作品タイトル不明
第一話 無能で役立たずをやめたつもりですが、これもお仕事に含まれるのでしょうか
「俺の騎竜がいなくなった、探してくれ!」
「へ、え?」
「まだ幼い竜なんだ……もしかすると迷子になっているかもしれない!」
「は、迷子⁉︎」
騎竜が迷子になるのか、アンジェリーナは呆然として言葉を失った。
隣に立つジルベルト様も目を丸くする。
「迷子になるのはアンジュだけではないんだな」
「ジル、一言余計ですよ!」
迷子ではありません、私は帰り道がわからないだけです。
途方に暮れたようにアンジェリーナは天を仰いだ。
どうしましょう、おばあさま。
経験値を積み上げて、大抵のことには驚かなくなったという自負はあったのですが。
これも魔除けのお仕事には含まれるのでしょうか?
――――
スワラティ竜王国は、古より竜の血を受け継ぐという竜と竜騎士の国。
広大な砂漠に点々と彩りを添えるオアシス、そして大陸最大の活火山ヨアセナ火山が噴煙を上げる雄壮な景観が有名なところ。現存する周辺各国ではもっとも古く、長い歴史のある国だ。
フードをかぶったアンジェリーナは岩に腰掛けながらジャミル様に貸してもらった資料をめくり、スワラティ竜王国に関する知識を叩き込んでいく。
竜王国の名にふさわしく、国の頂点に君臨するのは竜の血を引く王族。性質は竜のように誇り高く苛烈な一面と、慈悲深さという二面性があるという。
肉体は頑健で魔法や武術に秀でており、知能も高い。しかも血が濃いほどに長命とか。そして彼ら、竜の血を引く者の身体的な特徴は瞳にでるという。
アンジェリーナは思案するように小さく首をかしげた。
私やジャミル様の場合もそうだけれど魔法や血がもたらす恩恵の多くは瞳に特徴が出るのだろうか。
……ではジルベルト様の銀の瞳は?
あの研ぎ澄まされた剣の色にはどんな意味があるのだろう。そういえば聞いたことなかったな。
無意識に彼の背中を視線で追うと、風に煽られてアンジェリーナの手元の資料がバサリと音を立てた。
っと、いけない。集中、集中。
アンジェリーナは手元に視線を戻した。
王都ディーラドゥンは王城を中心として放射線状に道路が整備されて取り巻くように居住区がある。王城に近いところに貴族の居住区があり、次いで商人や職人の居住区が。そしていくつかの区画にわかれて平民の居住区があり、移民も多く暮らしている。
特産品は雨の少ない乾いた土地でも育つ綿花に、果物。それから香辛料に使われる上質な赤からし、スパイスにもなる黒香粒などの産地としても有名だ。
資料を読み込むアンジェリーナの手元に翼を広げたような影が落ちて、翼をはためかせる音がした。
導かれるように見上げると、上空を竜騎士の操る騎竜が飛んでいる。
アンジェリーナは手元の資料に視線を落とした。
竜と契約を結んだ選ばれし騎士だけが竜騎士と呼ばれるのか。
騎士であれば誰でも竜騎士になれるわけではない。現在、この国で竜騎士は王を筆頭として四名。
意外と少ないのだな。
ただ竜を戦力として数えたとき、数が少なくても決して侮ることはできない。
竜の翼の動きに合わせて風が起き、細かい砂が舞う。砂を吸い込まないようにアンジェリーナは首に巻いた布の端で口元を覆った。
竜騎士と騎竜。そしてこの砂埃が竜王国の名物らしい。
本当、現地に行かないとわからないこともあるのね。
スワラティ竜王国に行くならば旅装はフードのあるローブでないとダメと言われている理由の一つがこれだ。強い日差しを避けるためだけでなく、フードがあれば風に乗って運ばれてくる砂避けにも使える。
アンジェリーナは風が止んだのを確認して口元を覆った布を外した。ほっと息を吐いて顔を上げると、同じようにフードを被り布で口元を覆っていたジルベルト様と視線が合う。
彼の口元がふっとゆるんで伸びた指先がアンジェリーナの頬へと触れた。
「アンジュ、ここに砂がついている」
「あれ、そうですか?」
いつのまにか吹きつけた砂の跡が残っていたらしい。
気がつかなかった。あわてて頬を布で擦ると、眉を寄せた彼の手が布の端をつかんだ。
どうしたのかしら?
