作品タイトル不明
春の別れ(2)
「誰⁉︎」
と思った。見た事の無い男だ。それとも、遠い昔『一周目』の知り合いだろうか?
アーベラとティアナが警戒するように剣に手をかけ、私と男の間に立ち塞がる。だが、男が走って突進し肩を抱いたのは、私ではなくカレナだった。
「ああ、カレナ、会いたかった。ここにいたら会えるのではと思っていたんだ。神のお導きだ。良かった!」
そう言われて、カレナは目を白黒させている。
「誰ですか?」
と、カレナは聞いた。気づいたのは、ユリアだった。
「ヘルムスさん!」
「え、ええっ!ヘルムスさん・・ですか⁉︎」
「カレナ。そんな、他人行儀に呼ばなくていい。以前のようにリオと呼んでくれ!」
「呼べませんよ。どうして、ここに⁉︎」
「ノルド商会の跡取りが結婚して結婚式に呼ばれたんだ。あの、幸福そうな結婚式を見た後に君と再会できるなんて、神様のお導きだよ。」
「誰?」
と私はユリアに聞いた。ちなみにノルド商会というのは、王都では割と老舗の商会だ。長男がアズールブラウラントの女性と結婚したと、昨日の新聞に載っていた。
「カレナを捨てた、元婚約者です。」
とユリアは答えた。
何いいいぃっ!
カレナを捨てて、大銀行の支店長の娘と結婚したという下衆野郎か!この男、どのツラ下げてカレナに会いに来たのか?何を考えて、天下の往来で破廉恥行為に及んでいるのか⁉︎
「何がお導きですか!奥様はどうされたのですか⁉︎」
「別れたよ。」
カレナの問いに、今日の朝ごはんの内容を聞かれたくらい、けろっとした顔で元婚約者とやらは言った。
「別れたって、どうして?」
「あいつの実家の銀行は倒産したんだ。だから、もうあいつは僕に必要無い。それで、カレナ。君を迎えに来たんだよ。愛している。カレナ、これからは君とずっと一緒にいられるんだ。」
「何言っているんですか!あの奥様があなたと離婚する事に本当に同意したんですか?」
「それはまだだけど、でも関係無い。弁護士に任せているから大丈夫だ。カレナ、僕達結婚しよう!」
何が大丈夫だというのか⁉︎プロポーズをするのなら、せめて前の妻とはきっちり別れて来い!と言いたい。
「ふざけないでください!あなた子供もいたでしょう?漆黒のサソリ団が捕まった頃、奥様は第二子を妊娠しておられたじゃありませんか⁉︎」
「子供達なら、あいつと一緒にあいつの実家に送り返した。だから君が気に病む事は全くない。」
「送り返したって・・。子供を捨てたんですか⁉︎」
「・・だって、子供は母親と暮らす方が幸せだろう。」
カレナはポカンとしていた。
私もしていたし、ユリアもコルネもユーディットもドロテーアもポカンとしていた。
この二人の過去は、ラーエル地区に向かう船の上でユリアに聞いていたけれど、その時聞いた話を 鑑(かんが) みてもこの男は下衆過ぎる。
この男の奥さんは、ろくな女じゃなかった。それは認める。だけどこの男もろくなもんじゃない。
奥さんの実家が破産した途端、奥さんと子供を捨てて昔の恋人の所に走るって、それはイカンだろっ!
