軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

08◇冬を拒むこと02

来るべき日に備え磨き上げたラウラの肌は白くふわふわで、香油を塗り込んだ髪はつやつやと輝いている。

一日かけて、ラウラは着飾るのだ。セルゲイもイヴァンの口車に乗せられ、ツェツィーリヤが仕立てた服を着ているだろう。

朝起きたらまずお風呂に浸かり、その間に髪の毛も洗われる。ツェツィーリヤおすすめの保水液や香水を塗り込んでペカペカの下地ができたら、乾かしてからお化粧を施していく。

ファンデーションを塗り、おしろいをはたく。淡いベージュのアイシャドウを入れてから、コーラルのチークを頬に塗る。仕上げのリップはローズピンクにすることで、可憐さを引き立てる化粧になった。

普段は鏡を見るのが好きじゃないのに、まるで自分ではないようで見てしまう。

次は髪型。丁寧に編み込まれてから後ろで一つにまとめられ、シニヨンヘアにされる。小花をかたどった硝子とパールがつけられた、繊細なメタルカチューシャを付けられ、リボンを結べば完成。

最後にドレスを着れば、鏡の前には美しい令嬢が立っていた。

メリハリの少ないラウラの体型を隠すようにパフスリーブが大きく、そこから伸びた袖が奥ゆかしさを引き立てていた。胸元からスカートが広がるエンパイアドレスは白から紫へと色を移ろえていて、アンクル丈となっている。

最後にショールを羽織ったラウラは、自分を着飾るため尽力してくれたメイドたちに心からの礼を尽くす。

「皆、本当にありがとう」

「とんでもございません、本当におきれいですよ奥様。どうか旦那様とよいパーティーを」

ラダが代表して前に出た。

「――いつも本当にありがとうね」

セルゲイはエントランスで待っているのだとか。

ラウラは期待を胸に歩き出した。

外はすっかり暗く、春といってもまだ少し肌寒かった。しかし露出が少ないせいか、思っていたよりは寒くない。ツェツィーリヤの慧眼には頭があがらない。

「セルゲイ様」

振り返ったセルゲイは、月の使者のように美しかった。

前髪は半分は後ろに撫でつけられていて、もう半分も整えられている。クリームで固めているのか、いつもより髪質が硬そうに見えた。

黒を基調とした、ラウラの目の色である青の刺繍が入ったコートを着こなしていて、弦を引き絞ったような体躯を華やかにしていた。シャツは糊でパリッとしている。首元がきつそうだった。

クラバットをとめる留め具は、星空を切り取ったように冴えわたった青で彼の白い肌をより白く見せている。

呆けてから、今日セルゲイと会うことは初めてだったことを思い出す。

「おはようござ、いえ、もうこんばんはですねセルゲイ様。私はラウラ・エルゼ・フォレスター、あなたの妻です。一緒にパーティーに行っていただけませんか?」

「美しい人、喜んで」

差し出された腕にそっと手を載せた。いつも通りのはずなのに、やけに緊張してしまう。

外に出れば、火照った頬を風が撫で、すっと背が伸びる。

馬車の扉を開けたイヴァンが、ラウラの服装を褒めてから、

「シンデレラは十二時の鐘が鳴る前に帰って来なくちゃいけませんよ」

「心配してくれているの?」

「魔法が解けたら大変ですからね」

ルラ王国でもミシェラ王国でも、子どものころに一度は聞いたことのあるおとぎ話。魔女によってドレスアップした少女が舞踏会に行き夢のような時間を過ごすけど、言いつけを忘れて帰ろうとしたところで王子様に引き留められ、魔法が解ける十二時の鐘の音を聞き、慌てて王子様と別れる。けれど落とした靴からまた見つけてもらう話。

ただの村娘が王子様に見初めてもらうという憧れの話である一方、現実をよく知っている貴族は「魔法が解けて村娘に戻ったシンデレラが、そして王子が、上手く生きていけると思うのか」とこの話を鼻で笑っている。