小さく首をかしげるとアンジェリーナの手からするりと布が抜ける。
「私がやる。いくら柔らかい布でも、そんな強く擦ると肌に傷がつくだろう」
向かい合わせに立ったジルベルト様はアンジェリーナの顎の下に指を添えて軽く上向かせる。
「このまま動くなよ」
真剣な眼差しと、ほんの少しだけ強引な口調にドキッとした。
ジルベルト様はローブの奥をのぞき込んで頬についた砂を布で優しく払う。慎重な手つきと間近にある端正な顔立ちにアンジェリーナの心拍数がどんどん上がっていく。
この体勢、とにかく心臓に悪いわ。
日差しのまぶしさにセザイア帝国でのあれこれを思い出して、アンジェリーナはついに頬を赤くする。ジルベルト様は手袋を外して、砂が落ちたことを確かめるため頬に触れた。
「よかった、きれいに取れたな」
ほっとしたような声がして、添えていた手が滑るようにアンジェリーナの首筋をなでる。
ひんやりとした手の感触にアンジェリーナはローブの内側で固まった。
「どうした?」
「あっいえ、なんでもありません」
ジルベルト様は気がついているのだろうか。
セザイア帝国にいたときよりも明らかに接触が増えていることを。
探るように視線を上げるとニヤリと彼の口角が上がってアンジェリーナはグッと言葉につまった。
「もしかして何か期待した?」
この表情。ええ、けっこうな割合で確信犯でしたよ!
こうして触れながら彼なりに距離を測っているようにも思える。
今までだってこんなふうに触れることもあったし、リゾルド=ロバルディア王国ではジルベルト様を襲っ……言い方が良くないわね。魔法のせいにして頬に口づけたり、セザイア帝国では逆に彼から襲わ……おっと、船縁に追い込まれもしましたが。
そう、距離が近いなんていまさらだ。
真っ赤な顔をしたアンジェリーナは深々と息を吐いた。
でもね、いろいろ意識してしまうとどうにも気恥ずかしいのよ!
無駄に意識してはセザイア帝国のときのようにジルベルト様を喜ばせるだけだ。
平常心よ、平常心。これからお仕事なのだから。
ジルベルト様はアンジェリーナの葛藤に気がついて……いるのだろうなー、ローブ越しにさらっと頭をなでて視線を転送機に向けた。
「それにしても遅いな。伝言を残すくらいだからと急いで来たのに」
「うーん、どうしたのでしょうね」
「たしかにせっかちな性格だが、それにしてもここまであわてているのは珍しい」
口調は咎めているようでもジルベルト様の表情は明らかに心配している顔だ。
依頼主の名はアレスティオ=スワラティ第三王子殿下。
当初は日を改めて、王都にある公館で会う予定になっていた。ところが検問所でジルベルト様が身分証を見せたら兵士に伝言があると走り書きの紙を渡されたのだ。
そのときの様子では相当急いでいたらしい。
今は王都から離れた場所に広がる砂漠に程近い転送機前で、彼の到着を待っているところだ。
背後からざくざくと砂を踏む音がして振り向くと隊商から情報を仕入れてきたらしいジャミル様が戻ってくる。
「どうやら付近で魔物が出たみたいですね」
「魔物ということは、もしかして砂漠に生息する種ですか!」
砂漠にのみ棲息するという希少な魔獣や魔物。アンジェリーナは実物をまだ見たことがなかった。
「しかもここからほど近い場所に出現したようで討伐に向かう兵士達の姿を目撃したそうです」
「では間違いなくその中にいるな」
ジルベルト様は納得した様子でうなずいた。
第三王子殿下は国内を荒らす魔物や魔獣を討伐する役目に就いているそうだ。リゾルド=ロバルディア王国では魔の巣窟を管理するジルベルト様も同じような立場だったので状況は理解できるのだろう。
もう少し待つことになりそうだ。アンジェリーナは再び手元の資料をめくる。
砂漠に棲息する魔獣や魔物について。強い日差しに焼かれて肌の色が濃く、乾燥から守るために皮が厚い。それに少ない餌を確実に捕獲するため罠を張ることもあり、賢く狡猾だ。
翼ある種は砂嵐に紛れ上空の死角から獲物を襲い、虫類は砂に潜って姿を隠す。
強力なうえに、天然の要塞である砂漠を有効活用するから討伐も難度が高いのだとか。
アンジェリーナは砂のせいで濁ってしまった空を見上げた。
経験値のないアンジェリーナにとって魔のつくものよりも砂嵐や砂漠のほうが厄介かもしれない。
たとえば砂で視界が閉ざされたとき、彼らはどうやって戦うのだろう。
私なら、どう戦う?
