作品タイトル不明
260話:ごめんね
翌日の早朝。
一良は1人、宿舎の屋上で無線機を手に話していた。
相手は、グリセア村にいるルグロだ。
「まるっと手のひら返しねえ……」
ほっとしたような、半ば呆れたような口ぶりで一良が言う。
モルスたち反乱軍の部隊長たちは一貫して、「自分たちはニーベルに騙されていた」としつこいほどに言っているらしい。
普通に考えて協力者がいるのは当たり前なので、状況不利と見てすべての責任をニーベルに押し付けた者が多数いるはずだ。
ニーベルは現在、ダイアスの妻のフィオナが閉じ込められていた馬車に入れられ、身柄を確保されているとのことだ。
「ダイアスさんの奥さんはどんな様子? どうぞ」
『あー。あの人な、ずっと「ニーベルを殺せ!」って言ってきかねえんだよ。よっぽど酷い目に遭ったみたいでさ。目が据わっちまってて、怖いったらねえぞ』
ルグロがフィオナの様子を、一良に話して聞かせる。
夫や近しい者たちを目の前で皆殺しにされ、どうやら精神に異常をきたしているらしい。
ダイアスよりも他の何人かの男の名をよく口にしているそうなのだが、彼女の愛人の名なのかもしれない。
『自分もいつ殺されるのか分からない状況に何日も置かれてたうえに、馬車の中でクソもなにも垂れ流しだったんだから、そりゃあおかしくもなるよな。彼女と面識のある若い侍女がずっと付き添ってるけど、どうだかな……カズラの力で、なんとか治してやることはできないか? どうぞ』
「うーん……まあ、心が安らぐ薬はあるから、イステリアに行ったら使ってあげるように指示は出しておくよ」
日頃の素行はともかくとして、フィオナは完全に被害者だ。
今後、ダイアスの後継として領主になれるのかは甚だ疑問だが、それは置いておいて治療はしなければならない。
「それと、ルティーナさん、すごくルグロのこと心配してるよ。気丈には振る舞ってるけど、ちょっと暗い感じかな。どうぞ」
『そ、そうか。子供たちはどうだ? どうぞ』
「お子さんには、『お父さんは急用で別のところに行ってる』って言ってある。ルルーナさんとロローナさんがルティーナさんを元気づけようとして、あれこれやってるみたい。どうぞ」
『そっか。あの2人、俺と違ってかなり利口だからな。なんとなく察してるのかもしれねえな』
ルグロの安心したような、少し疲れたような声が無線機から響く。
『今日中にバイクでそっちに戻る。あと、反乱軍の指揮官連中は、全員ラタで砦に向かわせるぞ。あいつらにあのまま、グレゴルン領の軍団を任せるわけにはいかないからな』
バイクでグリセア村に急行したルグロは、兵士たちやモルスたち指揮官連中に、グレイシオール降臨のことを噛み砕いて説明していた。
彼らはわけの分からない乗り物に乗ってやって来たルグロに目を白黒させていたが、グレイシオールから借りた乗り物だと聞いて、兵士たちは歓声を上げて喜んでいたらしい。
兵士たちは皆、グレイシオール降臨の噂は聞いていたようだ。
『言われたとおり、今のとこは全部ニーベルが仕組んだってことにしてある。ニーベルと組んであれこれ画策した奴らはいるだろうけど、そこはあえて無視してるぞ。どうぞ』
「うん、それでいいよ。こっちに来たら、全員に地獄の様子を見てもらうから。それで犯人は炙り出せると思う」
当初、犯人捜しをすぐには行わないと一良がルグロに伝えたところ、「それがいいだろうな」とすぐにルグロは賛同してくれた。
現場での犯人捜しなどできるはずもなく、その場で追い詰めるなど論外だ。
後々、犯人には罰を受けてもらうことにはなるだろうが、動画を見せることで今後の行動を縛ることができるなら、彼らにも利用価値があるだろう。
「それじゃ、なるべく急いで戻って来てよ。バルベールの軍団も集まりつつあるし、戦いも近そうだ。ルグロがいないと士気が上がらないからさ。どうぞ」
『別に俺がいなくても、どうとでもなると思うけどな。必要なのは、カズラとナルソンさんとジルコニア殿だろ。どうぞ』
「そんなことないって。少なくとも、俺はルグロが傍にいてくれたほうが安心だよ。俺と違って、威厳たっぷりで皆に指示を出してくれるしさ。どうぞ」
『はは、ありがとさん。帰ったら一緒に、酒でも飲もうぜ! じゃあな!』
ルグロからの通信が切れ、一良が無線機を下ろす。
領内の方々に散った市民たちには、元反乱軍の兵士たちが作戦中止の連絡を伝え回っている状況だ。
しばらくすれば、皆グレゴリアへと帰還させることができるだろう。
「さてと……あ、ジルコニアさん」
階下へ戻ろうと一良が振り返ると、すぐ後ろにジルコニアが立っていた。
鎧ではなく、私服姿だ。
「カズラさん、おはようございます。殿下とお話していたのですか?」
「ええ。ジルコニアさんは何をしに?」
「カズラさんとお話がしたくて。あちこち探しちゃいましたよ」
ジルコニアがにこりと笑い、一良の隣に来る。
