軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

殿下と獲物譚

「お前との婚約は無かったことにしてもらいたい」

そう半年前に告げられた令嬢は今宵、美しい白金のドレスに身を包み、王宮の広間に降り立った。

元々ウィルソン家の者は公の場で 化(・) け(・) る(・) とはいえ、その夜のアデリアの仕上がりは、その変貌に手を貸した関係者達にとっても、ちょっと言葉にならないものだった。

まるで生まれた時から高貴な血を継いできたような気品を漂わせ、節目がちにリュシアンの左肘にそっと手を添えて微笑む淑女。

これがつい今朝方も、公爵家の庭の樹に登り、侍女長から叱られていたのと同じ令嬢だとは。

ちなみにその現場を家令と共に見たリュシアンは、柄にもなく爆笑した。

声をあげて笑うなど、生まれながらの公爵令息リュシアンにとって、子供の頃にも経験のないことだった。

自分としてはそういう素のアデリアを大変気に入っている。

が、それはそれとして。

公の場でのこの見事な猫被りは、様々な理由から注目されがちな公爵家嫡男の婚約者としては、生まれ持った血筋よりも余程得難い資質であると言える。

大ぶりの宝石や華やかなレース等の装飾は付けていないが、ドレスのウエストから裾にかけて、グラデーションを描くように散らされた細かなビーズは全て本ダイヤだ。

素材や織りを変え、光沢や模様が微妙に異なる薄布を幾重にも重ねたスカートは、軽やかでいて、得も言われぬ美しいニュアンスを生み出している。

見るものが見れば、いかに贅を尽くし計算された装いか気付くだろう。

貴き公爵家の名に恥じぬだけの装いと、それを纏うアデリアの控えめで品のある所作。

この国唯一の公爵家夫人には、流行を牽引するような華々しい存在感は求められていない。

王家に次ぐ高貴な血を絶やさず、けれど力を持ち過ぎてもいけないのだ。

今日の披露目で、アデリアにまつわるあらゆる噂は一掃されるだろう。

アデリア自身が意図的にそうしてきた過去の振る舞い、それにまつわる噂はどれも滑稽で酷いものだった。

似合わない化粧にセンスの悪いドレス、元婚約者への淑女らしからぬ下品な振る舞い。

その極め付きが婚約破棄をされた令嬢という汚名である。

よくもまぁ何年も、上手く道化を演じてきたものである。

それはそれでウィルソン家の血の為せる技か。

百年に一度の美人ではないが、白い額を額縁のように飾る黒い巻き髪、涼やかな目元に影が出来るほど濃く長い睫毛、じわりと赤が滲む形の良い口唇。

幾分線の細いリュシアンの横に並ぶと、その鮮やかな存在感がより強く、綻び始めた八重の花弁を思わせる。

アデリアの魅力に気付かなかった、元婚約者の愚鈍さにだけは、感謝してもいいと思っている。

あの男は今、公爵家の所領の、ある屋敷の地下にいる。

複数の令嬢たちに婚約をチラつかせながら、正式な婚約者がいないのをいいことに娼館へ入り浸りになっていた男を、生家の関心が薄れた頃を見計らって、ある真夜中にひっそりと連れ去った。

婚約期間中、あの元婚約者を貶しめるのではなく、自分の評判を落とすことに終始していたのがなんともアデリアらしい。

あくまで、自身と子爵家にかかる火の粉を払うためのあれこれだったのだろう。

上手い話で踊らせ、噂を流し、自らの行いで破滅させるくらいのこと、その方がずっと貴族らしく、簡単な話だったのに。

アデリアの高潔さに敬意を表し、譲ってはいたが、元来リュシアンは貴族らしい貴族である。

自分の中に流れる、この国でも有数の、尊く濃く青い血が、あの獲物を許すことはないと知っていた。

七年前のあの日、あの男の運命の輪は、自らの手で断ち切られていたのである。

むしろ不確かだったのは、婚約が失われた時、アデリアが自分の手を取ってくれるかの一点のみだった。

公爵家の威光はあれど、それを振るうことは、昨今の時勢ではあまり望ましくない。

特にこの時期、わが皇太子の成婚に伴い、隣国との距離が縮まっている情勢を鑑みても、みだりに国内を揺らすべきではなかった。

だからまぁアデリアの意思次第で、我が国では少ない令嬢の職や、何かしらの道筋を用意するつもりはあったのだ。

結果としては、アデリアも貴族らしい貴族であったのだと言えるかもしれない。

あの男に、自らの歪んだ暴力性をただの願望として、成長した身の内に留めおくだけの分別があれば。

アデリアは自分の好悪など別にして、粛々とあの男を婿として、ウィルソン家の血を繋いだだろう。

家同士で繋がった伴侶を好ましく思えるかどうかは重要だが、だが単にそれだけのことでもある。

まぁ今となってはリュシアンも、その好意、歓心を、如何にして持ってもらえるか、思いつく限りのあれやこれやを試している最中なのであるが。

そういう相手を得られた事をこそ、感謝している。

令嬢を子に持つ複数の家から、あの男の素行についての訴えが、貴族院に出ている。

醜聞を厭う貴族にとっては余程のことである。

生家である伯爵家から除籍されるのもそう遠くないだろう。

今後その事実が広まれば、長年その手綱を握っていたアデリアの、名声にはなれど、悪評にはならないだろう。

リュシアンに被虐趣味はないので、七年前の始末をつけたら、早々に退場してもらおうと思っている。

あの七年前の披露目の場で、乳兄弟の髪が切られた時、リュシアンが護衛の剣を手に取る暇もなく、小柄な少女の繰り出した強烈な一撃が目の前で炸裂した。

これには髪を切られた当人も呆気に取られ、その後気を失った婚約者を、少女が立て続けに殴りつけるのを、護衛ですら職務を忘れて眺めていたのだった。

今でも鋏を持つ事ができない側近が、それを理由にリュシアンから遠ざけられかけて、それすらも乳兄弟同士の気に入りの笑い話となっているのは、アデリアのお陰なのだ。

あの鮮烈な!

黒髪の少女の蛮勇伝として、忌むべき過去ですら鮮やかに塗り替えてくれた。

遠目に見ていた参加者達に気取らせぬまま、何故かアデリアの記憶にすら残っていなかったのは予想外だったが、王家と公爵家とで揉み消したあの一幕も、あとは幕引きだけである。

鋏で切り取って、残った部分は今回被害にあった家に下げ渡してやればいい。

他人の髪を切り取った悪意と同じものを、七年分の利子をつけて味合わせてから。

まぁその際、多少私情が混ざるのはやむを得ないだろう。

この七年ずっと男を見張っていたのだ。

自然、隣にいたアデリアのことも数多の目が見ている。

伝統ある公爵家、使用人に至るまで身内に甘いのは、濃い血の証だろうか。

公爵家の上から下まで、アデリアは中々の人気なのである。