軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編第九話 深まる混沌と王子の狂気……からの、さあ逃げるわよ!

以降、タチアナはハサイード様の入室を一切拒否した。来ても追い返すだけの一択。大事なことは言わない、いてもろくなことをしない。だったらいない方がマシだ。

しかもラディーカ様との一件が広まってタチアナの悪女という噂はさらに加速している。そのうえ、ハサイード様が後継者に指名されたことで勢力図が変わり、今まで恩恵を受けていた貴族が窮屈な思いをさせられて不満が高まっているとか。

タチアナを擁護する者と、嫌悪する者。さらに不満を持つ貴族という新たな一派がそこに加わった。王城内は大きく三つに割れ、冗談抜きでタチアナの存在が竜王国の安寧を脅かしている。

そして批判の向く先は、もちろん悪女と名高いタチアナで。

正直なところ、ここまでの混沌を望んだわけではなかった。

悪女のような振る舞いをしたけれどすべては本来の目的を覆い隠すためだけのもの。それこそ物語のように命を狙われるような悪事を働いたわけではないのに、噂では嘘が真実のように語られタチアナが諸悪の根源だった。

こうやって悪役は人の手で作られていくのかもしれない。

タチアナは視線の先でくつろぐ騎竜の腹を見ながら苦笑いを浮かべる。

「いいわねー、あなた達には翼があって。私だって翼があれば、飛んで逃げるのに」

残念ながらタチアナに翼はない。

今はただ息をひそめて、一刻も早く機会が訪れるのを待つだけだ。

――――

そこからさらに時間が過ぎて、明日、戴冠式が行われる。

同時に結婚式も行うから王城内がかつてないほどにあわただしい。

タチアナに出番はないので、いつものように禁書庫へ向かった。禁書庫へ向かうタチアナはハサイードの指示ということで顔を隠すような深いフードのついたローブを着せられている。

このせいで警備や巡回の兵士は皆、タチアナの顔は知らない。他の男に見せたくないという溺愛の証だと侍女はうれしそうに言っていたが……反論するのは疲れるだけだからやめた。

禁書庫の帰り道に、これまたいつものように一つ、侍女へわがままを言って遠回りをしたときだ。喧騒に紛れるようにして、なぜかハサイード様の声がした。

「タチアナのことか」

「はい」

偶然名を耳にしたタチアナは、ぎくりとして立ち止まる。

このまま角を曲がると彼と鉢合わせしてしまう。

廊下の角を曲がる手前で足を止めたタチアナは、いぶかしむ侍女に視線を合わせて自分の唇に指を当てると視線で合図を送る。

……黙って、そのまま動かないで。

ローブ越しに唇へと指を当てると、それと察した侍女が無言のまま、同様に足を止めた。それを確認してタチアナは耳を澄ませる。

連日の忙しさに感覚が鈍っているのか、それとも油断していたのか。そこはわからないけれど、廊下の先ではタチアナの存在に気づくことなくハサイード様と誰かの会話が続いていた。

「お探しの魔道具が見つかりました。すでに装飾品として身につけることができるよう加工してあります」

「そうか、間に合ってよかった!」

「それにしても……許されるのでしょうか。タチアナ様にこんなことをして」

もう一人の声は男性のようだった。なんとなく聞き覚えがある、彼の侍従だろうか。

けれど問題はそこではない。侍従の口にした、 こ(・) ん(・) な(・) こ(・) と(・) という不穏な言葉にタチアナは嫌な予感しかしなかった。

侍従のつぶやきを拾って、それまでおだやかだったハサイード様の声が急に真剣味を帯びる。

「タチアナは慈悲深い人だ。多少は混乱するだろうが、きっと受け入れてくれる」

「今の荒れたご様子からは想像もつきませんが」

「素直になれないだけで、本来のタチアナは心優しい女性だ。治療場で慈しむようにルミナへ触れる彼女の微笑みが忘れられない。まさに竜の乙女と呼ぶにふさわしい彼女を完璧に手に入れるためなら何だってできる」

その言葉を聞いた瞬間、タチアナの背筋に悪寒が走った。

彼のタチアナへの執着には狂気すら感じる。この状況がいつからかわからないが、もうすでに彼はまともではないのかもしれない。

すると続けて侍従の心配そうな声がした。

「ですが今の状況では、そもそもタチアナ様が部屋の扉を開けてくださるかどうか」

「大丈夫だ。あれを装飾品としてタチアナに贈り、身につけてもらえばいい。そうすれば彼女は必ず扉を開ける」

これ以上の反論を許さない。ハサイード様の声にはそんな冷ややかさすら感じる。

侍従は無言だったけれど、次期王の命令だ。粛々と従うだろう。

「侍女達には私が贈った装飾品は必ず身につけさせるようにと伝えてくれ。竜の乙女への贈り物は竜騎士に許された特権だ。竜騎士であり、王でもある私の贈り物を彼女が身につけることは当然だろう」

