作品タイトル不明
223話:光の輪郭
「……マジか」
ダイアスから出たあまりにも酷い言葉に、一良がドン引きした声を漏らす。
リーゼは唖然とした表情になっており、ジルコニアは先ほどまでのわくわくした表情を消して真顔になっていた。
『そんなことまで過ちと数えられてしまってはたまらんぞ。我らのような高貴な血筋の人間は、ほかの木っ端貴族はもちろん、民草などとは一線を画す存在だろうが。ナルソン殿も、そう思うだろう?」
『う、うむ。そうだな。ダイアス殿の言うとおりだ』
「……クズね。反吐がでるわ」
今まで聞いたことのないような底冷えのする声で吐き捨てるジルコニアに、一良がびくっとして顔を向ける。
「まさか、領民を人間扱いしていないなんて。何が高貴な血筋よ。今すぐ首をはねてやりたいわ」
「そ、そうですね……俺が聞いた噂話より、はるかに酷いですよ。租税を納められないことに対する罰で、みたいな話だったのに」
「カズラさんは、どんな噂を聞いていたのですか?」
ジルコニアが一良に目を向ける。
モニター内では、ダイアスがぶつぶつと自分たち大貴族がいかに特別な存在であるかを語り続けている。
「ええと……租税の取り立てがとても厳しくて、もし払えなければ罰として奴隷商に売られてしまったり、器量のいい女性は夜の相手をさせるために召し上げられる、とかだったかと。バレッタさんから聞いた噂話ですね」
「巷ではそんな噂が流れているんですか。私が知っているものとは、だいぶ違いますね」
「そうなんですか。まあ、噂話ですし、全部同じってこともないんでしょうね……ちなみにですけど、ジルコニアさんはどんな話を聞いたことがあるんです?」
「臣下の妻に手を出しまくっているという話を聞きました。他人の妻を寝取るのが大好きなんだとか」
「そ、それもすごい話ですね。でも、俺が聞いたような話は聞いたことはなかったんですか?」
「私は1度も。というより、私はそういう噂話には疎いもので。他人の妻に手を出すという話も、彼の妻から聞いた話ですし」
「奥さんから直接聞いたんですか!?」
ぎょっとした声を上げる一良に、ジルコニアが頷く。
「はい。以前、グレゴルン領を訪れた時に、『ジルコニアさんも気を付けてくださいね』と念押しされました。領主間で不貞があっては洒落にならないから、くれぐれも注意してくれと。そういう話がたくさん出るのかと思っていたら……まさか、こんな話を聞かされるとは思いませんでした」
ジルコニアはもともと、貴族同士の付き合いというものに一切関心がない。
そのため、年越しの宴のようなイベント事や、普段自領や他領の貴族が何らかの理由で訪問してきても、自分から親交を深めようとしたことは一度もなかった。
むしろ、面倒だと避けて回っていたくらいなのだ。
ダイアスの妻に掴まって忠告を受けたのは、夫人が本気で「何かあっては洒落にならない」と思っていたからである。
もちろん、誰にでも触れ回っていたわけではなく、領主夫人であるジルコニアにだけ、特別にぶっちゃけて話したのだ。
その夫人も、実は男をとっかえひっかえして遊びまくっているのだが、ジルコニアは知らない話である。
「なるほど、不倫話をてんこ盛りで聞けると思ってたわけですか。それで、あんなにわくわくしていたと」
「ええ。でもまさか、こんな話を……って」
ジルコニアが、はっとした顔で一良を見る。
「あの、私は別に不倫話とかが好きなわけじゃないですからね? 噂好きってわけでもないですし」
「はいはい、分かってますよ。分かってますって」
「な、何ですかその目は。私は本当に……リーゼ、大丈夫?」
あからさまに顔色が悪くなっているリーゼに気付き、ジルコニアが声をかける。
「いえ……なんだか、すごく気持ち悪くて」
