作品タイトル不明
第608話 神樹との約束
先程までの穏やかな話し方ではなく、非常に険のある口調でレオニスを詰問する白銀の君。
どうやら竜王樹に近づくだけで、その存在は白銀の君にとって敵にも等しい認識になるようだ。
白銀の君が発するあまりの威圧感に、中位ドラゴン達はただただ震え上がる。ともすればレオニスもその場に屈してしまいそうだ。
だが、レオニスとてこんなところで挫けてなどいられない。
ユグドラツィの願いを叶えるために、ここまで来たのだ。
レオニスはここに来る前、カタポレンの森で交わしたあの心優しい神樹との会話を思い出していた。
……
…………
………………
それは、レオニスがシュマルリ山脈南方へ出かける前の日のこと。
昼間に立ち寄ったラグナロッツァの屋敷で、レオニスはラウルとともに昼食を食べながら雑談していた。
「あ、そういやご主人様よ。昨日預かった、ツィちゃんの枝を使って作ったアクセサリーな。今朝早速ツィちゃんに分体を入れてもらってきたぞ」
「おお、ありがとうな。昨日の晩に預けたばかりなのに、もうツィちゃんとこで分体を入れてもらったのか」
「そりゃあな、ご主人様からアクセサリーを預かったからには、一刻も早く仕事を完遂させるのが執事ってもんだ」
ラウルの頼もしい言葉に、レオニスは「おお、ようやく執事としての自覚が芽生えたのか……」と感動しているが、何の事はない。実はラウルはその日、カタポレンの森の畑の二枚目開墾作業の前に、ちょこっとだけ先にユグドラツィのもとに寄っていっただけである。
ラウルは早速空間魔法陣を開き、ユグドラツィの分体入りアクセサリーを取り出してレオニスに渡す。
今回アイギスに作ってもらったのは、カフスボタン、バングル、タイピンなどである。装備品以外にも、ペーパーナイフや栞といった日常生活で使えそうな小物もいくつかある。
装備品類はどれも初回に作ってもらったものとは別のデザインで、一目見ただけですぐに区別できるようになっている。さすがはアイギス、常に完璧な仕事ぶりである。
それらを受け取ったレオニス、己の空間魔法陣に仕舞い込んだ。
「よし、これでようやくシュマルリ山脈南方に出かけることができる」
「いつ行くんだ?」
「明日の朝には出る」
「そりゃまた急な話だな。なら今日中に、ツィちゃんのところに行ってやってくれないか?」
「ン? 今日中にか?」
ラウルの突然の要請に、レオニスは不思議そうな顔で聞き返した。
「ああ。ご主人様が遠征に出る前に、直接話がしたいってツィちゃんが言ってたんだ」
「俺に話したいことって、何だ?」
「さぁな。おそらくは今回の仕事、アクセサリーを竜王樹に届けてくれることの礼とかだと思うが」
「そうか……なら今日中に顔を出しておかんとな」
昼食を摂り終えたレオニスは、早速カタポレンの森に移動してユグドラツィのもとに向かった。
「よう、ツィちゃん、久しぶり」
『ようこそいらっしゃい、カタポレンの森の番人よ』
麗らかな午後の昼下がりに過ごす、神樹とのひと時。
翌日からレオニスは、シュマルリ山脈南方という険しい地に赴かなくてはならない。
その前に、こうしてのんびりとした時間を過ごすのも悪くない―――そう思いながら、神樹の根に腰をかけるレオニス。
レオニスの頬を撫でるかのような、時折吹くそよ風が心地良い。
「ツィちゃんには、相変わらずうちのラウルが世話になってるようだなぁ」
