軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

16 王太子妃専属護衛騎士が出来るまで。

我が全ては、貴女様の御為に。

これまで積み上げた全てと、これから更に上積みされるであろう全てを、ただ我が主君の為に。

それが私、アルフォンス・ノーマンの護衛騎士としての矜持だ。

近衛騎士隊の一部に、『護衛騎士』という者がいる。私はそれだ。

黒を基調とした団服は近衛の 徴(しるし) 。その中でも、護衛騎士の団服は刺繍の紋様や装備などが異なる為、分かる者にはすぐ分かる。

城の警備などをしている第一騎士団の団服は、明るめの紺色だ。市街の警邏をする第二騎士団は青灰色。

一般の市井の人々にとっての『騎士様』は、青灰色の団服の者だろう。そして『お城の騎士様』とは紺色。我らのように黒色の団服を着用する者を目にするのは、ほぼないだろう。

そして、貴族の言う『騎士様』は大抵、我らのような黒色の団服を身に着けた者だ。

王族からの信の篤い我らを、何とかして取り込めぬかと考える愚か者ども。

更に、貴族のご令嬢が憧れる『騎士様』も、面倒な事に我らである。

王太子殿下の専属護衛に選抜されたので、私の仕事は殿下と殿下の大切な方をお守りする事だ。

自然、エリザベス様のお側に侍る事が多くなる。

ご令嬢の護衛は面倒なのだ。

我らの事など『居ないもの』と扱ってほしいのだが、やたらと話しかけてきたりする方が多い。

私は大分ご令嬢に好まれる見目をしていると自覚している。それも悪いのだろう。

初めてお目にかかったエリザベス様は、まだ五歳であられた。

ふんわりと波打つ淡い金の髪が妖精の羽のようにも見える、非常に可憐でお可愛らしいご令嬢だ。

これはまた王太子殿下は、素晴らしく美しい姫を見つけてこられたものだ。

そんな風に思ったものだ。

当時五歳であられたエリザベス様は、その年齢のせいもあり、滅多に人前にお出ましになる事がなかった。

マクナガン公爵家に娘が居る、という事は周知の事実であっても、その娘がどういう容姿でどのような気性なのかまでは知られていなかった。

殿下もエリザベス様のお美しさに、少々驚かれていたようだ。

けれどエリザベス様の本領は、その妖精の如き可憐なご容姿ではなかった。

我々の見目ではなく、『配置』などを見ているご令嬢が居るとは、露ほども思わなかった……。

しかもエリザベス様は『死角がなく素晴らしい』と評してくださった。

ご令嬢にそのような称賛をいただくのは初めての経験で、それが王太子殿下のご婚約者様であるという事実に、我らは背筋の伸びる思いだった。

これは気を抜けないな、などと笑い合ったが、全員内心では戦々恐々としたことだろう。

業務中に気を抜く事などあり得ないが、恐らくエリザベス様なら一瞬の緩みにも気付かれるのでは……と思わせるからだ。

初見で我らの『配置』などをご覧になられたエリザベス様は、とても風変りな方でいらした。

エリザベス様と王太子殿下は、殿下の私室近くにある小さな庭園で、良くお茶の時間を楽しまれる。

『春の庭』と名のついた、王太子殿下と王太子妃殿下の為の庭だ。彼らの部屋から美しく見えるように計算された庭園で、当然、警備のしやすさなども計算されている。

春の庭に初めて通されたエリザベス様は、既に恒例となっていた我らの配置の確認をされた。そして満足したように小さく笑い、うんうんと頷くのだ。

エリザベス様のあの小さな頷きに、我らは少しだけ安心する。

エリザベス様の目から見て穴がなく、『素晴らしい』と評していただいているに他ならないからだ。

殿下とエリザベス様は、ここで様々なお話をされる。

流行の物語や、新しい宝石、美しいドレス、髪型や髪飾り……などの話は一切ない。驚くほどにない。

装飾品の話は出た事があるが、それは『最近見つかった、古代文明の王族の墳墓から出土した副葬品』についてだった。しかも「あの時代にあそこまでの細工が出来るとは」だの、「留め具に使用された金属の腐食具合」だの、「硬度の高い宝石をどうやってカットしたのか」だの、色気を遥か彼方に置き去りにした会話だった。途中から、王城勤務の学者であるナサニエル師まで入ってきて、非常に活発な議論となっていた。

