軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十五話 油断大敵とはこういうことです

「久しぶりね、魔窟の主。早速、取引をしましょうか」

魔のつくものと交渉する。誰もが理解できなくて言葉を失った。

だがアンジェリーナの真剣な眼差しが、張り詰めた空気が。何人たりとも言葉を挟むことを許さない。魔力だまりと対峙する聖女のローブが、風もないのにふわりと揺れた。

「あなたの主張も理解した。だからこその交渉よ、ルベルを返してもらいたいの」

応答があって、アンジェリーナの表情が硬くなる。

「あなたにだって利はあるのよ。まず、私に借りを返せる。しかも力が削がれるわけでなく、運良く手に入れた竜の子を手放すだけで済むの。たしかに得もないけれど、逆に損もない」

あるべきものを、あるべき場所に。アンジェリーナが望むのはそれだけだ。

それでも魔力だまりは抵抗するように次々と泡を噴き出して、ごぼごぼとマグマのような泥が弾ける。

「聞き分けのないことを。やはり無理やり吐き出させないとダメかしら?」

アンジェリーナは深々と息を吐いた。

ここで使うのは少々もったいない気もするが。ある意味ではもっともふさわしいかもしれない。

「フェレス隊長にお願いして、リゾルド=ロバルディア王国に残してきた魔石を魔の巣窟に放り込んでもらおうかしら。邪竜を滅して残った魔石に魔除けの力を貯めてきた曰くつきの品をね」

たとえリゾルド=ロバルディア王国にいられなくても、できることはあるのよ。

そうつぶやいてアンジェリーナは真剣な顔をする。

「竜のからだや知識はあなたにとって害になる。過剰な刺激は魔力だまりとしての役割から道を踏み外す温床となるでしょう。それを強制的に吐き出させるよりも自ら進んで返してくれたほうがあなたの負担にもならない」

あなたにも悪くない話よ。アンジェリーナは手を差し出した。

「ルベルから取り込んだ能力も一緒に、傷一つ残すことなく返してちょうだいね。もちろん前回同様、竜の知識も全部返しなさいな。また叱られたくはないでしょう?」

アンジェリーナはこれ見よがしに天を仰ぐ。

いやー、実に清々しい青天だ!

「どう、申し出を受けてくれないかしら?」

絶えず吐き出されていた泡が一瞬止まった。

逡巡するような間があって、嫌そうに魔力だまりの水面が揺れる。

次の瞬間、マグマのような泥の奥からポンと黒い塊が吐き出された。

「ありがとう。これで私の面目も立つというものだわ」

ぐったりと弱った漆黒のからだ、瞳は硬く閉じられている。

おかえりー、とつぶやいてアンジェリーナは黒い塊—―――小さな竜のからだをなでた。

「ルベル!」

王子殿下の叫ぶ声に、ルベルの目蓋がピクリと動く。

どうしよう、目が覚めそう!

迷子のルベルがそばにいてほしいと願うのは間違いなく魔除けの聖女ではない。セントレア王国では、魔女だと叫んで暴れる迷子を神殿まで連れて帰るのはとても大変だった。

全力で駆け寄ってきた王子殿下に、あわててルベルのからだをポンと手渡した。

「アンジェリーナ、いくらなんでも扱いが雑だろう!」

「ごめんなさい、でもね今にも目を開けてしまいそうだったのですもの。ルベルが望むのは真っ先に王子殿下の顔を見ることでしょう?」

その瞬間、竜の子の目蓋が開いてファイアオパールの瞳が瞬いた。無垢な眼差しが王子殿下を見つけて、一心にかすれた小さな声で鳴く。声にならない声が、必死に言葉を紡いだ。

ごめんなさい、かしら。

ただいま、かもしれないわね。

侵食されていく恐怖に怯えながら、それでも信じて待っていた。

迷子の竜はここで 家(・) 族(・) が迎えに来てくれるのをずっと待っていたのだから。

小さなからだを掻き抱いて、王子殿下の瞳からぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちる。

「ルベル、おかえり。ずっとさみしい思いをさせてごめんな」

包み込むように竜の子を抱いて肩を震わせる背中にアンジェリーナはふわりと笑った。

この期に及んで私の出番なんかいらないでしょう。

静かに立ち上がったアンジェリーナはジルベルト様に微笑んで、魔力だまりに背を向ける。

そのときだ、突然足元が小さく揺れた。

「アンジュ!」

ジルベルト様の緊張をはらんだ声が空気を切り裂く。

魔力だまりの表面が激しく揺れて、とっさに魔除けの結界を展開すると跳ねた液体が結界に触れる。鼻をつく刺激のある匂いがしてジュっと嫌な音を立てた。

アンジェリーナは青ざめた顔で王子殿下に叫んだ。

「ルベルと一緒にジルベルト様のところまで戻ってください!」

「アンジェリーナ、だが」

「いいから早く!」

王子殿下に背を向けて、素早く結界の強度を上げるとアンジェリーナは魔力だまりの淵に膝をついた。のぞき込んだ中心部では制御を失った魔力が急速に膨れ上がっていくのが見えた。

魔力だまりの暴走。魔窟の主はわざと制御を甘くした。

自分なしで魔力だまりを制御して見せろとそういう意図か。

アンジェリーナは手をかざして、不気味に膨れ上がる魔力を魔除けの力で押し返した。

「アンジュ!」

「来ないで!」

顔を見る余裕のないアンジェリーナは、ジルベルト様の声に鋭く応えた。

初めて遭遇した事態に何が正解かわからない。ただ非常に危険だというのはわかる。視線を向けることなくアンジェリーナは叫んだ。

「魔力だまりの暴走です、ジルは皆を連れて洞窟を離れて! 制御できなければ、この辺り一帯に強力な魔獣や魔物が一気に押し寄せ湧き出します。だから巻き込まれないように今のうちに洞窟の外へ!」

「できるか、そんなこと!」

悲痛なジルベルト様の声が胸に刺さって、一瞬ひるんだ。

助けてと言えばきっと彼は何を犠牲にしても駆けつけてくれる。

でもそれではだめだ、ここで甘えてしまえば逃げたのと同じこと。甘えは弱さになって、いつしか彼なしでは立っていられなくなる。

もう後悔はしたくないのよ。

アンジェリーナは魔力だまりを見据えたまま、言葉を返した。

「ジル、あなただって魔獣の大移動が起きたときは死ぬかもしれないとわかっていても最前線に立つでしょう。それと同じよ、私だって役目があるの。逃げるわけにはいかない、絶対に引くわけにはいかないの」

「だがたった一人で背負える重さではないだろう!」

それでもだ、アンジェリーナは口角をくっきりと上げた。

「魔除けの聖女の誇りをかけて、私が一人で立ち向かわなければ意味がないのよ!」

アンジェリーナの代わりはいない。唯一無二とはそういうことだ。

おばあさまの、おばあさまも。彼女達が命がけで繋いできた魔除けの聖女としての誇り。たとえ看板を下ろしたとしても、アンジェリーナは魔のつくものに屈するわけにはいかなかった。

ジル、あなたにだってそういうときがあったはずよ?

アンジェリーナの意識が魔力だまりに向いた。

無尽蔵とも思える力を蓄えた魔力だまりとは違い、アンジェリーナの魔力量には限りがある。外側から抑えるだけでは制御するには程遠い。

一か八か、賭けるしかないわね。

アンジェリーナは自身の体に魔除けの結界を纏わせる。鎧のように、硬く強固なものを。

そしてローブの袖をまくり上げると、覚悟が決まったところで一気に魔力だまりへと手を突き入れた。