軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編第三話 竜騎士ハサイード=スワラティ第五王子と、暗転

次の日、その次の日と、タチアナはルミナに魔力を注いだ。

至急手当てが必要だったから初日は無理をしたけれど、次の日からはお互いに負荷をかけないよう、少しずつ様子を見ながら癒していく。

そして本日、最後に診療して問題がなければ治療は終了ということで。

タチアナはルミナの体に直接触れて傷が残っていないか確認する。念のため魔力を注いで、手応えがなくなったことを確認してから魔力を切った。

「よし、これでおしまい。よくがんばったわね!」

陽光に赤い瞳を煌めかせたタチアナはポンポンとルミナの首元を軽く叩いた。

月明かりのような目を細めて、ルミナはタチアナの頬に頭を擦りつける。

くすぐったくてタチアナは笑い声を上げた。

「ふふ、この状況を見たら研究者達は驚くでしょうね」

これは竜が仲間に親愛の情を示す行動とされている。タチアナが仲間認定された証拠というわけだ。

ただこの好意が赤い瞳のとき限定というのが悲しい。

「そういえば最近気がついたのだけれど、脳に直接感情が響いてルミナと会話できているように感じるのは普通なのかしら?」

ルミナと視線を合わせて、どうしてかねーとお互いに首をかしげる。

しかもこの感覚は瞳が赤いときだけでなく紫色のときでも、同じように感じることができた。

こんなことができるなら、もう少し時間があればルミナともっと仲良くなれそうだったのに。でも重症だった竜騎士も治療は終わったと聞くし、遅くても明日にはお別れだ。

「あら、ルミナ。首のところに汚れがついているわ。せっかくだから洗ってあげましょうか?」

大喜びしているルミナの感情がタチアナに伝わってくる。

タチアナは治療所の奥から脚立を持ってくると、ルミナのからだの近くに立てかけるようにして置く。井戸から水を汲んできて脚立の上からからだに水をかけた。

久しぶりに水を浴びて興奮するルミナが翼をばたつかせるたびにタチアナの顔や体に水飛沫が飛んだ。

「ちょっと冷たいわ!」

一応文句は言うが、かわいいから許せる。

井戸を何度も往復し、ようやく全身に水を掛け終わった。タチアナはバケツを握りしめてほっと息を吐く。

「これがなかなかの重労働なのよ。魔力がある人なら魔道具の補助で簡単に水を調達できるのに……そうだ、質が違っても魔力はあるのだから、いっそのこと治療師専用の魔道具でも作ってもらおうかしら?」

ここは研究所だもの、一人くらい魔道具の知識があって得意な人はいるだろう。なぜ今まで思いつきもしなかったのか不思議なくらいだ。

早速、明日にも相談しようとタチアナは心に決めた。

水を掛けて汚れを落としたら、あとは専用のモップでルミナのからだを拭くだけ。

「じゃあ拭くわね。頭を下げてちょうだい」

タチアナの指示に従って、ルミナは器用にからだの向きを変える。

頭から前脚、今度は背中と思ったところで、ふと興味が湧いた。

「ねぇ、背中乗ってみてもいい?」

どんな乗り心地なのかしら。

興味本位だし、断られたらあきらめようと聞いてみたら意外とあっさり許可が出た。

いそいそと脚立から手を伸ばして、勢いよく背中に飛び乗った!

「わー、高い! しかも広いなー!」

本来なら背中に騎竜専用の鞍をつけるのだが、それがないため余計に広く感じる。

意外にも肌は滑らかで、ちょっとひんやりしているのが気持ちいい。

頬をすり寄せると、うれしそうにルミナが喉を鳴らした……そのときだった。

「何をしている!」

いきなり男性の怒鳴る声が聞こえてタチアナの肩が大きく跳ねた。

振り向くと崖を背にして鎧をつけた騎士がいる。ゴーグルを装着しているから目元は隠れているが、硬く引き結ばれた口元から不快という気持ちが語らずとも漏れていた。

ちょっと待って、どうしてここに人が。

視線の先にある唯一の出入り口である扉には鍵がかかっている。表情を険しくしてタチアナは叫んだ。

「不審者!」

「誰だ、不審者とは」

「もちろんあなたに決まってるじゃない!」

タチアナはルミナの背の上で勢いよく立ち上がった。ところが湿り気を帯びた竜の肌で足を滑らせる。豪快に体勢を崩したタチアナは悲鳴を上げながら竜の背を滑り落ちた。

しかも良いのか悪いのか、まっすぐ一直線に不審者をめがけて。

「ギャー、避けて!」

「は⁉︎」

落ちたときの勢いがついたまま、タチアナはとっさに腕を伸ばした不審者を勢いよく蹴倒した!