彼らはせせら笑う。王子様が引き留めなければ痕跡は残らず、シンデレラの魔法は真の意味では解けなかったのに、と。

「では行ってらっしゃいませ」

「あぁ、行ってくる」

「行ってきます」

二人を乗せた馬車は、舞踏会に向け走り出した。星空の中を突き進んでいく。

◇◇◇

会場に着き招待状を見せれば、大きな扉が開けられた。

ギギィ――

きらびやかな光景が飛び込んでくる。

「セルゲイ・エルゼ・フォレスター様、並びにラウラ・エルゼ・フォレスター様、ご入場です」

シャンデリアの下、合奏団の音楽に合わせ人々が踊る。アップテンポの曲が流れていて、もう少しゆったりしたテンポの曲の時に踊りたいなぁとセルゲイを見上げれば、彼も似たような表情を浮かべていた。

「……実は、剣を握ってばかりの人生だったから、あまり得意ではないんだ」

「私も仲間です、剣を握ったことはありませんが」

苦手同士ふふふと笑ってから、朝から鳥のついばみ程度しかご飯を食べていないラウラのために、軽食をとることになった。一口サイズのサンドイッチに、ピックにミニトマトとオリーブ、生ハムを刺したもの、ふわふわなオムレツ、ほうれん草とベーコンが入ったキッシュ。デザートコーナーには一口サイズのケーキがタイルのように敷き詰められていた。

そのすべてがラウラを魅了し、ほわぁと甘いため息が漏れる。このドレスの締め付けさえなければ制覇したいくらいだった。しかし今日は食い気よりも美しさを選んだのだ、後悔はない。

けれど情けなくお腹が鳴った。隣にいるセルゲイに聞こえるくらいの音量で。

耳まで真っ赤になる。

「美しいと思っていたが、ラウラはかわいい女性でもあるんだな」

セルゲイが皿を一枚取り、ラウラに差し出した。

「好きなだけ食べていい、残した分は私に任せてくれ」

「まぁ頼もしい」

「頼ってくれ、夫なのだから」

(好き……)

なんて頼もしい夫なのだ、好き。あぁ、恋とはいけない。思考が溶けてしまう。

まだ離婚したくないと言い出すには、パーティーが始まったばかりだ。口から溢れそうになる想いを、んんっと吞み込んだ。せっせと、小さなお皿に食べ物を載せていく。

砂糖で煮詰まれた苺のジャムが挟まれたサンドイッチに、ゆで卵にきざんだパセリとマヨネーズを和えたものを挟んだ、たまごサンドイッチ。鴨肉のローストを薄く切り、ブルーベリーソースをかけたものも忘れずいただく。

「……セルゲイ様。私、オリーブが苦手で。オリーブだけ食べてほしいなんて言ったら怒りますか?」

「雑草も食べさせられたことのある私にとってはごちそうだ、怒るわけない」

ぱっと口角を上げ、オリーブやミニトマトがピックに刺されたのも取る。

キッシュやオムレツも載せれば、小さな皿が埋まった。

「美味しい」

どれを食べても美味しくてにこにこしてしまう。オリーブとサンドイッチを食べたセルゲイに見守られながら食べていく。

(次はケーキにしようかな)

新たな皿を構えようとしたが、音楽が変わった。セルゲイとラウラでも踊れそうなスローテンポの曲に。

「――踊ろうか。お手をどうぞ、ラウラ」

「喜んで、セルゲイ様」

ホールの中央まで行き、体を近づけ踊る。目がくらみそうなシャンデリアの光の下で、優雅にふわふわとドレスを翻しながら。

セルゲイとラウラ。二人だけになってしまったみたいに、もう彼しか見えない。

涙が出そうな幸福があることを知った。

きらきらきら。胸元に縫い付けられたビーズが光を反射する。

踊る度に、星が宙に舞った。

息を合わせて、足を右に左に動かす。一回転すれば崩れそうになった体を、がっしりとした腕に支えられる。硬い胸板に抱き寄せられ、心拍数が上がる。

「セ、セルゲイ様」

さっきまで二人だけの世界に浸っていたのに、密着した途端、周りの視線が自分に集中しているような妄想に駆られた。

セルゲイはラウラの心境など知るはずもなく、腰を掴みぶわりと持ち上げた。ショールがふわりと浮く。

(……っ!!)

