作品タイトル不明
186話:再会の涙
5日後の夕方。
イステリアを出発したイステール領軍は、砦へと続く街道脇で野営の準備を進めていた。
2個軍団ともなると、付き従えている奴隷や使用人を合わせれば1万を優に超える大所帯だ。
辺り一面に所狭しと天幕が張られ、大勢の人々が慌ただしく動き回っている。
そんな野営地の中心で、一良とリーゼは並んでその光景を眺めていた。
2人とも鎧は脱いでおり、身軽な服装になっている。
「それにしても、あっという間に野営地ができていくな。前にアイザックさんの士官練兵隊で見た時とはえらい違いだ」
次々に組み立てられていく天幕を眺め、一良が懐かしそうに言う。
「士官練兵隊じゃ仕方ないよ。貴族の新兵なんて、武器の扱い以外は何もできない人たちばっかりなんだし」
「そういうのを考えると、市民兵って頼りになるんだな。まあ、きちんと訓練してたってのが大きいんだろうけどさ。……しかし、すごい人数だ」
「だよね。2個軍団でもこんな多人数なのに、多い時はこれの5倍くらいにまで増えるっていうんだから、どうなるのか想像もつかないよ」
「ああ、他領の軍団もまざると兵士だけでも4万人とかになるのか。今回の相手は2個軍団だから、こっちと同じくらいの人数が相手なんだよな?」
「うん。数で言えばほとんど互角だね。騎兵はこっちのほうがだいぶ多いと思うけど」
鐙(あぶみ) の登場により、イステール領軍は騎兵が従来の倍近くに増加していた。
鐙が導入されてからまだ2カ月弱しか経っていないが、それまで技量不足とされていた貴族兵がごっそり正規の騎兵へと昇格されたためである。
実戦に耐えうる訓練済みのラタをすべて狩り出してしまったため、現在は兵士よりもラタが不足している状況だ。
ラタ自体はグレゴルン領とフライス領から購入し、数は十分いるのだが、軍馬としての訓練が追い付いていないという悩ましい状態になっている。
市民からも馬術に長けた者をいくらか登用しているため、今後イステール領の騎兵は急激に増加していくだろう。
「ラタたちの調子はどうだ?」
「ばっちりだよ。いくら走っても疲れ知らずだって評判になってる。そのせいで、グレイシオール様降臨の噂が騎兵の間でも広がっちゃってるみたいだけど」
出撃の2週間前から、ラタの食事には通常の飼料に加えて、一良が持ってきた白米を粥にして食べさせている。
すべてのラタが疲れ知らずかつ剛力になったため、荷馬車はほぼ休憩不要となり、積載できる荷物もかなり増えた。
そんな状態でも、随伴する歩兵たちよりも移動速度が速いくらいなのだ。
斥候に出している騎兵たちも同様で、大幅に索敵可能範囲が広がった。
ラタの調子が明らかに良すぎるため、皆困惑しているようだが。
「カズラ様! リーゼ様!」
そうして話していると、天幕の間からニィナが走ってきた。
一良の護衛兼小間使いとして、村の娘たちも同行している。
「バレッタたちが見えましたっ! もうすぐ到着しますよ!」
彼女が言い終わると同時に、2人は駆け出した。
「うわ、なんつう騒ぎだ」
一良たちが野営地の末端にたどり着くと、そこは多くの市民兵たちがごった返して大変な騒ぎになっていた。
どうやら、ジルコニアたちを出迎えようと数千人の兵士たちが集まってきてしまったようだ。
あちこちから、「ジルコニア様万歳!」と彼女を讃える声が上がっている。
「あ、あれ。さっきはこんなんじゃなかったんですけど……見つけた時、私が大騒ぎしたせいかも」
ニィナが気まずそうに一良を横目で見る。
「うーん、それはやってしまいましたね……他の娘たちはどこに?」
「ナルソン様に伝えに行ったり、イステリアに伝えるために無線機を取りに行ってます」
「ちょっと! これじゃ通れないじゃない! そこをどいて!」
リーゼの声に気付いた市民兵たちが道を空けようとするが、いかんせんすし詰め状態でニッチもサッチもいかない。
後ろからも次々に人々が押し寄せてきていて、身動きが取れなくなってしまった。
3人は引っ付いたまま、人波に流されていく。
「いたたっ!? どいてください! 通してくださいー!」
これは流れに身を任せるかと諦めかけた時、喧騒の中から聞き覚えのある声が微かに耳に届いた。
「バレッタさん!?」
「っ! カズラさんっ!?」
一良が大声で呼びかけると、人ごみの中から細い手が上に伸びた。
その場で飛び跳ねているのか、ぴょんぴょんと小刻みに上下している。
「こっちですっ! 通れないんですぅ!」
「どいてっ! 通してください!」
無理やり人ごみをかき分けて、その手の下へと向かう。
やがて人々の隙間から、バレッタの顔がわずかに覗いた。
「カズラさんっ!」
「バレッタさん!」
互いに手を伸ばし、何とか掴む。