殿下が「これは何の時間だろうか」と言いたげに、遠くを見ておられたのが印象的であった。

ある日のお茶会に、殿下が少々遅れるとの連絡が入った。

エリザベス様は気を悪くした風もなく「分かりました」と頷いておられた。エリザベス様は待たされる事を全く苦になさらないお方だ。

案の定、庭の様子をご覧になられて、頷いたり、首を傾げたりしておられる。

視線を上向けたり、背後を振り返ってみたり、何をご覧になられているのか。季節は折しも春で、この『春の庭』が一番華やかな時期である。

しかしエリザベス様は、美しい花に驚くほど無関心な方だ。

殿下が「エリィはどうして、花にそう関心がないのかな?」とお尋ねになられた事がある。

花に関心がない為、『無難且つ準備が容易な贈り物』の筆頭とも言える花束などを、お喜びにならないのだ。殿下がいつも贈り物に頭を悩ませている事を知る我らからしても、その質問の答えには興味があった。

花が苦手で……というご令嬢自体は、これまでも出会ったことがある。

ある者はアレルギー持ちという仕方ない理由だったし、またある者は「枯れてしまうのが、可哀想で……」という至極どうでも良い理由だった。

枯れても来年また咲くだろうに。『お花が可哀想と思える私が優しくて素敵でしょう?』と幻聴が聞こえてしまった。

さてエリザベス様はなんと答えるか……と見ていると、非常にバツが悪そうなお顔で俯かれてしまった。そして小さな小さな声で、恥ずかしそうに仰ったのだ。

「……食べられない花に、興味をもてませんで……」

食べる気だったのか!?

いかん。笑ってしまいそうだ……と、腹にグッと力を入れて耐える。

「……食べられる花なら、興味があるのかい?」

尋ねた殿下に、エリザベス様はばっとお顔を上げられた。

「食べられるなら、それは『花』ではありません。『食品』です!」

ふんす、と息を荒げて力説される。

……いかん……。思わず変な息が漏れてしまった。おい、ディオン! 私が耐えているんだ! お前ももうちょっと耐えろ!

「そうか……。『食品』、か……」

何とも言えない口調の殿下のお言葉に止めを刺され、私は気持ちを落ち着ける為に咳払いをする羽目になるのだった。

そんなエリザベス様が、庭園を眺めておられる。

何をご覧になられているのか……。

そう思っていると、エリザベス様はお席を立たれ、私の正面まで歩いてこられた。

「すみません、少々、お話をよろしいですか?」

「はい。なんでございましょう」

これは珍しい。

エリザベス様が私にお声を掛けられたのを見て、控えていた他の護衛がすっと立ち位置を変更する。

そのちょっとした動きも、エリザベス様は目で追っておられる。

「……現在、私の八時の方向に、ちょっとした死角がありませんか?」

「……ございます」

やはり突っ込まれた。

貴人にお声を掛けられた場合、その護衛は数に入れないのだ。そしてその穴は、他の護衛でカバーするように動く。

エリザベス様にそういった細かな警備の話など、恐らく誰も教えてはいないだろうが。この方は何故かそういった箇所にすぐ気付く。

「もしもエリザベス様のお話が長くなるようであれば、数分後にもう一人騎士が配置されます。御心配は無用です」

「成程。納得いたしました」

うん、と頷くエリザベス様に、ほっとする。

「で、お話とは?」

「はい。少々気になったのですが……」

エリザベス様は、右手の人差し指をぴっと立てると、それで真上を指さした。

「曲者が上から来たら、どう動きます?」

「は……?」

上から?

