作品タイトル不明
281話:鋼の意志
約2時間後。
一良は異世界への扉をくぐり、雑木林の中を歩いていた。
あれから母とは1時間以上もしゃべってしまい、日は暮れて辺りはすっかり夕焼け色に染まっていた。
「あっ、カズラ!」
「カズラさん!」
例の転移地点にまで一良が戻って来ると、バレッタとリーゼが大きく手を振っているのが見えた。
一良は小走りで、彼女たちの下へと向かう。
「2人とも、遅くなってごめん」
「もう、心配したんだよ!? 30分くらいで戻るって言ってたのに、全然戻って来ないんだもん!」
「カズラさん、向こうで何かあったんですか?」
「それが、母と電話してたらいつの間にかこんな時間になっちゃって」
一良が電話での母とのやり取りを、2人に話して聞かせる。
「へえ、カズラのお母様も、こっちに来れる扉のこと知ってたんだ」
「うん。それで、話し込んじゃってさ」
「でも、何で言っちゃいけないんだろうね? カズラが困るって何だろ?」
「それがさっぱり分からなくて。ごめんねって泣かれちゃうし――」
「……やっぱり」
「バレッタさん、どうしました?」
ぽつりとつぶやくバレッタに、リーゼと話していた一良が気づいて目を向ける。
「あ、いえ! 何でもないです!」
バレッタがにこりと微笑む。
「そろそろお夕飯ですから、家に帰りましょう。お風呂、すぐに沸かしますから」
「あ、そうだった。すみません、薪を無駄にさせちゃって」
「いえいえ、薪なら前にグレゴルン領軍の人たちが作ってくれたものが山ほどありますし、大丈夫ですよ」
3人並んであれこれと話しながら、村へと歩く。
雑木林を抜けると、わいわいと遊んでいる子供たちの姿が目に入った。
2頭のウリボウとエイラが相手をしてくれている様子だ。
見たところ、ジルコニアとアイザックたちの姿はない。
「うお、まだ遊んでるのか」
「ええ。オルマシオール様たち、ずっと遊んでくれていて」
彼らの下に一良たちが歩み寄る。
「あっ、カズラ様。おかえりなさい!」
「うん。じゃあ、また明日ね!」
「ばいばーい!」
子供たちは一良への挨拶もそこそこに、ウリボウたちに手を振ってそれぞれの家へと帰って行った。
巨躯のウリボウが、やれやれといった様子でその場に腰を下ろす。
『おかえりなさい。物資の調達は上手くいきましたか?』
黒いウリボウが一良に歩み寄り、にこりと微笑む。
大きな獣の姿ながら、表情豊かで可愛らしい。
「わっ!? 私も聞こえる!」
リーゼが驚いた顔で言う。
彼女も言葉が聞き取れるのは、周囲に他に人がいないからだろうか。
『意識にかなり強く霧をかけています。しばらくはふらつくと思いますから、転ばないように気を付けてくださいね』
「はい! おっ、とと!」
よたよたとふらつきながらも、嬉しそうに頷くリーゼ。
どうやら、以前言われたように「頭に霞がかかっている状態」のようだ。
バレッタが慌ててリーゼを支え、ウリボウたちに目を向ける。
「オルマシオール様たちも、お風呂はいかがですか?」
バレッタが2人に提案する。
『私は結構だ。体が濡れるのは好かん』
『私は入らせてもらいますね。お風呂というものに、以前から興味があったので』
嬉しそうにしている彼女に、一良がうんうんと頷く。
「それじゃ、行きましょうか。お風呂はあなたからで……ううむ、名前がないと呼びにくいな。お二人とも、名前はないんですか?」
『ない。貴君らで適当に決めてくれ』
「適当にと言われても……バレッタさん、リーゼ、何かいい名前ないかな? 2人が付けてよ」
一良に話を振られ、2人が考え込む。
「むむっ、大役を任されてしまった」
「う、うーん……お一人はオルマシオール様でいいと思いますけど」
『なら、私をそう呼んでくれ』
巨躯のウリボウが申し出る。
「なら、あとはお姉様の名前だね。何がいいかな?」
「女性ですから、可愛い名前がいいですね」
「でも、やっぱり神様だから、威厳もある感じがいいんじゃない?」
「威厳ですか……うーん」
『ふふ。何だかドキドキしますね』
黒いウリボウがにこにこして、必死に名前を考える2人を見つめる。
あれはどうだ、これはどうだとバレッタとリーゼはいくつか提案し合うが、なかなか決まらない。
「んー、どうしよ。困ったなぁ……」
「ですね……神様の名前ですし、なおさら難しいです……」
『何でもいいから、さっさと決めてくれ。私は腹が減ったぞ』
オルマシオールが不機嫌な声で言い、その場に伏せる。
バレッタとリーゼは「す、すみません」と焦り顔になった。
