作品タイトル不明
【21】王のあり方
彼の答えは単純明快だった。
「お断り申し上げる」
その返答が迷いすらなく鋭かったので、ハロルドは一瞬何を言われているかわからなかった。
「形骸的な爵位と引き換えに、南部は王家の直接的な支配を受け入れることとなる。その流れはもはや仕方ありません、しかし、当家を相手取って切り崩しにかかるには、陛下のなさりようはあまりに時期尚早でしたな」
「無論今すぐにという話ではない。ルイの成人や立太子までにはまだ時間があるし」
「ああ、いや。私が申し上げているのはそういう意味ではありません」
当主が意思を覆すことはまずなさそうに思われた。彼は困った注文をする客を追い返す大店の商人のように、ハロルドを諭した。
「陛下。世の中には何事も本音と建前というものがございます。そして建前の前には必ず根回しがいる。……貴方が我が娘から真実信頼を勝ち得ているのなら、私はこの話をここで初めて、直接貴方の口から聞くようなことにはならなかったはずだ。なぜベルタをお使いにならなかったのです?」
当主は、儀礼的に娘に対して敬称を使うのをやめて端的に話し始める。
ベルタを使うという発想は、少なくとも王宮を出立する前のハロルドにはあり得なかった。だから当然、ベルタはこのことを知らない。
「事は国家のあり方を揺るがす一大事だ。妻とはいえ、直接政治に介入する立場ではない妃に話すことではなかった」
当主は顔を笑みの形に歪ませたが、彼の感情が良い方向に傾いていないことは明確だった。
「貴方は確かに、自ら王宮の外に出ていらすような前衛的な王だ。しかしそのやり方は旧来とそう変わりませんな。ご自身のお言葉、ご自身で動かれることの価値を過信していらっしゃる」
彼は歌うように軽やかな口調でハロルドを刺した。
「我が娘をないがしろにするなと申し上げたいところですが、いえ陛下。貴方のなさりようにむしろ感謝さえ覚えます。南部の女の溺れるほど深い情を、貴方が歯牙にもかけていないことが愉快でならない。あの子のルイ王子への情だけは厄介ですが、王子だけならばまだやりようはある」
「どういうことだ?」
「当家や南部が、ルイ王子の登極のお味方をするとは限らないということです」
当主が必要以上に不躾な物言いをするのは、そうすることでハロルドに揺さぶりをかけ、ハロルドの器を図っているからだ。君主にしては弱い立場に立ってきたハロルドは、そうした人間との接し方も心得ている。
だが、彼の接し方はともかく、その内容自体はハロルドにとってショックなことだった。
伝統的な価値観の支配する王宮において、ルイの味方は少ないだろうと考えていた。だがそれと同時にハロルドは、南部ならば無条件でルイを受け入れる土台があるとどこかで期待していたのだろう。
今ここでカシャを身内に引き入れることは無理でも、方策くらいは考えて帰りたい。
「ならばカシャどの。私に教えてくれ。貴殿が王に望むものとはなんだ。貴殿の娘、ベルタと向き合うことか?ベルタとルイのために、私が南部を優遇するようになることか?」
当主はしばらく黙った。
その険のある顔は笑顔よりもなお一層、娘ベルタと似たものだった。
「陛下はかわいそうなお方だ」
そして理路整然と話すベルタよりも、この男は次に何を言ってくるのか予想できない。
「貴方の志は立派です。しかし陛下の志には、人間性や、私欲による裏打ちが見えてこないのです。崇高な願いのために他の全てを投げ打つような人間は脆い。端的に言って、簡単に倒れそうな弱い王に賭ける気にはなれません」
南部の文脈で生きる男の言葉は、ハロルドにとって理解の範疇の外だった。
王たる者のあり方とはなんだ?
「王の私欲とは国を亡ぼすものだ」
「陛下はもう少し遊びを持って、型通りの勤勉さ以外を身につけられた方がいい。手足となって働く部下ではなく、志を同じく分かち合う相手と、人生の苦楽を共に歩まれてはいかがです?」
当主は、これで話は終わりと表すように、ハロルドに対し慇懃な礼をした。
「残りの視察の日程は、旅としても楽しまれるがよろしいでしょう。南部の土地が貴方の忙しい心中をお慰めすることを願います。お帰りになれば、もっと大変なことが待ち受けているのだから」
*
ハロルドと父がやり合っている頃、一方のベルタは気楽な小旅行を満喫していた。
向かう先は異母妹の嫁ぎ先、海上交易の要衝である港街ラマルタだ。
ルイのこともメセタの屋敷に置いて来た。移動の負担を考えなくて良い旅は身軽で、独身時代に返ったような気分だった。
「海よ。海を見るのは久しぶりね」
馬車の窓から大海原が見えた時、思わずベルタはそう声を上げた。
ラマルタは特に思い入れのある土地柄だし、潮風のねっとりと絡みつくような重ささえ懐かしい。
この思い入れのある土地に異母妹が嫁いでいたことは驚いたが、彼女に会えることは単純に嬉しかった。
万が一、この劇薬のような異母妹が王家に嫁いでいたらと思うと、想像だけでぞっとさせるような子だが、それはそれとしてベルタにとっては可愛い妹の一人だった。何より彼女は、一番上の姉であるベルタに犬の子のように懐いている。
「妃殿下。あまり身を乗り出されますと、沿道からお姿が見えてしまいます。お気をつけください」
そしてこの楽しい時間に水を差す余計な護衛が一人、あの例の双子の片割れジョエルが、ベルタの視界を遮るように騎馬で並走していた。