問われて、思わず上を見る。

現在居る場所は庭園で、木々なども開けている。上を見ても空ばかりだ。

「例えば、二階のバルコニー」

言いながら、エリザベス様はそちらを指さす。次に更に高い場所。

「例えば、屋根。例えば、あちらの木の上」

エリザベス様は軽く微笑まれると、それらをぐるっと見回した。

「そこへどうやって潜むか……という事は、今は度外視してください。もしもそこから曲者が出たら、もしもそこから飛び道具が放たれたら。……どのように?」

そう。『どうやってそこへ潜むか』が一番の問題なので、実現する可能性はほぼないに等しい話だ。

しかし、完全にないとも言い切れないだろう。

「それら危険と成り得るものを確認次第、殿下や貴女様にここから退避いただきます」

そのような事があったとしても、我らの仕事は変わらない。

お守りする対象を、何としても無事に守り切る。それだけだ。

「ではもし曲者が進行方向の上部に居たら? 建物内への進路に危険があるとするならば?」

「その場合は、別の経路をご用意いたします」

別に、避難経路は一つではない。

もしそれら全てが塞がれるような事があるならばそれは、城が数千からなる大軍勢に乗り込まれた時くらいだ。

「成程」

エリザベス様は満足したように、にっこりと微笑まれた。

……納得していただけて良かった。エリザベス様の笑顔とお言葉に、他の護衛もほっとしたように息を吐いている。……うん、そうなるよな。

「就業中の不躾な質問にお答えいただき、ありがとうございます」

「いえ。構いません」

拙い答えをお返しして、信頼を損ないやしないかと冷や冷やはするが。

「……おおよそ、一分程度ですね」

ふふっと小さく笑いつつ零された言葉に、また背筋の伸びる思いになってしまう。

流石はエリザベス様。正解です。

おおよそ一分。それは、私がエリザベス様と会話を始めてから、私の代わりとなる護衛が新たに配置されるまでの時間だ。

「あと、騎士様、もう一つお願いがあるのですが……。お断りいただいても、全く構いませんが」

「何でございましょう」

エリザベス様は私を真っ直ぐ見つめ、軽く首を傾げられた。

「少々、私を抱き上げていただけませんでしょうか?」

……は?

エリザベス様は今、何と仰られたか……。

「ええと、あの、こういう風に……」

と、幼子を縦に抱くような仕草をされる。

良く分からないが、そうした方が良いのだろうか……。

数秒の逡巡の後、私はエリザベス様の側に屈み込んだ。

「では、少々失礼いたします」

「はい。宜しくお願いします」

エリザベス様の背と膝裏を支えるように腕を回し、その小さな体を抱え上げる。

「落ちたりなさいませんよう、どうぞしっかりとお掴まり下さい」

「はい。失礼しますね」

エリザベス様の小さなお手が、私の団服の背中をしっかりと掴んでいる。

子供を抱っこする体勢だ。

私の顔のすぐ横にあるエリザベス様のお顔は、庭園をぐるっと興味深げに眺めておられる。

それを見て理解した。

私や他の騎士の視界を、見てみたかったのだな、と。

エリザベス様は、同じ年の頃の少女よりも小柄だ。

我らの腰ほどまでくらいしかない。

その視点と我らの視点では、当然ながら見えるものが違う。見え方も違う。

木々の茂る場所、低木の植えられた場所、花壇……と、我らが普段重点的に見ているものを、的確に次々とご覧になられている。

時折この方は、実は少女の皮を被った上官なのでは……と思わされる。

「エリィ? 何をしているんだい?」

すぐそこから到着された殿下にお声を掛けられ、エリザベス様は「あら、殿下……」と小さく呟かれた。私からは当然、殿下は見下ろす位置だ。エリザベス様もそれを確認されたのだろう。小さく頷かれている。

