作品タイトル不明
(閑話)エリート軍人は任務を遂行する(部下の軍人視点)
客室の扉前での待機を命じられてからしばらく後、いくつかの会話ののちに中がしんと静まったのが空気の揺れで分かった。
今日この部屋の中にいるのは我が上司と、彼が呼んだ客人が二人。
軍部のトップ、元帥の直属の部下として元帥に随行を許される立場の者はそう多くはない。
客人との会話などが漏れ聞こえてしまう可能性のあるこうした扉前の待機なども下級の軍人に任せることはできない役割のひとつだ。
コツ、コツと、固い杖先が鈍く床を叩く音が近づいてくるのを感じ、それが止まったタイミングで扉をゆっくりと開いた。
静かに姿を現したのは元帥その人である。
「娘を連れて来い」
「は!」
一言で告げられた言葉にすぐさま返事を返した。
自分と同じように待機していたもう一方の者が、次の目的地へと向かう元帥に同行して去っていく。
短く簡潔な指示から元帥の真意を読み取ることもまた、部下として必要とされる能力の一つだ。
事前に知らされていた内容から、今日の客人である商人の娘は元帥が客人らと交渉するにあたっての駒の一つであるようだった。
侯爵家の娘が来ればまずい事実から彼女を守る協力者としての交渉を、商人の娘が来ればそれよりも直接的な要請を。
既にこの城へと呼ばれ参じたことで彼らは逃れようもない交渉のテーブルに着かされていたのだ。
直属の部下である私がすべきことは、商人の娘を然るべきときまで商人らと引き離し、そして交渉の成立と共に彼らの元へ返すこと。
事細かな指示などなくともそれを察するだけの能力がなければ、彼の人のそば勤めは務まらない。
元帥が向かったのは彼が呼びだしたもう一組の客人の元だろう。
そちらは問題ない。彼の親族であり、最近は常にそうしているように、忙しい元帥が予定の合間を縫って家族との時間を設けているだけのことだ。
商人らとの交渉も、娘を呼んで来いと指示されたということは大した問題にならず決着が見えているということ。
もはや次に元帥があの客室を訪ねるときには、商人らから是の返答をもらうだけということだ。
私はそのとき彼らに娘を返してやればいい。
私はまずはそのために控え室に残してきていた商人の娘を引き取りに行くのだった。
◇ ◇ ◇
「対象を引き取りに来た」
私がそう言ったとき、託児室の前で鍵を持ったメイドはむっとした顔でこちらを見たようだった。
顔を覚えていた訳ではないが、おそらく娘を置いて行った際に控え室にいたメイドだろう。
仕事を押し付けられたと腹を立てているようだ。
「随分とお時間がかかりましたね。客人をご案内されたらすぐ戻られるとばかり思っていましたが、あまりに遅いので託児室へ移動させました」
「立場を弁えろ」
「……」
嫌味な言いぶりに対して私がひと睨みすれば、メイドは悔しそうな顔をしたものの押し黙った。
控え室へ向かったがすでにそこは別の客人が使用中だったため、場にいた使用人に聞いてこちらへ来たがこのメイドが託児室へ移動させていたらしい。
「鍵を開けたらお前は行っていい」
「言われなくても……」
なおも強気な言いぶりをするメイドだが、彼女は託児室の鍵を開けて扉を開けたところで言葉を止めた。
動きを止めたメイドの視線はせわしなく室内へと動かされているようだ。
「どうした?」
「……ません」
「なんだ?」
「い、いません」
「……どけ」
入口で固まっているメイドを押しのけ、託児室の中へと入る。
絨毯の敷かれた室内へと靴のまま踏み込み隅々まで見回すが、障害物らしい障害物もない室内のどこにも子どもの姿も人の気配もなかった。
「係の者はどうした」
「え」
「この部屋の係の者だ」
「あ、はい、えっと。今日は託児室は使用予定がなかったようで、元から不在でした」
「子どもを一人で部屋へ入れていたのか」
「は! 始めはそばについて見ていたんです! けれど迎えがあまりに遅く、私も仕事がありますから! あの子はいい子でひとりで大丈夫だって、そう言って……」
問いただしたメイドは最初は威勢よく返事をしていたが、喋りながら己にも怠慢があったのを自覚したのだろう、語尾が小さくしどろもどろになっていく。
私はそんなメイドの様子に内心嘆息しながら続けた。
「子どもを最後に見たのはどこで、いつだ」
