作品タイトル不明
番外編第八話 侍女の噂② とんでもない悪女と、王子の婚約者
埃を落とす羽根はたきを手にした侍女が二人、今日もまた話に花が咲く。
「あの平民の娘だけど、ついに禁書庫へ出入りを許されたらしいわ。禁書庫は王族のみが入室を許される神聖な場所のはず。末端とはいえ、貴族出身の私達でも入れないのにどうやって許しを得たのかしら」
「わがままというか、もはや王家そのものが娘に操られているのではない?」
「竜騎士も頻繁に贈り物を届けているそうよ。おそろしいわ」
娘が来てから、おかしなことばかり起きている。
このままでは自分達だけでなく国が丸ごと巻き込まれるかもしれない。
二人の侍女は青ざめた顔で視線を交わした。
羽根はたきの柄をきつく握りしめ、そのうち一人が取り乱したように叫んだ。
「本当に、とんでもない悪女よね!」
叫ぶ侍女の背後を無言のままタチアナは堂々と通り過ぎる。
悪女の存在に二人は気づいたのか、気づかなかったか。興味がないし、そこはどうでもいい。
事前に側付きの侍女には言い含めていたから、彼女もまた無言で通り過ぎた。彼女はタチアナを溺愛する側の侍女で、赤の力を使って選別した。距離を稼いだところで侍女は怒りをあらわにする。
「王子の客人になんて無礼なことを……!」
「別に気にしていないわ、事情を知らない第三者からそう見えるのは仕方のないことだもの」
「ですが贈り物だけでなく、禁書庫のことだって竜騎士から贈られた権利を行使しただけではありませんか。タチアナ様が甘いから彼女達のような人間が調子に乗るのです!」
怒る侍女をなだめながらタチアナは内心でほくそ笑んだ。
彼女のようにタチアナを擁護する者と、先ほどの侍女達のように嫌悪する者。王城内は今、タチアナを中心として大きく二つに割れていた。
しかも数は嫌悪する者のほうが圧倒的に多い。
そうなるように振る舞ったのだから、あの反応はむしろ望ましいものだった。
「言いたい人には言わせておけばいいの。それで、あなたにお願いがあるのよ」
こそこそと彼女の耳元でささやく。
「ですがハサイード様は寄り道せずに戻るようにと」
「ダメかしら、ほんの少しだけ。退屈なのよ、だからお願い?」
「……仕方ありませんね」
「ありがとう。じゃあ教えてちょうだい」
禁書庫から部屋に戻るまで、ほんの少しだけ遠回りして帰る。
タチアナが禁書庫を褒賞に望んだ理由の一つはこうして部屋から出るためだった。
わがままは一人につき一つだけ。味方となる侍女を作らせないためか、側付きの侍女は毎日選定されるようだ。特定の人間に偏ることのないようハサイードが指示しているそうだから、タチアナはありがたくこの状況を利用することにした。侍女と会話をして遠回りをしながら、タチアナは目についたものを指す。
「あれは何かしら?」
「はい、天船と使用人達の居住区域を繋ぐ転送機にございます」
侍女が答えると同時に兵士が見守る前で機械に手を添えた使用人が姿を消した。
「ああして事前に登録された魔力を流すと転送される仕組みになっています」
「記憶はないけれど私も登録されているのかしら?」
「いいえ、おそらくタチアナ様の魔力の登録はないかと」
答えにくそうな侍女の言葉には、言外にハサイードが許さないだろうという意味が含まれている。
……逃げるにはあの転送機を使わなければならないのに、なんて面倒な。
廊下の端からひっそりと見守るタチアナの視線の先で次々と使用人が転送機を使い居住区域へと送り出されていく。彼らの行動を見ながらなんとなく答えがつかめたような気がして、タチアナは侍女を振り向いた。
「もういいわ、戻りましょう」
「かしこまりました」
こんなふうに、時と場合と相手を選んで行動範囲を少しずつ広げながら世間話のように情報を聞き出していく。