『いいえ、私の方こそ貴方方にはいつも世話になるばかりで……』
「んなこたぁないさ。俺だってツィちゃんには祝福をもらったし、何より俺達は友達だろう?」
『!!……そうですね。貴方方は私の、大切な友達です』
レオニスの言葉に、少しだけ弾む声音で答えるユグドラツィ。
千年近い年月を経て、こんなにたくさんの友達ができるとは―――ユグドラツィ自身、未だに信じられないくらいだ。
望外の幸せをユグドラツィは日々噛みしめていた。
『時に、レオニス。近々シュマルリ山脈に行く予定がある、とラウルから聞きましたが……』
「ああ、それな。ツィちゃんの分体入りアクセが用意できたから、早速明日から出かけるつもりだ」
『まぁ、明日早々にも出立するのですか?』
「ああ。行きと帰りは水神に送り迎えしてもらう予定だが、それでも一日二日で帰ってこれるような場所じゃないんでな。行くなら早い方がいいと思ってな」
『水神に、送り迎え……?』
レオニスの話の途中で、何やらおかしな言葉が聞こえてきた気がするユグドラツィ。
だがしかし、ユグドラツィは気づいていない。人族が神樹や大神樹と友達になる時点で十分おかしいことを。
そんな訝しがるユグドラツィの様子など、レオニスは気にもとめることなく話を続ける。
「とりあえず俺の目的は、シュマルリ山脈の南方にいるドラゴンと友達になることなんだが。ツィちゃんの弟か妹?だという竜王樹の近くにも行けるから、出かけついでに竜王樹にも会ってアクセを届けてくるよ」
『私のために、手間をかけさせてしまって……すみません』
自分のために、目的外のことまでこなしてくるというレオニスに、思わず申し訳なくなり謝るユグドラツィ。
それは、ドラゴンがうようよいるような危険な地に赴くレオニスを、さらなる危険に晒すも同然だからだ。
だが、レオニスはそんなことを気にするタマではない。
きょとんとした顔でユグドラツィに尋ねる。
「ツィちゃん、何故謝る? そこは謝罪じゃないだろう?」
『!!……ぁ、ありがとう……』
「そうそう、そっちが正解!……って、ツィちゃんに感謝されたくて行く訳じゃないが」
『本当に、貴方方には……いつもいろんなことを気づかせてもらっていますね』
「そんな大層なもんじゃねぇけどな!むしろツィちゃんが言っていたように、竜王樹と仲良くできれば俺の目的もより成功に近づく。俺のためでもあるんだから、ツィちゃんが気にするこたぁないさ」
レオニスの問いかけに、すぐに正解を導き出すユグドラツィ。
ニカッ!と白い歯を見せながら、屈託のない笑顔になるレオニス。
千年近い歳月を経てきた神樹でも、まだまだ知らないこと、気づかないことがたくさんある。それらをこうして他者によって気づかせてもらうことで、新たな知識や経験を得られる。
神樹にとっては、それがとても大きな喜びだった。
「ところでツィちゃん、竜王樹に何か伝言とかあるか? もっとも、竜王樹のもとにアクセサリーを届ければ、ツィちゃんの言葉が竜王樹にも届くようになるかもしれんが」
『どうでしょう……そこまで明瞭な会話や意思疎通などができるかどうか、まだ分かりませんが……そうですね、でしたらここは貴方のお言葉に甘えるとしましょう。ユグドラグスに言伝をお願いできますか?』
「ああ、何て伝える?」
レオニスに託す、竜王樹ユグドラグスへの言伝。
