軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

6・噂の悪役令嬢、噂の毒舌令嬢の真実を知る

チェリーの魔法薬、効果はきっかり半日だった。

なんとか無事お茶会を乗り切り、翌朝、自室で目覚めたミスティアは、自分の体に戻っていることに気づいて深く安堵した。そしてチェリーの作った魔法薬の危険性を、今一度認識し直した。

(今度からは軽率に口にしないようにしないと)

髪が一本を残して抜け落ちたり、チリチリになったりしなかっただけましだが、次どうなるかは誰にもわからないのだ。

王女の情報操作によって悪役令嬢などと噂され、胸を痛めることも多かったが、今は素直にこう思える。

毒舌令嬢に比べたら、悪役令嬢の方がずっとまし。

チェリーの体にいる間、別の意味で心臓を痛め続けたこともあり、ミスティアの心は少しばかり強くなっていた。

嫌味は言うより言われる方が楽だ。

少なくともミスティアはそういうタイプの性格だったらしい。

晴々とした気持ちで支度をして登校すると、こちらも元の姿に戻ったチェリーが、ミスティアを見つけてぶんぶん手を振りながら笑顔で駆け寄って来た。

「ミスティア様! ちゃんと戻っててよかったですね!」

「ええ、本当に」

ミスティアは心の底から同意してうなずいた。

「王女様も途中で退席したし、王太子殿下も特になにも言ってこなかったってことは、気づいていなかったんですよね。つまり、お茶会大成功ですね!」

あれを大成功と呼べるチェリーの豪胆さが眩しい。歴代の辺境伯たちも、きっとこうだったのだろう。空気が読めずに、周りを引き攣らせて回ったに違いない。

「……そうね。気づかれなくて本当によかったわ」

とりあえずそれだけはよかった。

笑顔を見せるチェリーの背中に、いつの間にかそばにいたグレアムが、のしっと体重をかけてのしかかる。

「ちょっ、重い!」

「……うん。やっぱりチェリーはチェリーが一番だな」

グレアムはチェリーの髪に顔を埋めるようにして匂いを嗅いでいる。昨日は楽しそうに入れ替わったミスティアとチェリーをエスコートしていたが、あれで彼なりに気を遣ってくれていたのかもしれない。チェリーが元に戻って嬉しそうだ。

「あっ、それじゃあ、わたしはここで」

クラスが違うので途中でふたりと別れる。騎士科は棟が違うが、チェリーを教室まで送っていくのだろう。

ひとり廊下を歩きながら、普段なら聞きたくもない令嬢たちのひそひそ話に耳が傾き傷ついていたミスティアも、今日はなぜだか気にならない。

一度チェリーが入ったことで、この心臓が鋼のような強度を得て、ちょっとやそっとのことでは動じなくなったのかもしれない。

胸を押さえながらそんなことを考えていると、めずらしく王女を連れていないフェリクスと行き合った。

「今、少しいい?」

始業時間にはまだ余裕はある。こくりとうなずき、場所を移動した。学院の西側にある人気の少ない東屋で、ミスティアが腰を下ろすと、なぜかフェリクスが隣に座り、こちらへと身を乗り出すように顔を覗き込んできた。

「あの……殿下?」

探るような眼差しのフェリクスはミスティアの頬に触れる。冷たい指の感触に驚いて、ミスティアは身じろいだ。

「どうかされたのですか……?」

「……いや、なんでもない」

彼は一転、にっこりとして身を離す。普段と変わらない表情を取り繕ってはいるが、どこか機嫌がよさそうに見えるのは、幼い頃から彼のことをよく見てきたからかもしれない。

(なにかいいことでもあったのかしら……?)

