軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十六話 星に願いは届いたか

ジルベルトは唇を噛んだ。

絶対に引くわけにはいかない、そう叫んだアンジェリーナの横顔はジルベルトにとって見慣れたものだった。魔獣の大移動と対峙するときの特務部隊の面々は皆ああいう顔をする。

当然自分も、あんな表情をしていたのだろう。

あの顔をされたら、止められるわけがないじゃないか。

深々と息を吐いて、剣の柄を握ったままジルベルトはその場に立ち尽くす。その態度をどうとったのか、鉄板の無表情をかなぐり捨てて、鬼気迫る顔つきをしたジャミルがジルベルトの肩を強く揺すった。

「なぜ止めないのですか!」

「アンジェリーナがそう望むからだ」

「そうだとしても魔力だまりに素手で触れるなんて無謀です。死ぬかもしれないのですよ!」

見損なった。そう吐き捨てて駆けだそうとするジャミルの前に、鞘に収めたままの剣をジルベルトは突き立てる。手加減ができなかったせいで、硬いはずの岩石を砕いて突き刺さった。

唯一の進路をふさがれて、ジャミルは悲壮な表情を浮かべる。

「静かにしろ、アンジュの邪魔になる」

「ですが!」

「彼女は今、与えられた試練に立ち向かっているところだ。何人たりとも邪魔することを許さない」

彼の眼前にジルベルトは手に握った魔道具を差し出した。

「入口に置いてきた魔道具の対だ。これがあれば迷うことなくたどり着ける。使い方の説明はしなくてもジャミルならわかるだろう? それをやるからアレスと一緒に洞窟の外へ逃げろ」

いつでも対処できるように視線をアンジェリーナに固定しながら、淡々とした口調でジルベルトは入口の方角を指し示す。ジャミルはそうじゃないと激しく首を振った。

「あなたは愛する人がみすみす命を失うのを黙ってみているつもりなのですか!」

そんなわけがあるか。

とうに覚悟を決めているジルベルトは海のように凪いだ眼差しをジャミルに向けた。

「アンジュが死ぬときは、この命もくれてやる。だから黙って見ていろ。それができないのなら出て行ってくれ」

たった一人戦うことをアンジェリーナは望んだ。

その願いを叶えるため、邪魔する者を排除する。それだけが今のジルベルトにできることだ。

ジルベルトは視線をアンジェリーナに戻した。

「だいたい何なんだ、アンジュが簡単に死ぬとでも思っているのか。彼女はそんなに弱くはないぞ」

魔獣の墓場でたった一人、数え切れないほどの魔獣や魔物を倒した。

そんな彼女が負けるはずがない、ジルベルトはそう信じている。

「彼女を信じられないというのなら、それこそ邪魔だ。今すぐに出て行け」

そう言い放ったジルベルトの瞳にはもうアンジェリーナしか映っていない。

今度こそ、ジャミルは沈黙した。

ーーーー

よし、手ごたえがあった。

濃厚な魔の気配を掻き分けて、アンジェリーナは突き入れた己が手で魔力だまりの内側を探る。

魔除けの力は魔力だまりにとって毒と同じ。

だから吐き出すことのないよう少しずつ少しずつ浸透させて、じわりじわりと弱らせる。何となく甘いほうがいいような気がして、弱く甘い毒で酔わせて魔力だまりの勢いを奪うという作戦だ。

さすがに、こんな大胆なことを魔の巣窟本体に施すのは無理だ。けれど今回の相手は本体から派生しただけの魔力だまりが相手だった。だからこんな無謀なことができる。

おそらくルベルを無理やり吐き出したことで魔力だまりが拒絶反応のようなものを起こしたのだろう。

それを制御するのは魔窟の主の仕事だというのに、ヘソを曲げて勝手に仕事を放棄するからこんなことに。それとも吐き出すことは承知したが、その後始末は契約の範疇にないから自分でしろと?

ああもう、腹が立つわー!

内心では荒れ狂いながらも、アンジェリーナの思惑どおりに魔力だまりは落ち着きを取り戻しつつある。注ぐ魔力に酔わされて、眠りにつくかのように勢いを失っていく。

あと少し、もう少し。完全に眠らせてしまえと力を注ぎ続ける。

「……っ、痛!」

ここにきて魔力が切れそうなんてついてない。

この調子だと、ギリギリ間に合うかどうか。

強固に纏わせた魔力の鎧が少しずつ剥がれ落ちて、じわりとアンジェリーナの腕を魔の力が侵食する。腕の色が少しずつ赤紫色を帯びて、絶え間なく痛みが襲う。それでもアンジェリーナは力をゆるめない。

やがて浮き出た魔物の足が再び沼の奥に引き込まれるようにして沈んでいくのが見えた。

あともう少し!