ユグドラツィはゆっくりと言葉を紡ぐように、一言一言を選びながらレオニスに伝えていく。
『私達は、いつでも貴方のことを、思っている……皆どんなに遠く離れた地にいても、私達神樹は皆、大事な家族である―――と』
それは、少し前までなら決して相手に届くことはなかったであろう、ユグドラツィの思い。
そんな己の思い、願いを直接届けてもらえる機会に恵まれるなんて―――ユグドラツィの心は、幸甚に満ちていた。
「分かった。ツィちゃんから預かった分体とともに、ツィちゃんの言葉も必ず竜王樹に伝えよう」
『貴方が此度行く先は、本当に危険な地です。貴方なら大丈夫だとは思いますが……くれぐれも気をつけてくださいね』
「ああ、用事が済んだらすぐに帰ってくる。それまでは、このカフスボタンから見えるシュマルリ山脈の景色でも眺めながら、のんびりと待っててくれ」
『はい。貴方の無事の帰還を、この地で祈りながら待っておりますよ』
人族の無事を願う神樹と、神樹との約束を果たすべく明日には旅立つ人族。
この日も異種族同士の交流は穏やかで、心温まるひと時を双方にもたらしていた。
………………
…………
……
そして今、レオニスの眼前に立ちはだかる巨大な高位の存在。
同じく高位の存在でありながら、神樹達や属性の女王達とはまた違う、圧倒的な力を持つ白銀の君。
その尋常でない威圧感に、レオニスは歯を食いしばりながら堪える。
するとその時、レオニスにのしかかっていた重圧がフッ……と消え去り、レオニスの身体が軽くなった。
それまでビリビリとした重苦しい空気に包まれていたが、レオニスの周りだけ空気が和らいでその身を解放している。
白銀の君が発する、とんでもない重圧から解放されたレオニス。
まずはスゥー……ハァー……と数回深呼吸して呼吸を整え、精神を落ち着かせる。
そうして改めて自身の周囲を注意深く観察してみると、重圧を和らげている力の源泉は己の首元からきているようだ。
そのことに気づいた時、レオニスは全てを理解した。
己の首元にあるのは、ユグドラツィの分体入りのカフスボタン。深紅のロングジャケットの右襟に常に着けられている、神樹の枝で出来た装飾品。
本来ならカフスボタンとは袖口に使用するものだが、レオニスは襟元の装飾として着けていた。
そのカフスボタンから、白銀の君の威圧に負けないくらいに強くて温かい力が湧き出ていて、レオニスを守るようにして包んでいる。
レオニスを危機的状況から救い出そうと、ユグドラツィが分体を通してその力を送ってくれているのだ。
突如レオニスの身に起きた異変に、レオニスだけでなく白銀の君も気づいたようだ。
長い睫毛をピクリと動かした白銀の君が、驚きを隠せない様子で呟く。
『これは……我が君と同じ、神樹の気配……?』
万の軍勢の応援を受けたも同然のレオニス。
よくよく落ち着いてみると、レオニスの周囲の気配はカタポレンの森の空気、さらに言えば神樹ユグドラツィの周囲にいつも漂う清浄な清々しい空気に満ちていることが分かる。
ああ……今この場面を見ているツィちゃんが、俺に力を貸してくれているんだな。ありがとう、ツィちゃん……
今も俺に向けて一生懸命応援してくれているツィちゃんに、これ以上情けない姿は見せられんな。ここで踏ん張らなきゃ、男が廃るってもんだ。ツィちゃんとの約束を果たすために、いっちょ気合いを入れていくか!
