軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

105話:対価

「おかしいな、真っ直ぐ歩いてきたはずなんだけど……」

周囲をきょろきょろと見渡してみるが、今自分がどこにいるのかさっぱり分からない。

来た道を引き返そうかとも考えたが、歩き慣れた道を逸れて迷子になっている現状では、それすらおぼつかないように思えた。

慣れた場所だと甘く見ていたが、霧の中で方向感覚が狂ってしまったようだ。

一良は近場にあった木の根に腰を下ろすと、どうしたものかとため息をついた。

「朝になって霧が晴れればいいけど……というか、霧が晴れても森から抜けられるのか?」

明るくなって霧が晴れたとしても、現在位置が分からなければ戻りようがない。

それに、本来ならば徒歩5分ほどで村に着くはずが、30分も森を彷徨ってしまっている。

村とは見当違いの場所にいるとみて、まず間違いない。

昼間に買った方位磁石があれば簡単に戻れただろうが、手持ちのバッグにはスーパーで買った日本酒や洋酒、それと着替えくらいしか入っていないのだ。

幸いエネルギーバーとリポDもいくらか持っているので、数日の間なら持たせることができるだろう。

「朝になったら生木を燃やして狼煙を上げるか。誰か助けに来てくれるかもしれない」

ポケットに常備しているライターを擦りながら、深くため息をついた。

思い返してみれば、今いる森のことや野生動物のことなど、ほとんど何も知らないに等しい。

焚き木や木の実などを得るために森に入ることも何度かあったが、その時は常にバレッタが一緒だった。

そう考えた途端、周囲の森が得体の知れない存在に思えて、何とも不安な気持ちになってしまう。

「バレッタさん、心配してるだろうな……」

夕飯のメニューは何だったのだろうかとぼんやり考えていると、昼間の疲れが出たのか、次第にこっくりこっくりと舟をこぎ始めた。

「カズラ様、カズラ様」

「ん……」

一良がそのまま寝入っていると、不意に名前を呼ばれて身体を揺すられた。

寝ぼけ眼で顔を上げると、そこには遠出用の軽装をまとった若い女が一良の肩に手をかけていた。

服装からして、部隊の使用人だろう。

手には松明を持ち、心配そうな表情で一良を見つめている。

整った優しげな顔立ちと、1つに結ばれた長い黒髪が印象的だ。

「よかった、気づかれましたか。お怪我はありませんか?」

「大丈夫です……あの、もしかして、私を探しに来てくれたんですか?」

辺りをきょろきょろと見渡してみるが、この場にいるのは彼女だけのようだ。

「はい、カズラ様のお帰りが遅いので、この霧で迷ってしまったのではないかと、周辺の森を捜索するように村長に依頼されたんです。他の者たちも、あちこちを捜索しているはずです」

