作品タイトル不明
242話:一触即発
緩やかな丘を駆け下り、カイレンたちの手前20メートルほどの位置でナルソンがラタを止めた。
護衛兵たちが先にラタを下り、続けて他の面々も地面に降り立つ。
ナルソンを先頭に、皆でぞろぞろとカイレンたちの手前5メートルほどにまで歩み寄った。
「ナルソン・イステール殿とお見受けする。俺はバルベール第10軍団長のカイレン・グリプスだ」
赤髪の男が、ナルソンに話しかける。
「いかにも、私がナルソンだ。協議したいことがあると聞いているが?」
「ああ。昨日贈った壺の中身は、確認してくれたか?」
「うむ。毒の煙を出す兵器、と使者は言っていたが」
「そうだ。この間の戦いで、そちらが使ったものと似たような効能を持つ兵器だと考えてもらって構わない。我々も、それを作ることに成功したんだ」
「ふむ。それで?」
「単刀直入に言おう。次の戦いでは、毒の煙の兵器は互いに使わないことにさせてもらいたいんだ」
「理由を聞かせてもらおうか」
「『それ』が、えげつないほどの威力を持っているからだ。あんなものを使い合って戦ったら、戦争が終わった後も後遺症で苦しむ兵士が大勢出る。どっちが勝っても、数十年にわたって禍根を残すことになるぞ」
「勝手に休戦協定を破って攻め込んで来ておいて、旗色が悪いと見るや兵器の不使用協定だと? 笑わせてくれる」
ナルソンが小馬鹿にしたような表情で鼻で笑う。
カイレンは苦々しげに顔をしかめた。
「兵に余計な苦痛を強いるのは、そちらだって避けたいはずだ。戦いで生き残っても、後遺症が残れば一生苦痛に苛まれることになるんだからな。ここは、今後は互いに、毒の煙の兵器は不使用と――」
「ふざけるな!!」
カイレンの言葉を遮って、ナルソンが怒鳴り声を上げた。
カイレンは言葉を止めただけだが、その両隣にいたティティスとフィレクシアは驚きのあまりに肩を跳ね上げた。
一良とリーゼも同様で、びくっと肩を跳ねさせてしまった。
バレッタやシルベストリアは、眉一つ動かさずに彼らを見据えている。
「休戦協定を破り、散々我らの兵や市民を殺しておいて、今さら何を言う! 貴様らの言い分など、もはや何一つ信用できるか!」
「ナルソン殿、冷静に考えてくれ。休戦協定を破って砦を攻めたのは、アルカディア側の人間が我々の村をいくつも襲って虐殺を繰り返したからだ。まるで、11年前の仕返しだとでもいうようにな」
カイレンが静かに語りかける。
「俺らだって、アルカディアの連中に言いたいことは山ほどある。だが、今回の協議に関しては、それらとは完全に別物として考えてほしい。この戦場に立つすべての兵士たちのために、どうか提案を飲んではくれないだろうか」
「……バルベール側の村が襲われたという話だが、こちらも散々調べたが――」
「ナルソン様、私からもお願いするのです」
ナルソンの言葉を遮り、カイレンの隣に立つ白髪の女――フィレクシア――が声を上げた。
「あんなものは、外道の使う兵器なのです。前回、砦の戦いで毒の煙を吸った兵士たちは、今も息をするたびに胸から変な音を立てていたり、喉が焼かれるように痛いと訴えている人が大勢います。しかも、その人たちは比較的症状が軽い人たちなのですよ」
フィレクシアが懇願するような表情でナルソンに訴える。
「重症の人たちのなかには、砦から撤退中に息ができなくて死んでしまったり、苦しさのあまりに舌を噛み切ったり剣で喉を掻き切ったりして自害してしまった人もいます。それ以外にも、街についてから血を吐いて死んでしまったり、生き延びてもほとんど寝たきりになってしまった人もいるんです」
フィレクシアの話に、一良が青ざめる。
毒ガスによって後遺症が残ることは一良も承知していたが、こうして生々しい話を聞いてしまうと、居たたまれなかった。
「やらなければやられる」とは分かっているが、どうしても後悔の念が湧き出てしまう。
「お願いします。どうか、あの兵器だけは使わないことにさせてください」
「あの、ちょっといいでしょうか」
バレッタがフィレクシアに声をかける。