「降りられますか?」

殿下もご到着なされた。エリザベス様の『遊び』の時間も終わりだ。

「はい。お願いします」

頷いたエリザベス様をそっと地面に下ろすと、エリザベス様は私に向かって軽く頭を下げられた。

「ありがとうございました。興味深かったです」

「それは良うございました」

興味深い……かなぁ? そんな風に思うが、エリザベス様の『ご興味』は変わっておられるので、そんなものなのだろう。

「何をしていたんだい?」

殿下に訊ねられ、エリザベス様は少し楽し気に笑っておられる。

「彼らの見ているものを、見てみたくて。こちらの騎士様にご協力いただきました」

言って、思い出したように私を振り向かれた。

「よろしければ、お名前をお伺いしても構いませんか?」

その言葉に、殿下をちらりと見ると、殿下は「構わない」という風に頷かれた。

「アルフォンス・ノーマンと申します」

「そうですか。ノーマン様、ありがとうございました。お仕事のお邪魔をしてしまいまして、申し訳ありません」

「いえ。問題ございませんので、どうぞそのままで」

エリザベス様は、もう一度「ありがとうございます」と礼を言うと、殿下にエスコートされお席へと戻られた。

その日の夜は、宿舎で「エリザベス様は上官より怖いかもしれない」と話題になった。

そして名前を憶えられた私は、それ以来、エリザベス様の無茶ぶりに時々付き合わされるようになったのだ……。

恐らく、私ならば付き合ってくれる、と思われたのだろう。

それを筆頭であるグレイに言ってみたら、「信頼されているのだろう」と笑われたが。

木に潜んでみたい、だの、屋根に上ってみたい、だの言われる、こちらの身にもなってもらえないだろうか。こちらが提示する「出来ない理由」を納得された上で繰り出される屁理屈を、どうやって諦めさせようかと頭を悩ませる日々だ。

ある日、エリザベス様が王妃様とお二人で主催される茶会で、警護の為にそこに居る私に声をかけてくる令嬢があった。

まあ、そう珍しい事ではない。

自分で言うのも何だが、私はかなり見目が良い。ご令嬢に好まれる、甘い顔立ちをしているのだ。おかげで、見目も重視される近衛に入る事が出来たのだが、こうしてご令嬢に職務の邪魔をされる事もある。

ただ、邪険に扱う訳にはいかない。

私は自身でも鏡などを見て思うのだが、一見した印象が軽薄そうである。……グレイのように生真面目ぶった雰囲気を出せれば良いのだろうが、どうも浮ついて見えるようだ。

生まれ持ったものなのだから、どうしようもないのだが。

そのせいもあり、ご令嬢から良く声を掛けられてしまう。

遊び慣れていそう、などと思われるようだ。……別に、否定はしないが。それでも、貴族の令嬢(しかも未婚なら尚の事)に手を出すような真似はしない。そんな面倒くさい相手はご免だ。

我らはお茶の席からは大分離れた場所に控えている。

そこへわざわざやって来たのは、ある伯爵家のご令嬢だった。

豪奢な金の髪に、気の強そうな緑の瞳。昼だというのに真っ赤な口紅と、肩から胸元へ大きく開いたドレス。

……茶会を、勘違いしていないか?

夜会でならば映えそうな化粧は、陽の下で見るとけばけばしい。ドレスも昼ではなく、夜に着用するようなデザインだ。

それとも、令嬢のふりをした下級娼婦だろうか。それくらい、品がない。

「護衛騎士のノーマン様ですよね?」

こてんと首を傾げつつ尋ねてくる。その顔の角度なども計算されているのだろう。あざといという以外の感想がない。

「はい。私に何か?」

「少し、お話をしてみたく思いましたの」

私は話す事などないのだが。

ご令嬢は、かれこれもう十分ほど、私に向かってどうでもいいような話を続けている。私はというと、仕方がないので笑顔で適当に相槌を打っているだけだ。

壁に向かって話すのと大差ないであろうに、このご令嬢は良く飽きないものだな。

「そう! わたくし先日、お父様に観劇に連れて行ってもらいましたの!」

……まだ続くのか。そろそろ席に戻ってくれないだろうか。

いい加減、笑顔も引き攣りそうなのだが。

こちらのご令嬢を見る周囲の目も、大分冷ややかになっている。そもそも場を弁えない装いで軽く顰蹙を買っていたようだが、現在は『軽い顰蹙』どころではなく侮蔑の視線が混じっている。