「この託児室の中に確かに預けて鍵もかけました! 最後に様子を見に来てからは……三十分は経っています」
「もうお前はいい。行け」
「そ、そんな! 私も探します!」
「好きにしろ」
メイドの顔色は青い。
預けた娘は商人の子だが、そんな商人を伴っていた客人の一方が侯爵であることはメイドも分かっているのだろう、自身の首の扱いに恐れを抱いているようだった。
託児室には先ほど確かに鍵がかかっていた。
扉の構造上、年端も行かない子どもが中から細工をして出られたとは考えづらい。
誘拐の類か、もしくは政敵の思惑もあり得るか。
元帥の戦への計画を煩わしく思う連中はおり、その誰かが今回の侯爵と商家の取り込みをかぎつけて妨害してきた可能性はある。
その場合は内部に情報を漏洩させた何者かがいることになるが……。
そこまで考えながら、私は使用人仲間へと聞き込みに行くというメイドと手分けすることにし、娘の捜索を始めたのだった。
◇ ◇ ◇
元帥の直属である立場を利用し城内での聞き込みを始めてしばらく────。
「おかしなことといえば、会議室に子どものチーフが落ちていたんです。今日はお偉方の集会に使われていた部屋ですから、あんな場所に子どもが立ち入れるわけがないんですが……」
掃除夫が首を傾げて動物の柄の入った質だけは良さそうな子ども用チーフを見せてくる。
「子どもの声がして、振り返るとそこには誰もいないんです!」
「確かに閉めたはずの扉が開いていて、けれど誰の気配もなくって……!」
今度は文官二人が顔を見合わせ震えあがっている。
先ほどから、聞き回るたびにこんな証言ばかりが集まるのだ。
私は胃のあたりが痛み始めるのを感じながら、一向に見つからない商人の娘の存在を疎んだ。
早く見つけ出して元帥の元へ戻らねばならないというのに、これでは怪奇現象の聞き取りだ。
簡単に手折れそうな細身の文官二人に礼を言って次の手がかりを探す。
場所を変えるべきかと考えていたところで、誰かが近づいてきているのに気がついた。
半ば駆け寄るようにしてそばまで来たのはどこかの家の使用人だろう若い男だ。
息を切らせた男は焦ったように口を開く。
「あの、軍人様! 失礼ですが、人探しをされていると聞きまして……!」
「どうした」
「突然失礼いたしました。私はエートコノ家の 使用人(ボーイ) でございます。主人の十歳のご子息が迷子になっておりまして、ご迷惑をおかけしているのではと……っ!」
「見ていないな。私が探しているのは女児だ」
「そ、そうでしたか……」
男はどうやら城で面倒を見ていた子息を見失い、子どもを探している軍人がいると聞いて関係があるのではとやってきたらしかった。
私が彼の家の子とは無関係であったと分かるとほっとしたような、手がかりを失ってがっかりしたような複雑な顔をしている。
「女児に関してはそちらは何か知っているか?」
「いえ、そちらも特に聞き及びません……。坊ちゃんがいなくなる際にどこかのお嬢様と一緒だったのを見た者はいるのですが……」
「ほう? それはどれくらい前の話だ」
「三十分ほど前でしょうか。それから手分けして聞き回っているのですが、もうほとんど私どもで回れる場所は行きつくしてしまいまして」
使用人だけでは勝手に行ける場所も限られてくる。
このあたりは探し尽くしたということだろうと判断し、私は彼のところの子どものことも何か分かれば知らせると約束して、聞き込みの場所を城内のもうひとつ内側の区画へと移す事を決めたのだった。
◇ ◇ ◇
場所を移し、さほど聞き込みを進めずともそのことは耳に入った。
現在この区画に第二王子が訪れているらしい。
通りがかりかと思ったが、どうやら誰かと話し込んでいるらしく、その一帯は下級の使用人が近づけないとのこと。
これだけ聞き込んで姿を見た者がいないということは、子どもらがそちらへ行ってしまった可能性が高いと判断し、私は王子へ迷子の子どもらの存在を知らせるべくそちらへと足を向けた。
『……!』
『あはは』
近づいていくにつれ、楽しそうに談笑する王子たちの姿が見えてくる。
王子と、彼の側付きが何人か。
王子と相対している小さな姿は少女だろうか。
まさかと一瞬思ったものの、近づいて見えてきた少女の胸元には大きく輝く宝石がついた首飾りがあり、少女の身分の高さを窺い知れた。