機嫌が悪いわけではないのでいいかと、戸惑いつつも、ミスティアから水を向けた。

「わたしになにか、用があったのではないですか?」

「ああ。王女殿下が急遽国に帰ることになってね。その報告に」

「えっ?」

「やはり魔物の脅威と隣り合わせの我が国では、安心して暮らすことができないらしい」

昨日のお茶会、フェリクスが妙に食いついてきたせいで、本当に最後の最後まで魔物談義だった。その間ずっと王女は青い顔をして震えていたが、フェリクスもチェリーもグレアムも、彼女の様子を気にかけることはなく。ミスティアも魔物に関しての知識をチェリーのふりをして披露することに必死で、彼女のことを気にする余裕すらもなかった。

とある魔物の内臓は薬になる、こうやって腹を掻っ捌いて……というグレアムの実演有りの話あたりで、ミスティアも意識を飛ばしたくなったが、チェリーの体はどこまでも健勝だった。吐き気を催して席を辞した王女を少し羨ましく思ったほどだ。

「頭ではわかっていても、きちんと理解できていなかったらしい。この国が、いつ魔物に蹂躙されてもおかしくない薄氷の上にどうにか成り立っているということを」

魔物は望まぬ隣人。もし関わり合いにならなくていいのなら、それに越したことはない。安全な祖国で暮らせる彼女が、わざわざ魔物に脅かされる危険のあるこの国に身を置く必要はない。

「薄氷……でしょうか?」

ミスティアが小首を傾げながらつぶやくと、フェリクスが怪訝そうな目でこちらを見た。

「薄いと思って油断して踏み抜いたが最後、冷たい氷水の中へと引き摺り込まれるような……そんな氷だと思うのですが」

チェリーたちを見ていてそう感じたのだ。彼らならきっと、転んでもただでは起き上がらないだろう、と。

敵の数の方が圧倒的に多い以上、確かに魔物が侵入して来ることは多々あり、ガラカラスのようにカラスの群れに馴染んでいる魔物すらいるが、被害報告は毎年想定される件数を下回る。これほど数の利で負けているのにだ。

