作品タイトル不明
幕間 「女神と神獣」
「ふんふふ~ん♪」
そんな鼻歌を歌いながら、女神アスタロトは目の前で 蠢(うごめ) く魔物達を楽しげに眺めながら、赤い瞳を怪しく輝かせる。
その透き通った無邪気な歌声に魔物達は皆一様に耳を澄ませ、そして月光に照らされて光る赤い瞳を見て固唾を飲んだ。
――機嫌を損ねてはならない。
魔物達はそれを理解していた。
彼らの知能は決して高くは無い。しかし、それでも目の前に突然現れた 絶(・) 対(・) 的(・) な存在を前に、とるべき行動など一つしか無かった。
――従順に。ただ従順であれ。
本能が、それを訴えていた。
「ん? なになに? もしかして緊張しているのかい?」
アスタロトの声が漆黒に染まる森の中に響き渡る。
…………静寂。
そこには幾千を超える魔物達がアスタロトへと視線を向けたまま、凍ったように体を強張らせる姿があった。
「…………おいおい。無視はひどいなぁ」
アスタロトの明るかった声色が変化する。
その瞬間だった――。
「「「グオオオオォォォォ!」」」
魔物達が一斉に雄叫びをあげる。
その雄叫びは大地を揺らし、森の木々を震わせた。
無視など誰ができようか。魔物達は皆必死になって叫び、アスタロトへと従順を示す。
だが――。
「いや、うるさいよ?」
アスタロトの白い指が宙をなぞる。
瞬間、何百と言う魔物を巻き込みながら大地が丸い円の形に黒く爆ぜた。
その結果、一つの生き物のように蠢いていた魔物達の塊にぽっかりと穴が空く。
魔物達は皆、唖然として目を見開き、固まるしかない。
……再び森が静寂に包まれる。
この時、運よく難を逃れた一匹のゴブリンはこう思った。
――『グギギ……グギ』
そのゴブリンは恐怖に震える自らの体を必死に抑え、強く歯を食いしばる。
既に固く握りしめた拳には自らの鋭い爪が深々と突き刺さり、赤黒い血を大地へと滴らせている。
ゴブリンの瞳に怒りの炎が灯る。
変化が訪れたのはその時だった。
ゴブリンの小さく弱弱しい緑色の体躯が一回りも二回りも大きくなっていく。
――『グギギ……グギッ』
緑色だった肌が、その怒りに答えるように赤く、紅に染まっていく。
その変化に驚いた周囲の魔物達は皆一斉にそのゴブリンから距離を取り、ただ静かに、瞳に期待を込めて見守っている。
「……へぇ? なんだかおもしろい奴がいるね」
アスタロトの顔に笑みが灯った。
その瞬間、そのゴブリンへと視線を送っていた魔物達は焦るようにアスタロトへと視線を戻す。
『グギギギ……グギダザイ……ユルサダイ……ユルサナイ……!』
――そのゴブリンは、ホブゴブリンへと進化を遂げた。
「いやぁ珍しいものをみちゃったな~僕、ゴブリンが進化する瞬間なんて初めて見たよ」
アスタロトはそう言って笑うと、手を叩いてホブゴブリンへと拍手を送る。
「君は中々見込みがあるね。どうする? 僕と契約しちゃおっか?」
アスタロトのその発言に魔物達は動揺した。
尊敬の念が込められた瞳がそのホブゴブリンへと一斉に向けられる。
だが、既に聞く耳などホブゴブリンには無い。当然である。目の前で仲間が殺されたのだ。
それもあまりにも理不尽な理由によって。
『イトタカキオカタヨ……ナゼ……ナゼコロシタ?』
そう言ってゆらりと前へと進みでるホブゴブリン。
その怒りに燃える鋭い瞳が、女神アスタロトへと向けられる。
「え? 何だって?」
アスタロトはそう言うと同時に片耳に手を添え、身を乗り出すようにしてニヤリと笑い目を細めた。
「……ユルサナイ!」
ホブゴブリンが疾走を始める。
その加速はただのゴブリンのものではない。この神獣の森に生息する魔物の中でも。速さにおいて頭一つ抜けている狼獣にすら匹敵する程の速度である。
ホブゴブリンは確信する。今の自分であれば、きっとあの強者にも届き得ると――。
――だが、それは当然勘違いである。
ホブゴブリンの伸ばした腕は、届く事無く、ドロリと溶ける。
