軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十四話 そして、これからも新たな世界へと繋がっていくことでしょう

岩に打ちつける海の水がザザッと激しい音を立てた。

浮きから魔力を注ぎつつ、魔力だまりの観察を続けて三ヶ月。

本日も魔力だまりから魔物の生まれる気配はなしと。

「終わりましたよー!」

浜辺に立つアンジェリーナの突き上げた拳が天を貫く。この開放感、ようやく任務完了です!

時間が経てば力を失った魔道具はただの碇に戻る。やがて魔物が増え始めたら、そこから先はセザイア帝国の兵士達の出番。試行錯誤した案を活かして自分達に合うやり方で対処することになる。

さあ、次の国に向けて出発だ!

仕事が終わればすぐにセザイア帝国を後にする。もともと魔力だまりを巡るために他国へと移動するつもりだったので、これも予定どおりということです。

紫色のローブから雨具に着替えて、アンジェリーナは天を仰いだ。

「ですがあいにくの雨ですねー、このところ雨が多くないですか?」

「雨季に入ったからです。雨季が終われば恵みの時期、作物が育って魔物の動きが活性化します」

「雨が増えたことで、海の水嵩も増したのですね。荒々しくて、ちょっとこわいくらいです」

「こういうときはあまり波打ち際に近づいてはいけませんよ。波に足元をすくわれると、危険ですから」

同じような雨具に身を包んだファハド先生がちょっとばかり緊張した顔でアンジェリーナに手を差し出した。

先生の言葉や態度は、まるで子供に言い聞かせているみたい……不本意だわ。

「ああ、それからシーサーペントについて一つだけお知らせしておきたいことがあります。今後のお仕事で役に立つことがあるかもしれませんので」

「何でしょう」

「シーサーペントが増えた理由です。環境のせいだけでなく、別の要因もあることもわかりました」

「別の要因ですか?」

「そうです。調べたところ、シーサーペントには生物界の毒が効かないということが判明しました」

海中の生き物や植物から摂取した毒を体内で無害にする器官が異常に発達していたそうだ。蓄積する毒を体外に排出して、しかも体の構造が毒の影響を受けにくくできている。

「だから毒のある蛇や魚、海藻だろうと、丸呑みして栄養とすることができたのです。そのおかげであれだけ強く大きく育ったのでしょう」

ファハド先生の言葉にアンジェリーナも目を丸くした。

「驚きましたよね、私もこんな事例を見たのは初めてです。本来なら毒のある餌を食べることで魔物だろうと毒の影響を受けるものですが、シーサーペントはそんな常識の外側にいました」

自然界にある毒をシーサーペントは無効化できる。つまり、魔法によらない毒無効ということか。

けれど唯一、魔除けの力だけはシーサーペントにも解毒できなかった。自然界にある毒と魔除けの力がもたらす毒は効果は似ているが非なるものということらしい。

だから魔除けの力は人を傷つけない。

やはり世界は面白い、知らないことに気づかされるばかりだ。

「それでは貴重な情報をいただいたお礼に、私も先生に一つだけお教えしましょう」

「おや、何でしょうか?」

「シーサーペントの行方です、気になりませんか?」

ファハドは息を呑んだ。

セザイア帝国の誰もがシーサーペントは彼女によってすべて狩り尽くされたと思っていた。

そんなこと、誰も言っていないのにね!

内緒話をするように、ずるくて嘘つきなアンジェリーナは声をひそめる。

「私ね、大海蛇を選んで狩ることは皇太子殿下とお約束しましたが根絶やしにするとは言っていないのですよ」

「何と、それでは……」

「残った一握りのシーサーペントは元いた海域にお返ししました。はるか彼方にある、誰の手も届かない秘境が彼らの本来の棲家のようですよ。今後は人の目に触れるところへ姿を現すでないとよくよく言い聞かせておきましたから、もう二度とお手を煩わせることはないはずです」

よくよく言い聞かせたなんて、どうやった?

そんなことができるなんて、まるで本当に魔物を管理しているようではないか。

「魔のつく彼らも海の生き物です。人間側の都合だけで絶やして良しとする理由にはなりません。誰が何と言おうが、私はそれを許してはいけないのです」

すべては世界の均衡を保つため。誰の目にも触れなければ、いるかいないかなんてわからない。

さて、シーサーペントをわざと逃した魔除けの聖女は無能で役立たずと呼ばれてしまうのか!