たとえば侍女の業務、兵士の配置、特に罠のある場所は念入りに。それだけでなく天船の先にある居住区域と侍女が主に使う経路、振る舞い方のルールまで教えてもらえたのは運が良かった。断片のような小さな情報を集めて、それを脳内で地図のようにつなぎ合わせる。
こうして細々と情報を集めて半年。ようやくこの地道な作業にも目処がつきそうだ。
竜王国国王は、国民に向けて魔獣の大移動の後始末が終了したと発表した。
タチアナによって癒された竜は本来の力を取り戻し大活躍したようで、竜騎士達の苦難の日々がようやく終わりを告げる。
そして魔獣の大移動の後始末を見届けた王は半年後に退位することも同時に発表した。
王が後継者に指名したのは……ハサイード=スワラティ第五王子。
タチアナに宣言したとおり、彼はついに王位継承の順位を覆したのだ。
スペアにもなれなかった王子が王になる、この件は衝撃を持って人々に伝えられた。
聞くところによると彼はただひたすらルミナを駆って武勲を重ねたという。ヒデラ・ドートのように、強力で厄介な魔獣や魔物を数多く倒したと聞いている。
もしかして無意識のうちにタチアナから溢れる赤の力が彼らの能力を底上げしたのかもしれない。そして高位貴族の後押しを得られた裏に竜を癒す乙女の存在があることは言うまでもなく。
彼が後継者と目されていた兄達をどうやって説得したのか、タチアナにはわからない。
――――
国王が退位を表明したときからおよそ三ヶ月経ったころ。
タチアナは禁書庫から戻る途中で、珍しく一人の貴族女性とすれ違った。侍女を従えた彼女は足を止めて、タチアナに淑女の礼をとった。
所作の美しさと豪奢な身なりから判断して相手のほうが身分は上のはずなのに、いつまでも名乗らない。
仕方なくタチアナは自ら声をかけた。
「失礼ですが、どなたでしょう?」
「公爵家が娘、ラディーカ=ヘンドラと申します。竜の乙女、タチアナ様とお会いできて光栄に存じます」
タチアナは目を見張った。作法の心得はなくとも知識くらいはある。
公爵令嬢が礼を尽くす姿は自分よりも身分が高い者に対するものだった。
しかも竜の乙女という称号のことを知っているので、彼女はタチアナが竜を癒していることも知っているのかもしれない。
そういえばヘンドラという家名をどこかで聞いたことがあったような。
タチアナが首をかしげたときだ。付き添っている侍女が震える声でそっとささやいた。
「筆頭公爵家のご令嬢でハサイード様の婚約者にございます。もともと第一王子殿下の婚約者でしたがハサイード様が後継者になるということで変更となりました」
衝撃でタチアナは目を見開いた。
婚約者がいるの、全然聞いていませんけど!
青ざめた顔で視線を向けると、礼の姿勢を解いた彼女は淑やかに微笑んだ。
「ご安心ください。ハサイード様からは立場をわきまえるようにと言われております。私はお二人の愛を邪魔をするつもりはありませんわ」
「どういうことですか?」
「ハサイード様の最愛はタチアナ様です。私は正妃となりますが公務を行うための表向きの妻となります」
「は、どうして⁉︎」
「すべてはタチアナ様の竜を癒す力を王家に取り込むためです」
さらっとそう答えてラディーカはタチアナに対して再び首を垂れた。
「……力を、取り込む?」
「はい、御身に流れる稀有なる血を王家は欲しています。竜を癒すことのできるタチアナ様の力がほしい」
「なんですって」
「そのことも聞いておられないのですか? ハサイード様にも困ったものですね、甘やかすばかりで大事なことを何も教えていないなんて。それではまるで躾をしない愛玩動物と同じではないですか」
口調は柔らかく丁寧だが、声と醸し出す空気はどこか冷ややかだ。
その声の端々に静かな怒りを感じてタチアナの背筋がぞくりと粟立つ。
視線を合わせないように頭を下げると、頭上から追い討ちをかけるような彼女の声がする。