王子と親し気にしている様子からも、侯爵家以上の令嬢だろうと想像する。
「失礼いたします」
近づいた私へ傍に立つ護衛だろう騎士が気付いてさっと立ち位置を変えたところで立ち止まって声をかけた。
王子の教育係の飄々とした雰囲気の男が、表情を変えないままこちらへ視線を向けてくる。
糸目で表情の読みづらいその男は、王子らと話していた際の訛りは取り払いはっきりとした王国語で言った。
「不敬では? 王子は今ご友人と歓談中ですよ」
「行方の分からない子どもが城内におりまして。この近辺にいる可能性が高く、念のため知らせにまいった次第です」
「使用人へ知らせれば事足ることです」
「では次回からそうさせていただく」
私の強気な言葉に、途中で教育係の眉が一瞬ぴくっと動いた気がした。
文官だろうに臆することなくこちらを見据えているのは、王子の歓談の邪魔をされたと憤っているのか、はたまた別の理由によるものか。
護衛越しに見える王子も、心なしか表情を消してこちらをじっと窺っているように見える。
「────迷子の子がいるの?」
そんな場の緊張の糸を断ち切ったのは、王子の会話相手だったご令嬢だった。
年の頃は五歳ほどか、それよりも幼いかもしれない。九歳で利発な第二王子と並ぶとより幼さが際立って見えるのかもしれない。
城内に参内するにはそこまで形式ばった服装でもないが、首から下げたその飾り一つで彼女の身分が相当高いことが窺い知れた。
元々の予定になかった王子との邂逅がここであったのかと思えば、おかしな状況でもない。
私は王子の気に入りらしい高位令嬢へ失礼がないよう、彼女からの問いかけにも親切に返答をしておいた。
「はい。迷子のお子様がおられるのです。うち一人は平民の子ですので、貴女様も不用意に近寄られませんように」
「迷子かぁ!」
一応の注意喚起をした私へ、その令嬢は大きく口を開けると嬉しそうな声を上げた。
なぜそこで嬉しそうにするのか謎だ。
「じゃあ! じゃあねえ、名探偵ケイニーの出番だよねぇ! 今度こそ迷子の子を見つけてあげましょうねえ」
「は? 名探偵? ですか??」
「そう! 私が名探偵ケイニーだからね、えっと、『ヴァッカスくん』はデイヴィスにやってもらうのがいいかなあ、アヤドさんがいいかなあ」
「ほな、お付き合いしまひょか」
「ありがとうアヤドさん!」
困惑する私を置いて、ケイニーという名前だったらしい令嬢がどんどんとその意気を激しくしていく。
はしゃいだ子どもなど面倒を見たこともない私が硬直していると、王子の教育係の男が雰囲気を柔和なものへ一転させて令嬢の相手をし始めた。
嫌な予感がするが、逃げ場がない。
なぜか王子もこれには乗り気で、令嬢が次々と誰が何役で、ここが秘密基地で、これが秘密道具でと名探偵なるものの設定を展開していくのに、私は為す術なく付き合わされることとなったのだった。
◇ ◇ ◇
「ふむふむ、なるほど。それじゃあそのお化けさんが女の子を連れて行っちゃった か(・) の(・) う(・) せ(・) い(・) が高いよねえ」
「いえ、そういう証言があったというだけで……」
「会議室のハンカチも怪しいよねえ、どう思うかねヴァッカスくん?」
「ええ、さすが名探偵のケイニーはんの言うとおりやと思いますわあ」
「教育係殿……」
一体このごっこ遊びはどうやったら終わるのか。
私の立場も分かっているだろうに、第二王子は突然始まったこのごっこ遊びに付き合うつもりなのか止める気配がなく、王子の教育係に至っては悪乗りをしているのか煽る始末。
廊下の隅の、ご令嬢いわく会議のための『秘密基地』に集められた私は、ひとまず周囲の王子の付き人にも情報共有になるだろうと、城内で聞き取りを行った結果である証言のいくつかを口にしてはみたものの、探偵ごっこに執心な様子のご令嬢に勢いよく食いつかれてしまい途方に暮れた。
元帥からの命が最優先である。彼女がどこの家の子女であろうとここはもう不興を買ってでも場を辞するべきかと私が考え始めたときだった。
「その会議室はねえ、私もさっき行ったから詳しいよぅ! それに、お話にあったお部屋の扉もさっきくぐったし、食堂もさっき行ったからねえ、私が迷子の子を探すお手伝いをしてあげましょうねえ」
ご令嬢の発言が、何やら引っかかる。
ただの子どもの思い付きの発言かもしれないが、この違和感は何だ?
