軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【28】わたしたちの都

執務室の天井高い窓からは、暖かな秋の陽が射していた。

陽光が年季の入った机や、その上に雑多に散らばった書類の上に降り注いでいる。

部屋に入ったベルタは、その光景に一度立ち止まった。

まるで実家の、父の執務室あたりではよく見たような光景だった。侍従たちはベルタを部屋に通し、一応あまり散らかっていない席に座らせて二人分の茶を淹れた後、そそくさと退出して行った。

「散らかっていて悪い」

「いえ。忙しそうですね」

「議会の日程が差し迫っているからな」

今までこの部屋に呼ばれた時は、もっと整頓されている印象があった。きっと侍従たちにも気を遣われていたのだろう。

今はその余裕もないのか、あるいはそろそろベルタが訪れることが日常化してきたということか。

ハロルドは彼女の差し向かいの椅子を引いて座った。彼も執務の合間の休息に入るつもりのようだった。

「ルイの様子はどうだ?」

「…………ええ」

思わず言葉を濁す程度には。今は比較的、ベルタがそばにいてやれるから良いようなものの。

「大変ですわ。でも、ジョハンナの不在はよく効いているようです」

「そうか。可哀想なことをしたな」

ルイはもちろん、ジョハンナ不在の穴埋めしなければならなくなったエマや女官たちの負担のほうが大きい気がする。

「後々のためにはこれも仕方ありません」

ルイへの影響のためにも、一度決められたことを中途半端に覆すのはいただけない。

頃合いを見てジョハンナを呼び戻したいが、一度謹慎処分を出してしまったからには直近で戻すのも難しい。結果的にこれで良かったと思えることを願うしかない。

「けれど、年内には戻してやりたいと思います。引っ越しの支度で王宮中もまた忙しくなりそうですし」

「そうだな」

これから彼らは調整を重ね、秋の議会で遷都案を可決させて、来年には王宮の移転が始まる。

長年馴染んだ王都ダラゴからの移転は、それなりの反発が予想される。

計画が遅々としていつまでも進まないのも困りもので、だからこそ、おそらくは王家が率先して動くことになる。王宮の政治機能や、都市の防衛機能が真っ先に移動することになるだろう。

「不思議な心地がいたします。この王宮を出ることになるとは」

住む土地を移るというのは、そう頻繁にあることではない。カシャの故郷メセタからようやくこの王都に感覚が馴染んできたところだったが、また間を置かずに移動することになる。

「不安があるか」

とはいえベルタなどよりも、ここで生まれ育った彼らのほうが感慨もひとしおだろう。

「そうですね。不安もありますし、楽しみでもあります」

結局、次の王都はヴァウエラということで決まりそうだ。

新しい王宮は、あの壮麗で美しい離宮――エリウエラル宮殿。

宮殿を中心として一から組み上げられる新たな市街地は、従来の王都に比べてどれほど先進的な造りにできるのだろう。

「陛下。……あれから考えたのですが、やはりエリウエラル宮の改修工事と前後して、街道整備を急がせたほうがよろしゅうございましょう。特に新都ヴァウエラと――メサーロを繋ぐ街道は、何よりの急務と存じます」

