作品タイトル不明
ついに来たその日
大陸歴314年の春が来た。無事に来た。
今現在、西大陸で天然痘は流行っていない。
新しい年になって最初の二ヶ月くらいは、いつ流行るかいつ流行るか、ドキドキしながら毎日新聞を読んでいたが、最近ちょっと中だるみ状態になっている。
もしかして、このまま流行らないって可能性はないかなあ?
考えてみたら、過去世と今世はけっこう違っている事いっぱいあるしなあ。
芳花妃様は今も生きていらっしゃるし、過去には生まれていなかったアンゲラ王女もすくすくと成長しておられる。
ユリアのお父さんも生きているし、その代わりに海賊『漆黒のサソリ団』は壊滅した。
バタフライエフェクトじゃないけど、こうした小さな変化が積り積もって未来が変わってきたりしないだろうか?
と私は、サツマイモを焼きながら考えた。こちらの世界では、サツマイモは『南海芋』と呼ばれている。『薩摩』がこっちの世界には無いからね。
私が今、南海芋を食べようとしているのも過去世では無かった事だよなあ。少なくとも、一回目の人生で南海芋を食べた事は一度も無い。
私は、バウムクーヘン専用焼き場でじっくり焼いている南海芋を木の枝でつついてみた。そろそろ火が通ってきたような気がする。日本で食べていた焼き芋は、ホクホク系とネットリ系の二種類があったが、こちらの世界の焼き芋は全てホクホク系だ。
もともと、日本の焼き芋もホクホク系ばかりだったらしいが「胸に詰まる」という苦情が数多く出て、農家の方々がネットリした食感になるよう品種改良した。という都市伝説を聞いた事がある。
ちなみに私は、日本にいた頃からホクホク系が好きだったので、ホクホク系の焼き芋が食べられてとても嬉しい。
火を使用しているので、焚き火の側には水の入った桶も二つ置いてある。火事が起こったりしたら怖いからね。
今から三ヶ月ほど前、隣といえば隣の国のシンフィレアで王都を焼き尽くす大火災があったのだ。その火事でで200人くらいの方が亡くなったらしい。大変な悲劇ではあるが、シンフィレアの王都人口はだいたい13万人くらいなのでそれを考えると亡くなった方の人数が少なかった。
主な理由は二つ。一つは、風の強いシンフィレアでは昔から火事が多かった。その為、火事に遭うたびに火事から逃げやすいように街を作り直していた。火事が起こると、城壁の近くに住んでいる住民は城壁の外に逃げたそうだ。高い城壁は防火壁の役目を果たした。海の近くに住んでいた人達は海に逃げた。大型船を所有している海軍や商人が、避難者を救出し、安全な他の島にに逃れた。
貧乏人は、『命が何よりも大事』と身一つで逃げた。だが、金持ちや貴族は財産を持ち出そうとして逃げるのが遅れた。更に、貧乏人は自分の足で走って逃たが、金持ちは荷物が多いので馬車で逃げた。その為、通りで馬車の大渋滞が起こった。火が近づいて来ると、馬がパニックを起こし馬車が進まなくなった。結果、亡くなった人の8割が富裕層だったという。
いろいろと考えさせられる話である。
もう一つの理由は、シンフィレアに北大陸最大の天才、グラハム博士の弟子達が何人か亡命していた事である。シンフィレアは亡命者に寛容な国だ。弟子達は王都がある島とは別の小さな島に研究所を作り、研究を行なっていた。
火事が起きた時、大きな死因になるのは、火傷が感染症を引き起こす事である。
弟子達は研究所で作った抗菌薬を無料で配り治療にあたった。更に避難所生活が長引くと、風邪や赤痢が発生しやすくなる。それらの病気に効く薬も配った。その為、火事の後で起こる関連死が非常に少なかったのだ。
もちろん、ヒンガリーラントをはじめとする、外国の国々が食料や毛布などを大量に送った事も、関連死を防ぐのに大きな役にたったのである。
そして三ヶ月が経ち、少しずつ王都は復興していっているのだそうだ。
「良かったね。」と、心から思う。
ちなみに私は今、アカデミーの寄宿舎から家へと帰って来ている。
もうじき、ヒンガリーラントの三大祭りの一つ収穫祭が行われるのだ。収穫祭の時期にはいつも、お父様とお母様は領地へ帰っている。それに今年は私もついて行くのだ。
両親には「来年には成人だし、そうなると後何回領地へ帰れるかわからないから」と言っているけれど、本当は南東諸島から買い付けた大量のお米がちゃんと届いているかを確認したいからだ。
まさかお米をネコババして横流しする不届きな役人が領地にいるとは思わないが、決して安くはない買い物だったのできちんと管理をされているかどうかこの目で確認したい。
私が領地へ行くというと、ユリアとコルネは自分達も行くと騒ぎ出した。二人がついて来るとなると、カレナとドロテーアも一緒である。
コルネとドロテーアは海を見た事がないらしく、海を見るのをとても楽しみにしているみたいだ。今、ドロテーアはしばらく王都を離れる事を、息子に報告がてら新聞を買いに行ってくれている。
まだ、ちょっと芯まで焼けてないかなあ。でも、追加の落ち葉を集めるのがめんどくさいなあ。と思いつつ芋を突き回していたところで、ドロテーアが戻って来た。
