軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第452話 彼方からの呼び声

風魔法に浄化魔法を乗せた強風を用いて、下水道をガンガン綺麗にしていくラウル。

北地区五区画のうち一区から四区までの清掃を完了し、最後の五区も半分以上を綺麗にして残り僅かとなった頃。

それまで順調に進んでいたラウルの歩が突如止まった。

「…………?」

眉間に皺を寄せながら、前方をじっと睨みつけるラウル。

前方から何か異様な気配が漂ってきているのを感じていた。

ラウルの目の前に広がる闇を見据えつつ、ラウルは静かに考える。

『何だ、この今までに感じたことのない嫌な気配と胸騒ぎは……』

『……そういや依頼書の注意事項に、スライムに酷似したポイズンどうのとか書いてあったな』

『……ここは一旦撤退するか』

ラウルが冒険者ギルド総本部で受けた依頼書には、唯一の注意事項として『下水道管内には、極稀にスライムに酷似した凶悪なポイズンスライムが発生している場合がある』という記載があったことを思い出すラウル。

それに関連して『万が一ポイズンスライムと遭遇した場合、その場で無理に戦おうとせず逃げることを最優先する』『逃走後は清掃管理局と冒険者ギルドに即時通報し、応援を要請するように』と書いてあったのを、ラウルはちゃんと覚えていた。

眼前の闇の中にそれが潜んでいるかは分からない。

だが、それまで順調だった下水管内の浄化が現に止まっている。

ラウルの浄化魔法が効かず、見えない壁のようなものに押し返されているような感覚があるのだ。

実際に水晶玉のホログラムパネルを見ても、ラウルの現在地より先の下水管は濃灰色のままだ。奥に向けて浄化魔法を強く吹きつけているにも拘わらず、である。

これはこの先の奥に、何かが潜んでいるかもしれない―――

そう考えたラウルは、前を見据えたまま一歩、二歩と慎重に後退りしつつ、この場を離れ始めた、その瞬間。

突如暗闇の奥から二つの赤い光が輝き、大量の液体のようなものが涌き出してラウル目がけて襲いかかってきた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「…………ッ!!」

猛烈な悪寒を感じ取ったラウル。咄嗟に全力で後方に飛び退いた。

だが、襲いくる液体の速度の異常な素早さに足場の悪さも相まって、ラウルは逃げ切れなかった。

ラウルを捕えた液体様のそれ―――『ポイズンスライム変異体』は、あっという間にラウルの全身を飲み込んでしまう。

このポイズンスライムは、スライム飼育場で飼っているような通常のスライムとは違う。

名前こそ『スライム』とあるが、スライムと似たような強力な粘液性を持つ物体だからその名がついたというだけで、実態も生態も通常のスライムとは全く異なる魔物だ。

しかも今回ラウルを襲ったのは、ただのポイズンスライムではなく『変異体』である。

変異体とは、通常のものよりも全ての数値が数倍以上膨れ上がった特殊個体を指す。

ただのポイズンスライムでも危険な魔物なのに、その変異体ともなると危険度は格段に跳ね上がるのだ。

少量の水に大量の墨汁をぶち込んだような、黒く濁りきった粘液体。

その体躯はラウルの全身を取り込んでなお余りあるほどの大きさだ。

そこには顔や手足などは一切なく、怪しい輝きを放つ赤い光源が二つ浮かぶのみ。禍々しい光を放つ赤い光源は、凶悪な双眸を彷彿とさせる。

「……グハッ!」

粘液体に完全に取り込まれてしまったラウル、息もままならない。さらには空気が完全に遮断されているため、風魔法も起こせない。

手足を使って物理的に攻撃を加えようにも、相手は粘液体なのでただ水中で藻掻くだけにしかならない。

口や鼻の中にまで粘液体が入り込まないよう、息を止めるのが精一杯だ。

どうすればこの窮地を切り抜けられるか、ラウルは頭の中で必死に考えを巡らせる。

『さっきから浄化魔法を使い続けているが、後退する気配がない……俺の浄化魔法よりこいつが発する瘴気の方が強いってことか』

『風魔法も起こせんし、火魔法はもとより効かん……粘液体相手に水魔法を打ってもこいつの容量を嵩増しするだけで、何の効果もないどころか逆効果にしかならん』

『どうする、どうすればいい……』

現状でラウルが出せる、唯一の打開策であろう浄化魔法。

粘液体に全身を包まれ捕えられた後も、絶えず継続して繰り出している。だが、ポイズンスライム変異体が怯む様子は一切ない。

この超巨大なポイズンスライム変異体の持つ毒性があまりにも強過ぎて、ラウルの浄化が追いつかないのだ。

実際ラウルの右手は今も浄化の光を放っているが、ラウルの右手周辺がぼんやりと光るだけでそれ以上の広範囲に広がっていかない。

それはラウルの推測通り、ラウルの浄化能力よりもポイズンスライム変異体の発する毒性の方がはるかに上回ることを示していた。

そしてその強力な毒性は、次第にラウルの身体を蝕んでいく。

ラウル自身魔力が高く、その耐性も抜群に強い。だが、時間を追うごとにレオニスから譲り受けたマントが端から少しづつ溶けていき、ラウルの美しい巻き毛の毛先がジリジリと焼きついていく。