浮遊感に恐怖を感じる前に降ろされる。

足が着いた瞬間、気が抜けたのか汗が出た。

「……セルゲイ様」

「もう一回するか?」

「しません!」

じっとりと睨みつけるがセルゲイはどこ吹く風。むくれていれば、目を伏せたセルゲイが囁く。

「すまなかった。謝るから、機嫌を直してくれ。ラウラの笑顔が見たい」

「~~っあなたって人は……」

(なんてたらしなの)

あぁ、恋とはおそろしい。

「しょうがない人」

ラウラはコロッと笑みを浮かべてしまったのだから。

◇◇◇

それからも踊ったり、他の方々と談笑したり。ケーキを心行くまで堪能したり。

パーティーが始まって何時間経ったのか。

――ラウラは、視界の端、今しがた入場したであろうイヴァンを見つけた。汗を流すイヴァンは、こちらを捜しているのか険しい顔つきで周囲を見回している。

近くに立つ男爵に話しかけた。

「すみません、今は何時ですか?」

「今は……十一時半だね」

「ありがとうございます」

胸元から懐中時計を取り出した男爵は、気前よく答えてくれた。

(もうそんな時間なのね)

遅い時間だから、イヴァンが心配して来てくれたのだろう。

けれどまだ離婚したくないと言っていない。それに、この時間自体が名残惜しい。

「どうして時間を気にするんだい?」

さっきの男爵が訪ねてきた。

「実は十二時になると魔法が解けるみたいで……」

「シンデレラだったのか。それは大変だ」

魔法は解ける。あと一か月で。そうしたら、ラウラはただのラウラに戻る。

「――帰りたくないなぁ」

「帰りたくないのか?」

「え、今声に出ていましたか?」

「出ていた」

イヴァンがいる方を一瞥したセルゲイに手を引かれる。

会場のテラスを抜け、辿り着いたのは庭園だった。小さな灯りが頼りなさげにとろとろ光っている。

冷たい風が、ラウラの首元を撫で上げた。寒さに震えれば、肩にセルゲイのコートをかけられる。

「あ……ありがとうございます」

「あぁ」

迎えが来ているのに隠れる。悪いことをしているようで、良心が刺激され気まずい。

けれど同時に嬉しさも感じてしまう。

(ずっと、この時間が続けばいいのに――)

会場から音楽がこぼれてくる。

「……セルゲイ様、あなたが好きです」

目を瞬かせたセルゲイが、くしゃっと笑った。年よりも幼く見え、またきゅんとする。

「ありがとう」

ゆったりゆらゆら踊る。音楽に合わせ揺れるだけのダンスは、笑いが込み上げてくるようなおかしさがあった。

「セルゲイ様。私はあなたに出会えてよかった。最初は怖い人かもなんて思ったけれど、そうじゃないって知って、もっとあなたを知りたいと思いました。だから、私と――」

――ゴーン、ゴーン

言葉を切り裂くように、重々しい鐘の音が鳴る。

「十二時……」

鐘が鳴り続ける。

上を見上げるラウラは、セルゲイの表情の変化には気づかなかった。

ゴーン、ゴーン――

深く響く。地獄の門が開くように。

ようやく鳴り終わったころには、首が痛くなっていた。

「凄い音でしたね……――セルゲイ様?」

彼は、目を限界まで見開いていた。汗が顎を伝い、芝生に落ちる。指先が絶え間なく震えている。

「 こ(・) こ(・) は(・) 、(・) ど(・) こ(・) だ(・) ?」

目に映る景色全てを敵だと認識しているように。手負いの獣のような眼光で、光あふれる会場を睨みつけている。

「戦時中のはずなのに、なぜ私はこんなところにいる」

(セルゲイ様は、一体なにをいっているの?)

ラウラは口元に手を当て、震えることしかできない。

問いかけに聞こえたが、実際それは独り言だったのだろう。初めてラウラを映したセルゲイが、低く唸った。

遠くから、イヴァンが二人を捜す声が聞こえた。

混乱しているはずなのに、冷静に考えている自分もいる。否、それは臓腑にまで染みついた癖だったのかもしれない。

(そういえば、)

ラウラはずっと、勘違いをしていたのかもしれない。あまりにも考えが及ばなくて、そっちだとは思いもしなかったから。

「お前は誰だ」

シンデレラとは、魔法が解けてしまう者とは、誰を指していたのか。ラウラは聞きそびれていた。誰か教えてくれればよかったのに。

そしたらきっと、引き留めたりなんてしなかった。