ぐい、と互いに引き寄せ合い、ぎゅっと抱きしめた。
「おかえりなさい! 無事でよかった!」
「カズラさんっ、会いたかったですっ……ふぇぇ」
久々の再会に感極まったのか、バレッタは一良の胸に顔をこすりつけて泣き出してしまった。
「本当に、無事でよかった。さっき痛がってましたけど、大丈夫ですか?」
「ぐすっ……大丈夫です。少し足を踏まれただけなので」
「ジルコニアさんたちは、この先にいるんですか?」
「はい。まだ歩けないので、馬車に乗っています。野営地に近づいたら、大勢駆け寄ってきてしまって……たぶん、動けなくなってるんじゃないかな」
そう言って、バレッタが背後を振り返る。
だが、あまりにも人が多すぎて、とてもそちらへ向かうのは無理そうだ。
「ううむ、あっちか……リーゼ、いったん戻ろう。無理に行くと怪我しそうだ」
真後ろにいるリーゼに振り返り、一良が声をかける。
「うん、そうだね。……バレッタ」
一良の腕の中にいるバレッタを、リーゼが覗き込む。
涙目の彼女と目が合い、にっこりと微笑んだ。
「おかえり!」
「……はい、ただいまです」
リーゼの優しい微笑みに、バレッタも微笑み返すのだった。
数十分後。
駆けつけてきた正規兵たちに手伝ってもらい、集まっていた人々を何とか端に寄せて道を作った。
開けた道の先から、ラタに乗ったアイザックとハベルが向かってくる。
その後ろには、2頭のラタに引かれた馬車が続いていた。
「お母様!」
リーゼが待ちきれず、馬車へと駆けだして行く。
一良とバレッタも後に続いた。
馬車の窓から、ジルコニアが顔を覗かせる。
「馬車を止めて!」
ジルコニアの声で馬車が止まり、扉が開く。
その音に、アイザックが慌てて振り返った。
「だ、ダメですよジルコニア様! 馬車に乗っていてください! 歩いてはいけません!!」
「大丈夫よ! 全然痛くないんだから!」
「で、ですが、バレッタさんが、『後でテーピングするまで絶対に歩くな』と言ってたじゃないですか! おい、ハベルも何とか……って、どこ行くんだお前!?」
制止するアイザックを無視して、ジルコニアは馬車から飛び降りた。
そこに、リーゼが駆け寄って抱き着いた。
アイザックの隣を進んでいたハベルもラタを飛び降り、駆け寄ってきたマリーを抱きとめている。
「ひっぐ……お母様ぁ……!」
「リーゼ……心配かけたわね」
母の胸に顔をこすりつけ、リーゼが嗚咽を漏らす。
その光景に、集まっている者たちが大きな歓声を上げた。
ジルコニアはリーゼを抱きしめたまま、一良に顔を向ける。
「おかえりなさい、ジルコニアさん」
「カズラさん、ただ今戻りました。私がいない間、リーゼを守ってくださってありがとうございました」
ジルコニアたちの下に、一良とバレッタも歩み寄る。
「本当に、無事で良かったです。足、平気なんですか?」
「はい。昨晩までは少し痛みがありましたけど、今朝からはまったく痛くありません」
「えっ、昨晩まで痛みがって、それってまだ歩いちゃダメなんじゃないですか? 捻挫って、痛みが引いてからもしばらく安静にしておかないと、後で関節に異常が出るって聞いたことが……」
「え!?」
一良の不穏な発言に、ジルコニアがバレッタに目を向ける。
バレッタは笑顔だ。
明らかに怒っている笑顔だが。
「ジルコニア様、今すぐ馬車に戻ってください」
「うっ……はい……」
「お母様、私に掴まってください」
リーゼに支えられながらジルコニアが馬車に戻ろうとした時、ひと際大きな歓声が響いた。
ラタに乗ったナルソンが、護衛兵を伴って現れたからだ。
一良とバレッタは、邪魔にならないように端に寄った。
「あれ? 何でナルソンさん、ラタに乗ってるんだ?」
「たぶん、他の人たちから見えるようにですよ。一大イベントですし」
「なるほど」
ナルソンは小声で話す2人の前を通り過ぎ、ジルコニアの正面にくるとラタを止めた。
それに合わせるように、それまでの騒ぎがぴたりと止む。
「ジル、よく無事に戻ってきてくれたな」
「バレッタたちのおかげよ。まさか、防壁から飛び降りることになるなんて思わなかったけど」
「うむ、そうだったらしいな。足は平気か?」
「ええ。でも、まだ7日は歩いちゃダメなんですって。馬車に戻らないと」
「いや、それはこれが終わってからにしてくれ」
ナルソンはそう言うと、背後の護衛兵にラタを降りさせた。
その護衛兵が、ラタをジルコニアの前へと連れていく。
「乗れ」
「え? で、でも、足が……」
「手を貸してやる。ほれ」
ジルコニアは困惑しながらも、ナルソンが差し出した手を取る。
護衛兵が彼女の後ろに回り、腰を支えた。
ぐい、とすさまじい力で引き上げられ、ラタに跨る。
「ナルソン、あなたも力を……」
「その話は後だ。ほら、これを使え」