額や頬、両手、首などの表に出ている皮膚部分も、じわじわと火傷を起こしたように焦げ始めた。

こうなると、もう薄目すらも開けていられない。目の粘膜が焼けてしまうからだ。

視界がぼんやりと白く濁り、堪らず目をギュッと強く閉じる。

万策尽きかけたラウルの脳裏に、様々な記憶が蘇る。

まだカタポレンの森に住んでいた頃のフォレット達との思い出、唯一の親友だった八咫烏マキシとの会話、赤闘鉤爪熊に嬲られた時の痛みと恐怖、ズタボロで地面に転がっていたラウルの顔を覗き込んだレオニスの心配そうな顔。

ラウルのご馳走をねだりまとわりつくフェネセンの無邪気な笑顔、いつも自分の料理を美味しそうに食べてくれるフォルやウィカの愛らしい仕草、天舞の羽衣をまとい華麗に踊るシャーリィの美しい横顔。

そして、いつも満面の笑みでラウルの胸に飛び込んでくる小さなご主人様、ライト。

ラウルの瞼の裏で、様々な思い出や記憶が浮かんでは消えていく。

ああ、これが走馬灯というやつか―――息もできなくなったラウルが、ぼんやりとした頭で考える。

こりゃ本格的にマズいな、こんなもんが浮かぶなんて……まさか俺、ここでこいつに食われるんか?

冗談じゃねぇ、こんなところで終わってたまるか!……だが、俺にはもう……なす術がない……

……どうすりゃいい……

……どうすればここから逃げられる?

……どうすれば……生きて皆の元に帰ることができる?

……どうすれば―――

ラウルの思考はだんだん尽きかけていった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

次第に意識が薄れゆくラウル。

そんな中、どこからかラウルの名を呼ぶ声が聞こえるような気がする。

…………ル…………

…………ゥル…………

…………ラウル…………

遠くからラウルの名を呼ぶその声は、次第に強くなっていく。

そしてついには一層大きな声となって、ラウルの脳内に強く響いた。

『ラウル!!』

力強い声が響くと同時にラウルの意識が覚醒し、身体が強い光に包まれた。

その鮮烈な光はポイズンスライム変異体のどす黒い瘴気をも貫通し、真っ黒な粘液体の塊から何十何百もの光条となって四方八方に広がった。

ここへきて初めてポイズンスライム変異体が怯む。

数多の光条となって漏れ出た光には、強力な浄化の力が込められていたからだ。

どす黒かったポイズンスライム変異体の身体の色が半分くらいに薄まり、獲物であるラウルを捕らえていた締め付けるような拘束力も明らかに弱まったではないか。

それとほぼ同時に、ラウルの髪や肌の焼け焦げの進行もピタッ、と止まる。

敵の変化を見逃さず、千載一遇の反撃の好機と本能的に捉えたラウル。

一気に魔力を強めて、渾身の浄化魔法を放った。

「うおおおおぁぁぁぁッ!!」

腹の底から絞り出すような、ラウルの全身全霊全力を込めた雄叫びが下水管内に響き渡る。

その魂の叫びとともに、ラウルの身体からさらに鮮烈な光が発せられた。

ラウルが放つ強烈な浄化魔法を浴びたポイズンスライム変異体は、その威力に耐え切れず爆発するように四散した。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ようやく粘液体の拘束から解放されたラウル。

下水管の壁にドカッ、と背中をぶつけるように凭れかかりながら、グズグズと体勢が崩れ落ちていく。

ポイズンスライム変異体に取り込まれて体力を相当奪われた上に、魔力を一気に使い果たしたのだ。限界ギリギリのところで窮地を脱したラウルには、動き歩くどころかもはや立っているだけの気力も残っていなかった。

精根尽き果てて、ズズ、ズ……と下水管の壁を少しづつずり落ちていくラウル。

息も絶え絶えなラウルの足元には、ポイズンスライム変異体の二つの赤い核が両方とも砕け散って無造作に転がっている。

再び薄れゆく意識の中、自身の名を呼ぶさっきの声がラウルの脳裏を 過(よぎ) る。

「…………ツィ、ちゃん…………」

ラウルの右手首に着けられたバングルが、まだほんのりと光を放ち続けている。

ラウルの絶体絶命の危機、その瞬間に彼の名を強く叫び揺り起こしたもの。

それはカタポレンの森の神樹ユグドラツィの声だった。