作品タイトル不明
第712話 真の静寂と暗闇
ユグドラツィがクレーム・ド・カシスのシャーベットで目覚めた翌日。
ライトとレオニス、ラウルとマキシの四人が改めてユグドラツィのもとを訪ねていた。
『ぅぅぅ……お恥ずかしいぃぃぃぃ……』
豊かな緑溢れる枝葉をユッサユッサと揺らしながら、消え入りそうな声で呻くユグドラツィ。どうやら二度目の洋酒入りシャーベットでも見事に酔っ払ってしまったことを、とても恥じているようだ。
そんな可愛らしいユグドラツィを、ライト達は微笑みとともに眺めている。
「ツィちゃん、そんなことで今更照れることはないだろう?」
『で、でも……』
「そうだよ、ツィちゃん!ツィちゃんが目覚めてくれただけで、ぼく達はすっごく嬉しいんだから!」
『そ、そうは言ってもですね……』
「本当に、ツィちゃんは照れ屋さんですねぇ」
『マキシまで、揶揄わないでください……』
皆が皆、心の底からユグドラツィの目覚めを喜んでいる。
そんな中、ラウルだけが申し訳なさそうにユグドラツィに声をかける。
「すまんな、ツィちゃん。ツィちゃんが寝てる間に、ツィちゃんの大好きなツェリザークの雪を全部使ってしまった。当分は美味しい水を振る舞ってやることができそうにない」
『そんなこと、気にしなくていいのに……』
「でも、ツィちゃんの傷の回復には、これからももっと良質の水が必要だろ?」
『もう大丈夫ですよ? ほら、この通り、私の頭の枝葉だって前より量が増えましたし。それに……』
ユグドラツィが元気さを誇示するかのように、枝葉をワッシャワッシャと揺らしまくる。
確かにユグドラツィの言う通りで、こんもりと増えた枝葉は元通りどころか前よりも確実にその量が増えている。
言ってみれば、アフロヘアがビッグアフロヘアに進化したようなものである。
『雪ならまた冬になれば、いつでも集められますよね?』
「……そうだな。次の冬には、ツェリザークの氷雪を全部掻き集めるくらい、大量に確保するとしよう」
『フフフ、是非ともそうしてくださいね』
雪ならば、いくらでも集められるでしょ?と言うユグドラツィに、ラウルもそりゃそうだ、とばかりに同意する。
そうとなれば基本前向きなラウルのこと、早速レオニスに尋ねる。
「なぁ、ご主人様よ。ツェリザークで雪が降るのはいつ頃からだ?」
「ンー、そうだなぁ……早けりゃ十月入ってすぐとかに初雪が降るらしいが」
「十月だな。よし、ならまたその頃に、氷蟹の殻処理依頼を受けに行くか」
「それいいね!そしたらあのぬるシャリドリンクも、ツィちゃんのお土産に買ってこようか!」
「「「………………」」」
ラウルの計画に乗ってきたライトの提案に、他の三人はしばし動きが停止する。
あのぬるシャリドリンクは、今でこそ万能出汁として大人気を博しているが、果たして神樹のユグドラツィも美味しいと思うものであろうか。三人がどれ程頭を捻っても想像がつかない。
そして三人が頭を悩ませている間に、ライトとユグドラツィが『ぬるシャリドリンクとは、一体何ですか?』「それはツェリザークの名産品でー……」などと二人で会話している。
無事目覚めたユグドラツィの周りは、今日も穏やかで和やかな時間が流れていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
穏やかな時間を過ごした後、レオニスがユグドラツィに向かって話を切り出した。
「さて……ツィちゃん、もし良ければあの日のことを聞かせてくれるか?」
『…………』
「ああ、もしまだ話すのが辛ければ、また後日でも構わない。ツィちゃんの気持ちの整理がついた時に教えてくれるとありがたい」
『……いいえ、今ここで話しておきましょう。これから先、いつまた同じようなことが起きるとも限りませんし』
「……すまんな」
レオニスが病み上がりのユグドラツィを気遣うも、ユグドラツィが今ここであの時のことを話すと言う。
ピースの現場検証と同じく、レオニスもまた事件のより詳細な経緯を把握しておかなければならない。それは今後のカタポレンの森の警邏やユグドラツィの防衛策にも大いに関わることだからだ。
しばし無言だったユグドラツィが、徐に話し始めた。
『あの日は、日中は何事もなく過ぎていきました。ライトとレオニスが出かけていたプロステス、炎の洞窟やエリトナ山での出来事などを、貴方方が身につけている分体を通して楽しく観ていました』
『そして日は暮れて、貴方方もどこかのお屋敷に移り、一日が静かに終わり夜を迎えようとしていた頃……森の空気がざわつき始めました』
ユグドラツィが、あの日に起きたことを静かに語りライト達に聞かせていく。
途中出てきた死霊使いの話も、暗黒神殿の闇の女王が話していたことと一致している。
『ここら辺では見たこともない未知の虫に襲われ、そして黒い靄と化した謎の者に侵入された私は…… 精神(こころ) だけは奪われまいとして、意識を奥深くに閉じ込めることにしたのです……』