「人気の演目で、『エヴァーラントの湖の騎士』という劇なのですが、とっても素敵なお話でしたのよ」

……また、その話か。

内心、盛大な溜息だ。

人気の作家が書いた物語を劇に起こしたもので、昨年の初演以来、非常に人気を博している演目だそうだ。特に、女性人気が凄い。

やたらとご令嬢にその話を振られるので、劇の原作となった物語を読んでみたのだが、半分ほどまで読んで挫折してしまった。

何とか最後まで読み切った同僚に、最後までの物語の粗筋を教えてもらった。

個人的な感想としては『どこがおもしろいのか、全く分からない』だ。

エヴァーラントという架空の国の、騎士と姫君の恋物語だ。

ざっくり言うと、政略で敵国へ嫁がされそうになった姫君を、彼女に想いを寄せていた美貌の騎士が攫って逃げる、という話である。

敵国との和睦の証の姫君を攫うな!! と言ってしまった。同僚も頷いていたが。

この物語と劇のおかげで、私を含め騎士職の者たちはかなりの害を被っている。

攫われたい姫君志望のご令嬢が多いのだ。

「わたくし、騎士が姫君に誓いを捧げる場面で、とても感動してしまって」

そしてよりによって、その場面か。

私が思わず読んでいた本を放り投げてしまった場面だ。

その先はもう、馬鹿馬鹿しくて読む気にもなれなかった。

同僚は「こういうお笑いの寸劇だと思えば読める」と最後まで読み切ったようだが。……そうか。コメディと割り切る方法があったか……と、目から鱗だった。

「実際に、騎士の皆様にも、ああいう誓いのお言葉がありますの?」

あると答えたらどうせ次は、「ちょっと言ってみてくれ」と言われる。

さて、何とお断りしたら角が立たないか。

「トレイシー様」

声を掛けてきたのは、エリザベス様だった。

目の前のご令嬢とは違う、とても清楚な装いだ。ふんわりとしたワンピースは、何枚もの薄い布を重ねて独特の色合いを醸している。青を基調とした中に、薄い黄色のリボンが所々に飾られ、スカートの裾や袖口には金糸で刺繍が入っている。

殿下の独占欲が炸裂した、けれどとてもお可愛らしい衣装だ。

「先日入手いたしました、珍しいお茶をふるまっておりますので、どうぞお席へ。冷めぬ内に味わっていただきたいと思いますので」

「……ありがとうございます」

つまらなそうな顔で礼を言い、ご令嬢は席へと戻って行った。

それが未来の王太子妃に対する態度か、とただただ呆れる。

ご令嬢を見送っていると、エリザベス様と目が合った。エリザベス様はちょっと苦笑されると、声に出さず口の動きで「お疲れさまでした」と仰った。

疲れて見えたかな?と、私もつい苦笑してしまう。

お茶会を終え、いつものように殿下とのんびりとお茶とお話を楽しまれたエリザベス様を、馬車停めまでお送りする。

茶会の主催という重責から解放されたからか、エリザベス様の足取りがぴょんぴょんと飛ぶように軽い。

時折「るんた、るんた♪」と歌うような小さな声も聞こえる。

こうしていると、ただお可愛らしいだけの少女なのだが。

「……エリザベス様、少々よろしいでしょうか?」

声をかけると、エリザベス様が足を止め、不思議そうな顔で振り向いた。

「はい、何でしょう?」

こちらから声をかける事など、滅多にない。それを驚いておられるのだろう。

「昼間は、助かりました。ありがとうございました」

一礼すると、エリザベス様は「ああ……」と思い立ったように呟き、苦笑された。

「いえちょっとアレは……、見ている私の方が冷や冷やしてしまって……」

冷や冷や?