自分の下敷きになって背中を打ちつけたらしい彼のうめき声が聞こえる。一方で相手を下敷きにしたタチアナはまったくの無傷だった。

「……まさか上から人が降ってくるとは」

「ご、ごめんなさい……って、違うでしょう!」

普通なら平謝りするところなのだが、ここが治療場だということを思い出した。

呑気に謝っている場合じゃない。そもそもここにタチアナ以外の人間がいることのほうがおかしいのだ。

この不審者からルミナを守らなければ!

急いでタチアナは立ち上がるとモップを握りしめて、不審者とルミナの間に立ちふさがる。

「ここは治療師以外の立ち入りを禁じている場所です、今すぐに出て行きなさい!」

「だが」

「言い訳は聞きません。私の患者に手を出す気なら許しませんよ!」

治療師であるタチアナには患者を守る義務がある。

相手は騎士だから勝てるかわからないけれど、勝負の前に気持ちで負けてはダメよね!

驚いた顔をした騎士は立ち上がると真面目な顔で謝罪の姿勢をとり、首を垂れた。

「あなたが私の騎竜を治療してくれたのか。いきなり怒鳴りつけて申し訳なかった」

「どこから侵入したのですか!」

「その崖を登ってきた。入口は鍵が掛かっていたから、仕方なく」

「ちょっと待って、この高さの崖が登れるの?」

下から吹き上げる鋭い風の音が響いてタチアナの思考が一瞬停止する。

いいえ、それよりももっと大事な情報があったでしょう!

「失礼ですが、もしかしてルミナが騎竜ということは」

「私はハサイード=スワラティ、ルミナと騎竜契約を交わした竜騎士だ」

どうしよう。王子様を蹴っちゃった。タチアナは真っ青な顔をして固まった。

不審者なのにルミナがおとなしいと思っていたけれど、どうやら気配でハサイード第五王子殿下だとわかっていたかららしい。

「ハサイード第五王子殿下と知らず、不審者と呼んで申し訳ありません」

「敬称はいらない、ハサイードと名を呼んでくれ。堅苦しいのは苦手なんだ」

あわててタチアナが謝罪するとハサイード第五王子殿下――――ハサイード様か、彼の申し訳なさそうな声が頭上から降ってくる。

「驚かせてすまない。竜にとって死角となる背中は竜騎士が守るべき領分とされている。さっき声を荒げたのは、あなたがルミナの背中に乗っているのが見えたからだ」

「それは……誤解させるような行動をして、こちらも申し訳ありません」

好奇心から乗せてもらったとは言えなくて、謝罪の意を込めてタチアナはおとなしく頭を下げた。

すると彼は真面目な顔で首を振った。

「いや、そもそもは断りもなく勝手に入ってきた私が悪い。申し訳なかった」

王子様なのにものすごく腰が低いというか、彼は謝ってばかりだ。

タチアナは、くすっと小さく笑った。

「なんだかお互いに謝罪してばかりですね」

「そうだな、申し訳ない……っと」

「ふふ、また謝りましたね。そうだ、ではハサイード様が規則を破ってここに侵入したことは内緒にします。その代わり私が不審者と勘違いしたことは相殺でいかがでしょう?」

ついでに足を滑らせて王子様を蹴り倒した罪も許されたらうれしい。

そんな願いを込めてタチアナはにっこりと笑った。

「ここからルミナに乗って王城へ戻っていただければバレないし、誰も不幸にならないです」

ハサイードはようやく笑った。

「そうだな、それがいい。提案どおりに相殺ということにしようか」

許されたとわかってタチアナはほっと息を吐く。

よかったねー、とばかりに小さく鳴いたルミナの首筋をタチアナがなでる。

まぶしそうに目を細めたハサイードの顔に一層深い笑みが浮かんだ。

「それで治療師殿、私もルミナに触れていいか?」

「もちろんです、診察も終わっていますので遠慮なくどうぞ」

タチアナが場を譲るとハサイードが手を差し出す。顔を近づけたルミナが甘えた声を出した。

うれしそうに笑った彼の口から安堵のため息がこぼれる。

「……よかった、元気になって」

人の喜ぶ顔はご褒美だ。うれしそうな二つの横顔にタチアナはふふっと笑う。

ここに来てからずっとタチアナと話しているときも、彼の視線の先にはルミナがいる。彼は傷口のあった場所に触れて、わずかに眉をひそめた。

思いのほか真剣な眼差しにタチアナは首をかしげる。

「どうしました?」

「あれだけの深い傷を負っていたのに……治療は全部あなたが?」

「ええ、そうです。治療師は私だけですので。何か気にかかることでもありましたでしょうか?」

「いや、何でもない。よくぞここまで治したものだとむしろ感心していた」

苦笑いを浮かべてハサイードはルミナの首筋をなでた。愛ある仕草にタチアナはふふっと笑う。

「本当にルミナを大切になさっているのですね」

「大切な相棒だからな。それにしてもあなたには驚かされた。竜を守ろうとモップを握りしめた女性を見たのは初めてだ。ただ、間違いなくあなたの振るモップよりもルミナのほうが強いぞ」