「そうか……」
『そこから先のことは、あまりよく覚えていません』
「だろうな。……ありがとう、とても参考になったよ。辛い話をさせてしまってごめんな」
ユグドラツィの話を聞き終えたレオニスが、改めてユグドラツィに礼を言う。
あんなに辛くて大変な思いをしたばかりだというのに、こうしてきちんと証言してくれるユグドラツィの心の強さに、レオニスはただただ感謝するばかりだ。
『どういたしまして。あまり役に立てる話でもなかったと思いますが……』
「そんなことないさ。これだけ話を聞かせてもらえたら十分だ」
『そうですか、それなら良かった。……私も、あんなに奥深くに意識を閉じ込めたのは初めてのことですが……恐ろしいまでの静寂に、何も見えない真の暗闇……今にして思うと、とても……とても寂しくて……あんな空間に独りぼっちになるのは、もう御免です……』
「そうか……」
意識を閉じ込めた後のことなのだから、その時のことをあまり覚えていないのは当然のことだ。
だがそれでも、その時の恐怖はユグドラツィの魂に刻み込まれるほどのレベルだったようで、うっすらと覚えていた。
『でも……時折どこかから、私の名を呼ぶ声が遠くから聞こえてきたような気がして……私もそれに応えなければ、と頭の隅で思いながらも、何もかもが思うように動けずにいました』
『目覚めた今ならば、あれが誰の声であったか分かります。私を呼ぶ声は、シア姉様にエル姉様、イア兄様、ラグスでした。そして……ライトにレオニス、マキシにラウル……貴方方の声もありました』
『痛みと恐怖で動けない私に、皆が温かい浄化の光と声を懸命にかけ続けてくれていたのを……ずっと遠い暗闇の中で、ただただ私は見て聞いているだけでした』
『皆には本当に……本当にたくさんの心配と迷惑をかけてしまいました……ごめんなさい……』
消え入りそうな声で、ライト達に謝るユグドラツィ。
ユグドラツィは襲われた被害者で、何も悪くないというのに。ライト達に心配させたことを申し訳なく思っているのだ。
何ともユグドラツィらしい謝罪に、ライト達は即時否定する。
「そんなの、ツィちゃんが謝ることじゃないよ!悪いのは、ツィちゃんを襲った死霊使いで、それを操る廃都の魔城の四帝なんだから!」
「そうだぞ。それに、被害者のツィちゃんが謝るくらいなら、肝心な時にカタポレンにいなかった俺の方がもっと悪い」
「全くだ。あんな奴等を一撃で退ける力もない俺だって、自分の不甲斐なさに腹が立つわ」
「そうですよ!ライト君の言う通り、悪いことをする奴等が悪いんであってツィちゃんは何も悪くないです!」
『皆……ありがとう……』
ライト達の励ましに、ユグドラツィが感極まる。
そんなユグドラツィをさらに励ますべく、ライト達は努めて明るく振る舞う。
「よし、そしたらこれから二度とこんな酷いことにならないように、何か対策を考えるか!」
「そうだね!物理的な柵を作るのは……無駄かな?」
「うーん、それだと飛行系魔物には効かなさそうですよねぇ」
「そしたらやっぱりナヌスの里やオーガの里のように、強力な結界を張るのが一番か?」
「そういうことになる、だろうなぁ」
四人全員であれやこれやと意見を出しながら、ユグドラツィの防御の方策を話し合っている。
ライト達の頼もしい姿を、ユグドラツィは感激の面持ちで眺めている。
するとそこに、突如ユグドラツィの名を呼ぶ声がした。
『ツィ様!』
思わぬ来客に、ライト達は驚きながら声がした方向である上空を見る。
晴れ渡る蒼穹に浮かんでいるそれは竜の女王、白銀の君であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
大きな翼をバッサバッサと羽ばたかせた竜の女王が、ユグドラツィのもとにゆっくりと降りてきた。
「白銀の君じゃねぇか!どうしてここに?」
『おお、レオニスにライト、其方達も来ていたのですね。私はもちろん我が君に代わり、ツィ様のご様子を伺いに馳せ参じたのです』
空から舞い降りた白銀の君が、レオニス達との挨拶もそこそこに、ユグドラツィの根元の真ん前にまで駆け寄り上を見上げる。
『ツィ様……想像していたよりもお元気そうで何よりです』
『白銀の君も、わざわざ来てくれてありがとう。ラグスの遣いで来てくれたのですか?』
『はい。我が君は先般ツィ様の身に起きた厄災に、とても心を痛めておりました……厄災自体は幸いにして半日程度で収まった、と我が君は仰っておりましたが……それでもツィ様の御身を、今もずっと遠い地から案じておられます』
ユグドラツィの前に恭しく跪き、来訪の理由を語る白銀の君。
その地を動けぬ竜王樹ユグドラグスの名代として、白銀の君がユグドラツィのもとに駆けつけてきたようだ。
そんな白銀の君に、ユグドラツィが労いの言葉をかける。
『そうですか……わざわざ駆けつけてきてくれて、本当にありがとう。ラグスにも心配をかけてしまいましたね』