不思議に思いエリザベス様を見ると、やはり苦笑したままで軽く首を傾げられた。

「彼女、踏み込んではならない場所に、自分からガンガン突っ込んでいくものですから。しかも無自覚に」

「……と、仰いますと?」

「架空の国の架空の騎士様がどうかは知りませんが、この国の『騎士である事』に誇りを持つ方に、振って良い話題ではないかと」

「架空の国の架空の騎士の物語は、お読みになられましたか?」

少し興味がわいて尋ねてみると、エリザベス様は深い溜息をつかれた。

「読みました。……『悠久なるアガシア』より、読了に時間がかかりましたが」

あの鈍器よりも! いや、気持ちは分かり過ぎる程に分かるが。

「ノーマン様は、お読みになられましたか?」

「……途中で挫折いたしました」

「心中、お察しいたします……」

酷く気の毒そうな口調で言い、深々と頭を下げられる。その少しおどけた姿に、思わず小さく笑ってしまった。

「ありがとうございます。……エリザベス様は、どのような感想をお持ちで?」

「あの騎士は、さっさと首でも刎ねてやった方が国の為なのでは?」

再度溜息をつきつつ言われた言葉に、笑ってしまいそうになって口元に手を当てた。

「ノーマン様の感想は?」

「和睦の証を攫うな!と」

「ごもっともです」

深く頷いたエリザベス様に、私も頷いてしまった。

「ご令嬢が胸をときめかせる気持ちは分からなくもないのですが、個人的な感想としましては『あれはナイ』です」

きっぱりと言ったエリザベス様に、少しだけ嬉しくなる。

「どうせなら、もっと荒唐無稽なモチーフにしてくれたら、私も楽しめたかもしれませんのに……。頭の中が花畑の騎士と、更なる広大な花畑の姫君の物語なんて、ただただ寒々しくって」

頭の中が花畑……。これまた、的確な表現だ。

「あの物語の中の、騎士が姫君に向かって誓いを立てる場面が、ご令嬢に人気なようです」

「そのようですね」

エリザベス様は頷くと、何度目かの溜息を零した。

「あの花畑満開の薄っぺらい誓いに、心など微塵も動きませんが……。まあ、お嬢様方が夢を見るのは自由ですからねぇ」

相変わらず、不思議な達観のある方だ。

「ノーマン様は途中で挫折されたそうですからご存じでないかもしれませんが、かの騎士は作中で姫君に対し、三度も誓いを立てるのです」

「……そうなのですか?」

何故そんなに、何度も……。

作者はもしかして、『騎士』という職に、逆に何か恨みでも持っているのか?

「はい。しかも三回とも、少しずつ文言も異なるのです。……どれを信じたら良いのやら」

心から呆れる口調で言うエリザベス様に、思い切り同意したい。

「『誓い』というのであれば、生涯一度で十分でしょう。それを貫き、守り通してこそでしょう。軽々しく、何度も何度も『誓います』なんて口にする必要もない。……そう思う女性は、少数派なのでしょうかねぇ?」