「ナ……ナンダ……!」
ホブゴブリンは狼狽えた。進化し、何倍もの大きさに膨らんだ腕が一瞬にして消えていく。
もう時間は残されていない。ホブゴブリンはそれを悟った。
しかし、このままでは終われない。ホブゴブリンは再び足を大地に突き立てると、片腕に残った鋭い爪をアスタロト目掛けて――。
――パァン。
そんな軽い炸裂音が森に響いた。
ホブゴブリンが弾け飛んだ音である。
それを聞いて魔物達が一斉に震えだす。
彼らには何も見えてはいない。何が起こったのかすら、理解してはいなかった。
だからこそ、より一層恐怖した。女神アスタロトの圧倒的な強さだけを理解して。
「馬鹿なやつだなぁ……でも所詮は魔物だし、仕方ないかぁ」
アスタロトはそう言ってため息をつくと再び魔物達へと視線をやる。
「他に何か文句のある奴はいるかい?」
その問いに答える者はいなかった。
「よぉし、いい子たちだ。そんな君たちに僕から一つお願いがあるんだけど――」
アスタロトの雰囲気が一変する。その身から溢れ出した圧倒的な魔力の濃さに、近くにいた魔物達は我を忘れて発狂する。
「――聞いて、くれるよね?」
そう言って凶悪な笑みを浮かべたアスタロトは楽しそうな声色で魔物達へと指令を下す。
――魔物達の大移動が始まる。その様は大地を這う巨大な魔獣そのものだった。
「あははっ、こりゃすごいや」
その光景をアスタロトは空へと飛びあがり、光り輝く満月を背に眺めていた。
計画は上々。すべてはアスタロトの掌の上である。
「ユノぉ……楽しみだなぁ……今夜君は僕に何を見せてくれるのだろうか」
恍惚とした表情を浮かべて頬を赤くする女神アスタロト。
だが、その表情は長くは続かなかった。
突如、森の中から巨大な風の刃がアスタロトへと飛来する。
「……ちぇ」
アスタロトは小さく舌打ちをして、その凶刃を難なく躱して見せると、少し苛立たし気な声色で言葉を紡ぐ。
「いきなりなんて酷いじゃないかぁ。僕はこれでも君に敬意を払ったつもりだよ?」
「――抜かせ。ばか者が」
そんな声と共に再び風の刃がアスタロトを襲う。
「かくれんぼがしたい訳じゃないんだろう? まぁ、別にしてあげてもいいんだけど、ね?」
アスタロトはその風の刃を難なく片手で扇ぐように打ち消すと、赤い瞳を細めて森の中へと視線をやった。
――森の主、神獣《 神狼獣(フェンリル) 》が姿を現す。
森に生える木々を優に超える巨体と、満月をそのまま写したかのような黄金の瞳。
そして黒く鋭い体毛を逆立てながら、フェンリルは空へと流れる星の様な瞬きで駆ける。
「久しぶりだねぇ。元気してた?」
一瞬の内に目の前へと現れたフェンリルにアスタロトは笑みを浮かべながらそう尋ねた。
「貴様が現れるまではそれなりに元気だったのじゃがな……」
低い唸り声と共にフェンリルの鋭い視線がアスタロトを射貫く。
その瞬間、アスタロトの顔から笑みが消えた。
「……そんなに見つめないでよ。興奮しちゃうじゃないか」
この時、既に両者からあふれ出る魔力が衝突を起こし、周囲の木々を大きく揺らしていた。
「貴様の考える事など既にお見通しじゃ。まったく……よく飽きもせず同じことを何度もやれるもんじゃのう。のう? 神様とやら」
「はは……どうやら躾がなっていないようだねぇ……獣風情が僕に舐めた口きいてくれるじゃないか」
「…………吠えるでないぞ贋作」
「それは君のお仕事だろう? 鳴いてごらんよ。ワンワンッてさ――」
瞬間、互いが腕を振り、繰り出した魔力の塊が爆音を轟かせ衝突する。
その反動で、猛烈な爆風が周囲へと吹き荒れ、森にある木々をなぎ倒していく。
「やるじゃないか! けどさすがの君でも僕に勝つのは難しいかな?」
そう言って挑発するように笑みを浮かべる女神アスタロト。
それに応えるは 古(いにしえ) より生きる神獣フェンリル。
「試してみるか? 新入り」
低い唸り声が夜空に轟く。
二つの閃光が、森を照らす月光を遮った――。