「あの壺の中身を配合したのは、あなたですか?」
「はい。私が作りました」
「何を配合したのか、教えてもらえますか?」
「私が混ぜたのは、硫黄の粉と焼いた銅の……けほっ、けほっ」
フィレクシアが言いかけ、苦しそうに咳込んだ。
「けほっ、けほっ! げほっ!」
「お、おい! 大丈夫か!?」
カイレンがフィレクシアの背を摩る。
フィレクシアは激しく咳込みながら、口元を両手で覆っている。
「けほっ! はぁ、はぁ……だ、大丈夫なのです。ごめんなさい」
フィレクシアが顔を上げ、バレッタに目を向ける。
「硫黄の粉と、焼いた銅の粉、それに油と毒草を混ぜたものです。煙を浴びると、目に激痛が走って開けていられなくなります。煙を吸い込むと、息もできなくなります」
ぜいぜいと苦しそうに肩で息をしながら、フィレクシアが話す。
「確認したければ、お渡ししたものに火をつけて、ラタか何かに吸わせればいいのです。今言ったのと、同じことになりますから」
「……あの、もしかして、あなたも砦で煙を吸ってしまったのですか?」
バレッタが聞くと、フィレクシアはにっこりと微笑んだ。
「いえ、私は吸っていないのですよ。ちょっと風邪をこじらせちゃって、こんなことになっているだけです。いつもこんな感じなので……けほっ、けほっ」
フィレクシアが口元に手を当て、再び咳込む。
その手元を見て、バレッタが少し顔をしかめた。
「分かりました。頂いたものの効果は、後で試してみますね」
「はい。くれぐれも煙を吸い込まないように、注意してください。けほっ、けほっ」
「フィレクシア、先に戻って休め。後は俺に任せておけって」
カイレンがフィレクシアに心配そうな目を向ける。
フィレクシアは小さく咳込みながらも、カイレンに笑顔を向けた。
「いえ、大丈夫です。少し咳が出るだけですから。けほっ」
「……そうか。無理そうだったら、すぐに言うんだぞ?」
「はい。けほっ、けほっ」
カイレンはため息をつくと、ナルソンに向き直った。
「ナルソン殿、どうか提案を受け入れてはくれないだろうか」
「ちょっと待って」
それまで黙って聞いていたジルコニアが、カイレンに声をかける。
「さっき、バルベールの村が襲われたことを、『11年前の仕返し』って言ったわよね。11年前にこちらの国境近くの村がいくつも襲われた事件について、あなたは知っているの?」
「ああ。こちらの人間がやらかしたことで間違いない」
「おい、カイレン」
大柄な男が顔をしかめて、カイレンに声をかける。
カイレンは「いいんだ」と言って男に一瞥すると、ジルコニアに目を戻した。
「といっても、元老院の連中は絶対に認めないだろうけどな。関わった連中も散り散りになっちまってるし」
「誰が手を下したのか、知ってるの?」
「ん? 知りたいのか?」
カイレンがにやりとした笑みを浮かべる。
「……今すぐ教えなさい。言わないなら、言いたくなるまで一本ずつ四肢を切り落としてあげるわ」
すさまじい怒気を発するジルコニアに、カイレンの後ろにいる細身の男と大男が剣の柄に手をかけた。
アイザックとシルベストリアも、同時に柄に手をかける。
「うわ、おっかねえな。教えろって言われても、俺だって誰がやったかなんか知らねえよ。そんなに睨まないでくれ」
カイレンが両手を胸の前にかざして、ジルコニアを制する。
「よし、こうしよう。あと数日で元老院の連中が、ここに到着するんだ。そいつらから、俺が誰がそちらの村を襲ったのかを聞き出してやる。それをそちらに伝えたら、毒の煙の不使用に合意するっていうのはどうだ?」
「分かった。それでいいわ」
「お、おい! なにを――」
「ナルソン、約束は守ってもらうわよ」
勝手に話をまとめるジルコニアをナルソンが諫めようとすると、ジルコニアはそれを遮ってナルソンを睨みつけた。
「嫌だとは言わせない。11年前に、自分で言ったことよ」
「……」
ナルソンが顔をしかめて押し黙る。
11年前、ジルコニアに妻となるように話を持ち掛けた際、ナルソンは『故郷を襲った連中を探し出すことに協力する』と確かに約束していた。
