軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【2】いきなり数字の話

――王宮の引っ越しとは、事前に想像していたよりも遥かに果てしない作業だった。

後世、アウスタリアを形容するひとつの常套句に、「光と影」というものがある。

各地域の風土や慣習、あるいは民族性に見られる鮮やかなコントラストは、かの国の陽の沈まぬ栄光と、国力の過度な膨張が招いたその後の凋落の歴史に、鮮烈な彩りを添える。

アウスタリアの現在までの首都ヴァウエラは、まさにそのコントラストを明確に映し出した都であった。

――光と影の都。

なぜ、大河以北の北方に位置するこの都に、南部文化の影が色濃く入り込むことになったのか。

それには、ヴァウエラ勃興当時の国内の勢力図が大きく関係している。

もちろん、新都造営時の王朝の王妃が、南部出身のベルタ・カシャであったということにも、その理由の一端はあるだろう。

しかしおそらく一番の原因は、単に王朝の資金難であったと考えられる。

当時ヴァウエラは、伝統的な北方文化の矜持を切り売りしてでも、南部からの資本や工員を多く受け入れざるを得ない状況にあった。

その都の開発の最初期、彼らはまずもって、ある絶対的な課題に行き当たっていた。

「――――……金がない」

それは当然、誰もが直面を予想していたが、同時にわかっていたところで避けようもない問題だった。

「どうしてこんなに足りなくなってしまったのでしょう……?」

「あれですよ。昨冬、北方の冷害がひどくて実入りが少なかったばかりか、それで兵の治安出動が増えて」

「プロスペロ教会へのばらまきも案外馬鹿になりませんし」

新たな都ひとつの造営は、それだけで国庫を圧迫する一大事業に違いなかった。そのための税の徴収、国内外の豪商や銀行からの借金。

そうした手段は、もちろんのこと国力そのものを圧迫し、疲弊させる。

官僚たちは頭を悩ませるが、とはいえ今更、遷都という国策そのものを批判することに意味はなかった。

というより、財政難に足踏みをしているようでは百年経とうが遷都などという、正気の沙汰とは言えない政策は実現しない。官僚の仕事は、国王がそうあるべきと考えて打ち出した政策をどうにかこうにか実現にこぎつけることだ。

しかし、そうは言っても。

「……民からの更なる追加徴税は現実的ではありません。現状ですら、北部の寒村では無視できない規模の飢えが発生している有り様。これ以上の重税は民衆の蜂起を引き起こしかねません」

「とはいえ豪商からの借財も、行くところまで行った感があります。借り過ぎれば利息の返済だけで年間予算を圧迫しますし。返し切れる見込みのない借金はいかがなものかと……」

一同は乱雑に広げられた書類に再び目を落とし、頭を突き合わせてあれこれと意見を出し合ったが、効果的な解決策は一向に出なかった。

「――となると、やはり現実的な施策としては……」

彼らの空気が重々しいのは、全員が一様にその提言を躊躇うからだった。

つまりそれは、都市部の既得権益の売買という禁じ手だ。

「豊かな南部の民に、王都の市街地への居住権の一部を売却するのです。南部から人口が流入する代わり、彼らが入る区画は市街として整備されます」

「何よりその元手で都市機能が整えば、最低限、造営期に一気に治安や衛生が悪化するという懸念を払拭することができます」

状況は既に逼迫していた。

今はまだ気候も温かい春先だが、新都ヴァウエラへの人口流入は止まらない。

このまま市街地の整備が進まずに季節が進めば、冬を越せない民が相当数出てくることになる。住居や生活基盤、安全な飲み水の確保。金はいくらあっても足りないし、事態はむしろ時間との戦いでもあった。