モニターから視線を逸らしながら、リーゼがぽつりと言う。
リーゼもダイアスとは何度か話したことはあるのだが、そういった雰囲気はまったく感じたことはなかった。
言葉を交わしたことのある人間が、領民をまるで物のように扱う鬼畜だと知って衝撃を受けているのだ。
リーゼの感性とは、まったく相容れない種類の人間である。
「どうしよう。もう私、ダイアス様の顔をまともに見れないや……見るだけで吐くかもしれない」
「そ、そうか。とりあえず、これを見るのはやめておこうな。ルグロさんたちのところに行こう」
「うん……」
リーゼが力なく頷く。
「ジルコニアさんも行きませんか? これから、ルグロさんたちと一緒に夕食を作ることになってるんです」
「えっ、ルグロさんが作るんですか?」
「ええ。ぜひ作らせてくれって。料理は得意らしいですよ。ダイアスさんの話は、録画してあるんですし、また後で見ればいいのでは」
一良が言うと、ジルコニアはモニターに目を向け、はあ、とため息をついた。
モニターの中では、ダイアスが縛り首にした領民のなかでも記憶にあるものについて、その領民がいかに無礼であったかを、ナルソンに切々と説いている。
飢饉の際に税を軽くしてくれと直談判に来たといった領民を片っ端から縛り首にしたとか、妻を連れて行こうとした際に私兵に立てついた村人を晒し首にしたといったことを話しているのだが、一良たちからしてみれば酷い話ばかりだ。
「……そうですね。このまま見ていたら、怒りで頭がおかしくなりそうです。後でナルソンから話を聞くことにします」
「それがいいです。それじゃ、行きましょうか。……リーゼ、ほら、行こう」
「うん。あと、食材も持って行かないと」
「あ、そうだったな。お子さんもいるし、ポップコーンのキットを持っていくか」
そうして皆で席を立ち、部屋を出るのだった。
「バレッタは、普段は料理はするのか?」
調理場の流しで手を洗いながら、ルグロがバレッタに聞く。
ルグロはエプロンを着けて腕まくりをしており、準備万端といったいで立ちだ。
着慣れている雰囲気で、とてもエプロン姿が様になっている。
近くの調理台では侍女や料理人たちが料理をしているのだが、ルグロたちが気になるようで、ちらちらと視線を向けていた。
ちなみに、ルグロがバレッタのことを「嬢ちゃん」ではなく名前で呼んでいるのは、先ほどルティーナに「失礼だ」と窘められたからだ。
「はい。カズラさんの食事は、私とマリーちゃんで毎食作っているので」
「お、そうなのか。パンはよく作るのか?」
「パンは時々ですね。3日に1度くらいです」
「ふーん。どんなパンを作るんだ?」
「灰焼きパンが多いです。カズラさんが、あの風味と歯ごたえがすごく好きみたいなんで」
「灰焼きパンか。あれも確かに美味いよな。かまどで焼くパンは作ったりはしないのか?」
「それも時々やります。でも、あまり作り慣れていないので、上手に焼けなくて」
バレッタが言うと、ルグロが、にっと笑った。
「なら、ルティに教わるといいぞ。ルティのパン作りの腕は超一流なんだ。めちゃくちゃ美味いから、腰を抜かさないようにな!」
「ちょ、ちょっと! そんな大げさなこと言わないでよ!」
慌て顔で言うルティーナに、ルグロがきょとんとした顔を向ける。
「本当のことじゃねえか。なあ?」
「お母様の焼くパンは世界一美味しいのです」
「王家の料理人が作ったパンより美味しいのですよ」
ルルーナとロローナが言うと、ロンとリーネもそうだそうだと合いの手を入れた。
ルルーナとロローナもエプロンをしており、彼女たちも料理を手伝うようだ。
「そうなんですね。ルティーナ様、ご教授よろしくお願いします」
「うう、そんなふうに言われると緊張しちゃって……あ、バレッタさん、私に様付けはしなくていいのよ? ルティって呼んでくれればいいから」