たとえ迎え打つ人数は少なくとも、ひとりひとりの実力は折り紙つき。

チェリーに関してはよくわからないが、グレアムなど、油断してかかればその油断を逆手に取って笑いながら相手をねじ伏せるような気質だろう。

騎士科のトップはみな辺境出身者だ。学生でこれならば、現役で辺境で戦っている騎士らはどれほどのものなのか。

「氷が薄いことも計算のうち、か」

不利を逆手に取って圧倒する。それこそ辺境伯の手腕なのではないだろうか。

「辺境伯だけに任せず、そういう国にするためにどう支援すべきか、王族としてもっと考えろという遠回しな叱咤かな?」

「そういうわけでは……知ったようなことを言ってしまい、申し訳ありません」

「いや、いいよ。国防は今、辺境伯に頼り切りなのはその通りだから」

「……ええ。だからこそ、彼らを後方支援しつつ、それ以外の分野でも、この国のためになにかできることがあれば、わたしもお力になりたいと思っております」

ミスティアは実際に魔物を討伐することはできない。

それでも、この国のために、できることがあるはずだ。

今さらこんな当たり前のことを言って呆れられているのではと不安に思っていると、フェリクスの手がミスティアの手に触れ、そっと重ねられた。

「それなら、手を貸してくれる? この先もずっと、私の隣で」

はっとして顔を上げると、フェリクスが優しい微笑みでミスティアを見つめていた。

「わたしでよければ、喜んで」

彼がミスティアの手の甲に口づけを落とすと、胸が歓喜し高鳴った。

どれだけ自分の心が傷つこうと、彼の幸せがミスティアの幸せだ。そのために身を引こうとしていたほど、ミスティアの初恋は色褪せることなく 胸(ここ) にある。

彼が望んでくれるのなら、隣にいるにふさわしくあろうと決めていた。

逃げも隠れもせず、堂々と、胸を張って。

「お慕いしております……フェリクス様」

ミスティアの気持ちなど、とっくに承知だと思っていたが、フェリクスは驚いたように目を見張っている。

思えばこうして想いを口にしたのは、はじめてだったかもしれない。

年相応に瞳を揺らして動揺するフェリクスだったが、咳払いひとつで落ち着かせると、壊れものを扱うような慎重さでミスティアを抱き寄せた。

「……ありがとう、ミスティア」

寂しい思いをさせてごめん、と、彼はミスティアの耳にだけ届く声音で囁いた。

彼は王太子だ。学院にいてもきっと常時王家の影に監視されている。

思えばいつも、肝心なことはなにも言ってはくれなかった。

だけど会えばいつも、こうして家族のように抱擁してくれていた。言葉で伝える代わりに。

これが親愛の情でもいい。

この先も愛する人の隣にいることを許されたことが、ミスティアにはなにより嬉しかった。

グレアムを背中に貼りつけたまま、チェリーは教室へと向かっていると、

「チェリー」

「なに?」

「キスしたい。していい?」

「だめに決まってるでしょう!?」

真っ赤になって背中のグレアムを振り払うと、あはは、と笑ってすんなりと離れた。

「よかった、いつものチェリーで」

「えぇ? 今はもう入れ替わってないよ?」

チェリーの中にミスティアが入っていたときは、いつにない上品さがあったが、あれはミスティアの努力の賜物だとわかっている。体が違っても無意識に淑女らしい仕草の修正ができるところはさすがだ。なので今のチェリーは淑女らしさは皆無である。

「うーん、それはわかるけど。でも、なんかちょっと当たりが優しくなった? ような気がする」

「え? そう……?」

「前ならくっついてるとき、嫌そうな顔してすぐ離れようとしてたけど、今日はそんなことないし。また別人が入ってるとはさすがに思わないけど、調子悪いのかなとは思った」

どうやらグレアムはチェリーの体調を心配してくれていたらしい。イレギュラーで生み出された魔法薬なので、思いもよらない副作用がないとは言い切れないことに思い至った。

グレアムはチェリーとミスティアが入れ替わっていることにすぐに気づいてくれた。それだけ普段からチェリーのことをよく見ているということだ。彼に隠し事をしても無駄だと思ったら、胸のうちを吐露していた。

「……ミスティア様と入れ替わってね、人間って、本当に感情が体と直結してるんだなぁ、って思ったんだよね」

「そりゃあ、心と体は密接に繋がってるって聞くし、そうなんじゃん?」

「……うん。なんかね? 中身が入れ替わってても、体って慣れ親しんだ反応をするみたいなんだよね。わたしは殿下のこと、全然好みでもないし、なんとも思ってないのに、目が合うとミスティア様の心臓が、きゅ、って苦しくなるの」

「……へぇ」

グレアムの相槌がワントーン下がったが、構わず続けた。

「それで、思った」

「……なにを?」

「片想い、しんどい」

「……は?」

「わたしには、絶対、無理!」

実感のこもったチェリーの重々しい言葉に、不機嫌になりかけていたグレアムが反射的に身を引いた。めずらしく不満よりも戸惑いが勝ったらしい。

「お、おお……?」

「心臓に負荷がかかったあの状態で、文句も言わずに耐え続けるとか、拷問じゃん。ミスティア様が不憫過ぎてつらかった……!」

「拷問って。耐性なさ過ぎ」

グレアムが、ははっ、と笑うが、チェリーにとっては笑い話ではなかったのだ。演技している間は必死でそれどころではなかったが、自室に戻ってからも痛む胸に、こんなつらい恋はしたくないと本気で思った。

「それでね? グレアムには、そんなつらい思いさせられたことがないなって、改めて気づいて。……それって、わたしが不安になったりしないように、グレアムがそうしてくれてるからなんだよね? ほかの人に目移りせずにいてくれるのを、なんか、当たり前みたいに思ってた。……ごめん」

好意の上であぐらをかいていたのは、チェリーだったのだ。べたべたしつこくて鬱陶しいとさえ思っていた。なんて薄情な人間だろう。

なぜ自分が選ぶ方だと思っていられたのか。見限られて泣くのはチェリーなのに。

グレアムは執着が激しいが、熱しやすく冷めやすいので、切るときは容赦なく切り捨てる。なぜ自分だけはそうならないと、あれほど自信を持てていたのか。自信過剰にもほどがある。