「恐らくですが、少数派なのでは、と」

やっぱりそうですかねぇ?と、また溜息をつくエリザベス様に、私は感心していた。

『騎士の誓い』というものは、実際、存在する。ただ、物語に出てきたような、睦言紛いの甘い台詞ではない。長い台詞でもない。

そして私たち騎士は、それを口に出す事は殆どない。

エリザベス様が仰った通り、恐らくは、『生涯に一度』だ。

騎士学院の卒業の際に、最後の授業として学ぶのだ。

誓いの文言と、その意味を。

ただの言葉ではない。その言葉通りに在るという覚悟だ。己の全てを差し出すべきものに対し、誓いを胸にそこに立つという、騎士としての矜持だ。

軽々しく「言ってみてくださいませんか?」などと言ってくるご令嬢には、恐らく分からないだろう。

けれど今、エリザベス様が仰った言葉は、我々騎士が抱く思いと在り方そのものだ。

生涯において一度だけ立てた誓いは、貫き、守り通す。

やはりこの方は、令嬢の皮を被った上官なのでは……と思うのだった。

少しだけ。

私が生まれるのが、あと十年でも遅ければ……と思ってしまった。

そうであればもしかして、エリザベス様の専属護衛となる道があったのでは、と。

王太子殿下の専属護衛という立場に、全く不満はない。

殿下は国にとって替えの効かない大切な御身だ。それをお側で守るなど、光栄の極みだ。

けれど、少しだけ。

エリザベス様にお仕え出来たら、と。

騎士というものの『在り方』を、矜持を、ご理解くださるあの方をお守り出来たなら。

それは恐らく、騎士として、とても幸せな事だろうと。

ほんの少しだけ、思うのだ。

ある日、休憩していると、同僚が呼びに来た。殿下がお呼びだから、至急執務室へ、と。

休憩中に呼び出されるのは珍しい。殿下はそういった部分をきちんと分けられる方だからだ。休む時は休む、就業中は業務に励む、それが徹底されている。……そういえば、エリザベス様もそうだ。あのお二人は、そういう部分でもお似合いだ。

殿下のお呼びに参じてみると、思ってもみない事を言われた。

「お前に、エリィの専属筆頭となってもらいたい」

一瞬、何を言われたか分からなかった。

エリザベス様の専属? しかも、筆頭と仰られたか……? 私が?

