作品タイトル不明
不帰川(12)(カレナ視点)
王都の中央を流れるフェルゼ河は、一番川幅の狭い場所でも三百メートル以上の長さがあり、そこに轟々と大量の水が流れています。
エルマーという工学者がこの河に橋をかけるまで、東岸から西岸に渡るには船を使うしかなく、同じ王都でありながら東岸と西岸は別々の二つの街でした。
東岸に王宮があり、役所があり大学があった事から東岸が『政治と学問の街』と呼ばれ、西岸が『商業の街』と呼ばれていました。
なので、王都でいわゆる『老舗』と呼ばれる商会は全てフェルゼ河西岸にあります。人口が増えるに連れて街が拡張し、東岸にも『商業区』ができたのですが、そこに店舗を構える商会は全て新参者扱いです。
東岸と西岸を行き来するのに、船しかなかった時代は、何度もこの河で悲惨な水難事故があったそうです。
川幅が広く水深が深く、流れが複雑なこの河に落ちて助かる人はほとんどいません。
たくさんの人達がこの河で溺れ、二度と戻って来られなかった為、この河は『 不帰川(かえらずのかわ) 』と呼ばれるのだそうです。
実は私はこの橋を通るのは初めてです。
私が暮らしているアカデミーの女子寄宿舎も、レーリヒ商会王都支店も、エーレンフロイト家のお屋敷も、第二地区の別邸も、レベッカ様やユリアーナ様が援助しておられる孤児院も、全てフェルゼ河東岸にあります。なので西岸に行く用事が無かったのです。
「買物をするなら、やっぱり西岸地区ね。素敵な店がいっぱいあるもの。」
と言っている、寄宿舎の侍女仲間もいます。
でも、私はユリアーナ様にお仕えしている為、買物はレーリヒ商会で全部済ませます。
お休みを頂いた日は、美術館に行ったり、ヘリング夫人のサロンに行って本を読んだり借りたりして過ごしています。そして、美術館もサロンも東岸にあります。
そういうわけで私は、西岸地区へ行った事がなかったのです。
河も大きいけれど橋の大きさにもびっくりです。こんな物を作り出せるなんて頭の良い人がいるのねえ。と思いました。
けれど。
「ゆ・・揺れるっ・揺れ!」
どーん!と不動の建築物に見えた橋は渡ると意外に揺れました。
「これ、落ちたりしませんよね!」
「大丈夫だろう。今まで一度も落ちた事が無いのだから。」
支店長がこれほど頼りなく見えたのは初めてです。
私は亡き父に泳ぎを教えてもらったので、少しですが泳げます。でも、それは海での話です。真水は海水ほど浮かないので泳ぎにくいと聞いた事があります。しかも、もう陽が落ちて真っ暗です。そして、ここは悪名高い『不帰川』です。橋が落ちたら絶対死にます。間違いありません。
これほど350メートルという距離を遠く感じたのは初めてです。帰りにもう一回通るのだと思ったら、げんなりしました。
ノルド商会は、第一地区にあるのだそうです。
「西岸の方が東岸よりも、道幅が狭くありませんか?」
「この辺りは、はしかの大流行があったよりも以前からある街並みだからね。伝染病の大流行以後にできた新しい街は、風通しに重きを置いて都市設計をしているから、道幅が広いんだ。それと、この周辺は商業区だから、わざと土地勘の無い者が迷いやすいようにしているんだよ。盗賊対策にね。」
ブルーダーシュタットでも、『旧市街』と呼ばれる地域はそうなっていました。
ただ、そういう街並みだといわゆる『裏通り』と呼ばれる場所が、ろくでもない人達の溜まり場になったりして逆に治安が悪化したりしていたのですけど。
「東岸とはだいぶ雰囲気が違いますね。東岸と西岸が二つの別な街、と言われるのもわかる気がします。」
「おや、カレナは西岸に来た事がないのかい?勿体無い。遊ぶのだったら、断然西岸だよ。面白い場所がいっぱいある。」
「そういえば、花街があるのはこちらですものね。」
「ち・ちち違うよ!劇場とか、音楽ホールとかだよ。それに5日と15日と25日には、五日市と呼ばれる大規模な市が大通りで行われるんだ。そういう時には芸人が集まって、客寄せの芸を披露したりするんだよ。そういえば、常連のお客様が今大通りで、『移動動物園』というのをやっていると言っていたなあ。」
