軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

幕間 「碧の間」

コツ、コツと足音が響いた。

そこに混じるようにして歌声が続く。

「ら~ら~」

可憐な声だった。

ひとたび耳に入れば、思わず笑みを零してしまいそうになる無邪気な歌声。

美の女神アスタロトは後ろ手を組んだまま、軽い足取りで廊下を進む。

――否。

いいや、ある意味では正しい。

しかし、『廊下』という単語では不遜に思える程に、その通路は美しかった。

四方を囲む碧色の石板。

それらが並ぶ壁は、ゆっくりと呼吸するようにして絶えず明滅を繰り返し、淡い光を放っている。

光源はそれだけだ。

したがって空間すべてが碧色に染まり、まるで水中にいるかのような幻想的な景観を生み出している。

当然、それはただの廊下ではない。

玉座へと続く迷宮回廊。その一部だ。

資格が無ければ、視界に入れることすら叶わぬ神秘の道。

その行き止まりで、アスタロトは足を止めた。

「……さて、と」

ぺたぺたと目の前の壁を手で触りながらアスタロトは口を開く。

「あけて~。遊びにきたよー」

景観にそぐわぬ、まの抜けた声が響く。

空間に反響したその声が消えると同時に、アスタロトに応えるようにしてその扉は現れた。

右に。

「……」

きょとん、と目を丸くして、アスタロトはぎこちなくその扉へと視線を移す。

「…………あちゃ~」

なにも不思議なことではない筈だった。

目の前に現れるはずだった扉が、視界の外――右側に現れた、それだけのことだ。

しかし、アスタロトにとっては違う。

少なくとも扉を出現させた者の意図的な事象であることは明白だった。

「……」

アスタロトは美しい装飾が施されたドアノブに手をかけると、努めて明るい表情をして扉を開け放つ。

「やっほ―!」

やまびこのように反響する声。

アスタロトの視界に広がっていたのは辺り一面の暗闇だった。

「……あれれ~?」

どこか芝居じみた声をだしながら、その空間にアスタロトが足を踏み入れたと同時、ギィという湿った音と共に扉が閉まる。

瞬間、スポットライトに照らされるようにして、黒色のテーブルが現れた。

テーブルをはさんで向かい合う椅子が二つ。その内一つは空席だ。

「……」

コツコツと足音を鳴らして、アスタロトは黙ってその椅子に腰かけると前に身をのりだすようにして口を開いた。

「……ねぇ。もしかして怒ってる? レヴィ」

アスタロトの赤い瞳が、まっすぐ前を向く。

その視線を――碧く美しい瞳が受け止めた。

「……あら? なにか心当たりでも?」

妖艶な色気を滲ませる声と同時、アスタロトの対面に座すその女は優雅な所作で茶器を口へと運ぶ。

紫のようにもみえる腰まで伸びた黒い髪。

スリットのはいった黒いドレスから覗く白い脚を艶めかしく組むと、女――恋の女神レヴィアタンはその整った顔にある碧い瞳を細めた。

「……まっさかぁ。ないない。なんとなく? そう思ったっていうか。女の勘というか」

言って、レヴィアタンを見つめたままにこりと笑みを浮かべるアスタロト。

「……そう。では何用かしら? あなたを茶会に招いた記憶は無いのだけれど」

空になった茶器を机に置いて、レヴィアタンは優雅に頬杖をつく。

アスタロトは変わらずニコリと微笑んだまま。

「え? 用がなきゃ来ちゃだめなの? 寂しいこと言わないでよ……僕と君の仲じゃないかぁ」

芝居じみた声色でそう言いながら、赤い瞳を潤ませるアスタロト。

瞬間――ひとりでに、卓上にあった茶器が音を立てて割れた。

空間が暗闇で染まる。

対となる赤と碧の瞳だけが、宝石のように怪しげな光を放っていた。

「――もう一度だけ、聞いてあげる」

冷たい声色だった。

アスタロトは心底意外に思いながらも言葉の続きを待つ。

「なにか、私に言わなくてはいけない言葉があるのではなくて?」

暗闇の中で碧い瞳が非難がましく細くなる。

対して、赤い瞳はパチパチと何度か瞬いた。

少しの間を置いて、観念したかのようにアスタロトは口を開く。

「……分かった。分かったってば。悪かったよレヴィ……あやまる! このとおり」

言葉と同時、再び照らし出されたテーブルに突っ伏しているアスタロトの姿を見て、ようやくレヴィは頬を緩ませた。

「……賢明ねアスタロト。良かったわ。あなたも知っていると思うけれど、私、暴力って嫌いなのよ。殺し合いもね」

「……」

突っ伏したまま『どの口が』とでも言いたげな視線をレヴィアタンへと向けるアスタロト。

その視線に気づかないまま、レヴィアタンは言葉を続ける。

「良かったわ。本当に、ね」

「……はは」

アスタロトはゆっくりと机から上体を起こすと、頬を引きつらせて笑う。

そんなアスタロトをまっすぐに見つめて、レヴィアタンは再び質問を投げかけた。

