作品タイトル不明
318話:めちゃウマ
薄暗い天幕内でベッドに横になるフィレクシアは、朦朧とした表情をしていた。
呼吸は荒く目は潤んでおり、かなり具合が悪そうだ。
ぜいぜいと肩で息をしていて、呼吸音もどこか異音が混じっているように聞こえる。
用意された食事(こちらの世界のパンとスープ)はほとんど手付かずで、ティティスもフィレクシアを看病していて食べていない状態だ。
「フィレクシアさん、お水です。飲めますか?」
ティティスがコップを差し出す。
天幕の外にはセレットが控えているのだが、看病にはノータッチだ。
「うう……飲みたくないのですよ」
「少しでも水分を摂らないと。さあ、体を起こして」
ティティスに支えられ、フィレクシアが身を起こす。
コップに口をつけて一口分だけ含み、顔をしかめてごくりと飲み込んだ。
「ぎぼちわるいです……」
「我慢してください。吐くと余計に体力を消耗してしまいますよ」
そうしていると、バレッタがやって来た。
手には、リポDを1瓶持っている。
「フィレクシアさん、神の秘薬を持ってきました。もう大丈夫ですよ」
バレッタがリポDのフタを捻じって開け、フィレクシアに差し出す。
茶色い遮光瓶を見て、フィレクシアが目を丸くした。
「わわっ、それ、黒曜石の入れ物ですよね!? フタの構造も螺旋に……げほっ、げほっ!」
興奮して咳込むフィレクシアの背を、ティティスが撫でる。
そして、不思議そうにリポDを見つめた。
「こんなに綺麗な黒曜石の入れ物があるなんて……それに、秘薬とは?」
怪訝な顔をするティティスに、バレッタはにこりと微笑んだ。
「神の世界のお薬です。これを飲めば、1刻(約2時間)もしないうちにすっかり元気になりますよ」
「そ、それはすさまじいですね。カズラ様がくださったのですか?」
「はい。フィレクシアさんには、元気でいてもらわないとって。どうぞ、飲んでください」
「げふ、げふ。あの、麻薬のようなものではないのですよね? 副作用とかはあるのでしょうか?」
この世界にも、麻薬は存在している。
毒性のある植物やキノコを煎じたもので、幻覚作用や興奮作用があるものがいくつか知られている。
大抵の場合は飲んだ後に猛烈な胃の不調や吐き気、意識の混濁などを伴い、過剰摂取は死に直結する危険なものだ。
もはや毒そのものといってもいい代物であり、暗殺や謀略に使われることはあっても、好んで使うようなものではない。
以前、カイレンが食中毒の偽装に用いたクラボ草も、その1つである。
「副作用はありません。安心してください」
「分かりました。いただくのですよ」
フィレクシアがリポDを受け取り、まじまじと見つめる。
そして、えいやっ、と口に付けて傾けた。
「んぐ!?」
「フィレクシアさん!? どうしました!?」
目を見開いたフィレクシアに、ティティスが慌てる。
そんな彼女をよそに、フィレクシアはごくごくと喉を鳴らしてリポDを半分ほど飲んだ。
「ぷはっ……めっっっちゃくちゃ美味しいのですよ! めちゃウマなのです!」
目を輝かせて、手の中のリポDを見つめるフィレクシア。
その様子に、バレッタはほっとした様子で微笑んだ。
「でしょう? それ、薬なのにすごく美味しいんです」
「はい! こんな美味しい飲み物、初めて飲みました! ティティスさんも、一口飲んでみてください!」
「えっ? で、ですが……」
ティティスが「どうしよう」、といった顔でバレッタを見る。
「大丈夫ですよ。飲んでみてください」
「……では、失礼して」
ティティスがフィレクシアからリポDを受け取る。
鼻を近づけ、くんくんと匂いを嗅いだ。
「いい匂いですね」
そうして瓶に口をつけ、傾けた。
その瞬間目を見開き、瓶をまじまじと見つめる。
「……美味しい」
「ふふ。気に入りました?」
「はい。初めて口にする味です。甘くって、酸味があって……とにかく、すごく美味しいです」
ティティスがフィレクシアにリポDを返す。
フィレクシアは受け取るとすぐさま口をつけ、ごくごくと飲み始めた。
「んぐ、んぐ……はあ、美味しかったのです。水桶いっぱい飲みたいくらいなのですよ。げふ、げふ」
「あはは。また明日の朝に持ってきますから。ティティスさんの分も貰えるように、カズラさんにお願いしてみますね。すごく疲れた顔をしてますし」
「ありがとうございます。私たちのような立場の者に、かような施しをしてくださるなんて。さすがは慈悲と豊穣の神ですね。心より感謝いたします」
