軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第六十六話 英雄の帰還

「父……さん……?」

ルルティア姉さんの手から、木剣がカランと乾いた音を立てて滑り落ちる。

「勝負ありッ!! 勝者、ルルティア・フォレストォォォッ!!」

会場を揺るがすような実況の声が高らかに響き渡った。

だが、姉さんは勝利のコールなど聞こえていないかのように呆然と立ち尽くし、目の前の夢のような現実を見つめる。

「……強くなったな、ルル」

父が姉さんに向けた瞳は、私がかつて見たままの愛おしい娘を見つめる眼差しだった。

「嘘だろ……? 本当に、父さんなんだね……?」

震える声で紡がれた姉さんの問いかけに、父は無言で、けれど優しく頷いた。

私も貴賓席から弾かれたように立ち上がる。

(……夢じゃない。あそこにいるのは、間違いなくお父さんだ!)

露わになったその素顔に、固唾を呑んで見ていた観客たちが、ざわめき始める。

「おい、あの顔……どこかで見たことないか?」

「あ、ああ……確か10年以上前だったか? この大会の優勝者だったような……」

「……あっ、思い出したぞ! 辺境の英雄、ローヴィン・フォレストじゃないのか!?」

「で、でもよ、ローヴィンは西の国境の戦で死んだと報道があったよな……?」

観客席のざわめきは、瞬く間に熱狂へと変わる。

死んだはずの英雄。だが、目の前に立つ男から放たれる圧倒的な覇気と、先ほど見せた神業のような剣技は紛れもなく本物だ。

亡き父が謎の仮面剣士として帰還し、何も知らない成長した娘と剣を交えていた。

そのあまりに劇的な真実に、会場は騒然となった。

「こ、これはまさか!? 英雄の帰還だぁぁぁッ!」

実況アナウンスも裏返った声を張り上げ、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こる。

「貴方!」「お父さん!」「父さん!」

その熱狂の中、家族が一斉に声を上げて、吸い寄せられるように父の元へ駆け出す。

私も階段を駆け下りると、砂煙の舞うアリーナへ走る。

――だが、その熱狂を切り裂くように、父の悲痛な叫びが響き渡る。

「俺に近付くな!」

父が目前まで迫った私たちの足を縫い止める。

その声は再会の喜びではなく、切迫した拒絶の叫びだった。

「えっ……?」

思わず、私は戸惑いの声を漏らす。

「お前たち、俺から離れるんだ!」

父は後退り、苦悶の表情で自らの首元――黒い首輪を鷲掴みにする。指の隙間から、不気味な赤黒い光が点滅しているのが見えた。父の拒絶の声を合図にしたかのように、重々しい冷徹な声が響く。

「賢明な判断だ、ローヴィン。いや、名無しのアンノウンよ」

観客席の最前列。いつの間にか、異国の軍服を着た男たちが整然と立ち上がり、闘技場への通路を封鎖していた。

その中心で、一人の男が悠然と腕を組んでいる。

胸には『バルドール連邦・特務大佐』の 徽章(きしょう) 。

エドガー・センチネル大佐だ。

彼は興奮する観客を一瞥ですくませるほどの威圧感を放ちながら、事務的に告げる。

「ご家族の皆様でしたか。ですが、今やこの者は人間ではなく、単なる『 物(・) 』です。我が軍の『備品』に気安く触れないでいただきたい」

大佐は動じることなく、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、掲げてみせた。

「ご紹介しましょう。彼は皆様が知る英雄などではありません。バルドール連邦と正式な『終身雇用契約』を結んだ、連邦軍所属の特殊工作兵『アンノウン』です」

大佐は契約書を指で弾き、残忍な笑みを浮かべる。

「10年以上前、逃げ場を失った彼に、私は二つの選択肢を提示しました。『このまま死に、故郷の家族が連邦の標的になる運命を受け入れる』か……あるいは『我らにその身を捧げ、対価として家族の安全(不可侵条約)を買う』か」

闘技場が凍りつく。

それは契約などではなく、あからさまな脅迫だった。

「彼は賢明にも後者を選び、契約書にサインした。『家族に手出しをしない代わりに、死ぬまで連邦のために剣を振るう』とね。これは国際法上も有効な双方合意の上での契約行為ですよ」

