作品タイトル不明
第1280話 悲痛な号哭と義務の遂行
レオニスの悲痛な叫び声が、無人のスラム街に響き渡る。
その声は、ラグナロッツァの屋敷からスラム街に飛んできたばかりのラウルの耳にも飛び込んできた。
レオニスの絶叫を聞き、慌てて旧ラグナロッツァ孤児院の中庭に降り立ったラウル。
地面に蹲るレオニスを見て、急ぎ傍に駆け寄った。
「ご主人様、どうした!?」
「一体何があった!!………………!?!?!?」
蹲るレオニスの横にしゃがみ込み、何事が起きたのかを問うたラウル。
だが、レオニスからの返事を待つまでもなく、ラウルは異変に気づいた。
ラウル自身もその目で出現を目撃し、この旧ラグナロッツァ孤児院中庭に今もあるはずの謎の亀裂が跡形もなく消えていたのだ。
ラウルはラグナロッツァの屋敷を探知魔法で探索し、ライトやレオニスがいないことを確認後すぐに旧ラグナロッツァ孤児院に向かった。
空を飛んでいる間は亀裂が見えていたのだが、ラウルがちょうど旧ラグナロッツァ孤児院に辿り着く直前に亀裂が消えたので、ラウルは亀裂が消える瞬間を見ていなかった。
コヨルシャウキと名乗る銀河を司る女神が潜む、危険極まりない謎の亀裂。
これが消え去ったということは、翌日正午から始まるはずのビースリーが中断及び回避されたことを意味する。
その結果だけ見れば、間違いなく拍手喝采ものの万々歳だ。
だがしかし、目の前で蹲るレオニスの姿からは歓喜など一切感じられない。
ラウルは混乱しそうになりながら、レオニスに声をかけた。
「おい、ご主人様よ、これは一体どういうことだ!? あの亀裂が綺麗さっぱり消えているが……」
「………………」
「つーか、ライトもここにはいないようだが……どうなってんだ? まさか、ここにも来ていなかったのか!?」
「………………」
「ここにも来ていないなら、ライトはどこに行ったんだ? なぁ、ご主人様よ…………」
ラウルの呼びかけや問いに、レオニスは蹲ったまま答えない。
そんなレオニスの姿に、ラウルは戸惑うばかりだ。
ラウルはレオニスと知己を得てから、そこそこ付き合いが長い方だと自負しているが、そんなラウルでさえレオニスのこんな姿は今まで一度も見たことがない。
そしてレオニスは、ラウルがライトの名を連呼したことに堪らず大声で叫んだ。
「うああああああぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」
地面に額を付けたレオニスの瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ零れ落ちる。
悲嘆に満ちたレオニスの、言葉にならない悲痛な叫び声がスラム街全体に響き渡り続ける。
大陸一の最強冒険者が人目も憚らず号哭する姿に、ラウルは訳が分からずただただ戸惑うばかりだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
亀裂消滅直後のレオニスの悲痛な号哭は、空が白み明け方になる頃にはひとまず落ち着いた。
そしてレオニスは、フラフラとした足取りで立ち上がる。
それまで黙って静かに見守っていたラウル、慌ててレオニスに声をかけた。
「お、おい、ご主人様よ、どこに行くんだ?」
「…………俺は今から亀裂対策本部に行って、亀裂が消滅したことをマスターパレンに報告しなきゃならん」
「それは分かるが……ライトはどこに行ったんだ? ……まさか……」
「そのことについては、家に帰ってから話す。とりあえずお前は先にカタポレンの家に帰っててくれ。お前はここで何も見ていないし、誰にも見られていないし、亀裂対策本部に行く必要もない」
「それはそうだが……」
「頼む……今は黙って俺の指示に従ってくれ」
「…………」
レオニスが号泣していた理由を教えないどころか、あれだけ懸命にライトの行方を探していたのに今は他所に探しに行く素振りすら見せないことに、ラウルは不信感に近い疑問を抱く。
だが、それでもなおレオニスはラウルに頼み込んだ。
「それに、マキシ達ももうそろそろ起きてくる頃だ。なのに、いっしょに寝ていたはずの俺達がいないことを知ったら、マキシ達も大慌てで俺達を探し回る羽目になる。そんなことになる前に、お前だけでも先に帰っててくれ」