「別に謝られることじゃないし。俺、こういう性格だから、婚約者でも気に入らない相手だったら普通に無視してたけど?」

そうだろうなとチェリーも思う。そしてなぜここまで執着されているのかは未だに謎だ。

「そういえば……顔合わせのときは興味なさそうにしてたよね? 目も合わせてくれなかったし、実はわたしの見た目はあんまり好みじゃないんでしょう?」

チェリーもチェリーで、幼過ぎて婚約者の意味を理解できていたかは怪しいが。

「いや? 今はチェリーがチェリーなだけで好みでしかないし」

ぎゅっと正面から抱きしめられて、抵抗せずに受け入れると、ご機嫌になったグレアムによしよしと髪を撫でられた。人が受け入れた途端子供扱いになるのはなぜなのか。

「あの頃はなー、なんでこんなガキのお守りしないといけねぇんだよって、不貞腐れてたから態度悪かったのかも」

「ひどい! ガキって、同じ年じゃん!」

子供の頃は身長だってさほど変わらなかったのに。

チェリーは頰を膨らませてグレアムの胸を押しやったが、それさえもどこか嬉しげだ。

「だったらいつ、わたしのことを好きになったの?」

「ふたりで魔物狩りに出かけたとき」

「……えぇ? それ、いつのこと? 会えばいつも魔物狩りしてたじゃん」

グレアムとの外出デートは健全に魔物狩りだった。

もちろんお部屋デートは健全とは程遠いものだったが。

「あー、チェリーは覚えてないかも。子供じゃ、ちょっと相手するのに骨の折れる魔物が出てさぁ。今思うとめちゃくちゃダサいけど、チェリーを生贄にして安全圏に退避したことがあって」

「ふうん、そうなんだ」

別に怒ることではないので普通に相槌を打つと、グレアムはくつくつと笑い出した。

「そういうとこ、ほんと好き」

「えぇ? どういうとこ……?」

具体的に言ってくれないとわからないのだが。

「そのときもさ、怒るでもなく、『あー、グレたんいたー』って、かくれんぼでもしてたのかよってくらいのんきに俺を見つけて笑ったんだよ。自分は傷だらけで、見るからにぼろぼろだったのに」

「そうだった……?」

「そんな状況のくせに、左手ではちゃっかり魔物の鱗を持ってるし」

「あー……」

魔物狩りに出かけているのに、狩らずに帰るという選択肢があるのだろうか。いいや、ない。

正々堂々戦って負けるのならいざ知らず、逃げて敗北は恥だと思っていたのだ。

「そのとき、思った」

「好きって?」

「うわぁ、こいつめっちゃアホだな、って」

「失礼過ぎない!?」

それのどこが好きになった理由なのだ。

「こんなおもしろいやつほかにいないだろうし、幸い婚約者だし? 絶対俺のにしよって、あのとき決めた」

「……別にグレアムのじゃないし!」

不貞腐れてそっぽを向くと、グレアムはにやにや含み笑いをしながら言う。

「でもチェリーって、俺のこと結構好きじゃん?」

「え?」

「婚約解消したいって言ってたのも、俺への当てつけだってわかってるし。ほかの男と結婚したいとかだったらどうしてやろうかと思ったけど、そうじゃないから」

「当てつけじゃないもん」

「ふうん? じゃあ聞くけど、俺以外の誰かに、背中預けられるのかよ?」

「グレアム以外の、誰かに……?」

「辺境伯はなしで」

父の場合、背中を預ける以前の問題だ。同じ土俵に立てるとは思っていない。チェリーなど、足手纏いにしかならないだろう。背中を預けるには、対等な立場でなければ成り立たないのだ。

「グレアム以外……?」

「いる?」

「……いない、かも」

いなかった。グレアム以外の誰かに背中を預けて戦っている自分の想像ができない。

グレアムと結婚できなければ誰とも結婚できないかもしれないということに、チェリーはようやく気づいて絶句した。

チェリーは他人から好かれるタイプではなく、グレアム以外の男性に、異性として見られたことさえない。そうでなくとも毒舌令嬢などと呼ばれているチェリーに誰が近づくというのか。

辺境伯を継ぐ者として婿取りは必須。

(グレアムを逃したら、もしかすると、もう後がない……?)

