作品タイトル不明
第七十三話 彷徨うモブ(中編)
俺は王城前広場から伸びる大通りを抜け、路地を入って歩いていく。
町の人々は俺のことを気にも留めない。
もともと知り合いが多いほうではなかったが、断罪見物の常連や、食堂のおばちゃんや、お互いに見知った顔はいる。
そうした人々も、まったく俺の顔を認識することはなかった。
俺は帰巣本能のままに自宅に戻って、鍛冶屋の工房から家に入る。
「いらっしゃい!」
元気そうな父がいた。
俺の顔を見て、怪訝そうな顔をする。
「お若いの、初めてだよな? 今日はどういった用件で? うちは武具も防具も王都イチよ。あと俺は断罪見物大好きでね、断罪情報だったら高く買うよ」
何屋さんなんだよ……。
思わず目から涙が溢れる。
父は俺のことを完全に忘れてしまっている……。俺は自分が誰かを説明することもできない。自分の名前すらわからないから。
一緒に剣を打ったことも、一緒に断罪見物に行ったことも——「 名喰い(ネーム・イーター) 」に何もかも無かったことにされてしまったのだと、改めて思い知った。
俺は確かに名前を失ったのだ。
「おい、どうした。泣いてんのか? そういうときは断罪見物でもして、スカッとするといいぞ」
父の励ましに俺は笑う。
「ありがとうございます」と言って俺は家を出た。
※
俺はあてもなく、王都の町を歩く。町の人々は、おしなべて俺に無関心だ。もともとモブ平民なのだから、それ自体は変わらないな、と自嘲気味に笑ってしまう。
……これからどうすればよいのだろうか?
名前のない男が、この王都でどう生きていけばいいのだろう?
思えば、クローデリアも、大司教の事件で同じような気持ちを味わっているのだ。俺も彼女を思い出してやることができなかった……。今でもあのときの申し訳なさは俺の心の奥に沈んで残ったままだ。
気づくと俺はレーヴェンハイト公爵家の屋敷の前に立っていた。
クローデリアのその後が気になっていた。彼女の無事だけ確認したら、どこか知らない場所に行ってみようと思っていた。
クローデリアさえ無事なら、もうあとはどうなろうと構わなかった。
俺のような、文字どおり「名もない」モブ平民がどこかで野垂れ死んだところで、王国には何の影響もないのだ。
やがて、遠くから馬車がやってくるのが見えた。
——レーヴェンハイト公爵家の馬車だ。
あの馬車で、クローデリアと南方の辺境まで旅をした。何だか遠い昔の思い出のように思えた。
馬車から降りてきたのはクローデリアその人だった。変わらず、高貴で美しい公爵令嬢だ。
俺が「名喰い」されたことにより、「王国の断罪」事件も「真・反断罪戦線」もなかったことになったのだろう。クローデリアは無事に解放されたのだ。
よかった……。
これでもう思い残すことはない。
離れたところから見守る俺に、やはりクローデリアは気づかない。
気持ち悪い平民が覗いているのも気分が悪いだろう。
しっかりクローデリアの姿は目に焼きつけた。
……ここを去ろう。
クローデリアのことを想いながら、これからも生き、そして死のう。
「さようなら」と小さく呟き、俺は公爵家の屋敷に背を向け、歩き出した。
「ユウマ!」
後ろのほうで、どこかで聞いたような名前をクローデリアが叫んでいたのが聞こえた。