「い、いえ。さすがに、そういうわけには」
「別にいいじゃない。ルグロじゃないけど、私も堅苦しいのは苦手だから……あ、カズラさん、リーゼさん」
調理場に入ってきた一良たちに気付き、ルティーナがにっこりと微笑む。
ルグロも一良に顔を向け、にっと笑った。
「お、ジルコニア殿も来てくれたのか! ちょうど今から始めるところ……どうした? 3人とも、なんだか顔色が悪いな」
あからさまにどんよりとした空気を背負っている3人に、ルグロが怪訝な顔になる。
「いや、何でもないです……」
「そうか? まあ、なにかあったら相談してくれていいんだからな。俺で力になれるかは分からないけどさ」
「ありがとうございます。気を使ってもらって」
ルグロたちに歩み寄りながら、一良が言う。
すると、ルグロは少し渋い顔になった。
「あー……あのさ。やっぱりそれ、やめてくれねえかな?」
「え? それって?」
「敬語だよ。ダチなんだから、そんなかしこまった態度を取るなって。タメ口でいいんだからさ」
「い、いや、さすがに、そういうわけには」
「なんだよ。カズラもバレッタと同じことを言うんだな」
「あの、ルグロさん。周りの目っていうものがあってですね」
一良が周囲に目を向ける。
侍女や料理人たちは皆、作業に没頭しているように見えて、一良たちの話に聞き耳を立てている。
彼らは一良がグレイシオールだとは知らないはずなので、王族にタメ口というのはさすがに無理がある。
「む……そうか、それもそうだな。悪い、無理を言っちまったな」
「いえいえ、いいんですよ」
「……でも、周りに人がいない時はタメ口で頼むわ。堅苦しいのは、本当に苦手なんだよ。な?」
声量を落し、一良に耳打ちするルグロ。
「は、はい」
「よろしくな!」
一良が頷いたのを見て、ルグロが満足そうに笑う。
そして、よし、と調理場を見渡した。
チラチラと盗み見していた侍女たちが、さっと視線を逸らす。
「マリー。鳥肉を使いたいんだが、取り置きはあるか? あと、ミトの葉も欲しいな」
「はい! すぐに持ってまいります!」
マリーが調理場の壁際に走り、氷式冷蔵庫を開ける。
中には大量の肉の切り身が収まっていて、どれも色は新鮮そのものだ。
氷式冷蔵庫は屋敷にも多数導入されており、こうしてあらかじめ解体しておいた肉を保管しているのだ。
魚もいくらか保管しており、新鮮な食品を手間なく使えるということで、調理場では非常に重宝していた。
「うお、すげえな! カズラの部屋にあったやつとは別物か! ちょっと、よく見せてくれ!」
ルグロがマリーの下へと駆け寄り、冷蔵庫の中を覗いて「はー」と感心した声を漏らす。
子供たちも駆け寄り、「おー」と父と同じように声を上げていた。
「す、すみません。これじゃあ、料理どころか皆さんの邪魔をしに来ちゃったみたいですよね……」
並んでいる冷蔵庫を片っ端から開けてわいわいやっているルグロたちに、ルティーナが恥ずかしそうにため息をつく。
そんな彼女に、一良は微笑んだ。
「いえいえ、そんなことないですよ。むしろ、感謝したいくらいです」
「え? 感謝ですか?」
「ええ。なんか、皆さんと一緒にいるとほっとします。見ていると元気が出るっていうか……本当に、いいご家族ですよね」
そう言いながら、一良がリーゼとジルコニアをちらりと見る。
冷蔵庫を囲んで楽しそうに騒いでいるルグロたちの姿を見て、2人とも先ほどまでの陰鬱な表情が消えていた。
どこかほっとしたような、穏やかな表情になっている。
「さて、料理を始めましょうか。早くしないと、夕食に間に合わなくなっちゃいます」
「……はい!」
ルティーナはとても嬉しそうに頷き、ルグロたちを呼ぶのだった。