そしてようやく泡立つ音が消えて。静かな沼の姿を取り戻した。

アンジェリーナは安堵したように息を吐く。

魔力だまりは沈黙した。暴走することなく、ひと時の眠りについたのだ。

アンジェリーナは急いで魔力だまりから手を引き抜いた。だが絶え間なく襲う痛みに呻き、その場に崩れ落ちる。体が岩に叩きつけられる寸前、温かくて大きな腕がアンジェリーナの体を包んだ。相手は震える赤紫色の腕を見て、一瞬息を呑んだけれど、すぐに耳元で瓶を開ける音がした。

「霊薬だ、飲めるか?」

うなずいて霊薬を飲んだ、一本では足りなくて何本か。侵食されかかっている内側を霊薬によって癒して、さらに聖女特製の魔力補給薬を飲んで刻戻しの魔法を使った。腕がきれいな肌色に戻って、ようやく痛みが消える。

よかった、思っていたよりもダメージが少ない。

アンジェリーナは深く息を吐いて腕の中からジルベルト様を見上げた。

「はは、本気で死ぬかと思いました」

「だから笑いながら言う台詞ではないだろう!」

叱るようなジルベルト様の声が震えている。

「ジルベルト様のおかげですよ。ここにくるまで魔力をできる限り温存してきたでしょう。いつもみたいに使っていたら間違いなく足りませんでした」

私の恋人は頼りになる。そうつぶやいてアンジェリーナは胸元へ顔を寄せた。

「無茶してごめんなさい、苦しい思いをさせたでしょう?」

「本当だ、魔力だまりに腕を突っ込んだときは冗談抜きで心臓が止まりそうになった」

魔獣の大移動のとき、きっとジルベルト様も無茶をしただろう。けれど私は彼が直接戦う姿を見たわけじゃない。でも彼はアンジェリーナが無茶している姿を目の当たりにしたわけだ。

余計に気が気じゃなかっただろうなー、そう思うと申し訳ないことをしてしまった。

「お願いだから、もうこんなことはしないでくれ」

アンジェリーナだって二度とこんな無茶はしたくない。

それでも私は……唯一無二の魔除けの聖女だから。

「努力はします。でもきっとまた命がけで戦うことがあると思うのです」

「そのたびに、私は心臓が縮む思いをするわけか!」

痛みに耐えるようなジルベルト様の顔を見てアンジェリーナは眉を下げた。

彼が苦しむのは私が傷つくからだ。優しい人、私にはもったいないくらいに。

そう思うたびにアンジェリーナの心は軋むのだ。縮みかけた彼の心臓のことを思えばこの手を放すのが最善なのだと、でもそんな段階はとうに過ぎていて。

アンジェリーナの顔がクシャリと歪んだ。

「ごめんなさい。自分でもずるいなとは思うのですけれど」

言葉に詰まってアンジェリーナはジルベルト様の手を硬く握った。

困らせるつもりなんてないのに。ただ胸が締めつけられるように痛んで、今にも泣いてしまいそうだ。

「あなたを傷つけるとわかっていても。私はこの手を離せないーーーー離したくないのです」

か細く震える声がつむいだのは切なる願い。

触れた手から伝わる温もりが心地よくて、アンジェリーナは甘えるように握った手へと頬を寄せる。

ジルベルト様の唇から絞り出すような声が聞こえた。

「……ずるいな、アンジュは」

彼は深々と息を吐いて。小さく笑う目元がわずかに潤んでいる。

「この場でそれを言うのはずるくないか、いくらなんでも」

「ですが嘘じゃないとわかるでしょう?」

「それは……これ以上煽るな、困るから」

彼の片手はアンジェリーナの体を支えて、もう片方はアンジェリーナがきっちり捕まえている。

見上げれば真っ赤に染まったジルベルト様の顔がはっきりと見えた。

かわいいな、大好きだ。

そう思ったところでアンジェリーナの視界がぐらりと揺れる。途端にゆっくりと眠気が押し寄せてきた。どうやら魔力だけでなく、体力も使い切ったらしい。

だからちょっとだけ油断していました。

「アンジェリーナ、瞳が赤いのはなぜだ?」

呆然としたような王子殿下の声が聞こえる。

視線が合うと竜の目が甘やかな蜜を湛えている。それは愛おしいもの、大切なものを見る眼差しだ。

……赤い瞳を見られた。

ついに恐れていたことが起きてしまったのだ。

王子殿下の表情が熱に浮かされているように見えるのは竜の血のせいか、それとも。

察したジルベルト様がアンジェリーナの両眼を隠すように手を置いて、視線をさえぎった。

「そこまでだ、アレス。これ以上近づけばおまえが後悔する」

何を話しているのか、内容はよく聞き取れないけれど頭上で王子殿下とジルベルト様が言葉を交わしている。視界をさえぎられたまま、ぼんやりとした頭でアンジェリーナは手を伸ばした。

