作品タイトル不明
公爵令嬢2
私はショックだった。優しい人だと思っていたのに、こんな心無いことをいう人だったのか。考えればそれも仕方がないのかもしれない。王族、しかもたった一人の王の息子で世継ぎの王子。常に彼の存在は最優先されてきた。それが当然で異議を唱える者がいることを想像することすらないのだ。
その日はいったん諦めて、後日再び説得することにした。
「ウイリアム様。ステラさんのことで相談があります」
「その話は終わっている。蒸し返す必要はない」
不機嫌な顔に怯みそうになるが、ステラのことは私に責任がある。このままにしておけない。絶対にステラを恋人のもとに帰したい。
「でもステラさんは――」
その瞬間、ウイリアムが怒りに任せて花瓶を叩きつけた。美しい薔薇の花が無残に床に散った。彼は反論されることに慣れていない。いや、今までなかったといってもいい。だから逆上したのだ。初めて見るウイリアムの姿に茫然とした。
「いい加減にしてくれ。私と平民、どちらが大切だ? 悪いようにはしないし、協力するのが民のありようだ」
「ウイリアム様……」
私は悲しい気持ちになり薔薇を一輪拾ったが、動揺していてそのとき破片で指先を深く切ってしまった。私はウイリアムの説得を諦めてアーサーに相談した。
「困ったときばかりごめんなさい」
「困ったときのためにいる。遠慮はしないでくれ。私からも働きかけてみよう」
ステラに対する罪悪感で憂鬱になっていたが、アーサーの安心させてくれるような朗らかな笑顔にひととき心が安らいだ。
「あら、アーサー。頬が切れているわ」
「ああ。今日城下で乱闘騒ぎがあって、そこでへまをした」
「アーサーが? 珍しいわね。手当した方がいいわ」
私はハンカチを取り出すと、まだ血の滲んでいるアーサーの頬の傷に当てた。
「ハンカチが汚れてしまう」
「そんなこと気にしないで」
照れるようにはにかんだアーサーが可愛く見えた。
アーサーの協力を得られたことは心強い。宰相は私がウイリアムの婚約者になったことで、我が家を目の敵にしている。彼は自分の娘をウイリアムの婚約者にしたかったのだ。もちろん公の場では友好的に接しているが、心の中では許せないのだろう。
ステラは聖女として怪我人や病人の治癒を休みなくさせられている。宰相に抗議しても待遇は改善されていない。密かにアーサーがステラの恋人と連絡を取り状況を伝えている。
陛下やウイリアムの説得が上手くいかなかった場合は、最終手段になるが二人をどこかに逃がすつもりでいる。密かにそのための準備をしていたが、私たちは宰相を甘く見ていた。
宰相は私とキャンベル公爵家にウイリアムを呪った罪を着せた。捏造した証拠を用意し、貴族を取り込んで私たちの反論を封じてしまった。
宰相の出した証拠によってウイリアムの病について分かったことがある。あれは呪術師による呪いだった。だから医者では治せなかったのだと合点がいく。
私はウイリアムを愛している。彼を呪うわけがない。私の置かれた状況は最悪であったが、どこか楽観視していた。それはウイリアムが私を絶対に信じてくれるという信頼があったからだ。
だけど――ウイリアムは私を疑っていた。いや、もう犯人だと決めつけていた。私の絶望は計り知れない、
身を尽くし支えてきた。愛し愛されていると思っていた。呪いによる病が発病したときも、恐れはあったが全身全霊で彼を救おうとした。それなのに、ウイリアムは私の言葉を拒否し、宰相の出した証拠を信じた。
このときアーサーは王都を離れていた。ある地方に盗賊団のアジトが見つかり、陛下から直々に捕縛の指揮を取るよう命を受けていた。私は必死に無実を訴えたが徒労に終わった。
ウイリアムは私を「裏切り者だ」と冷たい目で見た。心は絶望でバラバラになった。婚約者として寄り添った何年もの月日は、意味のない時間だった。
ウイリアムの中に私への愛情はなかったのか。ぐるぐると考えても、現実は変わらない。