そう思ったときだ、背後からあわただしく走る音と声がしてアンジェリーナは振り向いた。
「すまない、待たせて悪かった!」
「ようやく来たな。アンジュ、彼が依頼人だ」
息を切らして走ってきた彼は、太陽を背にして立っていた。
そのせいで余計に長く影が落ちて、アンジェリーナは呆然と見上げたまま目を丸くする。
うわ、大きな人だなー!
これが第一印象。ジルベルト様も身長が高いけれど、それよりも頭一つ分くらい背が高いのではないだろうか。日焼けした肌に、体つきもがっしりしていて、服の上からでも筋肉質だということがわかる。短く切った髪は赤みを帯びた茶色、光に透けているせいか元々色素が薄いのかわからないが毛先は金色に近い。
彼は豊かに波打つ髪についた砂を軽く払って口元を覆う布を外した。
「アレスティオ=スワラティだ。ここまで待たせたうえに、重ねて申し訳ないが魔物との戦闘で部下が深い傷を負った。彼らの治療を優先させてもらいたい」
「もちろん、こちらはかまわないが」
ジルベルト様が答えると彼は眉を下げる。
「しかも聖水が足りない。この辺りで売っている商人がいればいいが」
「魔物に噛まれた傷なら私が手当てしましょうか?」
人命救助が最優先、どこの国でも緊急事態は不敬罪免除のはず。
話をさえぎってアンジェリーナはひらりと手を振った。
アレスティオ第三王子殿下……うん、長いから王子殿下でいいか。
彼は目を保護するため樹脂で側面を覆った道具――――ゴーグルと呼ぶ魔道具らしいが、それを装着したまま体の向きを変えた。そして訝しげな表情で首をかしげる。
「お嬢さんは治療師か?」
「そのようなものです!」
「……そのようなもの?」
胸を張って答えると、途端に彼は胡散臭いものを見たという顔をする。
だって対魔特化であるアンジェリーナの刻戻しの魔法は一般的な治癒とは違う。魔に侵されて赤紫色に変色した傷は治せるが、裂傷や打撲など普通の傷は治せません。
するとアンジェリーナの隣でジルベルト様が深々と息を吐いた。
「やればちゃんとできるのに、どうしてそういう軽い言い方しかできないのだろうな!」
「それは後から文句を言われないためです!」
「とまあ、性格はアレだが魔物の傷を治す腕はたしかだ」
いいのですよジルベルト様、アレだなんて濁さなくても。
図々しいとふてぶてしいは隠していません!
