軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

アニマと釣りに行こう⑦

自慢ではないが、というか自慢には全くならないが……俺はこの世界に来て、そこそこ風呂場でのトラブルを経験してきたと思う。

のぼせ気味になったこともあれば、頭に血が上り過ぎたのか気を失ったこともあるし、自爆に巻き込まれたなんてこともあった。それはもう、本当に風呂というものに呪われているのではないかと思うほどだ……。

しかし、そんな不名誉ながら風呂場のトラブル経験が豊富な俺でも、現在のこの状況はどうすればいいのか分からない。

気を失ったアニマを脱衣所まで連れてきて、大きなタオルをかぶせたまではよかったが、そのあとどうすればいいのか分からない。

いや、もちろん理屈で言えば濡れている体を拭いてあげたほうがいいというのは分かる。だがそれは、あまりにも難易度が高すぎるというか……いろいろな意味で大変なことになりそうな気がする。

かといってこのまま放置というわけにもいかない。俺が気付けの魔法とかを使えたらよかったんだけど……あっ、いや、待てよ。

「……アリス、助けてくれ」

「それ自体は一向にかまいませんし、いい判断だと思います……ですが、先に自分の体拭いて着替えてくれないっすか? アリスちゃん、そういうの直視できない純な子なんです」

「あっ、うん。了解」

マジでアリスがいてくれてよかった。いくら恋人とはいえ、いくら理由があるとはいえ、一糸まとわぬ姿で気絶しているアニマの体を拭くのは、罪悪感が大きすぎる。

同性のアリスが居てくれたことに心から感謝しつつ、俺は手早く体を拭いて着替え、アリスにもう一声かけてから脱衣所の外に出た。

時間にすればほんの十分程度が経過したところで、勢いよく脱衣所のドアが開かれ、ラフな格好に着替えたアニマが出てきた。

元気そうなその姿に安心したのもつかの間、アニマは焦った表情でこちらに向かって走りながら身を屈め、床を少し滑りながら俺の前で綺麗な土下座を決めた。

「申し訳ありませんでしたっ!?」

……スライディング土下座、だと? いつの間に、そんな高等技術を……あ、いや、そうじゃないな。

えっと、これはアレだ。間違いなく俺の手を煩わせたとか、迷惑をかけたとかそんな感じの謝罪だろう。

「いや、俺の方こそ不注意だったというか、もっと気を配っておくべきだったよ」

「い、いえ、自分が――」

「はい、ストップ」

「――え?」

アニマの性格はよく分かってる。ここで俺がどれだけフォローしたところで、彼女は自分が悪いという主張を変えはしないだろう。

そうなると本当に水掛け論というか、互いに自分が悪いって感じの言い合いになってしまう。だとするなら、この場を一番丸く収める方法は……。

「アニマの言いたいことはわかる。けど、俺の方にも責任を感じる部分はあるんだ。だからさ、今回はお互いに不注意だったって、そういうことにしよう」

「……ご主人様」

そう、お互いに悪かったというのが最善の落とし所だろう。真面目過ぎるアニマが相手なら、変にアニマは悪くないとかそういう感じのことを言うよりは、こういう形の方が納得しやすいはずだ。

そして、アニマ相手だとそれこそ少し強引に話を持っていくぐらいが丁度いい。

「だから、そううことで、俺の方もごめん。はい、これでこの話は終わり……ってことでいいかな?」

「は、はい。ご主人様がそう仰られるなら、自分に異論はありません」

「うん、じゃあほら、立って……えっと、そうだな。ちょっと涼みに、散歩でもしよっか」

「あ、はい! お供します!」

どうやらこちらの意図はちゃんと伝わってくれたらしく、アニマは少しだけ明るい表情になって元気よく頷いてくれた。

俺としても、口では余裕そうにしているが、結構冷静じゃないというか……少し火照った頭を冷やしたい気分だったので、夜風に当たるのは丁度良さそうだ。

アニマと一緒に携帯用照明魔法具を持って、外にでる。人里から離れた川辺は静かでせせらぎの音だけが聞こえてくるが、それなりに開けていることもあって不気味さは感じない。