もし、カレナが「嬉しい!」とか言ったらがっかりだ!と思った。
しかしカレナは信じられないといった表情で
「あなたは私を捨てて、彼女を選んだのですよね?彼女と結婚の契約書を交わして永遠の愛を誓い合ったのですよね。病める時も健やかなる時も、順調な時も困難な時も同じように彼女を愛すると結婚式に参加した人達の前で誓ったのですよね?なのに、彼女が自分の役に立たなくなった途端彼女を捨てたのですか⁉︎」
と聞いた。
「君を愛しているからだよ!」
「さっき、奥様の実家が倒産したから、って言ったじゃないですか?今も銀行の経営が順調だったら、私に会いになんか来なかったでしょう?」
「カレナ!どうしたんだ?君は僕を愛していると言ってくれたじゃないか⁉︎あの言葉は偽りだったのか?」
「何年前の話をしているのよ!私、自己都合で妻だけでなく子供を捨てる男なんて信用できない!」
そうだろう。
三年前、カレナはそりゃあラヴェンデルに同情していたのだ。つい先日ラヴェンデルの夫が、流刑地送りになったと聞いて、ヤスミーンやフローラと一緒に祝杯をあげていたのである。なのに、この状況は喜べまい。
リオとやらの顔色が、赤べこのように赤くなった。この状況で男が口走るセリフは、健康な人の血液内酸素飽和度と同じくらいのパーセンテージでコレである。
「他に男がいるのか⁉︎付き合っている男がいるのか?」
「そんなのいないわよ!」
「なら!」
「ナラもブナも無い!あなたが信用できないって言ってるの。あなたは、自分の役に立たなくなったという理由で奥さんを捨てた。それなら私の事も私が生んだ子供の事も自分の都合が悪くなったら捨てるかもしれない。実際一回私を捨てているじゃない。そんなあんたなんかの事、いつまでも未練たらしく愛し続けてるわけないでしょう。」
「あの時は仕方がなかったんだ。ヘルムス商会の人間を路頭に迷わす事はできなかった。」
「でも、あんたは漆黒のサソリ団事件の時もなんにもしてくれなかった。ブルーダーシュタット中の人間が私に石を投げて来ているような状況で、助けてくれたのはユリア様とレベッカ様とレーリヒ支店の人達よ。あんたは何もしてくれなかった。妻を止める事も私の無実を信じると公言もしてくれなかった。」
「あの時も仕方がなかったんだ。僕には力が無かった。わかってくれるだろ。」
「ええ、よくわかってるわ。あんたは非力な男なのよ。財力や知力と同じほど、胆力や魅力は『力』なの。あんたにはその力が無いのよ。ユリア様やレベッカ様の100分の1ほども、それが無いのよ。そんなあんたの事なんかもう愛してなんかないし信じてもない。あんたと結婚なんて120%あり得ない。私の目の前からさっさと消えてよ!」
「いいぞ、姉ちゃん!」
と、ヤジが飛んで来た。ここは天下の往来なのだ。渋谷のスクランブル交差点には遠く及ばないが、かなりの数の人間が歩いている。その中での騒ぎである。無名のパントマイミストなどよりよっぽど人を集めている。周囲には人垣ができていた。
「そんな、カレナ!」
と言いつつ、男はまたカレナの肩を抱き寄せようとする。
「触らないでよ!」
と叫んでカレナは元婚約者を蹴り付けた。
うっわー。こういう銅像、温泉地を紹介する旅行本で見た事ある。確か熱海だっけ。『金色夜叉』の銅像だ。男と女が逆だけど。
見物人は大盛り上がりだ。
『人生は近くで見たら悲劇だが、遠くから見たら喜劇である』と言ったのは、チャーリー・チャップリンだっただろうか。しかし、この状況はどの方位から見ても間違いなく喜劇である。
「そろそろ、止めてあげなよ。」
と私はアーベラとティアナに言った。
「どう見てもカレナさんの方が強いじゃないですか。」
「お嬢様。男と女というものは別れる時は、変に同情の余地など残したりせず、木っ端微塵のコナコナのカサカサになるまで砕け散った方が後腐れがなくて良いのですよ。」
あてにならない護衛に期待せず、私がどうにかするべきだろうか?と悩んでいたら、レーリヒ支店の中から支店長とイザーク・バウアーが飛び出して来た。今日は本も買おうと思っていてイザークとクラリッサと、レーリヒ支店で待ち合わせをしていたのである。
「何の騒ぎなんだ?」
「おまえ、何をしている。」
未練がましくカレナにすがりつこうとしている元恋人を、イザークと支店長が引っぺがして押さえつける。ユリアとクラリッサが、カレナをかばうように男達との間に立った。
「カレナ、カレナ、カレナー!」
と叫ぶ男の姿は、見ようによってはオペラのワンシーンのようだ。心の底から気色が悪い。
「お嬢様!寄宿舎に戻りましょう。あそこなら安全です。今日はもう帰りましょう。」
とユーディットに言われたが、私はためらった。寒天は、またの機会でも良いが、寄宿舎に戻ったらイザークとは会えなくなる。
「あの男が『カレナを殺して自分も死ぬ』とか言い出して、レーリヒ支店に火をつけでもしたらどうするのですか⁉︎お嬢様自身の安全も大切ですし、レーリヒ支店の事だって守らなければなりません。」
そう言われてみればその通りだ。ストーカーという人種は何をやらかすかわからない。私のものさしでは測れない外道なのだ。
「ごめんなさい、バウアーさん。今日はもう寄宿舎に戻ります。リサ、良ければ寄宿舎に来てくれる?」
「承知致しました。伺います。」
とクラリッサは言ってくれた。
それで結局私達は、寄宿舎に帰る事になった。