「…………そうだな、分かった。そうしよう」
レオニスの正論に、ラウルも渋々と応じる。
確かにレオニスの言う通りで、朝になればマキシ達も自然と目が覚めて起きる。その時に、ライトどころかレオニス、ラウルの三人もカタポレンの家にいないとなれば、きっとマキシ達も大騒ぎするだろう。
そうなる前に、ラウルだけでもカタポレンの家に帰宅してマキシ達を宥める役目を務めなければならない。
それはラウルにもすぐに分かったので、不承不承ではあるがレオニスの要請に応じたのだ。
そしてラウルはレオニスの指示通り、ラグナロッツァの屋敷からカタポレンの家に戻り、レオニスは冒険者ギルド総本部に向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その後のラグナロッツァは、再びてんやわんやとなった。
前日行われた『ビースリー開戦決起集会』において、パレンから告知されていた朝九時の集合時間の時点で、ビースリーの元凶である謎の亀裂が完全に消え去っていたからだ。
時間通り集まった冒険者や魔術師達はもちろんのこと、亀裂対策本部の司令官であるパレンやピースもびっくりしていた。
だがしかし、ビースリーなんてものは回避できるならそれに越したことはない。
コヨルシャウキとの決戦に備えていた猛者達は、皆戸惑いながらも一様に喜んだ。
そして、亀裂対策本部への亀裂消滅の一報はレオニスが行った。
本当はレオニスも様々な問答に答えられる状態ではなかったのだが、唯一の目撃者なのだから仕方がない。
それに、旧ラグナロッツァ孤児院中庭で起きた出来事ややり取りをラウルに託すこともできない。ラウルは嘘がつけないので、隠し事をしたい時に頼ることは危険なのだ。
レオニスが隠したいことは、もちろん唯一つ。『ライトが勇者候補生だった』ということ。
ライトが何故自分達にも内緒で、しかも方法は全く分からないが顔貌を別人化してまで、コヨルシャウキのもとに出向いたのか。
その意図するところ『皆に自分が勇者候補生であることを知られたくない』『バレたら皆に迷惑がかかるから』というライトの思惑や意思を、レオニスは正しく理解していた。
しかし、これを亀裂対策本部に伝える前にラウルに明かしてしまうと、万が一ラウルが誰かに勇者候補生の真相を問われた時に、嘘がつけないことで誤魔化しきれない可能性がある。
故にレオニスはラウルを先にカタポレンの家に帰らせてから、事の一部始終を目撃した自らが説明しに行くことを決めたのだ。
明け方直後に冒険者ギルド総本部に到着したレオニス。
大広間や受付窓口には人っ子一人いなかったが、少なくとも亀裂対策本部の司令官であるパレンは総本部内で待機しているはずだ。
ひとまずレオニスは、亀裂対策本部が置かれている大会議室に向かう。
するとそこには、案の定パレンが起きていて両手にダンベルを持ちながら筋トレしていた。
窓際で明け方の空を眺めながら、上半身裸で筋トレに勤しむパレンにレオニスが声をかけた。
「よう、マスターパレン。朝から精が出るな」
「おお、レオニス君!おはよう!……いや何、今日の昼から猛烈に忙しくなるからな。こんなことも悠長にしていられなくなるから、今のうちに好きなことをしておこうと思ってな!」
「そうか……」
レオニスの来訪を、笑顔で迎えるパレン。
真夏の雲の如き真っ白い歯がキラリ☆と輝く笑顔に映える。
しかし、レオニスの言葉に力が無く覇気もないことにパレンが目敏く気づいた。
「ところでレオニス君よ、こうして君がわざわざ訪ねてきてくれたのは嬉しいが……今日の集合時間よりもかなり早いぞ。何かあったのかね?」
「…………あの亀裂のことだが」
「ンフォ? 亀裂に何か起きたのかね?」
「昨夜のうちに、亀裂が消滅した」
「何ッ!?!?!?」
怪訝そうに尋ねるパレンの問いかけに、レオニスがすぐに本題に入った。
亀裂が消滅した、と聞いたパレンの顔が驚愕に染まる。
「レオニス君、それは本当かねッ!?」
「ああ。こんな嘘をあんたにつく必要などないだろう?」
「そ、そうだな……ならばこんなことをしている場合ではない、一刻も早く現地に行ってこの目で確かめなくては!」