なにより、グレアムと魔物狩りに一緒に行けないのはつらい。

「ま、チェリーが嫌がるから人前では紳士的に振る舞ってやってもいいけど?」

「本当!?」

「その代わり、ふたりっきりのときは覚悟しろよ?」

一瞬言葉に詰まったが、人前で破廉恥なことをされるよりは、人のいないところで破廉恥なことをされる方が精神的にずっとましなのだ。

「う、うん…………いいよ」

恥じらいつつ、ちょっと目を逸らしながらも素直に答えたチェリーに、グレアムが軽く目を見張る。そしてにやける口元を手で覆った。

「あー……しんどっ。空き教室とかで色々やりてぇ」

「ちょ、ちょっとぉ!? 初夜の約束だけは守ってよね!」

「ふはっ、冗談だって。清らかなチェリーを堪能できるのは今だけだし。存分に堪能させてもらうわ」

不意打ちで頬にキスされたチェリーは、キスされた頬を押さえて戦慄いた。

恥ずかしいとは思うものの、嫌だと思わないことに気づいて、今度こそさくらんぼのように真っ赤になったのだった。

授業を終えて放課後、久しぶりに教室まで迎えに来てくれたフェリクスに、ミスティアは心に花を咲かせながらも、淑女らしさを保ちながら近寄った。

王女の取り巻きになっていた令嬢たちも、切り替えが早いので明日にはミスティアに媚を売って来そうだ。嘆息したいのを堪えて、フェリクスの隣に並んで廊下を歩きはじめ、ふと気づく。

「今日、騎士科の側近の方たちは……?」

「今日は戦闘訓練の日だから、騎士科の生徒と辺境出身者は全員、そちらに行っているんじゃないかな」

「辺境出身者も、ですか?」

「……ああ、ミスティアは知らないのか。辺境出身者なら、騎士科でなくとも戦闘訓練に参加していいことになっているんだよ」

「え? それはもしかして、チェリーも……?」

「当然参加しているだろうね。なにせ辺境伯の直系だ。……おいで。訓練場は見学自由だから、その目で見て確かめればいい」

フェリクスに繋がれた手を見下ろし、頬を染めながらミスティアは訓練場へと向かった。

訓練場の観客席はまばらだが、座っているのは意外にも令嬢たちが多い。きっと騎士科の生徒の婚約者なのだろう。ミスティアはフェリクスとふたり並んで空席に腰を下ろす。

そのときちょうど、チェリーピンクのツインテールを揺らしたチェリーが訓練場の真ん中へと姿を現した。手にしているのは、小柄な彼女には合わない大剣だ。

「え? ……剣?」

訓練なので刃を潰してあるだろうが、木刀や竹刀などではなく、実戦に近い形で行われる訓練のようだ。チェリーは手に馴染むよう、重さを感じさせない軽い動きで素振りをしている。

短弓はどうしたのだろうかと疑問に思っていると、

「うちのチェリたんは、別に剣が使えないわけじゃないから。辺境の子供たちは物心つく頃には剣を握ってるって言うし」

気づくと背後の席にグレアムが座っていて、ミスティアのつぶやきに対しての答えをくれた。

そうなのかと振り返りながら耳を傾けていると、フェリクスに肩を引き寄せられてグレアムから距離を取らされる。

「……殿下?」

「気にしなくていいよ」

グレアムがにやにやしながら頬杖をつき、こちらを見下ろしてくるのでなんとなく居心地が悪い。

「彼が言うように、騎士科の訓練の基本は剣のようだね」

チェリーもそれに合わせているのだろう。

「剣が使えるなら、その腕をさらに伸ばそうとは思わなかったのかしら?」

別の武器に使い変えるということは、一からのスタートになるということだ。せっかく使い慣れた武器を途中で変えるのは効率が悪い気がするのだが。

「思わなかったんだろう。もう剣飽きたぁ、って言ってたから」

「剣って、飽きるのね……?」

そんな言葉、はじめて聞いた。

「いや? 普通は飽きたとかふざけた理由で変えたりしない。自分に合わないとかなら、全然あるけど」

「そうなのね……?」

ミスティアははじめて騎士科の訓練を見学しているため、複数人の生徒を相手に、チェリーがひとり対峙しているこの光景が正しいことなのかがわからない。

ちらっと窺ったグレアムに止める気配はなく、それどころか心底愉快そうに笑って眺めている。

そうして模擬戦開始の合図の直後、ひとりが正面からチェリーへ斬りかかった。

思わず悲鳴をあげそうになったミスティアだったが、その瞬間、普段の少し抜けたチェリーの雰囲気が空気ごとがらりと一変した。

チェリーは酷薄な、まるでグレアムのような人を小馬鹿にした嘲笑をしながら、とん、と地面を蹴ると軽々と宙を舞った。長いツインテールを、リボンのようにしなやかに踊らせながら。

