作品タイトル不明
34.
ガラッ! と勢いよく教室の扉が開く。
「お、おはよっ!」
ホームルーム開始のチャイムが鳴る寸前、息を切らした昼神聖華が教室へと滑り込んできた。
走ってきたせいで、ミルクティーブロンドの髪が少し乱れ、制服のブラウスからは豊かな胸の起伏が荒い呼吸に合わせて激しく上下している。
その瞬間、クラス中の視線が一斉に聖華へと集まった。
男子生徒たちは一様に鼻の下を伸ばし、汗ばんだ彼女の肌や胸元へねっとりとした下心まみれの視線を這わせている。
一方で、女子生徒たちの視線は氷のように冷たかった。
また男の気を引くためにあんな派手な格好をして。朝から媚びを売って見苦しい。
直接言葉には出さずとも、彼女たちの冷笑やヒソヒソとした囁き声が、鋭い棘となって聖華の全身に突き刺さる。
見えない犬の耳が、悲しげにペタンと伏せられた。
胸の奥がチクチクと痛み、呼吸が浅くなる。
しかし、聖華は決して傷ついた表情を周囲に見せなかった。
自分がここで弱音を吐いたり、暗い顔を見せたりすれば、周りの空気を悪くしてしまう。
何よりも、いつも助けてくれる隣の席の彼に、これ以上の心配や迷惑をかけたくなかった。
悪い噂ばかりの自分にとって、唯一の取り柄は「底抜けに明るいこと」だけなのだから。
聖華は無理やり口角を引き上げ、いつもの脳天気なギャルの仮面を被って自分の席へと向かった。
どかっ、と。
少し乱暴な音を立てて、パイプ椅子に腰を下ろす。
「お、おは、おはよ……阿智くん……っ」
荒い息を整えながら、隣の席で静かに文庫本を読んでいる阿智奉太郎に声をかけた。
全力疾走してきたせいで、首筋にはうっすらと汗が滲んでいる。
(やばっ。汗かいちゃった。におわないかなっ。汗くさいとか思われたらどうしようっ。うー……っ)
聖華は急に自分の体臭が気になり始め、ブレザーの襟元をこっそりと摘んでクンクンと匂いを嗅いだ。
大好きな人に不潔だと思われたら、それこそ生きていけない。
教室の冷ややかな視線よりも、今は隣にいる彼の反応の方が何百倍も恐ろしくて、聖華はギュッと身を縮こまらせた。
そんな聖華の挙動不審な態度に、奉太郎はパタンと文庫本を閉じて顔を上げた。
「おはよう、昼神さん」
嫌悪も、下心も、同情も一切ない。
いつもと全く変わらない、凪いだ瞳と平坦でフラットな声だった。
それは、聖華を色眼鏡で見ず、ただのクラスメイトの『昼神聖華』として真っ直ぐに扱ってくれている何よりの証拠だ。
「ふへー……っ。朝から阿智くんと話しちゃった。ふへーっ……」
そのたった一言の挨拶だけで、聖華の心を満たしていた不安や痛みが、嘘のように一瞬で吹き飛んでいった。
ペタンと伏せていた耳がピンと立ち、見えない尻尾がちぎれんばかりにパタパタと振り回される。
クラス中の冷たい視線も、汗の匂いの心配も、もうどうでもいい。
聖華はだらしない笑顔を全開にして机に突っ伏し、幸せそうに頬を緩ませた。
彼女の重すぎる愛情メーターは、朝のたった数秒のやり取りだけで、今日も軽々と限界を突破していくのだった。