『いいえ、とんでもございません!私の方こそ、ツィ様の御身が危険に晒されている時に何もできませんでした……今ほど己の無力さを悔しく思ったことはございません』
『それは仕方のないことですよ。ラグスも貴女も、普段はシュマルリ南方にいるのですから』
『それでも!……私もツィ様を……我が君の姉上であらせられるツィ様を、我が手でお救いする手助けをしたかったです……』
ユグドラツィの労いの言葉に、白銀の君が心底悔しそうに我が身を責める。
ユグドラツィがいる場所とユグドラグスがいる場所は地理的にものすごく離れていて、如何に竜の女王であろうともすぐに駆けつけて来れる距離ではない。休み無くずっと飛び続けたとしても、丸二日はかかるだろう。
それに、ライト達のようにウィカやアクアの助けを借りて遠距離を瞬時に移動する手段も持っていない。
白銀の君がユグドラツィを襲った厄災に、すぐに駆けつけることができないのも致し方ないことなのだ。
だがそれでも、大事な者の危機に駆けつけることができなかったことを悔しく思う気持ちも分かる。ライトやレオニスだって、闇の女王が遣わした闇の精霊の伝言がなければ、白銀の君と同じように悔やんでも悔やみきれない思いをしていただろう。
レオニスが白銀の君に向かって、明るく話しかける。
「だったら今日、今ここで元気になったツィちゃんとたくさん話をして、またラグスに土産話をしてやればいいさ」
『…………』
「そうですよ!そしたら竜王樹さんもきっと喜んでくれると思います!」
『……そうでしょうか?』
『ええ、ラグスはとても心優しい子ですよ。それは白銀の君、貴女が一番良くご存知なのでは?』
『……ッ!!…………そうですね、我が君ならばきっととても喜んでくださることでしょう』
レオニスやライトの励ましにはまだ懐疑的だった白銀の君。
だが、ユグドラツィにユグドラグスの優しい性格を言及されれば、認めざるを得ない。
するとここで、ユグドラツィがちょっぴりウキウキとした声で白銀の君に話しかけてきた。
『あら、ラグスの分体から伝言が来ましたよ?『白銀、ご苦労さま。気をつけて帰ってきてね』ですって』
『!?!?!?』
『まぁまぁ、ラグスと貴女は本当に仲良しなんですねぇ♪』
ユグドラツィの言葉に、目を白黒とさせる白銀の君。
それに対してユグドラツィは何だかとても嬉しそうだ。
それはまるで、弟と弟のガールフレンドの仲睦まじさを喜んでいるようである。
そして、この話の流れでレオニスがユグドラツィに確認がてら声をかける。
「ああ、そうか、ツィちゃんはラグスの分体も持ってるもんな。分体入りのアクセは全部無事なのか?」
『ええ。レオニス、貴方がどのアクセも深めの洞に入れておいてくれたおかげで、どれも蟲達に壊されることなく無事でした』
「そりゃ良かった」
それまで特に確認をしてなかったが、ユグドラツィ以外の神樹の分体入りアクセサリーはどれも無事だという。
レオニスがアクセを深さのある洞に入れておいたのが幸いしたようだ。
あれだけ幹も枝葉もボロボロに切り裂かれていたというのに、まさに不幸中の幸いとしか言いようがない。
『……皆のおかげで、私はこうして命拾いをし、生き永らえることができました。白銀の君、貴女ともこうしてまたお話することができて、とても嬉しいです』
『私の方こそ……!ツィ様の元気なお姿を見ることができて、祝着至極に存じます!』
『さぁ、せっかくですから我が恩人達とも親睦を深めていってください。私も皆の会話やお茶会を眺めるのはとても楽しいですから』
それまで悔恨に苛まれていた白銀の君も、ユグドラツィの温かい言葉でようやく前を向くようになってきた。
ここにいる他の恩人達、ライトやレオニスとも親睦を深めよというユグドラツィの言葉に、早速レオニスが反応する。
「おう、そしたら白銀の大好きなエクスポの二十本でも出そうか?」
『え? エクスポ二十本? それは是非ともご馳走になりましょう』
「あんた達竜族ってのは、ホントにエクスポ好きだよな……」
『あれこそが、人族が生みし最も偉大なる功績でしょう!』
エクスポーション二十本を出すと聞いた白銀の君が、それはもう目をキラッキラに輝かせて喜んでいる。どれ程エクスポーションが大好物であるかが分かろうというものだ。
そしてエクスポーション如きを『人類最大の功績』と断言して憚らない白銀の君。何気におちゃめさんである。
評価ポイントがそれ?と思わなくもないが、フンス、フンス!と鼻息も荒く大真面目に宣うあたり、本気でそう思っているのだろう。
そんなおちゃめな白銀の君の言葉に、ライト達も思わずクスクスと笑う。
早速レオニスが宙に浮き、あーん!と大きな口を開けている白銀の君の口にエクスポーションを瓶ごとポイポイ、ポイー、と放り込んでいく。
それをもっしゃもっしゃと美味しそうに食べる白銀の君。
今日もユグドラツィの周りには、ライト達の明るい笑い声が絶えなかった。