「あっは! 真正面から突っ込んでくるとか、無策過ぎて失笑なんですけどぉ!」

ミスティアは、え? と思ったが、周りは驚いた様子はない。

避けられることは想定内だったのか、伏兵が宙返りするチェリーの脇腹へと攻撃を仕掛ける。

「わたしより反応速度が遅いのに、そんな単純な奇策が成功すると思ってるんですかぁ?」

空中での不安定な姿勢からの一閃。それだけで騎士科の生徒の剣が、キン、と音を立て弾き飛ばされた。

チェリーは、ズザザ……! と獣のような姿勢で地面に着地し、勢いのまま後方へと滑りながら態勢を整え、再び飛び上がる。

「あ。あれ、コットンキャンディースパイダーの動きだわ」

グレアムがそうつぶやき、フェリクスが、へぇ、と感心しているが、あまり知りたくなかった情報だった。

「そんな中途半端な一撃しか出せないとか、剣が泣いてますよ……?」

そしてチェリーは剣を弾かれ隙のできた騎士科の生徒の顔を足場にして跳ね、その勢いで切りかかってきた相手の剣を次々弾いていく。

その都度、剣を弾いた相手の顔を足蹴にしていくのは、彼女の流儀なのだろうかとミスティアが思っていると、

「あははっ、まんまコットンキャンディースパイダーでウケるんだけど」

コットンキャンディースパイダーの流儀だったらしい。嫌な戦い方だ。

そしてチェリーは美しいバックフリップを決めて、すたんと地面に降りると、背後から攻めて来た相手が剣を振り下ろす直前で素早く振り返り、その首筋へと大剣を突きつけた。

「……っ!?」

相手は振りかぶったままの姿勢で動けずにいる。自身の太刀を振り下ろすより、チェリーが頸動脈を切る方がおそらく早い。

「前衛ぶつけて、肉を切らせて骨を断つ作戦ですかぁ? それとも、単純に無策? 作戦だけ立派でも実力が伴わないんじゃ、意味ないじゃないですかぁ? 本能で動く低級の魔物だって、もっと統制されてますよ?」

騎士科の生徒たちはチェリーにまったく歯が立たずに、地面に膝をついている。その顔はどれも忌々しげにチェリーを睨みつけていた。

「そういえば、彼女の毒舌令嬢という蔑称は、騎士科の生徒たちによってつけられたものだったね」

「え?」

てっきり令嬢たちによるものなのだと思っていたが、まさか騎士科の生徒たちによる負け犬の遠吠えだったとは。

ミスティアが言葉を失っていると、後ろに座っていたグレアムがおもむろに立ち上がった。そしてのんびりと横を通り過ぎて行くと、訓練場へとすたんと降り立つ。

その瞬間、これまで以上に空気が張り詰め、生徒たちの意識は自然とそちらへと向けられた。グレアムが一目置かれているのが肌で感じられる視線が集中する。

グレアムは弾かれて地面に落ちていた剣を適当に拾って、チェリーのところまで行くと、心底楽しげに笑った。

「じゃあ次、ボス戦ね」

「いいですよ。落胆させないでください、ねっ!」

言い終わる前に、チェリーとグレアムの重たい剣戟が交じり合う。

ミスティアですら、さっきまでのはお遊びだったのがわかるほどの激しいぶつかり合い。実際チェリーは遊んでいたのだろう。コットンキャンディースパイダーの動きを真似して。

騎士科の生徒たちが侮辱されたと怒る気持ちもわからなくはない。

それにしても、チェリーもグレアムもお互いにまったく容赦がない。刃が潰してあろうが、当たれば痛いし傷もできるのだ。相手が婚約者ならば、多少手加減したりしないだろうか。

もはや戦闘訓練を超えた殺し合いに発展している。

このふたりが婚約者同士だと、誰が思うのだろうか。

騎士科の生徒たちですら、やや引き気味だ。

チェリーとグレアムの愉快そうな笑い声と、剣戟の音だけが訓練場に響き渡る。

(親しくする相手を間違えたかしら……?)

そう思わせるほど、ふたりの存在はミスティアの目にさえも異様に映ったのだった。