軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第四十一話 黒曜の王妃

『投石騒動』のプロポーズから数日後。

私の日常は、再び書類の海へと回帰していた。

ただ一つ違うのは、執務室のソファが、イザベラ様の定位置になってしまったことだ。

あの騒動以来、イザベラ様は連日ここへ通い詰め、優雅にティータイムを楽しみつつ、殿下を熱烈に見つめている。

当初は殿下も「公務の邪魔だ」と追い返そうとしていたが、『いつ石が飛んでくるか分かりませんわ!? ですが、ご安心を! その時は、また私が盾になりますの!』という、謎理論の主張に根負けすることになり、今に至る。

本音では守られた負い目があり、強く言い返せないだけである。

まあ、私としては虹色のドレスが視界の端でチカチカと主張している以外は平和だ。

だからこそ、嫌な予感しかしない。

そして、その予感は即現実のものとなる。

廊下から、異常なほど整然とした足音が近付いてくる。

執務室の扉がノックもなく開き、蒼白な顔をした侍従長が震える声で告げる。

「で、殿下……。国王陛下と王妃殿下が、お戻りになられました」

「なんだと……!?」

殿下がペンを止めた、その時だ。

侍従長を押しのけるようにして、豪奢な杖が執務室の床を突いた。

「久しいな、アレクセイ。息子の婚約を聞いて、居ても立っても居られず戻ってきたぞ」

現れたのは、アルブレヒト国王陛下。

そして陛下の半歩後ろを歩く、漆黒の髪を一切の乱れなく結い上げた、夜闇のように美しい貴婦人。

その鋭利な美貌と、不純物を一切許さない厳格さから、『黒曜の王妃』と恐れられる、エリザベス妃殿下である。

「父上、母上……帰還は来月の予定では?」

「予定を変更しました。貴方が地に這いつくばる『薄汚れた公爵令嬢』と婚約したという、王家の品位を損なう報告を受けたものですから」

王妃様の視線が、室内にいたイザベラ様に突き刺さる。

それはガレリア帝国皇后、エカテリーナ様とはまた違う雰囲気だ。

冷たさではない。触れれば切れる、黒曜石のナイフのような鋭さだ。

イザベラ様は虹色に輝く『孔雀ドレス(改良版)』を着ていたが、王妃様の突き刺すような視線に、叱られた子猫のように縮こまった。

「お、お久しぶりでございますわ、陛下、王妃殿下……」

「あら、挨拶ができる程度の機能は残っていたのですね」

王妃様は黒い杖で床をトンと突いた。

「……相変わらず、目が潰れそうな色彩ですね」

王妃様は黒い扇子で口元を覆い、侮蔑を隠そうともしなかった。

「イザベラ・フォン・ローゼンバーグ公爵令嬢、わたくしは認めませんよ。貴女のような『歩くカーニバル』が、次期王妃になるなど」

「カ、カーニバルですって……!?」

「ええ、その品のないドレス、そして公衆の面前で地べたを這うことを恥とも思わぬ野蛮な精神。報告は聞いています。アレクセイを庇ったそうですが、王族に必要なのは蛮勇ではなく、万民が跪く『威厳』です。自ら泥にまみれる宝石など、王家には不要なのですよ」

王妃様の正論に、イザベラ様が涙目になる。

その時だ。

ガタリと椅子を引く音が響くと、殿下がイザベラ様を庇うように王妃様の前に立った。

「母上、言葉が過ぎます。彼女は身を挺して私を守ったのです。その献身を『薄汚れた』と愚弄することは、息子である私への侮辱と受け取ります」

「あら、親に向かって口答えですか?」

「事実を申し上げたまでです。イザベラは私が選んだ婚約者。例え母上であろうと、傷つけることは許しません」

殿下の毅然とした態度に、イザベラ様が「殿下……」と瞳を潤ませる。

王妃様はわずかに眉を動かしたが、すぐに冷ややかな笑みを浮かべた。

「口だけは達者になったようですね。ですが、貴方もご存知の通り、感情論で国は動きません」

その冷ややかな言葉を遮るように、「ガッハッハ!」と、国王陛下が愉快そうに笑った。

「まあ、エリザベス。私は嫌いではないぞ? あのグランビルの時の度胸といい、息子を守るために飛来する石の前に飛び出した気概といい……最近の若い娘にしては骨があるではないか」

「貴方様は甘すぎます。気概だけで国母は務まりません。必要なのは『冷徹な計算』と『完璧な実務』です」

王妃様は一歩も譲らない。

陛下は「やれやれ」と肩をすくめ、殿下に目配せする。

『すまん息子よ、母さんが認めなければ、どうにもならん』という顔だ。

王妃様は「ふう」と小さく息を吐くと、扇子を閉じ、イザベラ様を正面から見据えた。

その瞳には、先ほどまでの『ゴミを見るような目』とは違う、深く値踏みするような冷徹な光が宿っていた。

「イザベラ、貴方を幼い頃から見ていますが、その『無駄な行動力』と『根拠のない自信』だけは、母親譲りで変わらないようですね」

「……お母様のことですの?」

「ええ、ですが、あの 女(ひと) は公爵夫人として完璧です。さて、娘の貴女はどうかしら?」

王妃様は口元を歪め、楽しむように宣告する。

「貴女に慈悲を……挽回の好機を与えます」

「挽回の好機ですの……?」

「来週、わたくしが主催する『夏の園遊会』。その運営の一切を貴女に任せます」

「私が……?」

「ええ、招待客は国内外の要人300名。ただし、予算は例年の半分とします」

「半分ですって!?」

イザベラ様が甲高い声を上げると、すかさず殿下が噛みついた。

「母上、それはあまりにも無茶です! ただでさえ夏の園遊会は、暑さ対策のために氷や魔導具の費用がかさみます。それを予算半減など、熱中症で客を倒れさせろと言っているようなものではありませんか!?」