ふと、教育係の男の肩が揺れている気がした。
そちらを見るが、顔があちらを向いていて表情までは読めない。
教育係の男はその状態のままで言う。
「ええ、ええ。手伝ってあげたら、ええんとちゃいますかねえ。ほんま」
声が震えている気がして、疑問に思う。まさか涙? いやこの場面でそんなはずはないだろう。
場の異様な雰囲気を感じ取った私は不意を突いて周囲を囲む王子やその側仕えたちの表情を盗み見た。
全員が口を固く引き結んで表情を消している、なんだこの異様な雰囲気は。
ますます疑問しか浮かばなくなり、私はこの場の中心にいる令嬢に再び視線を落とした。
「……?」
令嬢と視線が合い、顔をよく見たところで頭に妙な既視感が浮かぶ。
この令嬢、どこかで見覚えがあるような────。
「ぷはっ」
背後で、思わずというように息が吐き出される音が聞こえた。
不愉快に思いそちらを見やれば、ついに俯いて肩を震わせる教育係の男の姿がある。
「貴殿はもしや私を馬鹿にしているのか?」
「ま、まさか……」
「では何を笑っている」
声は震えていて、男が笑っているのだと分かる。
私はもうこれ以上付き合っていられないと思い身をしっかりと起こした。
「もう少し、周りをよく観察したらどうでしょうかと思いまして……」
「私を侮辱する気か。……もういい、彼女たちには悪いがここまでとさせてもらう」
教育係の男のふざけた態度にごっこ遊びに付き合うのもここまでと判断し、令嬢が不思議そうに私を見上げているのを黙殺して王子へと向き直った。
元帥の命を完遂するため、ここでこんなことをしている場合ではない。
「デイヴィス王子、申し訳ありませんが私には時間がございません。迷子探しに戻りますので、これにて────」
「あ! いた!!」
大きな女の声が私の言葉を遮った。
いい加減次は何事だと私がそちらを見ると、そこには見知った女が立っている。
私とは分かれて子どもを探していたはずのメイドは、目を大きく見開きこちらを凝視していた。
次いでメイドはそこにいるのが騎士と、それに守られる王族だと気付いたようで、一瞬で顔色を青にする。
「迎えが来たみたいですねぇ」
そんな空気の中でさも当たり前のように教育係の男が朗らかに言った。
「そのようだな」
続けて、王子が言う。
場に似つかわしくないのんびりとした会話に私が混乱している間に、教育係の男が令嬢に対して「探偵さんは見つかってしもたみたいです」と言った。
「私?」
間の抜けた声で令嬢が言う。
そこで、そこに至ってやっと、私の脳内で一つの結論が導き出された。
信じたくはない、しかしそうであれば全ての合点がいく、そんな結論が。
目の前で、教育係の男に背を押された令嬢が、たたっとメイドの元へ駆けていく。
「どこっ、どこに行ってたんですかお嬢様……っ!」
「そっかぁ、メイドさんたちは私のこと探してくれてたんだねえ」
王族の前で焦った様子ながらも、メイドの事情を把握している態度の彼らに安心したのか、メイドはその胸に戻ってきてにこにこと笑う令嬢、いや、商人の娘に向かって声をかけている。
娘はあっけらかんとメイドに向かって「ありがとう、ごめんねえ」などと言っているが、私はそんな状況を簡単には飲み込めないでいた。
「まさか、ではなぜ……」
豪奢な首飾りを、それに名も、と、うわごとのように言って呆然としている私に、答えをくれる者はその場にはいない。
代わりとでもいうように、教育係の男はからかうように私にだけ聞こえる声量で言った。
「デイヴィス様と懇意なのは間違いありませんから。勘違いしたらあきませんよ」
男が元帥の直属の部下である私に対してそう言うだけの意味を理解し、私は苦虫を嚙み潰したような顔になるのだった。
◇ ◇ ◇
「娘の到着が遅かったようだが、言い訳はあるか」
「は。対象発見時に王子殿下の御前におりまして、手間取りました」
「王子の?」
商人の娘を連れ帰り、そのことを報告に行った私に対し、親族との会談の場を離れた元帥が向けたのは決して叱責ではなかった。
どこまでも冷静に、もはや冷酷なまでに状況を探る問いかけのみ。
碧色の瞳の奥は一切の感情が読めず、私はただ最善の結果を持ち帰れなかったことを深く頭を下げて陳謝した。
報告を終え、「もういい」と、最後にそれだけを言われ私が辞去する最中、元帥が何もない宙に向かって苦い表情を向けていたのだけが妙に気にかかった。