ティティスが柔らかく微笑む。
実のところ、ティティスは一良が本物のグレイシオールかということについては、まだ信じてはいない。
神そのものが自分たちにまで正体を明かすだろうかという疑念があるため、神の代役として自分たちに神を自称しているのかも、と考えているのだ。
とはいえ、戦いの動画を見たことで神の力については疑う余地なしと判断している。
可能な限り一良への心証を良くしておくべきだ、と考えていた。
――ていうふうに、きっとティティスさんは考えてるよね。
そんなことを考えながら、バレッタは「はい」と笑顔で頷いた。
――問題はこの人なんだけど……信じてくれるかなぁ。
バレッタの見立てでは、フィレクシアは神というものの存在をハナから信じていない様子なので、扱いが難しいと考えていた。
たとえ超常的な現象に見えても、突き詰めれば説明できないことはない、と考えているのではと感じているのだ。
――ティタニア様が魂を天に送るところを見てもらえば、もしかしたら……でも、余計なことはしないほうがいいのかな。
「フィレクシアさん。秘薬を飲んだので、食事は無理に食べなくても大丈夫です。ティティスさんは、食べられそうですか?」
「あ、すみません。すぐに食べてしまいますので」
ティティスが机に向かい、スプーンを手に取る。
「バレッタさん、この入れ物に書いてある文字……あ、なんでもないです」
口にスープを運んでいるティティスにギロリと睨まれ、フィレクシアがそそくさとベッドに横になる。
「え、ええと、それじゃあ私はこれで。何かあったら、入口にいるセレットさんに言ってくださいね」
「はい、ありがとうございました。ほら、フィレクシアさんも」
「ありがとうございました。げふげふ」
そうして、バレッタは天幕を出て行くのだった。
翌日の早朝。
そこには、元気に草原を走り回るフィレクシアの姿が。
「ぜんっかいしたのですよー!」
両手をぶんぶんと振り回しながら、ばたばたと大股で走り回るフィレクシア。
そんな彼女を止めようと、ティティスは静止の声を上げながら追いかけている。
シルベストリアとセレットも一良の傍におり、万が一彼女らが逃げ出した時のためにと見張っていた。
「フィレクシアさん! 何やってるんですかっ! 待ちなさい!」
「今まで生きてきて、こんなに体の調子が良かったことは一度もなかったのですよ! 最高にハイな気分なのですよおおお!」
満面の笑みで走るフィレクシアは、まさに元気いっぱいといった様子だ。
そんな彼女の姿を、一良はバレッタとリーゼと一緒に眺めていた。
「おお、ばっちり効いたみたいだな。よかった、よかった」
うんうんと頷く一良に、バレッタが微笑む。
「ものすごく嬉しそうですね。ティティスさんもやつれ気味だった顔色が良くなってますし、これで一安心です。あんなに走ったら、ちょっと心配ですけど」
「あはは。リポDあげてよかったね!」
一良たちが話していると、フィレクシアが駆け寄って来た。
一良の前で立ち止まり、にぱっと明るい笑顔を向ける。
全身汗だくだ。
「はあっ、はあっ、カズラ様! ほんっとうにありがとうございました! まるで体が新調されたみたいに調子がいいのですよ!」
「はは、それはよかった。でも、あまり無理はしないでくださいね? まだ病み上がりなんですから」
「はい!」
「はあ、はあ……フィレクシアさん、あなたって人は、もう……」
遅れて到着したティティスが、顎から汗を垂らしながら膝に両手をつく。
「いひひ。ティティスさんと駆けっこできる日が来るなんて、夢みたいです」
フィレクシアがティティスに振り返り、にこりと微笑む。
いつもなら少し走るとすぐに胸が苦しくなって咳込んでしまい、先ほどのように走ることなど、とてもできなかったのだ。
それが、たった一晩でここまで元気になれるなんて、とフィレクシアは感激していた。
そんな彼女に、ティティスも「そうですね」、と苦笑した。
こんなに嬉しそうにしている彼女を見るのは、ティティスは初めてだ。
「カズラ様。私の体は、もう普通の人みたいに健康になったのですか?」
フィレクシアが再び一良に目を向け、期待の混じった顔で問いかける。
「いいえ、一時的に元気になっているだけです。なので、無理はしちゃダメですよ?」
「そうなのですか……」
フィレクシアが、少しがっかりした顔になる。
しかし、すぐに顔を上げて微笑んだ。