「未来は誰にもわからないものです」

アンジェリーナは謎めいた顔でふふっと笑った。

「彼らは再び伝説となるでしょう。人の手が及ばない場所で静かに生を謳歌する」

それが彼らにとっても幸せなのです。

そうつぶやいてアンジェリーナは微笑んだ。

ファハドは呆気に取られた顔で深々と息を吐く。

まさか国相手に堂々と謀る人間がいるとは思わなかった。

これでは危なっかしくてジルベルト殿やリゾルド=ロバルディア王国が躍起になって守ろうとするわけだ。

……私、こう見えても元王弟なんですがねぇ。

元の身分を知らないからか、それとも知っていながらあえて教えたのか。それはわからないけれど。

ほんのわずかな時間、魔物に自由を与えただけ。それで人の心が守られるのなら私はそうする。

一歩間違えたら立場が危うくなるような相手にこの話をしたのも、ただただファハドの心を守るために。

守ろうとする人の心に、アンジェリーナ嬢は自らを含んでいないのか。

だから鮮烈で、危うく人々の目には映る。

絶滅危惧種、ファハドの目に今や彼女はそう映った。

研究者が愛して、命がけで守ろうとするもの。

ならばこの秘密を一生黙っていようと心に決めた。

「アンジェリーナ嬢、また遊びにきてくださいね。セザイア帝国はあなたを歓迎します」

「ありがとうございます、ファハド先生!」

「ああ、そうだ。魔除けの聖女のお仕事に区切りがついたら、いつでも研究所で採用しますよ。海の魔物に関する研究も進みますし、大助かりです」

「そういう生き方もいいかもしれませんね、そのときはよろしくお願いします!」

ファハド先生が差し出した手を、アンジェリーナは握り返した。

ええ、国と程よい距離を保って仕事ができるのならこれ以上幸せなことはありません!

研究者に、兵士達、ラシムール公爵子息の私兵の皆様まで。

アンジェリーナはセザイア帝国の人々に手を振って別れを告げる。

「では、行こうか」

アンジェリーナはジルベルト様が差し出した手を握った。

ここまではいつもと同じ、そこに新たな仲間が加わる。

「次はスワラティ竜王国ですね、要請があったのは第三王子殿下からですか?」

「そうだ、至急アンジェリーナに頼みたい仕事があると連絡があった。ただあわてていたのか、頼みたい仕事の詳細までは記されていなかったのだが」

「お国柄か、せっかちな人が多いですからね」

ジルベルト様が困惑した顔で手に握った魔道具の手紙を揺すると、ラシムール公爵子息が心得たように苦笑いを浮かべる。

古より竜の血を受け継ぐとされる竜騎士の国。なんでも第三王子がジルベルト様と同い年で仲が良く、その伝手をたどって連絡があったとか。

「ラシムール公爵子息はスワラティ竜王国に行かれたことはありますか?」

「直接買い付けに行ったのは二回ほどですね。火山のもたらす恵みによって発展した景観の美しい場所です」

歩き出したラシムール公爵子息は、ほんの少しだけ思案してアンジェリーナに視線を向けた。

「アンジェリーナ嬢、そろそろ私のことを姓や爵位で呼ぶのはやめませんか?」

「うーん、どうしましょうね」

「身分を隠すことで後々優位に立てることもあるのです。ジルベルト殿のように名前で呼ぶ方が安全でしょう」

いくら不敬罪を免除してもらったとしてもセザイア帝国ではさすがに彼の面子に関わる。本人が良いと言っても人目もあるしとも思っていたのよね。

だがもう国は出た。ザクザクと音を立てて浜辺を歩きながらアンジェリーナは思案する。

「ではジャミル様とお呼びしますね。私はアンジェリーナと呼び捨てにしてくださいな」

「それなら私もジルベルトと呼び捨てで」

「わかりました、ジルベルトは私の名を呼ぶときも敬称はなしですよ。それからあなたは敬語を使うのもなしにしましょう。生まれ持った風格のせいか、似合わなすぎて逆に浮くのです。不審に思われるのも面倒ですし、三人のときは無理して使うことはありませんよ」

「……そうか?」

「それならジャミル様も私達に敬語を使わなくてもいいのではありません?」

「私の場合は商人として第三者と接する機会が多いので、むしろ普段からこちらのほうが都合がいいのですよ」

ふとした瞬間に敬語が出てこないのは困るから。そこまで言われてしまえば、これ以上抵抗するのは無理だ。ジルベルト様と二人揃ってうなずくと、ラシムール公爵子息――――ジャミル様か、彼は真顔のまま、しれっとこんなことまで言い出した。

「それにお二人が目立ってくれると私が陰で動きやすいのです」

何する気だ、この人。冗談、それとも本気?

明後日の方向に視線を泳がせたジルベルト様にアンジェリーナはそっとささやいた。

「フェレス隊長は何て言っていました?」

「好き勝手させないように、人を遣ってこっそり監視するそうだ」

そしてジャミル様はきっと監視の目があることも織り込んで行動するのだろう。

コワイワー、ついに情報戦まで始まってしまった!