「何か、面白い記事のってた?」
と私は聞いてみた。ろくな記事がのっていなかったら、新聞を火の中に放り込んで、芋を芯まで焼く為の足しにしよう。
ドロテーアの返事がないので、芋を突いていた私は顔を上げた。
「どうしたの、ドリー?」
と私の側にいたコルネが聞く。ドロテーアの顔は、少し蒼ざめていた。
「コルネ様。トゥアキスラントで・・天然痘患者が出たそうです。」
「ええっ!」
とコルネが叫んだ。焚き火の側にいたユリアとカレナも小さく悲鳴をあげた。アーベラは何も言わなかったが、信じられない!という表情をしていた
遂に来たか!私は天を仰いだ。ツバメが一羽、空を横切って行くのが見えた。
「新聞見せてもらっていいですか?」
とアーベラが言った。アーベラは紙面に目を走らせた後
「旦那様と奥様にお伝えして来ます。」
と言った。
私は小さくうなずいた。
芋を突く腕が震えて止まらなかった。
その後、もそもそと焼き芋を食べていると、お父様に執務室に呼び出された。
ユリアとコルネも一緒だし、執務室の中にはお母様とヨーゼフもいた。
「もう知っていると思うけれど、隣の国で天然痘が発生したそうだ。」
とお父様は言った。
「誤報という可能性はないのですか?」
お母様が不安そうな声で言った。
「天然痘によく似た病気はいろいろありますわ。水痘とか。北大陸なら牛痘や馬痘という病気もあるのでしょう。」
「実は、医療省には1週間前から情報が入っていた。人心に混乱をもたらすから、吹聴しないようにと言われていたが、海沿いに領地のある領主にはトゥアキスラントからの船を入港させないようにと通告があったんだ。そして、医療省が入念に調べて結果が出た。信じたくなかったが、やはり天然痘らしい。」
「何て事!」
お母様が顔を覆って言った。
天然痘は恐ろしい病気だ。その恐ろしさは骨身にしみて知っている。
本当に身をもって知っているのだ。
まず、ものすごく高い熱が出る。数日で熱は低くなるが、その後顔や手足に発疹が出る。胴体にも出るが、顔や手足の方により多く出る。
見えるところにたくさん出るのが、この病気の嫌なところなのだ。発疹は最初水ぶくれだが、やがて膿になる。それが乾いてかさぶたになり、かさぶたが剥がれ落ちると肌には醜い痕が残る。一度低くなった熱も症状が進むとまた非常に高くなる。人によっては、発疹は皮膚だけでなく内臓にもできる。そして、肺に発症した場合、患者はほぼ全員が死ぬ。
天然痘と同じくらい恐れられているペストも、肺ペストの場合、死亡率は100%だ。それだけ人にとって、肺が重要な臓器だという事だろう。
天然痘の死亡率は極めて高い。患者の栄養状態、持病の有無によって地域ごとに数字は違うが、だいたい2割から5割と言われている。
天然痘の唯一とも言える長所は、一度かかると二度とかからない事だ。インフルエンザのようにワンシーズンで複数回かかることもある病気なら、人類はたぶんとっくに絶滅しているだろう。
ああ、でもついに。ついにこの時が来てしまった。暗い沼に少しずつ沈んでいくような気分だ。体が重く息が苦しい。
「僕は、領地に防疫体制をしく為にも領地に戻るが、アルベルとヨーゼフ、レベッカは王都に残りなさい。」
「旦那様が行かなければならないのですか⁉︎」
お母様の声には、行かないで欲しいという感情がこもっていた。
「このような時に動くのが、領主の役目だ。天然痘の潜伏期間は7日から16日と言われている。エーレンフロイト領はもちろん、王都にすらすでに入り込んでいるかもしれない。今は出来うる限り館にこもって、状況を静観視するんだ。レベッカ、ヨーゼフ。ユリアもコルネもアカデミーには戻らず家にいなさい。アルベル。子供達を頼んだよ。」
うわあ!とお母様が泣き出した。びっくりした。お母様は貴族の女性らしく、できる限り感情を表に出さないよう努力をしている人だ。
私を怒鳴りつける時は、ゲージが振り切れてしまった時なのである。
そんなお母様が泣いている。ある意味、この夫婦って結婚10年以上経っているけど今だにラブラブなのね。と感心した。
お母様を抱きしめているお父様に、執事がおずおずという感じで言った。
「あの、旦那様。シュテルンベルク伯爵が面会を要請しておられます。」
お父様が顔を上げた。シュテルンベルク家はお母様の実家だ。当主の伯爵様は我が国の医療大臣である。こんな時期の突然の面会希望なんて、絶対に天然痘がらみだろう。
「わかった。何時でも良いと伝えてくれ。」
「本当でございますか?もう、玄関ドアの前にいらっしゃるのですが。」
・・・。
それはもう、押しかけて来てます。と同義じゃないか。
「かまわない。リヒトなら普段着でも許してくれるだろう。」
「いえ、あの、それがお会いになりたいのが、旦那様でも奥様でもなく・・・。」
「え?」
「ユリアーナ様とコルネリア様にだそうです。」
お父様がきょとんとした。私もした。
何で今、おそらくこの国内で最も忙しい大臣であろう医療大臣がユリアとコルネに?
その理由は私もお父様も仰天するようなものだった。