「あんなお薬があるなんて、本当にすごいです。どんな薬草を使ったって、ここまでの効能は出ないのですよ」
「秘薬ですからね。同じようなものを作ろうとしても、あなたたちには絶対に不可能です。私のこと、信じてくれましたか?」
「はい! 私なりに納得できる推察は立ったので大丈夫です!」
何やら不穏な言いかたをするフィレクシア。
だが、疑うようなそぶりはもうなさそうなので、まあいいか、と一良は頷いた。
そこに、ルグロがやって来た。
「おーい、カズラ! そろそろ出発するってよ!」
「うん、分かった。フィレクシアさん、ティティスさん、馬車に戻ってくださいね」
「はい!」
「ご迷惑をおかけしました」
シルベストリアとセレットに連れられて、2人が馬車へと向かう。
「おっ。フィレクシアさん、元気になったみたいだな」
すれ違いざまに、ルグロがフィレクシアに声をかけた。
「はい! おかげ様で、元気満々なのです!」
むん、と両手の拳を胸の前で握るフィレクシア。
それを見て、ルグロは「よかったな!」、と笑顔になる。
「元気になったついでに、交渉のほうもよろしく頼むぜ? 悪いようにはしねえからさ」
「はい! 必ずやカイレン様を説得してみせるのですよ!」
「おう、その意気だ。頑張れよ!」
自信満々といった様子のフィレクシアに、ルグロが右手の拳を差し出す。
フィレクシアは一瞬きょとんとした様子だったが、すぐにその意味を理解して、自身の右手をこつんとぶつけるのだった。
4日後の夜。
すべての兵士に米入りの粥を食べさせ、強化済みラタによる物資の運搬で驚異的な行軍速度を発揮したアルカディア・クレイラッツ連合軍は、目標地点であるムディア北西に到達していた。
今は、バルベール軍との戦闘に備え、大急ぎで近場の森から木を伐り出して防御陣地を設営しているところだ。
この位置からはムディアが視認できるのだが、カイレンたちが気付くのは、ムディアの真ん前に到着してからになるだろう。
ムディアへの道のりには途中に深い森があるため、斥候を出さない限りは存在に気付けないからだ。
「急げ! バルベール軍の到着は間近だぞ!」
月明かりが辺りを照らすなか、ナルソンが兵士たちに檄を飛ばす。
バルベール軍が撤退を開始した後は、彼らがムディアに送った伝令には手を出さないことになっている。
カーネリアンにも、それは伝えてある。
受け入れ準備の要請に訪れたバルベール軍の伝令には、街に家族がいるバルベール兵を脅して応対させた。
今頃、カイレンたちは安心してムディアへと向かっているだろう。
彼らは付近の安全は確保されていると考えているようで、ムディアの周囲には斥候を出していない様子とのことだ。
ムディアの守備隊が常に斥候を出しているので心配はいらない、と伝えたからというのもある。
『やれやれ、ようやくラタばかり食う生活も終わったか』
一良の隣で兵士たちの仕事を見ながら、オルマシオールが言う。
ウリボウたちはバルベール首都へと向かうカイレンの軍勢の伝令の妨害のみをすることになったので、もういいだろうとのことで戻って来たのだ。
ティタニアは兵士たちの仕事を手伝っており、荷車を器用に扱って、せっせと資材の移動を手伝っている。
「お疲れ様でした。やっぱり、ラタだけだと飽きちゃいますか?」
『砦での食事に慣れてしまうと、どうもな。まあ、狩ったのに食べずにおくのはよくないし、仕方がない』
「オルマシオール様、食事をお持ちいたしました」
そんな話をしていると、エイラとマリーが荷車に大鍋を載せてやって来た。
鍋にはたっぷりと肉シチューが入っており、ほかほかと湯気を立ち上らせている。
肉は、缶詰のチキンランチョンミートだ。
『おお、待ちわびたぞ。早く食わせてくれ』
「っ!」
「あわわ!」
ふらついたエイラとマリーの手から荷車の持ち手が離れてしまい、荷車が傾く。
とっさにオルマシオールが駆け寄り、熱々の鍋を両前足で支えた。
肉球に伝わる熱に、オルマシオールが「ギャンッ!」と悲鳴を上げて地面を転げまわる。
転落しかけた鍋の持ち手を一良が掴み、間一髪のところで肉シチューが台無しになるのは避けられた。
「あっぶね! オルマシオールさん、大丈夫ですか!?」
オルマシオールが両前足にふーふーと息を吹きかけながら、こくこくと頷く。
「よ、よかった……今、桶に移しますね」
エイラがほっと息をつき、1人で鍋を持ち上げて大きな桶に肉シチューを流し込んだ。