「承知しました」

「それからタチアナを部屋からは決して出すな。この期に及んで逃げられてはたまらない」

最後に、どこか夢見るようなハサイード様の声が聞こえる。

「ようやく願いが叶う。きっとタチアナは私を愛してくれるだろう。私のそばで愛をささやき、ずっと私の最愛でいてくれるはずだ」

その声に仄暗い欲望の熱を感じたタチアナは青ざめた顔で身を固くする。

タチアナは侍女を促し、元来た道を戻った。十分に距離を取ったところで、安堵したように深々と息を吐く。

彼の会話とタチアナの行動をどのように勘違いしたのかわからないが、侍女は瞳を輝かせた。

「式典に合わせて贈り物をくださるなんてハサイード様はタチアナ様を本当に愛しているのですね!」

「そう思う?」

「はい。それにタチアナ様もわざと聞かないふりをなさるところが優しいというか、かわいらしいと思いました。あんなすばらしい方と相思相愛でうらやましいです!」

周囲の二人が相思相愛というのは単なる思い込みなのか、赤の力によって補正がかかってそう見えているだけなのかタチアナにはわからない。

ただ先ほどの内容をタチアナが聞いていたと知られるのは、いろいろな意味でまずいと思った。

無邪気に笑う侍女と真顔で視線を合わせて、タチアナは声に赤の力を乗せる。赤の力に酔わされて、侍女の瞳がとろりと甘く揺れた。

「いいこと、今聞いたことは忘れなさい……自分の命が惜しいならね」

「はい、承知しました。タチアナ様の仰せのままに」

竜の血が薄くなっているから完全に従わせるものではないけれど、彼女がここで何を聞き、何を話したのか記憶が曖昧になる。洗脳と呼ぶほどの強制力はなく、あくまでも酔わせるだけだ。

何もしないよりはマシという程度の気休めにしかならないけど。

タチアナはどこかぼんやりしている侍女を従えて廊下を歩きながら、内心では荒れ狂っていた。

ハサイード様のあの言い方で、しかも贈り物なんて。

どう考えてもまともなものではないでしょう!

反抗的な態度しか取らないタチアナが素直に従うようになる魔道具。時折違和感を感じさせる彼の視線に関するものか、それとも……もっとわかりやすく隷属の首輪とか。

こわすぎる、こんな歪んだものを愛などというきれいな言葉で飾ったとしてもタチアナは認めない。

部屋に戻ったタチアナは侍女達にこう言った。

「おなかが空いているから夕食の皿の数を増やしてほしいの。それから夜食も一緒に持ってきて。皿も豪華に見栄えよく、大きな飴細工を添えて飾り付けに凝ったものをお願いね」

「承知しました」

「それとゆっくり寝たいから、昼過ぎになるまで起こさないで。食器の片付けは明日の朝にまとめてすればいいから夜中に勝手に部屋に入ってこないでよ、いいわね」

「はい」

横柄な態度で、タチアナは侍女が退出するのを見送った。やがて夕食と夜食がカートに乗って運ばれてくる。侍女達はいつものように黙って夕食をテーブルに並べた。

カートの上に夜食が置かれたままなのは、タチアナがそう望んだから。

「一人で食べたいの、湯浴みも自分で済ませるから手伝いはいらない。用があれば呼ぶから下がっていいわ」

「承知しました」

いつもと同じ指示を出して侍女が退出する。程なくして扉の鍵が外側から掛かるのを確認した。

そして窓に近づくと、こちらも鍵がしっかり掛かっているのを確認する。

「よし、いつもと同じ」

この い(・) つ(・) も(・) と(・) 同(・) じ(・) というの状況が重要なのだ。

タチアナは椅子に座るとテーブルに置かれた料理の皿を選り分けた。

「濃い味付けの料理が嫌いだと伝えているのに、あえて出してくる時点で察するものがあるわよね」

たとえば薬の匂いを誤魔化すためとかね。

さすがにハサイード様も毒の入った料理を運ばせることはないだろうけど仕込むものは別だ。

側近に逃すなー、なんて言っていたものね。

思い込み、被害妄想……何とでも言えばいい。機会は一度きりしかないのだから、念には念を入れておくに越したことはないだろう。

「治療師を甘く見ないでほしいわ、学んだ知識を無駄にはしない」

研究所で薬品の匂いには慣れている。しかも庶民だと侮っているから、手が雑だしわかりやすい。

食事を終えて一人で湯浴みを済ませるとタチアナは窓に近づいた。

今日は満月らしい。夜空に黄金が鮮やかに映えて窓の隙間から懐かしい香りがする。

外の空気、タチアナの望む自由の香りだ。

「赤の力が竜の血にどのような影響を及ぼすか、観察結果は十分に集まった」

実験と割り切ることでタチアナは正気を保ってきた。

失ったものもあったけれど、代わりにこの壮大な実験場で得たものもたくさんある。ただ他人に与える影響だけでなく、自分の内側に隠してきた醜い欲望まで見せつけられたのは不本意だけれど。

それも今日まで。

タチアナはガラスに映った自分ににっこりと笑った。

「待たせたわね、さあ逃げるわよ」