軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

54話 「神様のいない街」

そこに立ち入った瞬間、別世界に来たような錯覚をした。

饐(す) えた匂いが鼻を衝く。

一歩進むたびに足が何かに当たって、その度に僕は汗を噴き出していた。

額に流れる汗をゴシゴシと拭いて、僕は月明かりを頼りに、手元のソレへと視線を落とす。

「……ここ……のはず……」

そう一人呟いてみるけれど、いつまでたっても不安はぬぐえない。

それもそのはず。手書きの地図に記されていたこの場所に、僕は一度も来た事がなかったのだから。

いや、知っていた場所ではあるのだけれど。

「……ここが、約束の大地……?」

希望を感じさせる言葉とは裏腹に、僕の目の前にある光景は、その逆を体現したかのような有様だった。

暗闇を照らすのは夜空に浮かぶ満月一つ。

その明かりを頼りに、歩きながら周囲の様子を 窺(うかが) ってみる。

左右にあるのは乱雑に隣り合って建てられた木造の家屋。

周囲から漂ってくるのは、何かが腐ったような臭いと、鉄錆びの香り。

そして聞こえてくるのは、耳元で飛び交う小さな羽音。

これでもかという気味の悪い状況の中、何より僕が参ったのが、敵意と悪意、それから興味が入り混じった僕へと向けられる複数の視線。

それが暗闇の中、常に襲ってくるものだからたまったもんじゃない。

自然と歩みが早まるのも仕方が無いといったところだ。

「なんで……ここなんですか……ロイド先輩」

思わずそう一人ごちる。

神こそ最高と教えられた王国の人間にとってここはあまりにも不吉な場所だった。

通称――『カンナの街』

カンナとは、つまり神のいない、という意味らしい。

なるほど確かに、この有様ではその言葉の意味も頷けるといった所だ。

街とは名ばかりで、どこもかしこも荒れ果てている。

場所でいうと王国の外れも外れ。

かろうじて領土の内というだけで、王都に身をおく僕にとっては同じ国にある街だとはとてもじゃないが思えなかった。

いや、事実この街は王国の地図には記載されていない事によって逆に大きく知名度を持つ場所でもある。

王国の闇。貧民街。そして神様のいない街。

言ってしまえば、無い事になっている街でもあるのだった。

一説では過去に名のある神がこの場所で悲運の死を遂げた……なんて噂もあって――。

「いやいや、そんな事よりも」

既にこの街に入ってから結構な時間歩いている。

お手製の地図には王国の全体図に、黒い点が一つ。

それが指し示しているのがここだという事以外、他には何も記されていない。

つまりは――。

「……迷った」

いや、そもそも目的地がこの街であるという以外、情報が無いのだから仕方がない。

とはいえ、ここまできて引き返す、なんてこともしたくはない。

僕はひとまず、暗闇をかき分けるように歩き続けた。

しばらく街の中をうろうろと彷徨っていると、少しだけ開けた場所に出る。

そして変化に気がついた。

「……」

行く先々で感じていた人々から向けられる視線がピタリと消える。

それを裏付ける様に、人の気配はおろか物音一つ聞こえてこない。

僕は悟る。いや、願ったと言い換えてもいい。

「……当たりかな?」

もちろん僕のその独り言に、答える者は現れない。

まぁ、者はいなくても、物はあったけれど――。

突然前から飛来してきたそれを避けるように即座に上体を捻るようにして回避。

それが目の前を通過した時、僕はその正体を知った。

――ナイフ?

