作品タイトル不明
下の兄
フォルス辺境伯家から私宛に手紙が届いた。几帳面で流ちょうな文字は下の兄、イディアム・フォルスのものだ。
「まあ、イディアムお兄様、王都にいらっしゃるのね!」
上の兄は辺境伯として時々王都に来ているが、下の兄は領内の内政を一手に引き受けている関係でめったに王都には来られない。
だから下の兄が王都に来るのは、私の誕生日以来だ。
物心ついたときには、すでに騎士としての厳しい訓練で屋敷を空けることが多く、年頃になってからも領内の安全を守るため不在がちだった上の兄。
それに比べて下の兄は、いつもそばにいてくれた。
領民の安全と利益を最優先に考えるので、周囲からは冷酷だと言われることもあるけれど、私には甘い兄だった。
(ううん、お勉強だけはとても厳しかったわね)
私は王立学園には通っていない。
それでも、知識に関しては王立学園を卒業した生徒たちにも負けないだろう。
イディアムお兄様は、私の家庭教師でもあった。
(お父様とお母様が亡くなってから、カインお兄様とイディアムお兄様は領内をまとめるためお忙しかったはずなのに)
まだ幼かった私は、父と母がいないことが悲しくてただ泣いてばかりいた。
まだ10歳になったばかりだったのだ。それはしかたがないことだろう。
(でも、お兄様たちも今の私と年はそう変わらなかったわ)
しかも、フォルス辺境伯領はレザボア王国と国境を接している。
この国ミラベルと隣国レザボアは古くから何度も小競り合いを繰り返し、ときに本格的な領土争いをすることもあった。
そのたびに、フォルス辺境伯領は最前線の地となったのだ。
当時、まだ若き当主に安全のために重要な地を任せるべきではないと、国内でも様々な意見が飛び交ったという。
しかし、上の兄カイン・フォルスは圧倒的な武力と統率力、下の兄イディアム・フォルスは圧倒的な頭脳とときに冷酷とも言える政治的手腕を発揮し周囲を黙らせた。
(その間、私といえば大切に守られ、勉強させてもらって、野を駆け回り自由に過ごすばかりだったわね)
だからせめて、フォルス領のためになる相手と結婚して、二人の兄の負担を減らしたいと思っていたのだ。
しかし、予想外にこの場所でも私は大切に守られ、夫人としての勉強ができる環境を整えられ、特別役に立つこともなくのんびりと過ごしている。
「それにしても……アシェル様はよほどお忙しいのね」
実は、ここ3日間アシェル様は屋敷に帰ってきていない。以前なら帰りたくないのかと不安に思ったかもしれないが、今は忙しすぎて体を壊すのではないかと心配が先立つ。
お互いの思いを交わして以降は、どんなに忙しくても、遠くの地への視察でなければアシェル様は何としても一度は帰ってきていた。
――だから今、夫は想像を絶するほど忙しいに違いない。
(……アシェル様のことは心配だけれど、この屋敷を任された女主人としてできることをしなくてはね)
私は広げたままだった手紙を畳むと、ベルアメール夫人として、下の兄を出迎えるための準備を始めるのだった。