「タチアナ様は竜騎士から贈り物を受け取っておられる。子供ではないのですから受け取った贈り物に見合うだけの対価が必要なことくらい当然ご存知と思っていたのですが」
「あれは竜を癒した対価でしょう⁉︎」
「違います、あなたは竜騎士に 買(・) わ(・) れ(・) た(・) のです」
真摯な眼差しで、幼子に言って聞かせるような言い回し。
竜騎士が対価とした贈り物ですら、後から利用する気で渡したということか。
「ハサイード様の即位と同時に私との結婚式が行われます。ですが、私とハサイード様は白い結婚。初夜は竜の乙女様と迎える手筈になっているはずです。御身の未来に関わることですから、さすがにこのくらいは知っておいたほうがいいでしょう」
この人は何を言っているのだろう。タチアナは血の気の失せた顔で言葉を失った。
ラディーカは慈悲深いと評される柔らかな笑みを浮かべる。
「これから二人でハサイード様を支えて、竜王国を盛り立ててまいりましょう」
「ちょっと待ってください、本当に私は何一つ聞いて」
「タチアナ、大丈夫か!」
婚約者のことも、白い結婚だということも何一つ聞いていないのだとタチアナは正直に答えようとしたのに、被せるようにして誰かの声がさえぎった。
腕が伸びて、その場から引き剥がすようにタチアナの体を腕の中に引き寄せる。
「ちょっとやめて、話をしている途中よ!」
誰のものなのかなんて聞かなくてもすぐにわかった。
暴れるタチアナの視線の先でラディーカは淑女の礼をする。
「ハサイード様。公爵家が娘、ラディーカ・ヘンドラがご挨拶申し上げます」
「ラディーカ、タチアナに会うことは許さないと言っただろう!」
「お会いしたのは偶然ですわ。これからよろしくと、ご挨拶したまでです。何か問題がありますか?」
淑女の笑みを崩すことなく、ラディーカは小さく首をかしげる。
ハサイードはすぐさまタチアナを抱き上げてそのまま彼女に背を向けた。
「ここは空気が悪い、部屋に戻る」
「降ろして、いいから話をさせなさい!」
「タチアナの身を守るためだ、我慢して」
タチアナの抵抗を難なく封じ込めてハサイードは早足に部屋へと戻る。だからタチアナに残されたラディーカと侍女の会話が聞こえたのは本当に偶然だった。
「公爵家の令嬢が白い結婚を強いられるなんて……おいたわしい」
「しょうがないわ。タチアナ様が公爵家の騎竜を治してくださったのですもの。今後も力を貸してもらいたければハサイード様と白い結婚をと望まれたら我々は従うほかありません」
「あんな礼儀もなっていない平民の娘に一国の王子が言いなりとは」
「以前お会いしたときはあんな方ではなかったのに、ハサイード様は人が変わってしまったようね」
人を狂わせる魔性の女。
風に乗って聞こえた最後の一言がタチアナの心を深く抉った。
部屋に戻ると、態度を一変させたハサイード様はタチアナを優しく椅子に座らせる。
「どこか痛いところはないか、怪我は?」
「……ふざけないで」
この男は言い返す機会すら奪って。あんなふうに見下される謂れはなかった。
タチアナは怒りで声を震わせる。
「私を理由にするなとあれほど言ったのに! 誰が白い結婚を望んだ、あなたと初夜なんて冗談じゃない!」
この人は……この城にいる者は皆、我が物顔でタチアナから奪っていく。
人としての尊厳も、自由も、未来の選択肢も全部だ。
ふざけるな、私はあなた達の所有物じゃない。
「心も、身体も。私は、私のものよ!」
「落ち着いて、タチアナ。きちんと話せばわかる」
「出て行って、二度と顔も見たくないわ!」
不敬罪なんて言葉はすっぽりと頭から抜け落ちていて。つかんだものを手当たり次第、投げつける。
ハサイード様の困惑する表情が、怯えた侍女達の顔がタチアナを責め立てる。
こんなに愛されて何が不満なのか、と。