会議室での一件があって以来、こうして彼女が一良を訪ねてくるのは初めてだ。
イステリアにいたころは、それこそ暇さえあれば一良の下へ訪ねて来ていたのだが。
「この間はごめんなさい。カズラさんに当たり散らすようなことをしちゃって」
石の柵に両肘を乗せて砦内の街並みを眺めながら、ジルコニアが言う。
数日前に会議室で一良に怒鳴ったことを言っているのだ。
一良も同じように、街並みに目を向けた。
「いえ、いいんですよ。俺のほうこそ、ジルコニアさんの気持ちをないがしろにするようなことを言ってしまって……ごめんなさい」
「謝ることなんてないですよ。私の身勝手を、カズラさんが諫めてくれただけですから。カズラさんが言っていたことはもっともですし、悪いのは私です」
「うーん……じゃあ、おあいこですね。お互い、『感情的になってしまったことにごめんなさい』ってことで」
一良が言うと、ジルコニアが小さく笑った。
そんな彼女に、一良がきょとんとした顔を向ける。
「あれ? 俺、変なこと言いました?」
「だって、全然おあいこじゃないじゃないですか。明らかに私のほうが間違っていたのに」
「んー……でも、何が正しいかとか間違ってるかなんて、その人によって違いますよ。譲れない一線は、誰にだってあります」
一良が街並みに目を戻す。
すでにあちこちで朝の炊事が始まっているようで、建物の煙突や窓からは白い煙が立ち上っていた。
砦の住人や使用人たちが物干し縄に洗濯物を干している姿が、そこかしこに見られる。
「ジルコニアさんが今までどれだけ辛くて悲しい想いをしてきたのか、俺には分かりません。でも――」
そう言って、一良は再びジルコニアに目を向け、にこりと微笑んだ。
「その悲しみを癒すために俺にできることがあるのなら、どうか頼ってください。吐き出したいことがあるのなら、1人で悩んでいないで俺に話してください。俺にできることなら、何だってしますから」
「……っ」
「えっ!? ジ、ジルコニアさん?」
急に涙を流し始めたジルコニアに、一良が慌てる。
「っ、ごめんなさい……何だか、じんときちゃって」
ジルコニアが指先で涙を拭い、濡れた瞳で一良に微笑む。
「ダメですね。近頃、涙もろくなっちゃったみたいで。ちょっとしたことで、涙が出ちゃいます」
「そっか……最近いろいろとありましたし、きっと心が弱ってるんですよ。ルグロが帰ってきたらバイクがまた使えますし、気分転換に一緒にドライブでもしませんか?」
「……いえ。それよりも、カズラさんにしてもらいたいことがあって」
「何です? 何でも言ってください」
「ぎゅって、抱き締めてもらえませんか?」
「……え゛」
「ダメですか?」
「いえ……じゃ、じゃあ、失礼します」
一良がジルコニアを引き寄せ、抱き締める。
ジルコニアは一良の背に手を回し、きゅっとしがみ付いた。
「……あなたに会えて、本当に良かった」
一良の温もりを確かめるようにその顔に自身の頬を寄せながら、ジルコニアが言う。
「もし、次の戦いで私に何かあったら、その時はリーゼをよろしくお願いします。私の代わりに、あの娘を守ってあげてくださいね」
「縁起でもないことを言わないでください。俺にはジルコニアさんの代わりなんてできません。それに俺、ジルコニアさんがいなくなるなんて絶対に嫌です」
「……」
「お願いですから、先走って敵陣に突っ込むような真似はしないでくださいよ? そんなことしたら、死んでも許しませんから」
「死んでも、ですか」
「死んでもです。絶対にやめてください」
「じゃあ、簡単には死ねないですね」
「簡単じゃなくても死んじゃダメです」
「……うん。分かりました」
ジルコニアが、そっと一良から離れる。
「ありがとうございます。すごく落ち着きました」
「どういたしまして。でも、今言ったこと、守ってくださいね。絶対に勝手な真似はしちゃダメですよ?」
「はい。約束ですね」
ジルコニアがにこりと微笑む。
もう、涙は流していなかった。
「そろそろ戻りましょうか。もうすぐ朝食の時間でしょうし」
ジルコニアが屋上への出入口に目を向けて言う。
「ですね。たくさん食べて元気を付けましょう。食事が終わったら、どこかでお茶でもしましょうか。お菓子も山盛り用意するんで」
「はい。皆を呼んで、トランプでもしながらお菓子パーティーをしましょっか」
そう言いながら、ジルコニアが苦笑する。
「ん? どうしました?」
「今の、誰かに見られてたみたいです。恥ずかしいところを見られちゃいましたね」
「え゛」
「まあ、仕方がないですよね。行きましょう」
仕方がないでは済まないのではないか、と一良は思いながらも、ジルコニアと一緒に出入口へと向かう。
その後、食事時に明らかに挙動不審な様子で給仕をするマリーに一良は気付き、念のためにとこっそり事情を話して口止めをし、事なきを得たのだった。