「しかし、そうなると、南部の裕福な商人層が王都に住み着くのを明示的に許容することになります」

「既存の商業組合からの反発は相当でしょうね」

「また商人のご機嫌取りか……」

商人たちは階級を持たない一般庶民ではあるが、経済的に痩せ細った底辺貴族層は彼らから借金をしている場合も多い。実質的な力関係は複雑なものがある。

南部から、人口と資本を受け入れ、更には既存の北部商人たちとの折り合いをつけさせて折衝を図る。

今回のそうした政策においては、当然ながら南部出身の王妃であるベルタ・カシャの存在が重要だった。

彼女の働きかけなくして、今回の施策は決して円滑には進まないだろう。

国王陛下の反応はもちろんのこと、官僚たちは密かに王妃ベルタの顔色も窺いつつ、内心で緊張しながら、この苦しい政策の提言書を提出した。

しかし、妃殿下の反応は官僚たちの予想の斜め上を突き抜けた。

彼女は国王や廷臣たちが集う御前会議の場で、まずもって、財務長官の責を問うたのだった。

「――オヴァンド卿」

彼女は、玉座の隣に設けられた王妃の席に座したまま、財務長官オヴァンドのことを名指しした。

「……私にも、良い帳簿のつけ方というものは、実のところよくわからないわ」

「はあ」

妃殿下が何を言い出すのか、オヴァンドはおろか、彼女と多少は面識のある官僚たちですら想像がつかなかった。

「でも、少なくともこの帳簿のつけ方がまずいということだけはわかるの」

始まった突然の駄目出しは、少なくともその場にいた面々を凍り付かせた。

朗々とした彼女の追求の声音だけが玉座の場に響き渡る。

「見づらいし、国家収入額の概算と支払いの総額が、帳簿上で対応して網羅的に把握されていないもの。これでは国が実態として、どれだけの利益を挙げていて、どれだけ財を保有し、同時にどれだけの債務を抱えているのかという事実が何も見えてこないわ」

大半の者たちにとっては、彼女の要求はあまりに高度で、傲慢なもののようにすら感じられた。オヴァンドはどう反応すべきか測りかねたような、憮然とした様子を隠さずに返答をする。

「…………それらを全て把握できるのは、天上におわす神だけにございます」

「神? あなたたちの神は、あなたたちに正しい財務報告を求めるの?」

特定の信仰を持たない奇特な王妃は、信心深さの影に隠れた老人の、いかなる逃げ口上をも許さなかった。

「神はかような現世の理には介入なさいません。しかし、神はすべてをご存じです」

「ご存じだとして、現世を生きる私たちは、その神のような超越的な能力を持たないわけでしょう。私たちが国家の財政状況を把握するためには、数字による管理が必要不可欠だわ」

彼女は、ただ純粋に疑問だというように首を傾げていた。

しかし財務長官オヴァンドも、正面から壇上の妃殿下に向き合った。彼には彼で言い分があった。

「物事の全ては、正しい行いにはやがて正しき報いがあるという、逃れようのない真実に帰結するもの。――正しい政治を行い、民が富めば、自然と税収は増えていくものにございます」

彼はむしろ、無知な小娘に説教をしてやるというような雰囲気だった。

「金庫の中身のことばかりが頭から離れなくなり、利益の追求だけに溺れてはやがて強欲に目がくらみます。そうして民に圧政を敷くことのないよう、我々は高潔な財務官たる必要がございます」

「でも、先立つものがなければそういう理想も語れないでしょう」

彼らの話し合いはそれぞれの立脚する視点が違いすぎ、突然始まった舌戦は完全なる平行線を辿った。

「――国に集まった資金をきちんと管理して運用してこそ、王家の収入を増やす具体的な方策について考えられるというもの」

「――金庫の中身を数えろと、妃殿下はいかにも簡単におっしゃいます。しかし我が国の国庫はこのアウスタリアの広大な国土中、更には海の向こうの植民地にまでも及んでおります。それら全てを網羅する、そんな帳簿の付け方は、この世のどこにも存在いたしません」

「――けれど、それを考えるのが会計の専門家の仕事でしょう。あなたは財務管理の専門家ではないの? 財務長官どの」

妃殿下の揶揄はオヴァンドを的確に煽った。彼はこの時代の慣習として、財務の要職に就く大半の人間がそうであるように、法律家であり聖職者でもあった。

「我々の仕事は、商人どものようにがめつく利益を追及して金貨にありつくことではございません。神と富とに、同時には仕えられませんゆえ!」

妃殿下はオヴァンドの話を真剣に聞いているようだったが、それはオヴァンドの言への興味ではなく、あくまで議論の相手を言い負かすための熟考のようだった。

「富に仕えること自体になんの不都合があるというの? オヴァンド卿、あなたの言い分はまるで、国庫の中身は見えざる箱であるべきだと言っているように聞こえるわ」

また、国王ハロルドは、老臣に追及を深める自身の王妃の姿を捉えつつも、その日ついにその議論に関しては一言も口を挟まなかった。この問題に関し、彼は殊更に慎重な対応を貫いた。

「正しい政治を行えば、やがて人智の外で無限に富が湧き出るとでも?」

「そこまでは、申しませんが……」

無知な小娘が偉そうに。

……そう、愚かな指摘だと断じるには、彼女はあまりに理知的だった。そしてその発言は確固たる信念に裏打ちされていた。

「そもそも政治の正しさとは、いったい何をもって判断するの?」

黙り込んだオヴァンドの頭上に、静まり返った会議の場に、彼女の声だけが響く。

「――その指標もまた、数字ではないの?」

その言及は抜本的で、オヴァンド以外の居並ぶ廷臣たちにとっても充分に影響力のあるものだった。

まさか彼女は、国家の全てを、数字という秩序の中に落とし込もうというのだ。