恐らくは暗器の類。

黒く塗りつぶされた刀身を見てそう予測する。

同時に前方から感じる複数の視線。

一つ、二つ……三つ。

そのどれもが敵意に満ち溢れていた。

どうやら、僕は辿り着いたみたいだ。

「あの……」

そう言って会話を試みようとしたが、それを断念。

近づいてくる生物の気配。

どうやら戦わずにはいられないようだ。

「……はっ!」

闇の中から飛び出る様にして僕へと迫る白い腕。

その腕をただ掴んで地に押し付ける。

「くっ……!」

体勢を崩してそのまま前のめりに倒れたその人は、唸り声を小さく発した。

……女性だ。それもきっとまだ大人じゃない。

全身黒いローブで身を包んだその人は鋭い目をして僕を見上げた。

いや、あの。

「なんでいきなり――」

「おらぁぁぁぁぁ!」

そんな声と共に、背後から突然迫ってくる僕の身長に匹敵する程の大剣。

僕は掴んでいた腕を離すと、すぐさま後ろへと飛び下がる。

瞬間、僕の頬を叩いた強風が、その一撃の凶悪さを教えてくれた。

ドォン――という大地を穿つ衝撃音と共に、ただでさえ見通しの悪い視界が土煙でふさがれる。

視界は無いに等しい。それほどの粉塵。

けれど、月明かりに照らされた二つの黒い影が蠢くのを僕は見ていた。

生まれた風が土煙を切り裂きながら僕へと迫る。

一瞬だった。

迫る貫手と大剣。

僕は迷うことなく、その二つを、右足の蹴り、一撃で弾き返す。

「「っ!?」」

驚いたような二つの声。

それを耳に捉えながら僕は勝負を決めに行く。

これ以上、意味の分からない戦闘を続ける意思は僕には――。

「――無い」

つま先に力を込めて空高く跳躍。

敵の目は依然として前を向いたまま。

そのまま回り込むように着地し、二人の背後をとった僕は、右にいた男の首をつかんで前へと押し倒す。

「……ガッ……!」

一つ。

そしてそのまま屈んだ状態から、もう一人の足元をすくいあげるようにして蹴る。

「……にゅ!?」

……にゅ?