「……ふふふ」

「どうされましたか? ご主人様」

「いや、少し思い出してね。そういえばこの照明魔法具は、イータとシータの一件の時にアリスから買ったものだったなぁって……」

「懐かしいですね」

そう、アニマの言う通り本当に懐かしい。あの時には敵だったイータとシータも、いまではすっかり家族のような存在になっている。

こうして思い返してみると、いろいろと変化があったものだと実感する。あの頃はまだアリスの正体が幻王であるということも知らなかったし、恋人もいなかった。

「……そういえば、隠れて護衛してくれてたジークさんを除けば、あの時に真っ先に駆け付けてくれたのはアニマだったな」

「偶然ではありますが……」

「それでも、嬉しかったし、心強かったよ。ありがとう」

「……光栄です」

そう言ってはにかむように笑うアニマからは、かつてのような焦りは感じられない。なんというか、こうやって成長を実感できるってのは嬉しいものだ。

実際にあの時は、正直アニマが恋人になるなんて想像もしていなかった。だけど、いまとなってはしっくりくるというか、アニマが近くに居てくれるのがすごく自然なように感じている。

そんなことを考えつつ、俺はそっと隣を歩くアニマの手を握った。

「ご、ご主人様!?」

「嫌だった?」

「い、いえ、そんなことは……むしろその、えっと……嬉しいです」

そう言いながらギュッとこちらの手を握り返してくるアニマが、とても可愛らしく、思わず笑顔がこぼれる。本当に魅力的になったものだ……いや、きっと彼女は元から魅力的で可愛い女の子だったんだろう。それにようやく俺が気付けるようになったというだけだ。

そういう意味で考えれば、俺も成長していると言えるのかもしれない。

「……なんていうか、いい夜だな」

「はい。月がよく見えますね」

月か……そういえば、雑学的なことではあるが、こういう時に使うちょっと特殊な言い回しがあったっけ。自分が使う機会なんてないと思ってはいたが、たまには少し気障なのもいいかもしれない。

「あぁ、『月が綺麗ですね』……って言いたい気分だよ」

かつて文豪夏目漱石が『I LOVE YOU』という言葉を『月が綺麗ですね』と訳したエピソードがあり、この言葉には……好きや愛してるという意味が隠れている。

アニマはこの言葉の意味を知っているのだろうか? いや、流石に俺の居た世界での言葉だし、隠された意味までは知らないか……。

「……正しく答えるのであれば、自分は『死んでもいいわ』と告げるべきなのでしょうが……意味が違うとしても、一度実際に死んだ身としては気になってしまうので、ここはこう言わせてください……『貴方と見る月だからでしょうね』と……」

「ッ!? アニマ……この言葉の意味知ってたんだ」

「えぇ、イプシロン殿に異世界のことを教えていただいた際に……ご主人様にそう言っていただけて、自分はとても……幸せです」

アニマが俺の月が綺麗ですねという言葉に返そうとしたのは、これもまた文豪二葉亭四迷が『Yours』という言葉を『死んでもいいわ』と訳したことからくる、月が綺麗という言葉に対する定番の返事のひとつ。私は貴方のものですよという意味が隠された言葉。

そして、そのあとに改めて告げた『貴方と見る月だからでしょうね』というのも、定番の返しのひとつで、こちらは由来は定かではないが……『これからもずっと一緒に月を見たいですね』という意味がある。

なんというかちょっと小洒落たやり取りではあったが、互いにしっかりと意味は……込めた想いは伝わった。そしてなにより……心から幸せそうに笑うアニマの笑顔は、夜空に浮かぶ月よりずっと綺麗で魅力的に感じられた。