作品タイトル不明
フェーベ街のボランティア(7)
それとは対照的に、伝染病の封じ込めに成功しているのがお隣のオーベルシュタット領だ。
オーベルシュタット領の領主は、読書、それも哲学書の研究が好きで『哲学公爵』と呼ばれている変人である。
公爵の読書好きは王都の人間の間でも有名だ。何せ、ヒンガリーラントで最も大きな図書館は王宮図書館だが、その次に大きな図書館はオーベルシュタット邸の中にある図書館と言われているのだ。三番目に蔵書数が多いと言われているのが、国立大学の図書館である。
公爵夫人であるヴィクトリア夫人は、国王陛下の異母妹である。母親は側妃ですらない身分の低い女性で中央の社交界では『劣り腹の王女』と呼ばれて馬鹿にされていた。御本人もまるで社交的な性格ではなく、領地に引きこもり建国祭の時くらいしか王都に出て来られる事はなかった。
そんなふうに、オーベルシュタット公爵夫婦は王都の社交界で侮られている夫婦だった。
だが、公爵の危機管理能力はピカイチだったのだ。
天然痘はオーベルシュタット領の領都ではなく、違う街で発生した。公爵は騎士団に命令し徹底した隔離政策をしいた。
それと同時に、その街の全住人に種痘を強制したのである。逆らうものは領外に追放された。
地球の民主主義国家では絶対にあり得ない独裁ぶりだ。だが、効果は絶大だった。
その後、周辺の村でも天然痘患者が発生したが、同じように種痘の接種を推し進めた。騎士団が権力と暴力で公爵の命令を強制した。騎士団は公爵や重臣達の命令に忠実だった。
だが、現実に公爵の命令に逆らった領民はほぼいなかったらしい。王都の社交界では人気のない夫婦だが、領民にはとても慕われていた。
ヴィクトリア夫人は降嫁にあたり、たくさんの花嫁持参金を持参して来たらしいが、それを自分の贅沢に使ったりせず領地に還元していた。
病院や学校を作り、領民の為の図書館も作った。領民に豊かな知識と情報を与え、迷信や因習に頼らぬ正確な医療を受けられるようにした。
歴史を語り継ぐ事で、伝染病の恐ろしさと人がそれと戦える、という知識と知恵を伝えていた。
だからこそいざ天然痘が流行った時、陰謀論や事実無根の噂に振り回されることがなかった。振り回された少数の者は騎士団が領外に放逐した。
オーベルシュタット領は、どこの領地よりも速やかに天然痘を封じ込めたのである。
だがオーベルシュタット公爵は横暴で冷酷だったわけではない。アズールブラウラントから亡命者が押し寄せて来ると
「エーレンフロイト侯は、トゥアキスラントからの亡命者を受け入れた。ならば我が領でも受け入れよう。」
と言って、病人を含む亡命者達をためらう事なく受け入れたそうだ。
オーベルシュタット領の人間は家臣も騎士団も領民も、公爵と法に忠実だった。公爵にそれだけの人望があったから皆忠実に振る舞ったのだ。公爵は『変人』と呼ばれ、王都では侮られる存在だった。領主としての能力にも乏しいと思われていた。
しかし、それは間違いだった。公爵は強く賢い有能な領主だった。
確かに、独裁的なところはあるだろう。だけど中途半端な優しさや甘さのせいで、伝染病を抑え込めずに広げ、領民を飢えて死なせ、最終的には汚染された土地ごと領民を焼棄するという領主よりも何万倍もマシな領主だった。
かつてジークがお父様に言ったらしい。伝染病の存在は領地を二極化させるだろうと。助け合って団結力の強くなる領地と、醜さを露呈し合って後々禍根を残す領地とに。正にその通りになった。オーベルシュタット領とローテンベルガー領は明暗が分かれた。
伝染病は野火のように、ヒンガリーラント全域に広がっていっている。ハーゼンクレファー公爵領にもディッセンドルフ公爵領にも既に病は発生している。いわゆる『王妃派』と呼ばれているディッセンドルフ公爵の派閥の領地にも広がっているという。友人のリーシアの実家である、デューリンガー伯爵領にも出たそうだ。
伝染病が発生した地域では、王都に助けを求めているようだが、王都も助けの手を差し伸べられる状況ではない。薬やワクチンはまだしも、医者の数は有限だからだ。ボランティアをしようとする人間もまた有限だ。ボランティア自身が、自分が行く場所を選択出来る状況だ。それは即ち、選ばれる地域と見捨てられる土地があるという事で、命の選択がなされているという事なのである。
だからせめて、領主達には賢明な判断をして欲しい。一人でも多くの命を救う為に、自分の領地を『混乱していない社会』にしておいて欲しいと私は心から思った。