ユグドラツィが持つ温かなオーラに包まれたレオニスが、心の中でユグドラツィに感謝しながら己を鼓舞し、奮い立たせる。
ユグドラツィの意思を受け取ったレオニスに、もはや怖れるものなど何もない。
レオニスは、つい、と顔を上げて、目の前にいる白銀の君に向かって話しかけた。
「俺はここから遠く離れた、カタポレンの森という場所に住んでいるんだが。うちの近所に、竜王樹の兄姉に当たる神樹がいてな」
『竜王樹以外の神樹、ですか……?』
「そう、ユグドラツィという名の神樹なんだが。その神樹の枝で作った装飾品を、竜王樹に直接届けたいんだ。神樹から竜王樹への言伝も預っている」
『他の神樹の枝で作った、装飾品……』
レオニスは臆することなく、その訪問目的を白銀の君に伝える。
その話を聞いた白銀の君の瞳は、警戒心が薄れていくと同時に興味の色が浮かぶ。
白銀の君の興味を引けたことを確信したレオニスは、さらに話を続けていく。
「その神樹、ツィちゃんは世界に六本あるという神樹の五番目だそうでな。世界中にいる他の神樹を兄弟姉妹と呼び、皆に会いたがっているんだ」
『大地から動くことのできぬ神樹が、ですか……?』
「ああ。家族や親兄弟、親友、恋人―――自分が大切に思う者達に会いたいと願う気持ちは、誰しもが持つものだろう? 例えそれが、そこから一歩も動けない神樹であったとしても、だ」
好奇心に染まった白銀の君の瞳が、レオニスの言葉でさらに大きく見開かれていく。
神樹が高い知性と教養を持ち、意思疎通ができる高位の存在であることは、常に竜王樹の横にいるという白銀の女王も当然知っているはずだ。
「竜王樹は、そういった話をしたことはないか?」
『……我が君が、そうした思いを口にしたことを……今まで一度も聞いたことがない、とは言いません。……ですが……』
「あんたのように、竜王樹も最初から無理だ、と諦めていたか?」
『…………はい』
レオニスに見透かされているのが悔しいのか、はたまた意外過ぎて驚いているのか、白銀の君は言葉に詰まる。
「この地を動けないから、と諦める必要はない。俺は俺の友、心優しく偉大な神樹ユグドラツィの願いを届けるために、ここに来た」
『…………』
「改めて言おう。俺は神樹ユグドラツィの遣いとして、竜王樹ユグドラグスに目通りするために罷り越した。装飾品と神樹の言葉を届けるために、ここを通らせてもらうぞ」
『…………』
白銀の君に向かって、レオニスは胸を張りつつ堂々と言い放つ。その言葉には、有無を言わさぬ強い決意が込められていた。
そんなレオニスの言葉に、白銀の君は口を開かず無言のまま動かない。
どの道レオニスはここを通らねば、竜王樹のもとに行くことはできない。
そもそも白銀の君が、竜王樹の意思を受けてレオニス達の前に立ちはだかったというならともかく、そうでないなら白銀の君の意思などレオニスには関係ない。
これ以上白銀の君との交渉が進まなければ、もはや彼女の了承を得る必要もない―――そう考えたレオニスは、足を一歩前に踏み出して歩き始めた。
それまでレオニスの横で、ただただ跪いていた中位ドラゴン達は、レオニスの動く気配を察して一斉に頭を上げる。
何事もないかのように、スタスタと前を歩いていくレオニスを見て、皆息を呑みつつ驚愕している。
そしてレオニスが白銀の君の真横を通り過ぎようとした、その時。
それまでずっと無言だった白銀の君が、ようやくその口を開いた。
『……いいでしょう。其方は我が君に目通りする資格を有しているようです』
「あんたの了解など得ずとも、俺は俺の意思で竜王樹のもとに行く」
『何とも豪胆な人の子ですね。ここから先、我が君のもとへは私が案内しましょう』
「……案内してくれるというのなら、助かる。よろしく頼む」
白銀の君が、その右手を上に向けてレオニスの前に差し出す。
その身体ごと運んでやるから、この手のひらの上に乗れ、ということらしい。
レオニスは遠慮することなく、白銀の君の手のひらの上に土足のまま乗っかる。
レオニスの書斎面積よりも大きい、白銀の君の手のひら。その手の上に乗るということは、白銀の君がその気になればいつでも握り潰すことができる、ということだ。
それはまさに単身で敵陣深く乗り込むような、果てしなく危険な行為である。
だが、今の白銀の君からはそうした不穏な空気や敵愾心などは漂ってこない。故にレオニスは、白銀の君の提案に乗っても大丈夫、と判断したのだ。
手のひらの上にレオニスを乗せた白銀の君は、その翼を大きく開いて羽ばたき、竜王樹のいる山頂目指して空高く飛んでいった。