作品タイトル不明
大陸歴314年という年(2)(エルヴァイラ視点)
正直言ってしり込みしました。『侯爵家』など、我が家のような下級貴族からしたら雲の上の存在です。自分などに務まるだろうか?と不安でした。
それに、エーレンフロイト領は伝染病が蔓延している領地です。領地は王都どころでは無いほど困窮しているはずです。そんな中で家庭教師を雇うような余裕があるのだろうか?と思いました。
でも、本当は。エーレンフロイト家があの『紅蓮の魔女』の血族だったから不安だったのです。そのひ孫にあたる侯爵令嬢がどのような人なのか内心恐怖を感じていました。
それでも私に選択肢はありませんでした。子供達を飢えさせたくないと思っていました。突然、我が家の様子を見に現れた姑には
「あなたの家は女の子が多いから、いざとなったら娼館に売れて良いわねえ。長男の所には男の孫しかいないから。」
と言われ、怒りに震えました。
家族を守る為に他に道は無かったのです。
エーレンフロイト侯爵夫人に指定された日に、侯爵邸に行くと私の他にもう二人家庭教師の女性がいました。
もしかして面談をして、一人だけが選ばれるのかとドキッとしましたがそうではなく、レベッカ様のご友人達にも指導して欲しいとの事で三人いたのでした。
その後、お会いしたレベッカ様はとても思いやりのある、優しい少女でした。
私同様、家庭教師として呼ばれたモニカが娘を連れて来ていたのですが、その娘がレベッカ様に無礼な態度をとったのです。
普通の大貴族の令嬢ならば激昂し、大騒ぎをしてもおかしくない状況でしたが、なんとレベッカ様はご自分が謝られ、泣き出したモニカの娘を優しく励まされたのです。
こんな上級貴族の少女がいるのか!と驚きました。
王宮で働いていた頃、子爵家や男爵家の娘という方々も侍女として働いていましたが、皆家柄を鼻にかけた高慢な方々ばかりでした。
そして、下級貴族出身のステファニー様をひどく見下していました。
ですから、ステファニー様がご自分のご子息の婚約者に侯爵令嬢を選ばれたと聞いた時は、少し不思議に思ったものです。
ですが、さすがステファニー様が選んだ少女だと思いました。レベッカ様の友人達もレベッカ様の事を心から尊敬し慕っているというのが、表情でわかりました。
レベッカ様は、骨付きの肉料理を食べるのが下手で、ピアノも刺繍も苦手で、絵を描いても何を描かれたのか全然わからなくて、激しいステップでダンスを踊る方でしたけれど、そんな事が気にならないほどの美徳に恵まれた素晴らしい方でした。
二日後には、他の友人方も駆けつけて来て、一緒に勉強している友人方は「ずるい」との大合唱でした。その光景を見ていてもレベッカ様が、皆に心から慕われているのだという事がわかりました。
レベッカ様の家庭教師になる事が出来て私は、本当に幸運でした。
家庭教師になった初日、驚いたのは昼食のメニューにウズラのローストが出て来た事です。
生の肉を使った料理など、最後に食べたのがいつか思い出せないくらいでした。
エーレンフロイト家では、伝染病が流行り始めてすぐに庭でウズラとアヒルをたくさん飼いだしたのだそうです。
デザートには、生のサクランボが出て来ました。それはシュテルンベルク家の庭で採れた物だという事でした。
レベッカ様は伝染病が流行り始めてすぐ、第二地区で野菜を作り始めたという話も後で聞きました。
食べ物という物は有る所には有るのだと思いました。そして、非常の時でもきちんと備えをしているから有るのです。
それが、大貴族というものなのだ。と感心させられました。
それに、大貴族というものは大きな商会とも繋がりが有るものです。
実際私が教える生徒の中には、ブルーダーシュタット指折りの大商会の一人娘ユリアーナ嬢がいました。
ユリアーナ嬢の実家のレーリヒ商会の船は、王都が二週間の待機期間をとるようになってからも定期的に王都へやって来ていました。
二週間の待機期間がある以上、余分な費用がかかりますが、上得意様には変わらぬ値段で商品を卸し、それ以外の場所で商品代を上乗せする事で儲けを出しているようです。
そしてエーレンフロイト家は最上位の上得意であり、侯爵夫人が口利きをしてくださる事で、我が家も廉価で商品を買い取る事ができるようになりました。
大麦、蕎麦、米などの穀物や、干し肉や塩なども嬉しかったですが、何より嬉しかったのは石油や石炭といった燃料が廉価で手に入るようになった事です。
更に外国と交易をしている大商会からは非常に珍しい物も手に入るようになりました。食べた事の無い果物で作ったドライフルーツや香辛料などです。その中で最も驚いたのは『パインシロップ』と『メープルシロップ』でした。
それは北大陸の山間部にあるという、極寒の極小国で作られているという甘味料で、パインシロップは松、メープルシロップは楓の木の樹液を煮詰めて作るのだそうです。
今年から外国にも輸出されるようになったという甘味料ですが、それを紹介された時レベッカ様は飛び跳ねて喜ばれ、対照的に侯爵夫人は渋い顔をしておられました。
「樹液を食べるなんて気持ちが悪いわ。」
「なーに言ってんの、お母様。ハチミツだって、花の蜜とミツバチの唾液の混合物だよ。東大陸から輸入されている『砂糖』だって何かの草の汁とか何かの虫の体液の搾り汁って可能性もあるじゃない。木の汁ならむしろ衛生的だよ。」
「虫の体液って、変な事を言わないでちょうだい!」
侯爵夫人はお怒りになりましたが、砂糖の産出国では砂糖の原料を極秘にしていますので、実際のところその正体が何なのか外国人にはわかりません。それにハチミツが蜂の唾液まみれなのは事実です。ミツバチはツボを持って蜜を集めているわけではありません。口内に入れて蜜を運べば当然、ハチミツには蜂の唾液が混ざるでしょう。
そう考えると確かに、ハチミツや砂糖より衛生的な食べ物かもしれません。
試食させてもらったシロップは、ほのかに木の香りがしましたが、とても甘い物でした。
スモークしたハチミツと言われたら信じたかもしれません。
「ハチミツを食べていると自分が蝶になったような気がするけれど、このシロップを食べると自分がカブトムシになったような気がするわあ。」
とレベッカ様は何故か嬉しそうに言っておられました。するとヨーゼフ様が
「僕は男の子だから、蝶みたいって言われるよりカブトムシみたいって言われる方が嬉しい。」
と一緒になって喜んでいます。
侯爵夫人はあまり買いたくなさそうでしたが、レベッカ様が「買ってー、買ってー。」と大騒ぎしたので、結局買われました。でもレベッカ様は自分のお金でもシロップを買って「孤児院に持って行ってあげよう」と言っておられました。そして
「子供達に食べさせてあげて。」
と言って私にもプレゼントをしてくださいました。
我が家の子供達は木の樹液と聞いても怯む事なく、大喜びをしていました。
それからしばらくして。エーレンフロイト領で伝染病の終息宣言がなされ、エーレンフロイト侯爵が王都へ戻って来られました。