は殺されずに済みました。その代わり騎士の方々に逮捕され拘束具をつけられてお父様は連れて行かれました。お父様がどれだけ怒っても誰も怯えもしないし注目さえしません。そしてお父様には騎士達を振り払う物理的な力も無いのです。ただ恥ずかしくみじめな存在として私の目の前から消えて行きました。
そしてその事は私に勇気をくれました。
きっと、これからも私を汚いと言う人が現れるでしょう。私の事を警戒心が無いとか、あっさり騙されて馬鹿な女だと言う人がいるでしょう。でも、そう言う人達も所詮、無力で愚かな人達なので気にする必要など全くないのです。そう上から目線で言う人が絶対的強者でも賢人でもないんです。
むしろ、絶対的強者である人達、ヒンガリーラントの国王陛下の姪であるエリザベート様やレベッカ様は、私に優しく私を守り、私を責める人に対して怒ってくださるのです。そして「貴女は何も悪くない」と言ってくださるのです。こんな心強い事があるでしょうか?
私はエリザベート様に心を込めて御礼を言いました。
そして、レベッカ様にも御礼とお詫びを言いました。
レベッカ様は海沿いの街々を恐怖に陥れていた『漆黒のサソリ団』を討伐した御令嬢でした。お会いするまでは、レベッカ様という方は筋骨逞しいそれこそ熊のような御令嬢なのかと思っていましたが、お会いしたレベッカ様は神秘的な雰囲気をたたえたシュッとした女性でした。
こんなカッコいい女性達に自分は助けられたんだ。そう思うと、まるで恋に落ちたかのように胸が高鳴りました。
いえ、エリザベート様とレベッカ様は私が今まで会ったことのある男の人達より遥かにカッコいい方達でした。実際私は、恋に落ちていたのかもしれません。
エリザベート様は綺麗な造花と、この季節にはまだ珍しい生の果物をくださいました。そして、困った事が起きた時にはいつでも力になると言ってくださいました。
本当に心強く、泣きたくなるほど嬉しい出来事でした。