『もう、酷い言い草ですね。私が初めて貰う名前なんですよ?』
『そんなに悩むものでもないだろうが。ウリとかボウなどでいいのではないか?』
『……そんな名前を付けられたら、私は1人で森に帰りますからね』
『まったく、面倒な女だ』
やれやれ、とオルマシオールがため息をつく。
バレッタとリーゼは、ますます慌てた顔になった。
「ど、どうしよ。ねえ、カズラも考えてよ!」
「カズラさん、何かいい感じの名前はないですか?」
「何かって言ったって……」
一良が渋い顔になる。
せっかく命名権を2人に投げたというのに、投げ返されてしまった。
「んー。見た目が動物だから、ペットにつける名前っぽいと親しみやすいような。シロとかクロじゃさすがにアレだけど」
「ペ、ペットって……それはちょっと失礼な気がします」
『別に構いませんよ? 個性的で素敵な名前をお願いしますね』
一良を諫めるバレッタに、黒いウリボウが言う。
個性的で素敵、とはなかなかに難しい注文だ。
「カズラは何か動物を飼ってたことないの? 参考にさせてよ」
リーゼがぶすっとしているオルマシオールをちらちらと見ながら、一良に聞く。
早く決めねば、と焦っている様子だ。
「あるぞ。猫とミドリガメを1匹ずつ飼ってた」
「猫って、映画に出てきたもふもふの可愛い動物だよね? カズラが名前を考えたの?」
「うん」
「何て名前?」
「すこんぶ」
「「……」」
バレッタとリーゼが黙りこくる。
すこんぶ(酢昆布)は一良が大量に持ち込んだお菓子のなかにもあったので、どんなものかは2人とも知っている。
エイラが特に好きで、「美味しい」と休憩時間によく食べていた。
ペットにはかわいい名前かもしれないが、人語を話す相手を「すこんぶ様」と呼ぶのはかなり厳しい気がする。
『……あの、私は別にすこんぶでもいいですよ? 珍しい名前ですし、何となく可愛い気がしますし』
黙りこくってしまったバレッタとリーゼを気にしてか、黒いウリボウがおずおずと口を挟む。
現状、「ウリ」「ボウ」「すこんぶ」の三択だ。
「い、いえ! 別の名前を考えますので! カズラ、すこんぶ以外で!」
「んなこと言っても……後は亀の名前しか付けたことないしなぁ」
「亀は何ていう名前だったんですか?」
「ティタニア」
「いいじゃん!」
「いいじゃないですか!」
なかなかに綺麗な響きに、リーゼとバレッタの声が重なる。
「その名前、どういう意味なの?」
「惑星の名前だよ。地球からかなり離れた場所にあるやつだったかな」
「どうして、その惑星の名前を亀に付けたんですか?」
「子供の頃、家族で宇宙観測センターってとこに遊びに行ったんですけど、そこでなぜか亀が売ってて。俺が両親にせがんで、買ってもらったんです。で、名前をどうしようかってなって、そこの展示場で紹介されてた惑星の写真を見て、綺麗な名前だなって思って付けたんです」
「なるほど! ティタニア様、でいかがですか?」
リーゼが言うと、黒いウリボウはにっこりと微笑んだ。
『はい。とても綺麗な響きの名前ですね。カズラ様とも縁の深い名前で、とても気に入りました』
「よかった……バレッタも、いいかな?」
「はい。素敵な名前だと思います」
バレッタがほっとした様子で頷く。
『では、これからはティタニアと名乗らせていただきますね。カズラ様、素敵な名前をありがとうございます』
「あ、いえいえ。うちにいたティタニアも、あなたと同じ名前になれてきっと喜んでいると思います」
よく分からない返事をする一良に、バレッタとリーゼがあははと笑う。
すると、オルマシオールがのそりと起き上がった。
『決まったようだな。飯にしてくれ』
『ふふ、オルマシオール。よだれが出ていますよ?』
ぽたぽたとよだれを垂らしているオルマシオールに、ティタニアがくすくすと笑う。
『こんなにいい匂いをかがされては、辛抱堪らん。さっさと行くぞ』
『ねえ、私の名前を呼んでくださらないの?』
『……ティタニア、行くぞ』
憮然とした様子で名を呼ぶオルマシオールに、ティタニアは嬉しそうに微笑むのだった。
一良たちがバレッタの家へと戻ると、居間の囲炉裏でジルコニア、エイラ、アイザック、ハベルが串に刺された大量の魚を焼いているところだった。
囲炉裏の周りには大皿が置かれ、大きな肉の塊や野菜の炒め物などの料理がいくつも並んでいた。
「あら、カズラさん、おかえりなさい」
「皆様、おかえりなさいませ」
ジルコニアとエイラがにこりと微笑み、一良たちを出迎える。
ジルコニアは私服姿に着替えており、エイラも侍女服ではなく私服姿だ。