「それでお嬢さんの名前は?」
「はじめてお目にかかります、アンジェリーナです」
「ああ、噂の。元魔除けの聖女で、ジルの恋人か」
恋人、その言葉に反応して顔を上げるとジルベルト様と目が合った。
まるで計ったかのようなタイミングの良さにアンジェリーナの顔がぶわりと赤くなる。
すると視界の端にいた王子殿下の口角が一気に引き上がった。
「おー、初々しいな!」
「やめてくれ、彼女が困っているじゃないか」
苦い顔をしたジルベルト様に王子殿下は小さく笑うと再び真面目な顔をした。
「怪我人の数も多いし、重症者もいる。それでも任せて大丈夫か?」
「もちろんです」
アンジェリーナがそう答えると同時に、彼の背後にある転送機から負傷した兵士が次々と姿を現した。大なり小なり誰もが怪我を負っているようだ。それに毒を受けたのか、幻覚を見ているようにぼんやりとして顔色が悪い兵士もいる。ひどく傷ついた彼らの姿にざわりと周囲の住民が騒ぎ出した。
ぱっと見でもわかる、これはたしかに最優先事項だな。
ジャミル様に視線を向けると彼は小さくうなずいて荷物から霊薬を取り出した。
「外傷は小さく、毒や状態異常のある方にはこれを服用させてください」
「それは?」
「魔除けの聖女特製霊薬です。効果効能については特級商人である私が保証します」
「特級商人、あなたが?」
目を見開いた王子殿下に懐からセザイア金貨の許可証をのぞかせてジャミル様は微笑みを浮かべる。
そしていつもアンジェリーナがするように霊薬の瓶を王子殿下の手のひらにざらりと置いた。
さて、アンジェリーナに代わってジャミル様が霊薬を提供する理由とは?
ついにジャミル様はリゾルド=ロバルディア王国と契約を結んで霊薬を販売する権利を獲得したそうだ。これからは他国に配分するとき、アンジェリーナが直接配るのではなく彼が窓口となる。
どんなふうにフェレス隊長を説得したのか詳しくは聞いていないけれど、ジルベルト様が「まあまあ及第点だ」と言っていたので条件は悪くないのだろう。
アンジェリーナは資料をジャミル様に返すとジルベルト様の背後について兵士達のいるほうへと歩き出す。
「重症者は直接私が治しますので教えてくださいな」
「直接治す、というのは?」
「完治の困難な咬傷でも赤紫色に変色した傷ならできますよ」
「聖水は使わないということか? なぜだ、普通は聖水なしでは治療できないだろう?」
問い詰めるような口調で話す王子殿下の肩をジルベルト様が軽く叩いた。
「魔除けの力は規格外なんだ。彼女に常識は通用しない」
「だが」
「魔に侵された傷を治すことに関してアンジュの右に出る者はいない。任せて大丈夫だ」
積み重ねた信頼のおかげかな、ジルベルト様の言葉が力強い。
背中越しにアンジェリーナはにっこりと笑った。
運び込まれる怪我人が増えて周囲の人間がさらに浮き足立った。あわただしく布を敷き、テントが置かれて簡易の救護所のような場所が出来上がる。
覚悟を決めたように王子殿下は息を吐く。
「わかった、やり方はアンジェリーナ嬢に任せる。彼らを助けてほしい」
「もちろん、お引き受けしましょう」
「怪我の程度を仕分けるのは俺がやるからジルも手伝ってくれ」
「了解。アンジュは重傷者を、ジャミルは残った者に霊薬を配ってくれ」
「承知しました。ちょうど仕入れたばかりのヴェルニローザ呪王国の再生薬もあるし、彼らは運がいいですね」
商人の顔でつぶやいたジャミル様にアンジェリーナは目を丸くする。
欠損すら補うと評判の再生薬は滅多に手に入らない希少品。
さすが特級商人、品揃えが違う。ただものすごく高価だけれど払えるのかしら?
アンジェリーナの希望により、緊急事態において霊薬は無償で提供する。一度使えば効果がわかるから、次回からはジャミル様に直接注文が入ることになる。
そしてそれ以外にこの場で使った治癒薬や回復薬はジャミル様が対価を請求するのだとか。
「無償で提供させておいて、頼んでないから代金払いませんという人はいないのですか?」
「もちろんいます。ただ、そういうことができるのは商人を敵に回す恐ろしさを知らないからですよ。特級商人の情報網で流せばあっという間に各国へと広まって、物を売ってくれる商人はいなくなります。それ以外にも打つ手はありますが、まあ日頃の行いは大事ということですね」
魔王の代理、降臨。鉄板の無表情が一層不安にさせますね。
ジャミル様から視線をそらしたところで、ジルベルト様が兵士の肩を担いだ。
「アンジュ、こっちだ急げ!」
「はい!」
煽るような風にフードが外れて黒髪が舞い、刺すような日差しに紫水晶色の瞳が煌めいた。
よし、ここからは手加減なしだ!