「ルベルは?」

「……あ、ああ、ここにいる」

「ちょっとだけ触れてみてもいいですか?」

視界が閉ざされたアンジェリーナの膝の上に何かを置いた感触があった。

ルベルもまた魅入られているのだろうか、アンジェリーナが触れてもおとなしい。

驚くほど従順だ、魔除けの力を警戒していた竜舎の騎竜とは大違いだわ。

血が濃いほど反応が強く出る。これも魔寄せの力が及ぼす副作用。

ジルベルト様が手をどけたので、目を開いてルベルのからだをじっくりと観察する。

魔窟の主には傷一つつけるなと言ったけれど……魔力だまりの内部で何があったか、それはアンジェリーナにもわからない。

しょうがないか、あまり使いたくないけれど。

アンジェリーナの紅玉のような赤い瞳が瞬いた。

両手に力が満ちて、柔らかな光がルベルを包む。

まるで時間が巻き戻るかのように竜のからだが艶と輝きを取り戻した。ジルベルト様が目を見開いて呆然と変化を見つめている。

「まさか刻戻しの魔法か?」

ちょっと違う。たとえるなら復元とでも呼ぶのだろうか。人とは違って魔のつくものは欠損を補完する能力が高い。アンジェリーナは魔法で修復能力の精度を上げて、異物を排除しようとする抵抗力を高めた。

つまりアンジェリーナは竜—―――魔のつくものを癒したのだ。

これは魔寄せの力と紐づいていて、瞳が赤いときにだけ使える。

「そうか、アンジェリーナが竜の乙女だったのか」

冷静さを欠いたような王子殿下の声がする。

まあ、ここまですればバレるわよね。アンジェリーナは唇に指先を添えた。

「秘密ですよ、人に知られたら世界が変わってしまう」

それでも力を使ったのは、ルベルを癒すことができるのは今だけだから。

魔力だまりで受けた傷が定着する前に癒さなければ意味がない。

疲れ果てて、アンジェリーナは瞳を閉じる。すでに意識はふわふわと夢と現実の間を漂っていた。

そうだ、寝てしまう前にもう一つだけ伝えておかないと。

うとうとしながらアンジェリーナはジルベルト様の袖を引いた。

「どうした?」

「洞窟内に紫水晶が点在していたでしょう? 帰り道で、迷いそうなところにある紫水晶に刻戻しの魔法を付与してきました。魔法が読めるジルなら、どこにあるかわかるはずです。怪我をしたら鉱石を砕けば魔法が発動しますからちゃんと使ってくださいね」

ジルベルト様が目を見開いた。

竜の気配を探るためにアンジェリーナが壁に這わせた手、その先に紫水晶があったのは偶然ではない。

「いつのまにそんなことを、どうして。こんなことにならないよう、力は貯めておくようにと言ったじゃないか!」

「ごめんなさい、でもね必要になると思ったから」

どうしてか、理由はいくつかあるけれど。

「対魔特化である私が、対魔戦以外でジルにしてあげられることは本当に少ないのよ。だからね、どうしてもあなたの役に立ちたかった」

今にも落ちそうになる目蓋を懸命に開いて、アンジェリーナはふわりと笑う。

「魔法をたどれば、入口まで迷わずに戻ることができるでしょう?」

「アンジュ……」

「どっちの道が正解なのか、ジルが迷うときは私が道しるべですよ」

ジルベルト様が息を呑んだ。

そのために自分が深く傷ついて。

心配をかけてまで愚かなことをと笑われるかもしれないけれど。

「私の残した魔法があなたの助けとなりますように」

アンジェリーナの行動はこのうえもなく愚かで。ただ迷いはなく、ジルベルトへと捧げたもの。

だからこそ愛おしい。

ジルベルトの表情が歪んで、きつく抱いた手がアンジェリーナを胸の奥に引き寄せる。アンジェリーナの額に彼の唇が触れて、そのまま二人で額を合わせた。

アンジェリーナが見上げればそこには地上に落ちた星のような瞳があって。

「愛している。唯一無二、私だけのもの」

うれしいわ、あんなに遠かった星が手を伸ばせばこんな近くにある。

星に願いは届いただろうか。

それを見届ける前にアンジェリーナは限界を迎えた。

もう無理、眠い。この幸せな気持ちのまま寝てしまおう。

ここがどこかとか、これからどうやって帰るのとか。

そういう大事なことは、すっかり抜けてしまって。

安心したようにジルベルト様の腕の中で丸くなって、アンジェリーナは目を閉じた。