ヴァウエラの優越はもう動かないだろうし、ベルタの知り得ない要素での宗教的懸念を払拭するための方策に、横槍を入れる気はない。

ただ、やはりベルタの立場からはヴァウエラの欠点が気にかかる。今の段階で打てる手は打っておきたかった。

「メサーロの発展のためか?」

ベルタの進言に、ハロルドはさほど気負わずに答えた。随分と気安く色々な話ができるようになった。

室内に流れる空気は、この手の話題をもってさえとても穏やかな午後だ。こうした時間を彼と過ごすような日々が訪れるとは、ここに来た当初は想像すらしていなかった。

「いえ。ヴァウエラのためです。新たな王都が、国土の大動脈形成から取り残されないようにするための施策として」

彼がこちらに視線を移すのを見計らい、ベルタは口を開いた。

「私たちの都に、この先ずっと、不断の富をもたらすために」

まだ何もない生まれたての街に、いつか代えがたい価値を。国を、人を富ませるものが何か、ベルタは生来的に知っている。

ハロルドはベルタの言葉を聞いてわずかに目を見開いた後、口元を多少緩めた。

「相変わらず言葉選びが上手だな」

彼はそろそろベルタの物言いに慣れたらしい。彼女はもともとかなり自覚的に、啓発的で聞き心地の良い言葉を選ぶ。

「だが、君の言う通りだ。その旨を議会に出す案に盛り込もう。豊かなヴァウエラを、俺たちの都としよう」

ハロルドは確かにそう頷いた後、ふと何かを思い出したように片手を頭にやった。

「ああ、結局仕事の話になってしまうな」

「いけないのですか? そういえば本日のご用向きは」

柔らかな陽光を集めたような彼の髪が揺れる。

「何もない」

「え?」

「もう少し、君との時間を作ろうと思って」

予想外の申し出に、ベルタは思わずきょろきょろと室内に視線を動かしてしまった。

そういえばベルタの侍女たちはともかく、一人の侍従の姿もない。国王の執務のための静かな室内は、今は完全に私的な空間だった。

「俺たちはもっと時間をかけても良かったと思ったんだ」

「……はあ」

驚いた。とはいえ、最近はハロルドが見せる意外性にいちいち驚くのも飽きてきた。ベルタはまだ彼のことをほんの一部しか知らないし、自分たちはまだまだ互いを知り始めたばかりだ。

「今の君の宮からは表まで少し距離があるが、今度の王宮に移ればもっと部屋も近くなる。こういう時間も取りやすくなるだろう」

政策に関わるような必要性のある話題ならすらすら口が動くベルタだが、きっとそうではない話の運びに、途端に何を言って良いかわからなくなる。

「ご公務のお邪魔でなければ」

「邪魔なものか。それに君は結局仕事の話をするし。また身になってしまったじゃないか」

そんな風に拗ねられても。

「陛下と私の共通の話題は、目下政策のことくらいですわ」

「……そうだな。当面の課題だ」

彼は存外真剣な調子で、そうでもないことを呟いた。

「君が何を好きなのか、何をしたいのかあまり知らないし。俺はだめだな。何をしてほしくないのかも」

もともとそう大きくはない机を挟んだだけの二人だ。思えば距離の近さに、ベルタははっとする。そうしているうちに彼とばっちり視線が交わった。

「困っている君は可愛いが、……ずっと困らせ続けたいわけじゃないんだ」

その青い瞳は、もうどこも空虚な水晶玉のようではなかった。

彼の目は、こんなにも優しい色をしてベルタを見ている。きっと今まで彼女は俯いていて、その変化に気がつこうともしなかった。

「ベルタ」

彼がベルタをどう思っているか、認識しようとしてこなかったのは、きっと知りたいと思うことすら躊躇っていたからだ。

「俺は、俺の隣でいつか幸せになる君が見たい」

幸せに。その直接的な言葉の響きはやや大仰で、なんだか遠いもののように思われた。

彼はベルタを幸せにしてくれるだろうか。その前に、ハロルドは彼女といて幸せだろうか。

王妃としての自分と、一方で個人的な感情を持ったままの自分を、ベルタはまだ完全には切り離せない。けれど、彼はそのままのベルタで良いのだろうか。

「いいんだ、今すぐでなくても。伝わるにはきっと時間がかかる」

彼は、ベルタが困った時は最近いつもそうしてくれているように、その日も引いた。

「君の楽な歩幅でいい」

公的な立場を抜きにしても、男としても結構遠かった人。対人関係の機微に鈍いのか器用なのか、相変わらずよくわからない人だ。けれどその優しさから、なんとなく離れがたくなっている。

彼を信じることの怖さはまだある。

……けれどまあ、いい。

「いいえ」

とりあえず、もらえるものはもらっておこうか。彼はベルタが大切だと言うようだし、そうあろうと努力する限り、彼女はきっと彼の良き政治的伴侶でいられる。

南部出身の娘であることを、過度に気にすることはないのかもしれない。そもそも変えようのないことを、気にしすぎるからおかしくなるのだ。

王妃が現地の出自であることが、王家が南部繁栄を支持する理由になり得るくらい、ベルタが彼らに価値をもたらせば良い話。

――彼の役に立ちながら、彼の隣で生きていく。

そういう気持ちの訪れは突然ではないから、ゆっくりと染み入るように、気がつけばそれは心の中にある。

自分はそうやって、この人のことが欲しいのだと思って。そう思う気持ちを認めても良いのだろうか。

「伝わっておりますよ」

この人のために、自分は何がしてあげられるだろう。行く末の想像は甘美で、それでいて少し切なくなるような、初めての情動を彼女に与えた。

ベルタは素知らぬふりで、けれど内心とても勇気を出して、初めてその名を呼んだ。

「ハロルド」

きっと数秒後に返ってくる、見慣れない笑顔を想像しながら。

王都は三度目の秋を迎えていた。