「うえ、マジですか。やっちまったな……」

眠りこけている間に、何やら大事になってしまったようだ。

この分では、今頃村は大騒ぎになっているだろう。

「助けに来てくれて助かりました。急いで村に戻りましょう」

一良はそう言って立ち上がったのだが、急に足元がふらついて前に倒れこみそうになった。

彼女は慌てて抱きとめるようにして、一良の身体を支える。

「あっ、まだ無理ですよ! 身体がかなり冷えていますから、少し暖をとってから戻ることにしましょう」

彼女の台詞に、一良は自分の身体を擦ってみた。

いつの間にやら、全身が恐ろしいほどに冷たくなっている。

四肢の動きも鈍く、思うように動かせない。

「焚き木を拾ってきますね。少し待っていてください」

彼女は一良を木の根に座らせると、松明を地面に突き刺してから森の中へと消えていった。

霧は若干晴れてきているようで、周囲にはうっそうとした暗い森が広がっている。

一良が身を震わせながら待っていると、彼女が手に沢山の焚き木を抱えて戻ってきた。

手早く焚き木を積み上げ、松明の火を添える。

焚き木は雨と霧で湿気ているだろうと一良は思ったのだが、あっという間にパチパチと音を立てて燃え始めた。

「しばらく、ここで火に当たっていきましょう」

「あれ、ずいぶん簡単に火が点きましたね。焚き木は湿気てませんでしたか?」

「コツがあるんですよ。雨の後でも、注意して探せば濡れていない枝が落ちているものです」

首を傾げる一良に、彼女は柔らかく微笑んでみせる。

地面にぬかるみができるほどの大雨でも濡れない場所とはどこだろうかと一良は考えてみるが、まるで見当が付かない。

「そうなんですか……ううむ、全然分からん」

一良が首を捻っていると、彼女はその場に座って火に当たり始めた。

「(……あれ?)」

ふと一良は、彼女の座っている地面に目を向けた。

大雨でぬかるんでいるはずのそこは、彼女の座っている周辺だけ、綺麗に円を描くように乾いていた。

「……あと、4年ですね」

何が何だか分からずに一良がいぶかしんでいると、火を見つめていた彼女が口を開いた。

「4年? ……ああ、休戦協定の期限切れまでですか?」

「はい」

彼女は頷き、じっと火を見つめている。

赤々とした火に照らされたその顔は、どこか儚げで悲しそうに見えた。

「また、沢山の命が失われますね。人も、獣も、大勢死んでしまいますね」

急にそんな話をしはじめた彼女の顔を、一良はじっと見つめる。

何と返せばいいのか、言葉が見つからなかった。

「次の戦争でも、アルカディアはバルベールを追い払うことができると思いますか?」

火を見つめたまま、彼女が言う。

「もちろんです。前回だって守りきったじゃないですか。大丈夫ですよ」

一良は即答した。

相手は一般市民で、自分は領地の内政に深く関わる者だ。

弱気な発言など、できるはずがない。

「それに、まだ戦争が再開されると決まったわけではありませんよ。同盟国がしっかりと手を取り合えば、バルベールも簡単には攻めてこられないはずです」

「攻めてきますよ。絶対に」

彼女は即答した。

顔は相変わらず焚き火に向けたままで、こちらにちらりとすら視線を向けない。

「どうしてそうおも……っ!?」

言いかけて、一良は彼女の背後に信じられないものを見て言葉を詰まらせた。

そんな様子を気にするでもなく、彼女は再び口を開く。

「すべて、決まっていたんです。攻め込まれて、追い立てられて、何もかも焼かれて、それでおしまい」

そう言うと、彼女は一良にすっと顔を向けた。

「そう、すべて決まっていたんです。ほんの数ヶ月前まで、すべて決まっていました」

一良はじっと見つめてくる彼女の顔を見た後、再び彼女の背後に目を向けた。

そこには、焚き火の灯りに映し出された彼女の影があった。

小さな影があるはずのそこには、巨大な何かの影が揺らめいていた。

目の前に座っている彼女とはまったく違う、獣のような形をした巨大な影だ。

「でも、あれからどんどん霧が濃くなっていって、今では何も見えなくなってしまいました」

彼女はそう言うと、再び焚き火に視線を戻した。

「この土地に住む人も獣も、みんな死んでしまうのでしょうか。決まっていたことよりも、もっと酷いことになってしまうのでしょうか」

まるで自分自身に問いかけるように、彼女は言う。

「……カズラ様」

彼女は焚き火をじっと見つめたまま、つぶやくように一良の名を呼んだ。

彼女を見つめたまま、一良は動けなかった。

目の前にいる華奢な女性が、いったい何者なのかさっぱり分からない。

言っていることも脈絡がなく、まったくもって意味不明だ。

焚き火に揺らめく獣のような影は、今も変わらずそこに存在している。

「我々を救ってくださいますか?」

一良はじっとりとした汗をかきながら、影から彼女に視線を戻した。

「『我々』……とは?」

しぼりだすような声で一良が問い返すと、彼女はそのままうつむいた。

頬にかかっていた髪がさらりと流れ、その表情を隠してしまう。

「邪魔になることは、分かっています。酷いお願いだとも、分かっています」

質問に答えず、一方的に彼女は話す。

「それでもどうか、お願いします。代わりに、最後の時は、私がお迎えにあがります」

彼女はそう言うと、うつむいたまま立ち上がった。

同時に、今まで煌々と灯っていた焚き火が一瞬で消え、辺りは闇に包まれた。

周囲には月明かりすらなく、自分の手元すら見ることができない。

「霧が晴れます。参りましょう」

あまりの出来事に一良が表情を引きつらせていると、ぐいと手を掴まれて立ち上がらされた。

手を引かれ、真っ暗な森の中を早足で歩く。

半ば引きずられるように数分歩くと、暗闇の中に家々の明かりが見えてきた。

どうやら、森を抜けて村に着いたらしい。

ふと気がつくと、掴まれていた手の感触がなくなっていた。

呆然と周囲を見渡すが、近くには誰もいないようだ。

一良は少しの間立ち尽くしていたが、村へと向けて歩き出した。

屋敷に着いて中に入ると、バリンとバレッタが囲炉裏の前に座っていた。

バリンはあぐらをかいたまま居眠りしており、バレッタは本を読んでいた。

床には料理の盛られた皿が置かれ、夕食の支度が整っている。

バレッタは本から顔を上げると、一良ににっこりと微笑んだ。

「おかえりなさい、カズラさん。ご飯できてますよ。……カズラさん?」

ぼーっと立ち尽くしている一良に、バレッタが首を傾げた。

「あ、すみません」

一良は居間に上がると、囲炉裏の前に座った。

バレッタに揺すられて、バリンも目を醒ます。

「おお、これは失礼しました。すっかり寝入ってしまってましたな」

「いえ、私のほうこそ遅くなってすみませんでした。はい、これお土産です」

ボストンバッグから数本の日本酒と洋酒を取り出すと、バリンの瞳が輝いた。

「よ、よろしいのですかな!? よろしいのですかな!?」

「よろしいので好きにやってください」

受け取った酒瓶を抱えて躍りだしそうな勢いで喜んでいるバリンに苦笑しながら、ご飯の盛られた椀をバレッタから受け取る。

「カズラさん、何かあったんですか?」

先ほどの一良の様子が気になっているのか、バレッタが心配そうに声をかけた。

「さっき、森で……」

一良は先ほどの出来事を話そうと口を開きかけ、言葉を詰まらせた。

あまりにもわけの分からない話すぎて、どうにも説明のしようがない。

ポケットから携帯電話を取り出して時間を確認してみると、まだ20時を少し回ったところだった。

体感的には、深夜を過ぎていてもおかしくないと思ったのだが。

「いや、たぶん疲れすぎておかしな夢を見たんだと思います。何だか混乱してしまって」

「夢、ですか? どんな夢だったんです?」

「えっと……」

一良は体験したままの内容を口にしかけて、思いとどまった。

ただでさえ、村が野盗に襲撃されてからのバレッタは、そういった方面に過敏になっている様子なのだ。

戦争で大勢死ぬだの、絶対にバルベールは攻めてくるだのといった話を、たとえ夢の話だとしてもバレッタにはしたくない。

「森の中で、綺麗な女の人とお話しする夢を見ました」

「……」

「……あの、バレッタさん?」

「知りません」

「これは美味いなあ! ほれ、カズラさんも飲みましょう!!」

何やらむくれているバレッタに一良が焦っていると、バリンがコップを手渡してきた。

その後、やたらと盛り上がっているバリンに引きずられるような形で酒盛りが始まり、朝になってから目を醒ますと、2人して居間に倒れこんでいた。