ハサイードがからかうような口調で言うと、ルミナも同意するように吠えた。

一瞬固まったタチアナも思わず苦笑いを浮かべる。

「あれはつい勢いで。冷静に考えるとまったく役に立たないですね、申し訳ありません」

「ちがう、褒めているんだ。我が国は何よりも勇気を尊ぶ。自分の身よりも騎竜を守ろうとしたあなたに竜騎士として敬意と感謝を捧げる」

「光栄に存じます」

「ルミナを救い、守ろうとしてくれてありがとう」

ハサイードは騎士として礼の姿勢をとった。それに合わせてタチアナも深々と首を垂れる。

竜の血を濃く受け継ぐ王家には、傲慢で、気難しい性格の人物が生まれることもあると聞く。ただ彼に限ればそういうわけではなさそうだ。

よかった、優しい人みたいで。

「そういえばあなたの名前を聞いていなかったな。優秀な治療師の名前を覚えておきたい」

そう言われて、ようやくタチアナは自分が名乗っていなかったことを思い出した。

顔を上げると、ハサイードは目元を覆うゴーグルを外す。

ここにきて初めて二人の視線が合った。縦に割れた瞳孔、月明かりのような虹彩にほんの少し銀が混じる。対となる竜の目はたしかにルミナとお揃いだった。

間違いないことを確認してタチアナはほっと息を吐く。

「はい、私はタチアナと申します」

このときたしかにタチアナは名乗ったが――――暢気にしていられたのは、ここまでだった。

タチアナと直接目を合わせたハサイードは、なぜか無言のまま固まって驚愕した様子で目を見開く。みるみるうちに眼差しは熱を帯びて、赤らんだ頬と胸の痛みに耐えるように眉間に皺が寄った。

それまでの温和で冷静な姿からは想像もつかない急激な変化にタチアナは眉をひそめた。

治療師としての勘が警鐘を鳴らす。

竜と同じ、急激な変化。何か、おかしい。

「あの、どうされました?」

「……見つけた」

「は、何を?」

答えはなく、ハサイードは一気にタチアナと距離を詰めた。護身術も含め、体術の心得がないタチアナには彼がどういうふうに、いつ動いたのかさえわからない。

気がつくといつのまにか温度を感じさせない端正な顔立ちがタチアナの目の前にある。

ハサイードの蕩けるような眼差しはただひたすらにタチアナへと注がれていて、彼のたくましい腕が強く腰を引いたと思うと、次の瞬間、タチアナの体はなぜかルミナの上にいる。

突然の出来事にまったく反応できない。不敬という言葉が頭から抜け落ちたタチアナは思わず叫んだ。

「ちょっと何してるのよ!」

「ルミナ、出発だ。このまま王城へ帰還する」

「ええええ⁉︎」

竜騎士の指示に、騎竜は高らかに鳴いて崖の上から一気に空へと飛び立った。

滑空し、ぐんぐんと加速して、すぐに研究所の建物が小さくなる。竜の飛行速度はおそろしく早いものだということをタチアナはこのとき初めて知った。

「落ち着きなさい、これは誘拐よ!」

「安心して、責任はちゃんととるから」

そうじゃない。声を上げてタチアナは抗議しようとした。

優美な顔立ちに蕩けるような眼差しで言われても、ちっともうれしくない。

だが不安定な体勢のせいでタチアナの体は強く風に煽られる。腕を振り払いたくてもこの状況で振り払えば地上に真っ逆さまだ。

見たくもない眼下の景色が視界いっぱいに広がった。

高い、というかこわい……!

恐怖と混乱から血の気は失せて、喘ぐような呼吸の合間に言葉なんて一つも出てこなかった。

もしかしたら私、高いところが苦手なのかもしれない。

大きな翼音を立ててルミナは一直線に摩訶不思議な空に浮かぶ船、王城を目指す。

ヴァディス=スワラティの天船は相変わらず煌びやかで、研究所から見たときは一粒の宝石のように見えた。

けれどどういうことか、見た目は変わらず豪華なのに今のタチアナにはまるで牢獄のように見える。

本当は、こんなにもおそろしい場所だったのか。

そう思うと同時に限界を迎えたタチアナの視界がぐらりと揺れる。

「これでもう、あなたは私のものだ」

意識が途切れる前に、タチアナは吹き荒ぶ風の隙間で。

止めを刺すようなハサイードの声をたしかに聞いたような気がした。