予想外の朗報に、パレンがダンベルを放り出して急いで着替え始める。
着替えている間にも、パレンのレオニスに対する問いかけが続く。
「レオニス君、どういう経緯で亀裂が消滅するに至ったのだ!?」
「……昨夜は自由行動ってことだったが、それでも気になって俺一人で亀裂の様子を見に行ったんだ。そしたらちょうどそこに、勇者候補生が現れてな。コヨルシャウキが勇者候補生を伴って亀裂の奥に入っていったことで、亀裂が閉じて消えたんだ」
「何だとッ!? 勇者候補生が現れたというのかね!?」
「ああ……俺が見たのは、金髪に青目の八歳から十二歳くらいの少年だった」
「何と……このギリギリのタイミングで、勇者候補生が現れるとは……」
パレンに詳細を聞かれるより先んじて、レオニスは亀裂のもとに行った理由と勇者候補生の特徴をパレンに伝えた。
理由はもちろん適当に見繕った嘘で、勇者候補生の特徴もライトが化けていた見た目をそのままに伝えている。
そうして素早くカウボーイ服に着替えたパレンが、改めてレオニスに声をかけた。
「レオニス君、君もともに現場についてきてくれるかね?」
「いや、俺はそろそろカタポレンの森の警邏に戻りたい。あの亀裂が出て以来ずっとこっちにいて、向こうは長らく放ったらかしにしてるからな」
「ああ、そういえばそうだったな。ビースリーという非常事態故に、レオニス君にもずっとラグナロッツァに詰めてもらっていたが……そうか、確かにカタポレンの森の警邏もそろそろ再開してもらわねばならんな」
「そういうこと」
現場への同行を求めたパレンに、レオニスが首を横に振りながら断る。
レオニスがパレンの申し出を断るのは珍しいことだ。
だがしかし、レオニスは一刻も早くカタポレンの家に帰りたかったし、何より今この瞬間もラグナロッツァに居たくなかった。
もっとも、その理由に挙げた『カタポレンの森の警邏に戻りたい』というのも本当のことなのだが。
「それに、あの亀裂はもう完全に閉じたのをこの俺の目で確認したからな。検分ならマスターパレン、あんた一人だけでも十分だし大丈夫だ」
「承知した。ではまた後で会おう」
「ああ……ただ、カタポレンの森の警邏を十日もサボっちまったからな。遠くの方まで念入りに見て回るつもりだから、当分はこっちに顔を出さんと思う」
「それも承知した。カタポレンの森の安寧もまた、アクシーディア公国にとってなくてはならないものだからな」
数日はラグナロッツァに戻らない旨をパレンに伝えるレオニスに、パレンもまたそれを承諾する。
ラグナロッツァの未曾有の危機が回避できたなら、レオニスが常日頃警邏に回っているカタポレンの森の安全を見て回るというのは当然のことだ。
未だ元気がない様子のレオニスに、パレンがレオニスの両肩をガシッ!と掴みながら励ましの言葉をかける。
「レオニス君も、今日までご苦労だった。ビースリーの危機を回避できたのも、ひとえに君の尽力の賜物だ」
「ンなこたぁないさ。俺は無力で、無知で、本当に何も知らなくて……」
「謙遜することなどないぞ。この十日間、君には昼も夜も様々な任務を請け負ってもらった。さぞ疲れたろう、今日のところは家に帰ってゆっくりと過ごしてくれたまえ」
「ああ……そうさせてもらおう」
パレンの心からの労いに、レオニスが顔を歪めつつ応える。
普段とは違う様子のレオニスに、パレンも内心ではとても心配していた。
だが、今は亀裂の完全消滅の確認を何よりも優先しなければならない。
冒険者ギルド総本部マスターであり、亀裂対策本部司令官でもあるパレン自らが現場に赴き、その目で消滅の確認をすることで今回の未曾有の危機ビースリーの終結を宣言できるのだ。
「では、また後日会おう。レオニス君も、カタポレンの森の警邏は大変だろうが……あまり無理せずにな」
「ああ、ありがとう。マスターパレンもまだまだ今から忙しくなるだろうが、あんたも体調に気をつけて頑張ってくれ」
「ありがとう。では、またな!」
レオニスを励ましつつ、大会議室を颯爽と出ていくパレン。バタバタバタ……というパレンが廊下を走る足音が聞こえ、あっという間に遠ざかっていく。
最低限の報告を終えたレオニスは、重い足を引き摺るようにして冒険者ギルド総本部を出て、ラグナロッツァの屋敷に戻っていった。