「・・そうですか。ところで、まだ着かないのですか?」
「次の角を右に曲がってすぐだよ。・・・ん?」
レストランやバー、それに娼館などは、これからが賑わう時間なのでしょうが、この辺りの店は全部閉まっています。
しかも、雨が降っている為通行人も一人もいません。
そんな中、ある店だけが店の周囲に人がいっぱいいるのです。その人達は雨具を着て、カンテラを手に掲げています。
「あの、たくさん人がいる所がノルド商会なのだけど。」
と支店長が言いました。
馬車を止めて私と支店長は馬車を降りました。カンテラを持った人達がこちらを振り返ります。
「失礼致します。わたくしはレーリヒ商会で、当主の御息女にお仕えしている者です。主人の命を受けて本日訪問させて頂きました。こちらは、ミュリエラ・シュリーマン嬢の滞在先で間違いないでしょうか?」
どこかのホテルとかに泊まっている可能性だってありますが、とりあえずそう聞いてみました。
「そうですが、いったい・・。え!貴方はレーリヒ商会の支店長の・・。」
集団の中で一番良い服を着た人が答えました。どうやら、この人が昨日結婚式を挙げた商会の跡取りのようです。支店長とは面識があるらしく二人は商人らしい、少し長ったるい挨拶をしていました。
「なぜ、ミュリエラ嬢の事を?」
「実は私の主人が通っているアカデミーの寄宿舎に、運河で溺れていた女の子を助け出したという方が、助けを求めて来られたのです。そして、運河で溺れていた方の女の子が名を、ミュリエラ・シュリーマンと名乗ったそうです。」
と私は言いました。
「運河で溺れていた!」
他の青年が驚きの声をあげます。
背が高いので大人に見えましたが、よくよく見るとユリアーナ様と同じくらいの年齢のようです。
「どうして、運河に⁉︎」
青年の後ろでは、カンテラを持った他の人達が
「ミュリエラさん見つかったらしいぞ。」
「見つかったらしいぞ。」
「見つかったらしいぞ。」
「運河で溺れてたって。」
「運河に浮かんでたって。」
「川に浮かんでたって。」
と、奥の人達に伝言ゲームをしています。
なんか、内容がちょっとずつ変わってますよ!
しばらくして、女の人が二人、その場にいた人達をかき分けて前に出て来ました。一人は30代半ば、もう一人は20歳くらいに見えます。
「本当に、本当にミュラなのですか!」
と30代の女性が叫びました。
「本人がそう名乗られたそうですが。」
私はタオルを取りに行っていたので、直接には聞いていないのです。
「ミュラは、娘は褐色の髪に水色の瞳をしています。水色のリボンが付いた帽子を被っていて・・・。」
残念ながら、私は目を閉じているところしか見ていません。帽子も被ってはいませんでした。髪の色はまあ・・褐色ですかね。濡れていたので、もう少し暗い色に見えました。
「服は空色で、サイドがアイボリーに茶と緑のタータンチェックになっています。靴は焦茶で・・・。」
「あ、はい。服は空色でした。年齢は14歳との事でした。」
「だったらミュラです。ああ、良かった。良かった。」
「叔母様、良かったわね。」
女性二人は泣き始めました。
そうですよね。こんな時間になっても年頃の娘が戻って来なかったら、親はパニックですよね。旅先で土地勘も無いでしょうし。
カンテラを持っていた人達は捜索隊だったらしく、良かった、良かった、と言いつつ奥に引っ込んで行き始めました。
「妹は、今どこに?」
と、ユリアーナ様と同じ年くらいの青年が聞きました。
「アカデミーの寄宿舎の医務室におられます。」
「アカデミーって、どこにあるんですか?すみません。僕達はこの国の者ではないので。」
「・・えーと。」
私は東の方角を指差しました。
「東岸の文教地区です。」
「どうして、そんな所に⁉︎しかも、運河で溺れていただなんて!」
私に聞かれても困ります。エリザベート様や副校長がぽろっと言われた事から予測できる事はありますが、憶測を語るわけにはいきません。
「そんな事は、今はいいわ。早く迎えに行きましょう。案内をして頂けますでしょうか?」
と、母親らしい人が言ったので、私は大きくうなずきました。