アイザックとハベルは鎧下姿で、囲炉裏の灰に突き刺されている大量の魚の焼け具合を見ながらくるくると順番に回しているところだった。
「うわ、すごいごちそうですね」
驚く一良に、ジルコニアが「はい」と微笑む。
「ロズルーが、森で野生のカフクを仕留めてきてくれて。こんなに大きな肉の塊を置いて行ってくれました」
ジルコニアが両手で大きな丸を作ってみせる。
一良が留守にしていたのは2時間ほどだが、まさかその短時間で獲物を仕留めて解体までしたうえに運び込んでしまうとは。
「おお、それはすごいですね。肉、全部料理したんですか?」
「はい。一応、生肉も半分残して切り分けておきました。オルマシオール様たちは、生肉も好きなのかなって思って」
『どちらも好きだぞ。心遣い、感謝する』
オルマシオールの言葉が皆の頭に響き、ジルコニアたちが驚いた顔になる。
「えっ、私たちもお話できるのですか?」
『うむ。だが、今は立ち上がらんほうがいいぞ。恐らく、転んでしまうだろうからな』
「はあ……う」
ジルコニアが頷きかけて、顔をしかめて左手を床につく。
「な……この、眠気は……」
『む、やはり効きすぎたか』
「カ、カズラ、支えて。立ってられない」
一良の隣にいたリーゼが、一良の腕にしがみつく。
目が虚ろになっており、足ががくがくと震えていた。
エイラ、アイザック、ハベルはぱたりと床に倒れ込んでしまっている。
「うお!? だ、大丈夫か!?」
「む、無理……あ、あれ?」
一拍置いて、リーゼの足の震えが止まり目つきが元に戻った。
どうやら、オルマシオールが術を解いたようだ。
オルマシオールが一良を見上げ、右前足を上げてちょいちょいと囲炉裏を指す。
「あ、はい。食事ですね。上がってください」
一良が言うと、オルマシオールはのそりと居間に上がった。
倒れているエイラの隣に行き、鼻先で彼女の頬をつつく。
エイラははっとした様子で目を覚まし、目の前にあるオルマシオールの顔に驚いて「きゃあ!」と悲鳴を上げた。
「あ、あれ? 私……寝てましたか?」
驚いてのけぞってしまっているエイラが、一良に目を向ける。
「ええ。オルマシオールさんの力で眠ってしまっていたみたいです」
「そ、そうなんですか……あっ、アイザック様! ハベル様!」
いまだに倒れ込んでいる2人に、エイラが呼びかける。
2人ともぴくりとも動かず、すやすやと眠っている様子だ。
見ると、彼らの腕には青あざがいくつもできているのが見て取れた。
「あらあら。2人とも、ぐっすりね」
ジルコニアがアイザックに歩み寄り、肩を揺する。
それでも彼は起きず、熟睡していた。
『そのままにしておけ。5人なら、辛うじて耐えられるだろう』
再び、オルマシオールの声が皆の頭に響く。
起きている人の数によって、彼の使う力の強さの強弱は変わるらしかった。
「う……また眠気が……」
ジルコニアが少し顔をしかめる。
エイラは頭がふらついており、目の焦点が合っていない。
「わ、私も眠気が……カズラとバレッタは平気なの?」
リーゼが一良の腕を強く抱きながら、2人に目を向ける。
「俺も少しだけ。バレッタさんは?」
「大丈夫です。眠気もありません」
バレッタが即答する。
『彼女はカズラに向ける意志の強さが桁違いだ。私がどんなに術を強くしても、彼が傍にいる限りは眠ることはあるまい。術に対する順応速度もすさまじい。大したものだな』
「……え? どういうことですか?」
リーゼがオルマシオールに問いかける。
『我らに対して、一片たりとも油断していないということだ。何があろうともカズラを守るという意志の塊だな』
皆が驚いた顔をバレッタに向ける。
「……すみません」
バレッタが少し目を伏せて謝る。
『構わん。それがお前の生きかたなのだろうからな』
オルマシオールはそう言うと、料理に目を向けた。
『さて、これくらいにしておこう。食事にさせてくれ』
彼がそう言った途端、ジルコニアたちのふらつきが止まった。
術を解いたようだ。
しん、と重い沈黙が部屋を支配する。
「え、ええと。それじゃあ、食べますかね。ティタニアさんは、お風呂に行きます?」
重苦しい空気のなか、一良がティタニアに目を向ける。
彼女は苦笑しながら、こくりと頷いた。
「……私、お風呂の薪係やるね。ティタニア様、行きましょう」
リーゼがティタニアをうながし、外に出て行く。
「そ、それじゃあ、バレッタさん、俺たちは食事にしましょうか」
一良がバレッタに目を向けて言う。
バレッタはにこりと微笑み、「はい」と頷いた。