その言葉を聞いた瞬間、廊下の壁裏に隠れて聞いていた、軍の使者の声が昨日のことのように蘇った。

『ローヴィン殿は勇敢でした。敵の本隊五百に対し、わずか二十名で殿を務め……』

玄関先で深々と頭を下げた軍の使者。

母は言葉を失ったまま立ち尽くし、感情を押し殺すように背中を震わせていた光景。

……あの時の使者の言葉は嘘だったのだ。いや、使者も真実を告げられていなかったかも知れない。

けれど、そんなことは今となってはどうでもいい。父は私たち家族を守るために、自ら人質となり、この世を去ったことにして連れ去られていた。

今まで私たちが平和に暮らせていたのは、お父さんがその身を売っていたから。

私の頭の中で全ての点と線が繋がった。

「……ふざけるのも大概にしな! そんな契約は無効だよ!」

ルルティア姉さんが怒りで震え、拳を握りしめる。

だが、大佐は表情一つ変えずに言い放つ。

「いいえ、有効ですよ。大陸通商条約第4条に基づき、これが逃げれば、故郷の家族に莫大な『違約金』が請求される。仮に払えなければ、代わりに皆様の命を頂くだけですが、法には従ってもらわねばなりませんからね」

大佐の言葉は法律という名の暴力。

正論と契約書を盾に、父を鎖で縛り付けているのだ。

「アンノウンよ、貴様は『優勝』という任務に失敗した。……だが、挽回のチャンスをくれてやろう」

大佐は残忍な笑みを浮かべ、あろうことかルルティア姉さんを指差した。

「目の前の勝者、その娘を殺せ。敗北の汚名は勝者の血でしかすすげん。障害を排除するのが兵士の務めだろう? それが出来ないと言うのならば……契約不履行として、貴様の首輪の『自壊機能』を作動させることになるぞ」

大佐の手に、首輪と連動する小型の起爆装置が握られていた。

その指は、いつでも父の命を奪える位置にあると、あからさまに見せびらかす。

相手がただの無法者なら、姉さんが斬り伏せて終わりだっただろう。だが、相手は『法』と『契約』、そして『軍』という巨大な力を背景にした古狸だ。

父の手は震え、どうすることもできないと立ち尽くしたままだ。

その時、静まり返った会場に凛とした声が響き渡る。

「控えよ! 無礼者めが!」

アレクセイ殿下だ。

殿下は実況席のマイクを奪い取り、眼下の侵入者を冷徹な瞳で見下ろした。

「神聖なる決闘の場を土足で荒らすとは何事か! 王家主催の国際交流大会であると知っての狼藉か!? センチネル大佐よ! 即刻立ち去るがよい!」

王族の一喝。

だが、大佐は不敵な笑みを崩さない。

「これは失敬。ですが、これは我が国の『所有権』に関わる公務なのです。いかに王太子殿下であっても、我ら連邦の内政干渉はお控えいただきたい」

「所有権だと?」

「はい。先も申し上げた通り、この 物(・) は我が軍の備品なのです」

大佐が手にした契約書をこれ見よがしに掲げたその瞬間、私は静かに口を開く。

「センチネル大佐、その契約書を精査させていただきませんか?」

私は大佐の前に進み出る。

大佐は鼻を鳴らし、羽虫を見るような目で私を見下ろした。

「貴様、何のつもりだ? 小娘がでしゃばるでないわ」

「私は小娘ではなく、リリアナ・フォレストと申します。大佐、貴方が仰るアンノウンの娘であり、この国の王宮事務官です」

「ほう、王宮の役人か」

大佐は口の端を歪め、嘲るように鼻を鳴らした。

「まあ小娘如きに、この高尚な軍事法規が理解できるとは思えんが……見たければ見るがいい。己の無力さを知るだけだ」

大佐は持っていた書類を、私に乱暴に手渡した。

私は契約書に素早く目を通す。

そのあまりの内容に、怒りで視界が赤く染まるのを感じながら、静寂に包まれた会場へ条文を読み上げる。

「第4条、被雇用者は軍の命令に絶対服従とする。

第9条、報酬は全部隊の経費と相殺され、実質支給額はゼロ。

第13条、死後の遺体の所有権は軍に帰属し、部品として再利用される……」

私が読み上げるたび、会場からは悲鳴のようなざわめきが広がった。これは人の尊厳を踏みにじる、悪魔の証明書だ。

「皆様! 聞いての通りです! これは労働契約の皮を被った奴隷契約です! 我が国において奴隷制度は廃止されています! よって、この契約は公序良俗に反し、無効となります!」

「何かと思えば、この期に及んで法律論か」

私の言葉にも大佐は眉一つ動かさない。

大佐は余裕の笑みを浮かべ、冷ややかに言い放つ。

「だが、ここは『国際法』の適用下だ。こやつがサインしたのは我が連邦の領土内。つまり貴国の国内法など適用されない。残念だが契約は絶対だ」

「なっ……!?」

正論の壁。法を武器にする私にとって、管轄違いの壁はあまりに厚い。

私が言葉に詰まった、その時だった。