「できないのであれば、そこで終わりです」

王妃様は殿下の抗議を冷たく切り捨て、イザベラ様をじっと見据えた。

「イザベラ・フォン・ローゼンバーグ、貴女は世間で『浪費家の悪役令嬢』と呼ばれているそうですね? ならば、その歪んだ金銭感覚を叩き直して差し上げます」

「そんな……」

「その足りない予算で、『完璧な品位』と『涼』を両立させてみなさい。もし客人が一人でも不満を漏らせば、婚約は白紙撤回。貴女には修道院へ行ってもらいます」

予算半減で灼熱の夏に最高のもてなし。

それは貴族社会における体裁を整えた排除であり、事実上の『断罪』。

普通の令嬢なら泣いて逃げ出すほどの無理難題だが、イザベラ様は違った。

「望むところですわ!!」

高らかな声が響いた。

イザベラ様は両手を腰に当て、仁王立ちした。

「イザベラ!」

「殿下、お止めにならないでくださいまし! 売られた喧嘩を買わないのは、公爵家の恥ですわ!」

イザベラ様は決意したかのように、王妃様を見据え、不敵に微笑んだ。

「王妃殿下、その条件、謹んでお受けいたします! 予算半分? 上等ですわ! 金貨で量れるほど安くはありませんの! 必ずや、皆様の度肝を抜く最高の園遊会にしてみせますわ!」

根拠など何一つない。あるのは傲慢な自信と、殿下への揺るがぬ愛。

だが、その迷いのない瞳に、王妃様は一瞬だけ目を細めた。

「威勢だけはいいようですね。ですが口先だけで『完璧』は作れませんよ」

そう言い放つと同時に、王妃様の鋭い視線が、私へと向けられた。

「そこの補佐官、リリアナでしたね?」

「はい……」

「アレクセイを焚きつけ、裏で糸を引いているのは貴女だと聞いています。この無謀な娘がここまで吠えるのも、貴女という『知恵袋』がいるからでしょう?」

どうやら王妃様には全てお見通しのようだ。

私は眼鏡を押し上げ、静かに一礼した。

「滅相もございません。私はただの補佐官でございます」

「あら、口が上手いこと。……いいでしょう。ならば釘を刺しておきましょうか」

王妃様は黒い扇子で、ビシッと私を指した。

「これはイザベラの次期王妃として独り立ちするための試練。ですが、横に優秀な『演出家』がいては正しい評価ができません」

王妃様の冷たい視線が、私の思考を見透かすように射抜く。

「リリアナ、今回の園遊会で貴女の一切の『裁量』を禁じます」

「……はい?」

「貴女に許されるのは、この娘が下した命令の『実行』のみ。助言も、提案も、誘導もまかりなりません。もし結果の中に、少しでも貴女の『作為』が混ざっていると、わたくしが判断すれば、その場で不合格とします」

私は絶句した。

それはつまり、完全なる『自律思考型・指示待ち人形』になれということだ。

仮に私が「氷が足りない」と気付いても、独断で手配することは許されない。イザベラ様が自ら気付き、「氷を持ってきなさい!」と命じない限り、私は指一本動かせないのだ。

「リリアナ、貴女も当事者です。失敗すれば、王太子補佐官の地位を剥奪。二人仲良く修道院へ送り込みます」

その理不尽な通告に、殿下とイザベラ様が同時に声を上げる。

「母上、リリアナは私の補佐官です! この件は無関係でしょう!」

「そうですわ! リリアナは関係ありません!」

二人の抗議に、王妃様は口の端を吊り上げる。

「主の暴走を 諫(いさ) めるどころか、焚きつけた』補佐官が、無関係なはずありません」

これ以上の反論は、王妃様の機嫌を損ねて墓穴を掘るだけだ。

私は青ざめる二人を目で制し、観念した。

「承知いたしました……」

私は震える声を抑え、深く頭を下げた。

思考と発言を封じられた上に、連帯責任。

「そこまで」と言わんばかりに、陛下がパンッと手を叩いた。

「決まりだな。やってみせよ。成功すれば、私の名において婚約を正式に認めてやろう」

陛下が面白そうに手を叩き、王妃様は冷ややかな笑みを残し、執務室を去っていった。

嵐が去った後の執務室。

残されたのは、青ざめる殿下と口を封じられた私。

そしてガタガタと小刻みに震えているイザベラ様。

この世の終わりのような沈黙の中、イザベラ様が震える口を開いた。

「し、失敗すれば……修道院……それは、つまり……『悲劇のヒロイン』になれるということですわね!?」

「「は?」」

私と殿下が同時に声を上げた。

イザベラ様は蒼白な表情のまま、何かに気付いたようにカッと目を見開く。

「壁に引き裂かれた二人……高まる障害!? ああ、修道院で殿下を想いながら涙を流すなんて、まさに悲劇のヒロインですの! さらに愛が燃え上がってきましたわ! どちらに転んでも美味しい展開ですわね!」

恐怖すらも都合よく脳内変換する、無敵のポジティブシンキング。

私の『南の島での優雅な老後計画』が、音を立てて崩れ去ろうとしていた。