「それで、理由くらいは聞かせてくれるのでしょう?」

「……」

「そうでしょう? だって理由が無くては説明がつかないもの。私のお気に入りに手を出したらどうなるかぐらい、分からないあなたではない筈よ」

「……もちろん。理由はあるよ?」

自信なさげに小さな声でアスタロトは言う。

「では、それを聞かせてちょうだい」

レヴィアタンは小首をかしげてにっこりと微笑んだ。

僅かな静寂の後、アスタロトは同じようににっこりと笑って言い放つ。

「事故だったんだ」

「……」

ピキリ、と空間が歪んだような音が響き渡る。

それでもアスタロトは気にせずに言葉を続けた。

「困ってる同族がいたからさ、手を貸してやったんだ。野良神を攫ってくるって契約でね? なんと、びっくり! その野良神の護衛をしていたのが、君のお気に入りだったってわけ」

「……」

「ね? 事故だろう? もちろん僕だって彼女が君のお気に入りだってことは一目でわかったさ。でも……」

ニヤリとアスタロトは嗜虐的な笑みを浮かべて囁くように言う。

「契約は果たさなくちゃいけない。そうだろう? 僕らにとって契約は絶対だ。けれどその為には君のお気に入りをどうにかしなくちゃいけなかった……。ほら、事故だろう? 僕にとっても苦渋の決断だったんだよ」

「……」

レヴィアタンはなにも言わなかった。ただ黙ってアスタロトを見つめている。

アスタロトはなおも説明を続けた。

「それに……知っての通り君のお気に入りはまだ生きている。実際、ただ眠ってもらっただけなんだよ? 不自然にならないように細工はしたけどさ。もちろん君の気持も理解してるつもりさ。結果がどうであれ、君のお気に入りに手をだしたって事実は変わらないしね」

「……」

「けど、ぼく思うんだ。考えてみると、今回、君が怒りの矛先を向けるべきは僕じゃないんじゃないかなって。だってそうだろう? そもそも契約が無かったら君のお気に入りに手を出す必要なんて無かったんだから」

「……それもそうね」

言って、瞳を閉じて艶やかな笑みを浮かべるレヴィアタン。

アスタロトの声色が明るく弾む。

「だろう? もちろん隠す気はないよ? 僕に野良神を攫わせたのは――」

「――マルファス。彼なのでしょう?」

「――――」

時が止まったかのような感覚をアスタロトは覚えていた。

いいや、正確には素直な驚嘆が、思考を僅かに上回ったともいえる。

同時に、顔に張り付けていた仮初の表情が剥がれ落ちる。

明るい声。明るい笑顔。その必要は、たった今無くなったのだ。

「……へぇ」

アスタロトは目を細めて小さく感嘆の声をあげると、隠すことなく凶悪な笑みをその顔に浮かべた。

「やるね、レヴィ。僕に茶番を演じさせたのかい?」

「まさか。知っているはずでしょう? ……茶番は嫌いよ」

一触即発。

絶対零度の冷たさが二人の間に広がっていく。

しかし、意外にもその重苦しい空気は長くは続かなかった。

レヴィアタンは深くため息をつくとアスタロトをじっと見つめた。

「随分と 侮(あなど) られたものね。けれどいいわ。許してあげる」

意外そうにアスタロトは小さく目を見開いた。

「……なんで? って、聞いてもいい?」

「あなたも言っていたでしょう? 結(・) 果(・) を尊重したまでのことよ。……ふふ」

不気味に独り笑うレヴィアタンを視界にいれながら、アスタロトは呆れたようにため息をついて肩をすくめると、思い出したかのように口を開いた。

「……あ。ついでに聞いてもいいかな?」

レヴィアタンは応えるように視線をアスタロトに向ける。

「なんであの子がお気に入りなわけ? たしか彼女、公爵家の令嬢って話だけど」

「あら、なにか問題でもあるのかしら?」

「……別に? ただ、 遊(・) ぶ(・) ならもっと目立たない子の方がいいんじゃないかぁって。ほら? なにかと僕たちには制約があるからさ。万が一ってこともあるし」

その言葉にレヴィアタンは小さく笑い声をこぼした。

「あら、忠告のつもりかしら? でも、安心して。危害なんて加えるつもりはないわよ? 私はただ、願いを叶えてあげるだけ」

「……願い、ねぇ」

鼻で笑うように言ったアスタロトを無視して、レヴィアタンは恍惚な表情を浮かべると言葉を続けた。

「彼女は逸材よ。私と契約するために生を受けたと言っても過言ではない存在だもの。強い嫉妬心を抱えながら、それ以上に強い自制心をもっている。美しく、気高く、そして清らかな魂。ふふ……信じられる? アスタロト。彼女、壊れそうなほど強い気持ちを、必死に押し殺して笑っているの……素敵でしょう? 独占欲を殺し、嫉妬心を殺し、そうやって毎日を生きている。まるで自殺を繰り返しているようなものよ。だから――」

レヴィアタンはアスタロトからしてゾッとする程の笑みを浮かべて口にした。

「助けてあげるの。私がね」