軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

幕間 「野良神――ネム」

始(・) ま(・) り(・) の(・) 頃(・) のお話だ。

寝ぐせのように所々はねた紺色の髪。眠たそうにも見える薄紫の瞳。

そんな彼女にはおよそ自我と呼べるものが存在していなかった。

「……」

ここはどこで、自分はいったい何者なのか。

彼女の身の上を鑑みれば思い浮かべるであろうそれらの疑問を抱くことなく、時間の経過とともに空の色が変化するのをただただ眺めていた――というのが彼女のはじまりを説明するうえで最も適切な表現になる。

空が明るくなって暗くなる。その繰り返し。

そんな毎日を過ごしながらも、少女はひとまず歩き始めた。

理由も、目的もありはしない。

誰に言われるでもなく、少女は歩き続ける。

その道のりは結果として彼女を成長させた。

雨を凌ぐために屋根を探して彷徨い、不意に差す日の光の温かさに心地よさを覚える程には自我が芽生えはじめたのだ。

そんな 最中(さなか) 、とうとう彼女はたどり着く。人々から『 神無(カンナ) 』と呼ばれるその街に。

「……」

その街の様々は、まだ自我の薄い少女の瞳にも興味深く映っていた。

自分とよく似た何かが、自分と同じように歩く。ただそれだけのことに少女ははっきりとした驚きと高揚を覚えたのだ。

それからほどなくして彼女は人々の観察をはじめた。

いいや、正しくは視界に入れる、という言葉の方が適当かもしれない。

どちらにせよ己の意思で行ったその行動は、彼女を飛躍的に成長させた。

幸運だったのは競争の激しいこの街において少女の存在感そのものが薄かったことだろう。彼女は知る由も無かったが、この街において最も大きな生存競争の輪の外に立つことができていたのだ。

――少女は空腹を知らない。

彼女は人間では無かったのだ。

少女はこの街で様々な発見をした。

耳まで届くその音を、頭の中で反芻させる。

ヨコセ。フザケルナ。クソガキ。シネ。ユルサナイ。キエロ。

「てめぇ、ぶっ殺すぞ!」

…………てめーぶっこおすぞ。

タスケテ。ゴハン。ノドカワイタ。オカアサン。シニタクナイ。アリガトウ。オネエチャン。サミシイ。アリガトウ。アタタカイ。

親の背中を見て子が育つように。

その音は彼女にとっての知識となって蓄積されていく。

「…………」

往来を行き交う大きな者達の怒声。

それらから逃れるように息を殺して身を寄せ合う小さな者達。

彼女が一際興味を示したのは小さな者達。子供たちの方だった。

悲しいという感情までは正確に理解できずとも、涙を流して泣いている子供たちの顔を見るのは嫌だという感情を少女ははっきりと抱いていた。

それは本能と呼べるものだったのかもしれない。

いつしか少女は、子供たちの傍にいることが多くなっていった。

できることなどそう多くは無い。

実際、ただ寄り添うだけで救われた者は少なかったのかもしれない。

けれどもその行動は明確に彼女が獲得した自我であり、生きる目的となったのだった。

ランス、クロエ、子供たち。

多くの出会いの中で彼女は精神的な成長を遂げた。

少女を知っている者は彼女のことを『ネム』と呼ぶ。

不思議と口にすることはできなかったその言葉は、少女にとっての宝物だ。

――今宵も少女は、子供たちの傍で眠りにつく。

時間を重ねるごとに手にした記憶を思い返しながら。

「……」

ふと、頭の中でとある少年の顔が浮かぶようにして再生された。

彼との出会いを果たした夜からずっと繰り返されるその記憶に、少女は日の光と同じ温かさを感じていた。

不思議だった。

けれどもその理由を深く考えることを少女はしなかった。

自分ができることの少なさを。己の存在の小ささをこの時既に理解していたのだ。

分かっている。

分かっている。

望んだとして自分にいったい何ができるというのだろう。

できることはない。望んでも仕方がない。

それでも記憶に刻まれた少年との思い出を、繰り返す。繰り返す。

…………――またあいたい。

そんな淡い希望を抱きながら、少女――ネムは子供たちに囲まれながら瞳を閉じた。

――瞬間、彼女ははっきりとした危機感を抱いて瞳を開けた。

「よぉ縺九§蟶ォ。久しぶりだな?」

不意に耳まで届いた男の声に、少女は身をよじるようにして起き上がると、声の方へと薄紫の瞳を向ける。

金色の髪。赤い瞳。あまり見かけない綺麗な黒い服

少女は直感的に理解していた。

――怖いモノ。

それも 黒い鳥(マルファス) 以上に。

少女はおそるおそる小首をかしげて反応を示した。

無反応こそが最も愚かな選択になり得ることを少女は理解していたのだ。

その様子がおかしかったのか男は苦笑いを覗かせながら肩をすくめる。

「……今のお前に言ったってしょうがねーか」

男の声が少女の鼓膜を震わせる。

身体の芯が凍るような心地だった。

子供たちの小さな寝息がきこえてくる度に、少女の感じる悪寒は強くなっていく。

「安心しろよ。別にとって食おうって話じゃない」

……本当だろうか?

少女は警戒を解かなかった。

「本当だぜ? それどころかお前にプレゼントだ」

……なんのはなしだろうか。

少女が男に向け続けるジト目に、はっきりとした疑問の色が宿る。

ベルフェゴールは補足するように言った。

「お前の望みを叶えてやろうって話さ。憶測……でもないか。お前らはそういう存在だからな」

「……」

その後、男の口から語られた話の内容をすべて理解したわけでは無い。

それどころか、その殆どを少女――ネムは正確に理解してはいなかった。

それでも分かったことがある。

子供たちに危険は及ばないかもしれないという喜び。

それから も(・) う(・) 一(・) つ(・) 。

「……」

ネムは両手をぎゅっと握りしめた。

がんばりどころである。