ひとまずこれで二つ。

そして――。

迫るもう一つの影。

それをけん制するように、ルナからもらった短刀を右手で握り、後ろ手で背後へと突き出した。

同時に、僕の首筋に当たる冷たくて硬い得物。

だが、僕の右手もまた、手ごたえを感じている。

土煙が晴れる。

月明かりが照らし出したのは、大地に伏した黒ずくめ二人と、互いに得物の切っ先を向け合う僕らだけ。

「……なるほど。どうやらフィーア達の言う事もまんざら嘘では無かったらしい」

背後で囁くように発せられた男の声。

僕はその言葉で、おおまかな状況を理解する。

どうやら僕を気に入らない者がいたらしい。

大方、腕試しのつもりだったのだろう。

と、そんな事を思っていた時、また一つ、影が増える。

「そこまでよ。もういいでしょう」

この声は……。

僕はその女性を知っていた。

「フィーアさん」

エルフの少女、フィーアの目が僕へと向けられる。

「……ついてきなさい。ロイド様が貴様を呼んでいる」

首筋に当てられていたナイフが剥がれる。

僕はどんな人なのかを確認しようと後ろを振り返った。

だが――。

「……」

男の姿はそこには無く、あるのはただ重く沈み込むような暗い街並みだけだった。

フィーアさんを追うようにしてしばらく歩いた。

警戒されているのか、時折僕の方に視線を向けては張りつめたような表情をして、足を止める。

別に不快だとは思わない。

暗部である以上、最後の最後まで疑ってかかるのは当然だ。

「ここよ」

フィーアさんの足がピタリと止まる。

「……ここ?」

僕の目の前にあるのは、吹けば飛ぶようなボロ屋が一軒。大きさから察するに中はフレイム邸の僕の部屋よりも狭そうである。

外観だけで判断するのも早計だが……とてもじゃ無いが人が住んでいるようには見えない。

「入れば分かるわ。行きなさい」

そう言って背中越しに僕に視線を向けるフィーアさん。

「僕だけ……ですか?」

そう問うと、エルフの少女は少しだけ眉を寄せて、ため息をついた。

「私達には外での待機命令が出ている。……分からない。それほどまでにあなたがロイド様にとって特別だという事か……」

顎に手を添えて何やら考え込み始めるフィーアさんを横目に、僕はその建物に一つだけある扉の前へと進み出る。

「……」

けれど、どうやらまだ中に入るには早いようだ。

「ツヴァイッ!」

フィーアさんの焦ったような大声。

どこに潜んでいたのだろうか。

突然降ってきたその少女は、後ろで束ねた髪を大きくなびかせながら、組み伏すようにして僕を押し倒した。

瞬間、目の前に迫る銀色の光。

首を横にして回避。

僕の頬を小さく切り裂いたそれは、そのまま大地へと突き刺さる。

左耳の横で鳴るグサリという音。

同時に僕は右手で握った短刀を少女の首筋に当てていた。

なんだかこんなのばっかりだ。

「……これも、腕試しの一環ですか?」

横になったまま、そう言ってフィーアさんに視線だけを向ける。

「……ええ。そうね。予定通りだわ……」

額に手をあてながら、首を振るフィーアさん。

――絶対嘘じゃん。

とは言わずに、僕は少女へと視線を移す。

瞬間、僕に馬乗りになっているその少女の口角がつり上がる。

何やら嬉しそうなご様子。

「あの……どいてくれませんか?」

「やだ」

いや、どけし。

少し力を込めて上体を起こそうとした瞬間、それよりも強い力で再び僕の背中が下につく。

そして、黒いローブから覗く瞳が、僕を至近距離から覗いていた。

互いの呼吸音が聞こえてきそうな程の距離の中、僕は全身から噴き出す汗を自覚する。

ぞっとした。

少女の瞳には、この場所の暗闇を遥かに超える闇が宿っていた。

なぜそんな事を思ったのかは自分でも分からない。光が、希望が、少女の瞳からは一切感じる事ができなかったのだ。

……一体どんな経験をすればこれ程の暗い光を瞳に宿せるのだろうか。

「いらっしゃいユノくん。待ってたよ」

それだけ言うと少女は僕の上からどいて、腕を後ろ手に組んで微笑みを浮かべる。

美しい、可憐な少女だった。

きっと僕と歳もそれほど変わらないだろう。

だからこそ、彼女を怖く思った。

ツヴァイ。フィーアさんはこの少女の事をそう呼んでいた。

「どうぞぉ」

扉の前に立っていた少女――ツヴァイが、小気味よい足取りで横へとそれる。

どうやら、進むことを許されたらしい。

ごくり、と一つ唾を飲み込んで。

ニコニコとしたツヴァイの微笑みと、フィーアさんから向けられる視線を振り切る様に、僕はさび付いたドアノブを握る。

瞬間、僅かではあるが魔法の存在を感知する。

僕はそれが何の術式なのかを確認する前に、その扉を開け放った。

「……え?」

目の前に飛び込んできた光景に驚きを隠せない。

なにせ何かあると睨んでいた家屋の室内が、外観の通り狭くてかび臭い室内だったからだ。

「……まんまじゃないか」

そう一人呟いた時、ギィという軋んだ音をたてて入ってきた扉が閉まる。

瞬間――暗転。

ただでさえ暗かった室内が、真っ黒に染まる。

「……ッ」

体が謎の浮遊感に包まれた。

同時にじわりと広がる様にして濃い魔力が体を包む。

そして気が付いた時には――。

「……すごい」

僕は周囲が本棚で埋め尽くされた、広々とした荘厳な一室に立っていた。

四角い部屋の隅には、ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎。

「……」

視線が背中に突き刺さる。

それを確認しようとして、僕は恐る恐る背後へと振り返った。

重なる視線。

その男は椅子に腰かけ、机の上に肘をついた姿勢で、薄く笑みを浮かべていた。

「……ようこそ。メルツ家へ。歓迎しようユノ・アスタリオ」

そう言って、僕に微笑みかけたのは、僕をこの場所へと誘ったロイド・メルツその人だった。