「返事は、三日後までで構わ―――」

「謹んで、拝命いたします」

思わず殿下のお言葉を遮る不敬を犯してしまった。

しかし殿下は気にした風もなく、むしろ楽し気に笑っておられた。

何だろう、これは。都合の良い夢か何かだろうか。

その後、グレイと相談し、私以外のエリザベス様の専属となる護衛騎士を選抜するに至って、「あ、夢じゃないのか」と思うのだった。

翌日には騎士団の事務局に配属変更の書類を提出した。

その際、事務局長から新しい団服を渡された。

「これに着替えなさい」と手渡された団服の胸元には、王太子妃付き専属護衛の証である、スミレの花の徽章がつけられていた。

「王太子殿下よりのご命令だ。四年早いが、付けておいてくれ、と」

殿下のご婚約者様への執着は、城に勤務する者の間では既に常識である。

王太子付きの徽章のついた団服を返し、新たな団服に袖を通す。

たった一か所。胸に着いた小さな徽章のみが変わった服。しかしエリザベス様なら、それにも気付くだろう。

新たな団服を着て、エリザベス様の元へと、着任の挨拶に向かった。

「胸元の徽章は、まだ早いのでは……?」

案の定、気付いてくださり、少しだけ表情を引きつらせる。このほんの小さな徽章の『重さ』に気付くのも、エリザベス様ならではだ。

「王太子殿下より、これを付けるようにと命じられました。ご不満がおありでしたら、どうぞ殿下へ」

と言うと、エリザベス様は「とんでもない」とでも言いたげに引き攣った笑みを浮かべた。

殿下には、文句を言うだけ無駄だからだ。

「ノーマン様は、それで良かったのですか?」

僅かに不安そうなお顔で、エリザベス様が尋ねてこられた。

「……と、仰いますと?」

「『殿下の専属』を、外される形になるのですけれど……」

ああ、本当に、この方は……。

王族の方々の序列に従い、私たち護衛騎士の序列も決まる。当然、最も優先されるべきは、国王陛下の護衛騎士だ。

その序列で言うなら、現状『王太子の婚約者』でしかないエリザベス様は、最後尾である。

『王太子付き』から、『王太子の婚約者付き』となった私を、左遷されたとでもお考えなのだろう。

しかし、私個人としては、そのような考えはない。

ただ光栄でしかない。

我らの在り方を理解し、尊重し、協調しようとしてくださるこの方にお仕え出来る。

ただ心から、嬉しい事でしかない。

なので、微笑んだ。

「何も問題ございません。むしろ、身に余る光栄でございます」

それ以外の感想などない。

エリザベス様はそれを理解してくださったようだ。

それ以上、詮索のような事はなさらなかった。

かわりに、ぽつりと呟くような声量で仰った。

「では私は、あなた方が『守るに値する』人間とならねばなりませんね」

何を仰るのか。

我らの在り様を高く評価してくださるのは有難いが、私は貴女様を『守るに値する』と考えているが故にここに居るというのに。

ご自身に自信がおありにならないのか、それとも我らを高く見積もり過ぎなのか。

貴女様はそのままで、価値は既にあるのだ。

それを決めるのはエリザベス様ではない。私たち、貴女をお守りする騎士だ。

きっと、言葉を尽くすよりも、これが一番早い。

そう思い、椅子にお座りのエリザベス様に、立ってもらえるようお願いする。

不思議そうな顔をしつつも立ち上がられたエリザベス様に歩み寄ると、その正面に跪いた。

エリザベス様が、小さく息をのんだ音がした。

手を差し出し、お手を取らせていただけるよう促すと、暫くの逡巡の後にそっと小さな手が差し出された。

我らが守るべき小さな細いお手を両手で戴き、その手にそっと自分の額を付ける。

エリザベス様の手が、びくっと小さく震えた。

この方が、この姿勢の意味を知らぬ筈がない。

演劇の騎士の礼とは違う、この国の騎士にとっての最上位の礼だ。

私は、一度小さく息を吸って、吐いた。

「我が忠誠は、国に―――」

騎士学院の最後に習う文言。

口に出して読む必要はない。胸に刻め、と。

実際、口に出して発音するのは初めてだ。

「我が剣は、貴女様をお守りする為に。我が全ては、貴女様の御為に。この身の全てを捧げる事を誓います、 我が主君(ユア・ハイネス) 」

本来の『騎士の誓い』とは、多少文言を変えた。本来、剣を捧げる相手は民で、全てを捧げる相手は国王陛下だ。そして最後の『我が主君』が『国王陛下』となるのが、騎士学院で習う正しい『騎士の誓い』だ。

けれど、これでいい。

生涯一度誓うならば、全てを主君となるエリザベス様に捧げよう。

果たしてエリザベス様はどうされるかと思っていると、小さく深呼吸をする音の後、とても静かな声が言った。

「たとえその身が砕けようと、わたくしを守る剣となり、盾となりなさい。わたくしエリザベス・マクナガンの名において、アルフォンス・ノーマンを我が護衛騎士と認めます」

嬉しくて、エリザベス様の小さな手を持つ自分の手に、少し力が入ってしまった。

気付かれただろうか。

これもまた、正式な誓いの返礼のアレンジだ。こういうところが、この方の凄いところだ。

本来は『民を守る剣となり、国を守る盾と――』である。本当に、良くご存じなものだ。

「護衛騎士アルフォンス・ノーマン、お言葉、有難く頂戴いたします」

そう締めて立ち上がると、エリザベス様が酷く複雑そうな顔をしておられた。

恐らくは「何をとんでもない事を」などと思っておいでなのだろう。

ご令嬢の憧れの、『騎士の誓い』ですよ? もう少し、お喜びになられては?

そして私は今日も、身なりを整え、漆黒の団服の袖に腕を通す。

詰襟をきっちり留め、手袋を嵌め、部屋を出る。

エリザベス様のお部屋の前で任務を交代し、エリザベス様がお出ましになるのを待つ。待つ間、もう一度襟を正す。

「おはよう、アルフォンス」

「おはようございます」

さあ、今日も一日が始まった。

時々振り回され、時々腹筋にダメージを受けながら、今日も護衛を務めるのだ。