ナルソンが、鞘に納まった長剣をジルコニアに差し出す。
彼女はわけが分からないと言った様子で、それを受け取った。
ナルソンはラタを旋回させ、集まっている兵士たちをぐるりと見渡した。
「兵士たちよ! ジルコニア将軍は我らの下へと帰ってきた!」
ナルソンが大声で言い放つと、兵士たちが大歓声を上げた。
数秒待ち、片手を上げてそれを静まらせる。
「これより、この攻略軍の総司令官はジルコニア将軍とする! このまま我らは砦を強襲し、奴らの手から奪い返すのだ!」
ちらりと、ナルソンがジルコニアに目を向けた。
「……ああ、そういうことね」
ジルコニアは苦笑すると、剣を抜いて天に掲げた。
野営地全体が、地鳴りのような歓声に包まれた。
騒ぎ続ける皆を残し、一良とバレッタは一足先に野営地の中心部へと戻ってきた。
後方からは、『ジルコニア様万歳! ナルソン様万歳!』と大合唱が響き続けている。
ほぼすべての兵士や使用人たちが、ジルコニアの下へと集まっているようだ。
「はあ、すごい歓声でしたね。耳が痛くなっちゃいましたよ」
自分の天幕にたどり着き、布を払って中へと入る。
「マリーさんも戻ってきそうにありませんし、夕食は勝手に済ませちゃいましょうか。実は、災害時用の真空パックカレーライスっていうものを用意して――」
そう言いかけた時、背後からバレッタが一良の服を掴んだ。
「ん? どうしました?」
「……もう、会えないかと思いました」
バレッタがつぶやくように言う。
「もしあの時、オルマシオール様が助けてくれなかったら……私、あそこで死んでいたかもしれません」
ぎょっとして、一良が振り返る。
バレッタが一良を見上げる。
一良は、何があった、と問おうとして口を開きかけ、やめた。
バレッタの瞳に、涙があふれていたからだ。
「私……怖かった……怖かったんですっ……!」
バレッタはぼろぼろと涙を流し、声を上げて泣き出した。
先ほどのような控え目な泣きかたではなく、しゃくりあげながら子供のように泣きじゃくる。
一良は彼女を抱き寄せ、強く抱きしめた。
「……ごめんなさい。もう二度と、そんな目には遭わせませんから」
バレッタが一良にしがみつく。
今までにも何度か彼女に泣かれることはあったが、今の泣き方はこれまでと明らかに様子が違っていた。
悲しくて泣いているのではなく、恐怖に震えて泣いているのだ。
「これからはずっと、俺が一緒です。何をする時も、何処に行くときも、俺が傍にいますから」
たった今まで、彼女がまだ16歳になったばかりの少女だということを、一良は忘れてしまっていた。
彼女は他の誰よりも賢く、機転が利き、常に先のことを考え、大抵のことでは物怖じしない。
だがそれは、『一良のために頑張っている』からこそだったのだ。
頑張っていたからこそ、彼女は強くあることができていたのだ。
『彼女に任せておけば大丈夫』
口には出さずとも、皆がそう考えていたふしがあった。
それは、一良とて例外ではない。
先日の救出作戦に彼女が志願した時、一良は止めもしなかった。
止めなかったのは砦に侵入するのが彼女ではないからという理由もあったが、彼女が同行するなら不測の事態にも対応できるだろうと考えたからだ。
自分を心から慕ってくれる年端もいかない少女に、どれだけ重責を負わせていたのだろうか。
「ひっぐ……カズラさんっ……」
しばらく大泣きし、少しだけ落ち着いたバレッタが肩を震わせながら顔を上げた。
「本当、ですか? 約束、してくれますか?」
「約束します。前にも言ったじゃないですか。俺はバレッタさんの傍にいるって」
「……はい、そうですね」
バレッタは少し微笑むと、一良の背に回した手に力を込めた。
「……カズラさんがいない世界なんて、私、耐えられません」
そう言って、その胸に顔を押し当てる。
「約束……絶対に守ってくださいね」
「は、はい」
一良が頷いた時、外からがちゃがちゃと鎧の擦れる音が近づいてきた。
「カズラ様は中か!?」
「しーっ! 今はダメです! 用件は私が聞きますから!」
「緊急なんだ! どいてくれ!」
「だから、大きな声を出さないでくださいってば!」
何やら外で、ニィナと兵士が言い合っているようだ。
ニィナは声をひそめているようなのだが、出入り口は布の垂れ幕なので丸聞こえである。
どうやら、ずっと入口で聞き耳を立てていたようだ。
一良はバレッタと寄り添ったまま入口へ行き、布を払った。
緊迫した表情の兵士を、ニィナが両手を広げてとおせんぼしている。
「どうしました? 何の騒ぎです?」
「あー……ごめんなさい。せっかく――」
苦笑いしながら、ニィナが謝りかける。
そんな彼女を、兵士が押しのけた。
「バルベール軍が砦を出撃しました! 急ぎ、ナルソン様の天幕へ!」