軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

25

通商条約の交渉が大詰めを迎えた頃、予想外の訪問者が帝城に現れた。

クラウスが眉をひそめて報告に来た。

「ルクレシア王国の前第三王子アルベール殿下が、個人的な面会を求めています。使節団とは別行動で、非公式に帝国に入国されたようです」

「非公式?」

「王国の外交官が同行していますが、使節団の正式なメンバーではありません。個人の資格での訪問ということのようです」

エドヴァルドの執務室で報告を受けたとき、彼は一瞬だけ不快そうな顔をした。

「何の用だ」

「セラフィーナ殿との面会を希望しているそうです」

エドヴァルドが私を見た。決定を委ねる目だった。

「会います」

「いいのか」

「いつかは向き合わなければならない相手です。今がその時なのでしょう」

エドヴァルドが黙って頷いた。

「場所は帝城の応接室を使え。俺は同席しない。お前の問題だ。だが——隣室に近衛を配置する」

「ありがとうございます」

応接室で待っていると、扉が開いた。

アルベール・ド・ルクレシアが入ってきた。

半年ぶりに見る彼は、別人のようだった。

金髪は変わらないが、以前の傲慢な輝きが消えている。目の下に深い隈があり、頬はこけ、背筋に以前ほどの張りがない。白い軍服の代わりに、質素な旅装。王子の威光は、どこにもなかった。

「セラフィーナ」

「アルベール殿下。お久しぶりです」

「殿下はやめてくれ。もう王太子候補でもない。ただのアルベールだ」

声まで変わっていた。以前の自信に満ちた声ではなく、疲れた声。

「座りませんか」

二人で向かい合って座った。お茶が運ばれたが、アルベールはカップに手を触れなかった。

しばらくの沈黙の後、アルベールが口を開いた。

「お前に——言わなければならないことがある」

「聞きます」

「あの日のこと。卒業パーティーで、俺がお前にしたこと」

アルベールの手が膝の上で握られた。

「俺は——愚かだった」

声が震えていた。

「リュミエールに夢中で、何も見えていなかった。お前がどれだけ優秀か、どれだけ王国に貢献していたか。全部分かっていたはずなのに——いや、分かっていなかった。分かろうともしなかった」

「殿下——」

「証拠もなしにお前を断罪した。ロベールとジャン=ポールの嘘の証言を信じた。お前が反論しても聞く耳を持たなかった。最低だった」

アルベールが俯いた。

「お前が帝国に行った後、全てが崩れた。デュラン公爵との関係が悪化し、南部の交易が止まり、財政が傾いた。リュミエールの政策を鵜呑みにして、国庫を空にした。反乱が起きて、父上に王太子候補から外された」

「……」

「全部、俺のせいだ。お前を失ったことだけじゃない。正しい判断をする力を——俺は最初から持っていなかった。それなのに王子だから、周りが合わせてくれるから、自分は正しいと思い込んでいた」

アルベールが顔を上げた。碧い目が赤くなっている。

「セラフィーナ。俺は謝りに来た。許してもらおうとは思っていない。ただ——お前に直接言いたかった。私が愚かだったと。お前は何も悪くなかったと」

部屋に静寂が落ちた。

アルベールの言葉を、一つ一つ受け止めた。

怒りはなかった。恨みもなかった。あの日の断罪が、巡り巡って今の幸せに繋がっている。運命の皮肉と言えばそれまでだが、事実だ。

「アルベール殿下」

「アルベールでいい」

「では、アルベール。一つだけ、言わせてください」

「何だ」

「あの日の婚約破棄がなければ——私は帝国に来ていませんでした」

アルベールの目が揺れた。

「エドヴァルド様にも出会えませんでした。今の私の居場所も、仲間も、全てはあの日から始まっています」

「……」

「だから——ありがとうございます、と言いたいんです。心から」

アルベールの顔が歪んだ。

それは予想外だったのだろう。怒りや恨みなら受け止められた。冷たい言葉なら耐えられた。だが、感謝——心からの感謝は、彼を最も深く打ちのめした。

自分が捨てた女が、捨てられたことに感謝している。それは、自分の行為がいかに的外れだったかを、これ以上ないほど鮮明に突きつける。

アルベールが両手で顔を覆った。肩が震えている。

「……すまなかった」

絞り出すような声だった。

「本当に、すまなかった」

涙だった。金髪の王子が、応接室の椅子で泣いていた。プライドも威厳もかなぐり捨てて、ただ一人の人間として、過ちを悔いている。

テーブルの上のハンカチを差し出した。アルベールはしばらくそれに気づかず、やがて顔を上げて受け取った。

「ありがとう。……お前はいつもそうだった。相手が何をしても、優しい」

「優しいのではなくて、恨む理由がないだけです」

「それが——一番堪える」

お茶を一口飲むよう勧めた。アルベールは素直にカップを手に取った。帝国の紅茶を飲み、少しだけ落ち着いたようだった。

「今は何をしているの」

「東部の領地を預かっている。小さな領地だ。領民は三千人ほど。農業が主な産業で、正直、王都にいた頃とは比べものにならないほど地味な暮らしだ」

「領民との関係は」

「最初は相手にされなかった。王都のお坊ちゃんが何しに来た、という目で見られた。でも——半年間、毎日畑に出て、領民と一緒に汗を流した。少しずつ、話を聞いてもらえるようになった」

アルベールの表情に、かすかな誇りが浮かんだ。小さな、しかし確かな誇り。

「まだ何も成し遂げていない。でも——やっと、自分の足で立ち始めた気がする」

「それでいいと思います。人は何度でもやり直せる」

「……お前に言ってもらえると、少しだけ信じられる」

アルベールが立ち上がった。

「長居した。帝国の皇妃殿下のお時間をこれ以上いただくわけにはいかない」

「皇妃はまだよ。まだ婚約者」

「そうか。でも——似合っている。皇帝の隣が」

扉の前でアルベールが振り返った。

「セラフィーナ。幸せになってくれ」

「あなたもね、アルベール」

微笑みを交わして、扉が閉じた。

一人になった応接室で、窓の外を見た。

春の陽光が差し込んでいる。雪解けの水が屋根から滴っている。冬が終わろうとしている。

過去との決着がついた。

あの日断罪した王子と、断罪された令嬢。二人の間にあったものは、恋でも憎しみでもなく——ただの行き違いだった。

でも、その行き違いがなければ、今はなかった。

窓を開けた。春の風が吹き込んできた。冷たさの中に、かすかな花の香り。帝国にも、春が来る。

ポケットの中の紫水晶の指輪に触れた。

さあ。前を向こう。

未来が待っている。