結局今まで何一つ進展はなく、ジルコニアも犯人捜しは半ば諦めていた様子だったのだ。
2人の様子に、カイレンが、にっと笑みを浮かべた。
「よし、話は纏まったな。それじゃあ、俺たちはこれで――」
「あの、聞きたいことがあるのですが」
話を切り上げようとするカイレンに、一良が声をかける。
「ん? なんだ? ……と、その前に、お前は?」
「文官のカズラと申します」
「……なにを聞きたいんだ?」
「カイレン軍団長、あなたたちバルベールは、どうしてそこまでアルカディアを屈服させることに固執するんですか?」
「どうしてって……あれか、戦争理由ってやつか?」
「はい」
「さあな。俺はただの軍人だし、お偉方の考えてることはよく分からない。まあ、覇権主義ってやつじゃないか?」
「覇権主義……」
覇権主義とは、文字通り世界の覇権を目指して国家が突き進むことをいう。
他国を軍事や外交によって屈服させて領土を拡大したり、自国に有利な協定を結んだりして、自国の影響力を強めていく政策を優先する。
「このご時世、周りの国全部と仲良くってのは無理ってものだ。少しでも隙を見せれば、そこに付け入ろうとすぐに誰かが狙ってくる。こっちが望もうが望むまいが、避けられないことなんだろうな」
「そう……ですか」
「質問はそれだけか?」
「いえ、もう一つだけ。以前、ジルコニアさんを捕虜にした際、市民や兵士をすべて解放しましたよね。そこまでしてジルコニアさんを捕虜にしたい理由が分からなくて。どうしてそこまでしたのかなと」
「ああ、あれか。あれは、できるだけ血を流さずに戦争を終わらせたかったからだよ」
「というと?」
「ジルコニア殿は貴国の英雄だ。我が国に対する戦争の旗印と言ってもいいだろう。簡単に言えば、そちらの国の人間の心を折りたかったんだ」
「心を折ったうえで、併合ないし属国化、ですか」
「まあ、簡単に言えばそんなところだな。結局、全部失敗しちまったけど」
カイレンはそう言うと、背後のラタへと向かった。
「では、ナルソン殿。俺たちはこれで失礼する。また使者を出すから、それまで待っていてくれ」
「……分かった。ただし、その前に戦いが始まったら、この交渉はなかったことにさせてもらうぞ」
「承知した。戦いの前に、必ず使者は送る」
カイレンたちがラタに跨る。
フィレクシアはカイレンに手伝われて、彼の前に座った。
「あ、そうだ! えっと、そこの金髪で一本結びのかた!」
フィレクシアに呼びかけられ、バレッタが小首を傾げる。
「私ですか?」
「はい! そちらの毒の煙の兵器は、あなたが作ったのですよね?」
「……いえ、違います。作ったのは他の職人です」
「あれ? そうなのですか……」
フィレクシアが残念そうな顔になる。
「もしまたお会いする機会があったら、その職人さんに会わせてほしいのです。あと、水車とか荷物を上げ下ろしする機械を考えた人にも会ってみたいのですよ! けほっ、けほっ」
「こら、あんまり大声出すなって」
「これくらい大丈夫ですって。けほっ、けほっ」
カイレンがラタの腹を蹴り、他の者たちを引き連れて駆け出していく。
フィレクシアはバレッタを振り返り、しばらくの間手を振り続けていた。
同時刻。
砦から遠く離れたグレゴリアでは、街全体が大変な騒ぎに包まれていた。
「お、おい! どうすんだあれ!? なにがどうなってるんだ!?」
「な、なんてこった……」
無線連絡係として中心街の高級宿屋に滞在していたグリセア村の若者2人が、窓の外に広がる光景に慌てふためく。
街の中心にある大広場には数千、数万の人々が詰めかけていた。
広場の中心には大きな台座が作られており、その上では猿ぐつわをされて両腕を後ろ手に縛られた数十人が膝をついている。
彼らの傍では、豪奢な身なりの中年男が大声で人々に語りかけていた。
「聞け、市民たちよ! この売国奴どもは、イステール領と共謀し、バルベールに寝返ってアルカディアを滅ぼそうと画策したのだ!」
中年男――ニーベル・フェルディナント――が、怒りの形相で市民に吠えた。