どうぞ、とオルマシオールの前に差し出すと、彼はふうふうと息を吹きかけて冷まし始めた。
「……いよいよ、ですね」
その姿を見つめながら、エイラがぽつりと言う。
マリーは別の桶に水を注ぎ、オルマシオールに差し出している。
オルマシオールは肉シチューに息を吹きかけながら、桶に両前足を漬けて冷やし始めた。
肉球の角質層が、少し焼けたようだ。
「ですね。バルベールと講和が結べたら、ようやくこの戦争もひと段落着きますね」
「はい。早くイステリアに帰って、元の生活に戻りたいです。カズラ様との約束もありますし」
「そうですね。エイラさんの家のサウナ、楽しみだなぁ」
「ふふ、きっとお気に召しますよ。疲れなんて、一気に吹き飛んじゃいますから」
エイラが柔らかく微笑む。
戦況がかなり有利に展開しているということもあって、この後の作戦も上手くいくことを疑っていない様子だ。
「でも、もし日本に行けるのなら、雑誌に載っていたサウナや温泉に入ってみたいです。どうにかして、私も行けませんでしょうか?」
「あー。方法がないわけじゃ……あ」
一良が言いかけると、エイラの表情が期待に満ちたものになった。
一良は「しまった」といった顔で、慌てて自分の口を押える。
当たり前だが、手遅れだ。
「えっ! そうなのですか!? どんな方法なんです!?」
「い、いや、それがちょっとですね……違ってたらえらいことになりますし、そもそも本当にそんなことでって感じで」
「教えてください! どうすればいいのですか!?」
「え、えっと……ど、どうしよ」
「もう! もったいぶらないで教えてください!」
「え、ええとですね。もしダメだった場合、洒落にならないというか、そもそもそう簡単にやっていいものじゃないというか――」
「教えてくださいってば! 何をどうすればいいんですか!?」
「あばばば」
エイラが一良の肩を掴み、ガクガクと揺する。
一良が「えらいこと言っちまった」と考えながら頭をシェイクされていると、バレッタとリーゼがやって来た。
「カズラさん、夕食の準備が……って」
「エイラ、何してるの?」
一良の肩を揺すっているエイラに、2人が怪訝な顔になる。
「カズラ様が、日本に行く方法があるっておっしゃったんです!」
「え!? 何それ!? どうすれば行けるの!? ねえ!」
リーゼが一良に駆け寄り、エイラと一緒に肩を揺する。
「あっあっあっ」
「ちょっと! ふざけてないで教えてよ!」
「教えてください!」
「ま、まあまあ。日本に行くにしても戦争が終わってからになりますし、後で聞けばいいじゃないですか」
バレッタが割って入り、リーゼとエイラを引き剥がす。
「後でって、バレッタは気にならない……あ! もしかして、バレッタは一良から聞いてたりするんじゃないの!?」
「えっ!? そ、そんなことないですよ! 私もさっぱり分からないです!」
「嘘つかないでよ! 本当はもう、日本に行ったことがあるんじゃないの!?」
「バレッタ様、そうなんですか!?」
今度はバレッタが2人に肩を掴まれ、ガクガクと揺すられる。
「本当に知らないんですって! 日本にも行ったことなんてないです!」
「嘘ついてたら承知しないよ!? 吐くなら今だよ!?」
「知りませんから! それより、ナルソン様からの伝言があるじゃないですか!」
バレッタが言うと、リーゼは「そうだった」と手を放した。
エイラも渋々といった様子で、手を放す。
「え、ええと。バレッタさん、伝言って?」
そそくさとバレッタの後ろに隠れながら、一良が聞く。
「アイザックさんから無線連絡が入って、エルタイルも同盟国側として参戦することが決まりました。明日にでも、軍をムディアに向けて出撃させるそうです」
「おお、それはよかった。これで、同盟国は元通りですね」
一良がほっと息をつく。
日和見を決め込んでいたプロティアとエルタイルが動いてくれたのなら、クレイラッツが側面を気にする必要はもうない。
特にエルタイルは国土も広く、強力な海軍を保持しているので、バルベールにかかる圧力は絶大なものとなるだろう。
これから行う講和交渉の材料になるはずだ。
「後はバルベール軍の本隊がムディアに到着するのを待つだけ、か」
「はい。それで交渉がまとまれば――」
バレッタが言いかけた時、ルグロがジルコニアと一緒に走って来た。
「カズラ! バルベール軍が、あと半日でムディアに着くらしいぞ!」