都合の悪いことは全部聞かなかったことにしてアンジェリーナは砂浜を突き進む。

視線の先には海があって、水際のところどころに赤く塗られた杭が立っている。杭と杭の間には、同じように赤い紐が引かれていて、立ち入ることを禁じる看板が立っていた。

「当面は簡易的ですが、ああいうふうに立入禁止区域を設けて周辺の住民には周知することにしました」

「いいですね、あれはわかりやすいです!」

「漁師にも通達は出しているのですが、シーサーペントがいなくなったことで徐々に海の生き物が戻っています。そのせいで歯止めが効かないようなところがありまして。まあ、大人は自己責任でしょう」

「皆さん、たくましいですものね!」

しなやかで、柔軟性に富んでいて。リゾルド=ロバルディア王国に感じたものとはまた別の強さがある人達だった。歩きながら海を眺めていたアンジェリーナは、ふと立ち止まる。

「そういえば、この辺りで子供達から貝殼を買ったのですよ!」

「貝殻拾いですね、子供達にとって小遣いを稼ぐ良い手段なのですよ。私も昔よくやっていました」

「へー、ジャミル様に貝殻を拾うような子供時代があったことなんて想像ができませんねー!」

「どれだけ失礼な人ですか、あなたは!」

軽やかに笑うアンジェリーナはいそいそと鞄から貝殻を取り出した。

「これですよ、きれいでしょうー! ジルベルト様に買ってもらったのです!」

誇らしげに目の前で掲げる。

子供が宝物を自慢するような顔だと、ジルベルトは小さく口角を上げる。

「ちなみにおいくらだったのですか?」

「石貨二枚だ」

「なるほど、それはいい男だ」

ジャミルはジルベルトをからかうように横目で見た。彼の言葉はアンジェリーナには届いていないらしい。先頭に立って歩きながら、滑らかな殻が雨粒を弾く様子に見惚れている。少し離れて歩きながらジャミルはジルベルトにだけ聞こえる距離で話しかけた。

「盛大にぼったくられましたね。土産物屋ならば籠で石貨一枚です」

「贈り物なのに値切れるか」

「でしょうね、あなたなら相場をご存じと思っていましたから。ですからセザイア帝国の商人は、相場を知っていながら高い値段で買ってくれた男性にからかいと称賛の意を込めてこう言うのです」

い(・) い(・) 男(・) だ(・) ね(・) 、と。

ジルベルトは顔を顰めた。言葉でうまく取り繕っているだけで、手玉に取られたようにしか思えない。

「子供にまでそう言われた。本当にセザイア商人は油断できない」

「光栄なことだ、我々には褒められているようにしか聞こえませんね」

不敵な微笑みを浮かべながらジャミルは言い放った。

どこか挑むような顔にジルベルトは眉をひそめる。

妙に吹っ切れた態度が気に入らない。誰か自覚させて煽った奴がいるな。

何も知らないアンジェリーナが無邪気な顔で振り向いた。

「お二人とも、分かれ道が見えてきましたよ!」

「アンジェリーナはどっちがスワラティ竜王国に行く道だと思う?」

「んー、たぶんこっちですね。燃えるような魔力だまりの気配がします」

スワラティ竜王国には火山があると聞く。

火の気が強いから、きっと魔力だまりにもそういう質のある魔力が集まるはずだ。

「どういう理屈か、ときどき当てるから逆に困るな」

さすが魔のつく分野では最強だとジルベルトは隣に並んで手を引いた。

アンジェリーナは幸せそうにふふっと笑って身を寄せる。

「わざと見せつけているのかな、甘過ぎて吐きそうだ」

背後を歩きながら、ジャミルは自嘲した。

ここに割って入ろうというのだから我ながら物好きが過ぎる。

ただどれほど防御しているつもりでも人間誰しも隙はできる、そのことを自分はよく知っていた。

だって欲しいじゃないか。

唯一無二、魔除けの力を持つ聖女。

貝殻拾いの少年のように、たった一つしかないからこそどうしても欲しくなる。

まずは様子見、お手並み拝見というところですね。

「ジャミル様、のんびりしていると置いていきますよー!」

アンジェリーナの指す先には険しい山岳地帯が広がっていて、越えた先に目的地はある。

さて、山岳地帯ではどんな珍しい素材が手に入るのだろう。

魔除けの聖女であるアンジェリーナといれば高確率で貴重な品が手に入るのだ、逃す手はなかった。

やはり、商いが一番面白いな。

彼女と知り合ったことで、人生の選択肢が広がったことは僥倖だ。

「あ、もうすぐ雨が止みそうです」

「国境に近づいたからでしょう、ここからは少しずつ気候も変わってきます」

海鳥の鳴き声を遠くに聞きながら、アンジェリーナは険しい山並みを見上げた。

この山を越えると火の気が強くなって乾燥した空気が肌を焼くようだと言われている。

新しい国、見たことのない世界。

セザイア帝国を知って、アンジェリーナの世界はぐんと広がった。

「楽しみだな」

「ええ、本当に!」

隣に立つジルベルト様が柔らかく微笑んだ。

距離が近くなったせいか気恥ずかしいことも増えたけれど、そんな時間の積み重ねが大切な思い出となる。

雲の隙間から光が差した。天国への階段、こういうときはその先にいる大切な人を思い出す。

――――おばあさまはね、かわいいアンジュに出会えたことが一番の幸せだよ!

おばあさま、この世界はアンジュが思っていたよりもずっと懐が広いみたいです。

ありのままの私を受け入れてくれる余地はちゃんとありました、だから安心してください。

勇気を持って踏み出せば、これからも新たな世界へと繋がっていくことでしょう。