「公爵家の処分は追って知らせる。今は屋敷で謹慎せよ」
失意のまま、屋敷に戻ればすでに宰相からの連絡ですべてを聞かされていた両親は行動を起こしていた。
「宰相は我が一族を滅ぼしたいのだろう。私が至らぬために、皆を不幸にしてしまった。すまない。宰相が甘い処分を下すはずがない。完膚なきまでに潰すはずだ。だがそうなる前に自分たちの手で……」
お父様の覚悟は決まっていた。お母様も、お兄様もお義姉様も頷いた。お父様は優しい人だった。大きな権力を持ちながらも、奢ったところはなく控えめな人だった。だから宰相の野心を見過ごした。ここまでするとは思わなかったのだ。
キャンベル公爵家は宰相に負けた。もう、終わりだ。
すでに屋敷に勤めていた使用人にはお金を渡して逃がしてあった。お義姉様には離縁状を渡して実家に帰そうとしたが、「私はこの家の者です。最後まで一緒に」とそれを拒んだ。
じきに宰相の息のかかった騎士たちがやってくる。アーサー不在のチャンスを逃すはずがない。
お父様が屋敷に火を放った。メラメラと火が公爵家の屋敷を、歴史を、その存在を燃やし尽くす。焼ける苦しみを知る前に用意した毒を煽り、私も家族も息絶えた。
最後に見たのはすべてを奪う、真っ赤な炎だった。
はずだったのに、私は目を覚ました。
目に入ったのは真っ白な天井。体を起こして部屋を見まわした。間違いなくキャンベル公爵邸の自室だった。
「これは……何が起こっているの? まさか助かった?」
毒を煽って、火に飲まれて? ありえない。それこそステラの奇跡でも起きない限り……。
「お嬢様。お時間です。お目覚めですか?」
私付きの侍女がノックをして声をかけてきた。私は冷静な振りをして返事をした。
「入ってちょうだい」
「今日は早くに出発する予定でしたから、そろそろ準備をと思いお声をかけさせていただきました」
「今日はどこに行く予定だったかしら?」
「え……」
侍女は動きを止め私をまじまじと見た。困惑しているのがわかる。
「ぼんやりしていて……」
私が曖昧に呟けば侍女は労わるような表情になる。
「そうですよね。お嬢様は王太子殿下の病が発症してからずっと奔走されて、忙しくされていましたもの。お疲れなのも当然です。今日は隣国の高名なお医者様に会いに行く予定になっております。お体が辛いようでしたら予定を変更されますか?」
「……そうね。もう少し休みたいわ。出かけるけれど時間を遅らせることにする。護衛の騎士たちには待機するように伝えてくれる?」
「かしこまりました」
侍女の話によると今日はウイリアムの奇病が発症してから一か月くらい。私はあちこちから医師の情報を集め会いに行った。でもウイリアムを治せる医師はいなかった。隣国にも行ったが無駄足だったのを覚えている。
今日は隣国に向かう、その日らしい。
私は死んだはずなのに生きている。生き返ったらしい。不思議なほどすんなりと受け入れた。今までステラの奇跡を見てきたからだ。このチャンスを生かさなければ。今度は負けるわけにはいかない。
起きて身支度を済ませると、準備していた馬車を予定通り隣国に向かわせた。でもその馬車に私は乗らない。代わりに使用人に医師を訪ねさせることにした。
宰相やウイリアムには予定通り私が出発したと思わせておく。ただ、気がかりもある。記憶が残っているのが私だけなのか、もしくは――。
行動を変えるのは賭けになる。でも私はその賭けに勝たなければならない。
死ぬ前の記憶を頼りに出発前にお父様に調査を頼んだ。その内容は新しく入った侍女の身辺調査だ。死ぬ前に見慣れない侍女が、お父様と呪術師がやり取りした手紙を証拠として宰相に提出している。そんなものは存在しないから偽造した物だ。
お父様は普段から宰相が我が家に対し、対抗意識を抱いていることを承知しているので私の考えを理解してくれた。
私は家紋のない小さな馬車を用意させると、秘密裏にステラとルカの家に向かった。